第13話 情勢

 ノーマン辺境伯領の領都であるコルムは、辺境伯の居館を中心とした街だ。

 この街を鳥の視点で俯瞰することができれば、リオンは驚いただろう。

 ユヴェール王国の王都とよく似た、同心円と放射線を組み合わせた都市構造をしているからだ。


 ただし、コルムの場合、その四重の同心円は完全な円形ではないし、そもそもそれは道路ではない。

 水路なのだ。


 コルムはノーマン家が地方の有力者だった頃に築いた環濠集落から発展した街だ。

 故にその四重の水路は、全て濠である。

 街が広がるのに合わせて、新たな濠を増設していったのだ。

 それらを無数の細かい水路が繋いでいる。

 コルムは水の街なのだ。


 その一番外側の濠に設けられた大きな橋を備えた門が、街の中と外を繋ぐ施設だ。

 街の八方にあるそれらは、中央の領主館まで一直線の道路で繋がれており、全ての濠において、その線上には橋が架かっている。

 陸上と水上の双方で、交通の便に重きをおいて作られていることが見て取れる都市だ。

 リオンが理想とした形状の都市は、実は国内にすでにあったのである。




 コルムが自然発生した都市でありながら、このような整然とした構造を持つに至ったのは、ノーマン家の軍事思想に依るところが大きい。

 ノーマン家の兵は弓騎兵だ。

 真価を発揮するのは平地での野戦である。

 ノーマン家は街を守るために、拠点に籠って戦うのではなく、撃って出て撃退する道を選んだ。


 故に、この街の道は、ノーマン家の軍がいかに効率的に出撃するか、を優先して作られた。

 万が一攻められた場合でも、相手は遊牧民の騎兵である。

 攻城兵器など持っていないから、濠だけでも大きな防衛力になる。


 そうして、まだ濠が一つだった頃に、館から門までの直線道が敷かれたのが始まりだったのだろう。

 街の住民が増えるたびに濠を増やしたが、「出撃道」としての利便性のため、既存の道の延長線上に新たな門が作られた。

 コルムの主要道には「敵を阻む」意図は一切無く、「領主の出撃を妨げない」ことだけを考えて作られているのだった。

 だから道幅も広い。

 領主館には百騎ほどの兵が常駐しているから、それが一団となって全速力で駆け抜けることができ、なおかつ他の通行者が道の端に寄ってそれを避けることができる幅を確保しているからだ。


 この一直線の道は、領主への急報や救援要請の使者が駆け込んでくる際にも重宝した。

 コルムに来るのが初めての使者であっても、門番が道の先を指し示して、「このまま真っ直ぐ!」と言えば絶対に迷わないからだ。

 冗談のような話だが、意外と馬鹿にならない利点だった。

 ノーマン家が勢力を拡大すると、友好的な遊牧民の部族を保護下に置くようになった。

 それ以来、コルムに来るのが初めてという使者が救援要請に駆け込んで来ることは実際に何度も起こっている。




 規模拡大によって内側になった濠は、防衛施設というより水路としての性格が強くなり、濠同士を繋ぐ水路が引かれていった。

 ノーマン家の勢力が確立されてからは、外敵に備える必要性も薄れ、今や一番外側の濠まで水路として使われている。

 もはや濠と言うよりもただの運河に等しい。


 これらの濠は、近くを流れるルルド川と繋がっている。

 この川は一方では下流の港湾都市アルギアとコルム、もう一方では上流の集落とコルムを繋ぐ交易路だ。

 この川を使って、下流のアルギアからはアルスター平野や他国からの荷が、上流の集落からは遊牧民たちからの荷が届く。

 その取引に関わる数多くの人間もやってくる。

 そのため、コルムは国際色豊かな街になっていた。




 こうして、防衛を考えながらも交易を重視した都市として、コルムは現在の姿に至った。

 そして、コルムがほぼ平坦な水の街であることは、領主家と領民の関係を、王都シュレージなどとは違ったものにした。


 シュレージは小高い丘を利用して建設された都市であり、最も中心で最も高い場所にいるのが王家だ。

 この物理的な上下関係は、心理的な上下関係の源になった。

 王都で平民が国王を見下ろすなど、とんでもない不敬とされるだろう。


 だが、コルムでは領主も含め、全ての住民が同一平面上に暮らしている。

 水路は当然道路よりも低いのだが、そこを領主が船で移動していることも頻繁にあるため、平民が領主を見下ろすことを罰してなどいたらキリが無い。

 故に、コルムでは領主と領民の上下関係が比較的緩いのだ。

 コルムの住民からすれば、領主は仰ぎ見て尊ぶ「貴種」ではなく、身近で頼れる「親分」なのであった。






 その頼れる親分たるノーマン辺境伯ギルバートは、領主館の執務室で地図と睨み合っていた。

 東のドローニス王国に、軍の動員の兆候が見られる。

 そんな連絡がオロスデン侯爵からもたらされたからだ。


 地図の上で見ると、ドローニス王国とノーマン領は境を接しているように見える。

 だが、この国境地帯には険しい山脈がそびえている。

 加えて、ドローニスがノーマンを攻める利点も特に無いため、危険性はほぼ無い。


 ノーマン領はオロスデン領と直接隣接はしていない。

 ノーマン領の南にタルデント領があり、その東がオロスデン領だ。

 この三家で、アルスター王国北東部を守る同盟を結んでいる。


 この三つの領地の特徴を端的に表すなら、ノーマン領は「草原」、タルデント領は「森林」、オロスデン領は「岩山」だ。




 タルデント伯爵領は「タルデントの大森林」と呼ばれる森が領地の多くを占めている。

 「ルガリアの大河とタルデントの森」と言えば、アルスター平野の住人であれば、北の遊牧民に対する防壁として誰もが知る存在だ。

 ルガリア川は馬で渡るのは困難な大河であるだけに、遊牧民がアルスター平野に侵入できる経路はタルデント領しか無いと言って良い。

 だからタルデント領は、常に北の遊牧民の脅威にさらされてきた。


 森が領地のほとんどを占めるために経済力の低いタルデント領では、大規模な騎兵軍団など編成できない。

 その制約の中で遊牧民の弓騎兵に対抗するため、タルデントの領主は長弓を採用した。

 弓騎兵以上の射程と速射性を持つタルデント長弓兵は、ノーマン騎兵が唯一戦いたくない相手と言って良い。




 オロスデン侯爵領の特徴は、「岩山」だ。

 山脈と言うほど高々とそびえ立つ山々ではないが、無骨な岩山が領内の多くを占める。

 これらの岩山がオロスデン侯爵家の重要な資産であった。

 鉄鉱山なのだ。

 オロスデン領は、王国南部の山地に次ぐ製鉄地域だ。


 この製鉄業に使用する燃料は、領内で十分に確保することができない。

 それを支えるのが隣接するタルデント領の森林資源だ。

 タルデント領の炭焼き達にとって、最重要のお客様がオロスデン領の鍛冶屋だった。


 タルデント伯爵との友好関係は、オロスデン侯爵にとって軍事的にも重要だ。

 オロスデン領の東部では山地が終わり、麓には広大な平原が広がる。

 この平原を治めるのが、ドローニス王国だ。

 オロスデン侯爵は山地に砦を築き、ドローニス王国を見下ろすように守りについている。


 豊富な鉄資源と山がちな地形から、オロスデン侯爵軍の主力は重装歩兵だ。

 ここにタルデント伯爵軍の長弓兵を加えた組み合わせは、こと、高所に陣取っての防衛戦では無類の強さを誇った。


 だが、欠点もある。

 どちらも機動力という点では大幅に劣るのだ。

 防衛においては鉄壁と言って良いが、退いて行くドローニス王国軍を追撃することなどできなかった。




 そこでオロスデン侯爵は両家の軍事同盟に、ノーマン辺境伯を加えることを考えた。

 ノーマン領軍の機動力は有名だ。

 タルデント領を通行できれば、オロスデン領まで迅速に援軍に来ることができる。

 援軍に来てもらったら、防衛戦では馬を降りてタルデント長弓兵と共に矢の雨を降らせてもらう。

 そして山地での防衛戦で撃退し、平地での追撃戦となれば、後はもうノーマン弓騎兵の独壇場である。


 見返りとしてオロスデン侯爵が提供するのは鉄だ。

 ノーマン領では領地の広さと領民の多さに比べれば、十分な製鉄が行われていない。

 鉄鉱山が無いことも理由の一つだし、寒さが厳しすぎて燃料は人間が暖を取るためが最優先という理由もある。


 ノーマン領軍の武装は革や骨、木といった自然素材の利用が多いが、それは機動力のための軽さ重視や、遊牧民由来の伝統といった点だけが理由ではない。

 鏃や刀槍に使う以上の鉄資源の確保が難しかったのだ。




 この三家の同盟の証として、タルデント伯爵の妹がノーマン辺境伯家に嫁いだ。

 この女性が、ギルバートの正室のエリザベスだ。

 既にオロスデン侯爵家とタルデント伯爵家の婚姻は成立しており、エリザベスの母は前オロスデン侯爵の妹である。


 つまりエリザベスは、タルデント伯爵の妹であり、オロスデン侯爵の従妹だ。

 三家の婚姻同盟として相応しい縁だろう。




 仲介するタルデント家としてもメリットが大きかった。

 規模の大きな侯爵家と辺境伯家の交易の中継地となれば、それだけでも経済効果は大きい。

 それでなくともノーマン領は商業に積極的で、領都コルムは人口四万人を数える国内第二の都市。

 つまり、国内有数の大消費地だ。


 この同盟に合わせて、ノーマン家とオロスデン家の資金援助のもと、タルデントの大森林を縦貫して、ルルド川の上流の町からタルデント伯爵領の領都ディグリスまで街道を通せたことも大きい。

 ルガリア川の上流からの交易品をディグリスで陸路に乗せ替え、森を抜けてノーマン領へ、という交易路が開通したのだ。

 経済的には弱体の伯爵家にとっては、諸手を挙げて歓迎する話であった。




 それぞれ全く違う特徴を持ったこの三家の同盟は、誰にとっても大満足の関係となっていた。

 アルスター王国北東部は、この三家によって軍事的にも経済的にも盤石と言える。

 





 ギルバートは地図を眺めながら思案する。

 西方国境はつい先日国王夫妻が視察と慰問に向かい、クレスタ侯爵と色々調整してきた甲斐があってか、大きな混乱は無いようだ。

 そもそも西部に、アルスター王国に攻め込んでくるような国は無い。


 南部国境は、山脈が壁となっている。

 鉱山利権などで対立することはあるが、お互いに武力衝突は割に合わないと考えている間柄で、武力侵攻は無いだろう。


 問題は国内中央部と東部国境。

 国内中央部は中小領地が多く、王都に近いため、国境付近のようにまとめ役の大貴族がいない。

 王家が直接まとめているのだ。

 だからこそ、今回の事態ではむしろ地方よりも混乱が深いようだ。


 そして東部国境。

 北から順にドローニス、サルフェド、クラニアという仮想敵国と向き合っている。

 それぞれの前線を担当しているのは、オロスデン侯爵家、ガレル侯爵家、ニスヴィオ侯爵家だ。

 いずれも、今ではそれなりに付き合いがある。

 タルデント家が、ルガリア川の水運の関係でどことも親しいからだ。


 ルガリア川は河口のトレストから遡上すると、まず東に向かってタルデントを中心とした中流域に至る。

 そしてタルデント領内で大きく蛇行して南に向い、いくつかの領地を経て、上流域のガレル家を通り、源流はニスヴィオ侯爵家にある。

 そのため、以前から関係があったのだ。


 また、オロスデン侯爵家も東部国境を守る侯爵家同士の付き合いがある。

 その両家と親しくなったことで、ノーマン家としても付き合いが始まったのである。




 現在、東部国境を守る家は、全て領地に戻っている。

 アルスター国内の混乱に乗じた侵攻に備えるためだ。


 この三ヶ国の中で最も危険度が低いのが、最も南のクラニアだ。

 クラニアは現在、西や南への領土拡張に熱心で、この機会に即座に反応してアルスターに侵攻できる体勢にはない。

 問題が長期化すればともかく、短期的な危険は少ない。


 中程度の危険性と言えるのが、サルフェドである。

 ここは向こうの国内がごたついている。

 お家騒動をしているところらしい。

 だからアルスターに手を出してこられるタイミングとは思えないが、逆に国外に敵を作ることで国内をまとめようとする可能性が無いとは言えない。

 国境の警備を厳しくして、抑止力を効かせる必要はある。


 そして最も危険なのがドローニス。

 何度もアルスターに侵攻を試みており、だからこそオロスデン侯爵家はノーマン辺境伯家との同盟を求めたのだ。

 ギルバート自身、交戦経験がある。


 今もアルスターへの侵攻を虎視眈々と狙っているはずで、この機に乗じて手を出して来る可能性は非常に高い。




 ドローニス王国との国境は、オロスデン侯爵が壁となり、その背後をタルデント伯爵とノーマン辺境伯が支える形だ。

 この三家連合は婚姻で仲を深めているが、今回の件でノーマン家と王家の仲が拗れ、結果として三家で揃って社交を切り上げて領地に戻っている。

 かなり不安定に見えるだろう。


 軍事侵攻よりも、三家まとめてアルスターから引き離すような、離間工作があるかもしれない。

 それが実現できるのなら、ドローニスにとっての利益は計り知れない。

 オロスデンの山地を労せずに越えることができ、タルデントでルガリア川を渡れば、そこはもうアルスターの平野だ。

 そこにノーマンの騎兵を援軍として加えることができるのだから、アルスター王国の征服は成ったも同然。

 そう考えてもおかしくはない。




 実際のところ、タルデント家が通してくれるのであれば王都への進軍は可能だ。

 容易と言っても良い。

 祖父に聞いた話では、王国軍で怖かったのはタルデントの長弓くらいで、他はそれほどの脅威を感じなかったという。


 その時代から、ノーマン辺境伯軍は飛躍的に強化された。

 規模は倍増と言って良いし、装備の質もオロスデンの鉄で向上した。

 実戦経験も十分だ。

 一方で、王国中央部の貴族達は平和を謳歌しており、軍備は弱体化しているようだ。

 少なくとも実戦経験は絶無だろう。

 もし戦争にでもなれば、容易に蹴散らせるはずだ。




「そうなると、今回の事件の当事者をさらに煽るような流言があるかもしれんな」


 ギルバートは地図から目を上げると、手紙を認め始める。

 既に同様の見解に行き着いているかもしれないが、タルデントとオロスデンに知らせて認識を共有しなければならないし、王都のアルバートにも注意喚起が必要だ。


「さて、どうなることやら」


 使者に手紙を託し、ギルバートは天を仰ぐ。

 この事件がどのような決着を迎えるのか、ギルバートにはまだ想像も付かなかった。



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