第11話 斯くしてブラコンは育まれた 前編
王都は現在、表面上は静寂を保ちつつも、水面下の混乱は度合いを増していた。
例えば、王家への不信から、王家の裁定で収まっていた国内問題に再燃の気配があるものがあった。
それによって、社交を切り上げて領地に戻る領主もいる。
時期的に農繁期前の軍事行動が可能な季節だ。
国内に軍事的緊張があれば、それに伴って経済活動が鈍化する。
せっかくの社交シーズンなのに、社交自体も低調だった。
例年であれば大きな夜会がいくつもあるが、今年はノーマン辺境伯邸の物を最後に開かれていない。
そのこともまた、経済活動の鈍化を加速した。
貴族の贅を尽くした夜会は、莫大な消費を生む、王都経済の燃料なのだ。
大規模な夜会が無い代わりに、小規模な茶会は頻繁に開かれている。
貴族たちは息を潜めるように情報交換に勤しんでいた。
そして、そんな密やかな茶会の一つとして、ポルトレーンで茶席を囲むオリヴィアとソフィアがいた。
「なるほど。
中部の下位貴族にそのような傾向が……」
「はい。
取り越し苦労であるなら、それに越したことはないと存じますが、万一を考えれば調べておくべきかと」
「そうですね。
我が国の土台でございますから」
ソフィアからもたらされた情報にオリヴィアは頷いた。
ノーマン家から誘いの書状が届き、それがソフィアからの物であることを知って、まずは少し残念に感じたものだった。
次に、緊張。
オリヴィアとソフィアは、学校時代には深い付き合いがあったわけではない。
悪い印象は無いが、月の女神のようと言われたその怜悧な姿に近寄りがたさを感じていたのは事実だ。
また、ノーマン辺境伯の令嬢からの誘いというのは、否が応でも「家の縁」を感じさせるものでもあった。
だが……
「オリヴィア様の方で、何か変わった動きは掴んでいらっしゃいますか?」
「そろそろ陛下が帰還されるとの連絡がございました」
「まあ!
それはよろしゅうございますね」
「ええ。
先んじて父の元に登城要請がありましたから、ご帰還なされてすぐに登城することになりますわ」
「これでようやく、国政が正しく回るようになりますわね。
お兄様も喜ばれるでしょう」
ソフィアが嬉しそうに笑う。
何というか、学校で見ていたのと、だいぶ印象が違った。
意外なほど喜怒哀楽を表に出すし、知性の鋭さは窺えるが冷たさを感じるほどの冷静さも無い。
率直に言って、少し幼い印象すらあった。
「それに関連してのことと存じますが、父からわたくしに、シャーロット殿下をどう評価しているか、との問いがありました」
「ということは、リオン殿下はやはり?」
「ええ」
今度は、声に冷たい険が宿ったようだった。
リオンをまだ許していないのだろう。
無理もないと思う。
「わたくし達、殿下の周りにいた者にも、殿下がああいった方になってしまった原因の一端はあるのでしょう」
自嘲する。
リオンに対してまだ情があるわけではないが、罪悪感はあった。
これまで、リオンの認識する範囲では彼の意のままにならないことは無かった。
周囲は常にリオンを立てた。
オリヴィアもそうだ。
フェリクスがそう指示したからで、フェリクスとしては王権強化の一環として、宰相である自分やその娘であるオリヴィアが率先して王家を敬うことが必要と考えていたのだ。
ショーンの嫡出の男子がリオンしかいないことも悪い方に作用した。
リオンは生まれてからずっと、誰かと衝突したことが無い。
リオンとぶつかりそうになったら、相手が回避してくれていたから。
王家にとって、アルスター王国にとって、リオンが初めての「生まれながらの王」。
そのことを重視して、諦めたり、挫折したり、他者に譲ったりすることを経験させておくべきだったのだろう。
初めてぶつかる相手が、取り返しの付かない相手になってしまった。
「王家が王権の強化を図るのは、わたくし達宮廷貴族にとって、都合の良いことでした。
だから、殿下のユヴェールへの傾倒を止めなかった。
ですが、アルスターはユヴェールとは前提条件が違うことを、早い段階でご理解頂かなければならなかったのでしょう。
ノーマン家に勝てなかったアルスターでは、王家にユヴェールほどの力は無いのですから」
「それは当家を責めていらっしゃいます?」
ソフィアがからかうように言った。
ユヴェール王国は、その征服戦争の全てにおいて、最終的には軍事的な勝利を収めている。
つまり、王家は国内の全ての者に対して「勝者」なのだ。
そして、地方の有力者を軍事的に降した後、王家は即座に彼らを地縁から切り離し、中央で官僚や軍人として使うか、別の地方の行政官として使った。
だから貴族は力を失い、王家は圧倒的な権力者でいられるのだ。
一方で、アルスターの建国王アルフレドは、アルスター平野を征服して統一したが、ノーマン領には三度侵攻し、三度とも撃退された。
王国が崩壊するほどの損害は受けなかったものの、同じ相手に三度も負けたのだ。
その事実はアルフレドの勇名を確実に落とし、国内への統制力を弱めた。
「まさか!
敵に攻められれば打ち払うのは、領主として当然の義務であり権利ですわ。
貴家はその義務と権利として戦い、そして勝利されました。
そのことに責などあろうはずがございません。
殿下の方が、勝てなかったことを認識して、貴家を含め貴族達をいかに取り込むかを考えねばならなかったのです。
無条件で貴族を従えられるほどの力は、王家には無いことを理解しなければならなかったのです」
敗戦の後、アルフレドは戦略を外交戦に切り替え、長期戦は不利なことを理解していたノーマン家は、領地の自治と地位の保持を条件に、王国に従属した。
ノーマン家にも泣きどころがあったからだ。
食糧生産が安定しないことだ。
ノーマン領は小麦や大麦の栽培が可能な北限の地域である。
農業は可能だが、ちょっとした冷害ですぐに不作に陥る。
様々な対策を取ってはいるが、いまだに根本的な解決には至っていない。
ノーマン家としても勝っているうちに矛を納め、アルスター平野からの安定的な食糧輸入という実利を取る方が良かったのである。
最終的にノーマン家を傘下に収めたことで面目は保ったものの、完全に名誉挽回できたとは言い難い。
結果として、王家の貴族への統制力は限定的なものに留まってしまっているのがアルスターの現状だ。
オリヴィアはため息をつく。
「今回の件で、王家の権威はさらに落ちました。
ユヴェールほど強い王家ではないとは言え、王家は確かにアルスターを一つの国として束ねるための要でした。
その要が、今にも外れそうなほどに緩んでいます。
これからどうなるのか……」
「当家としても、国内が安定しないのはとても困ります。
不作の時に頼る相手がいなくなりますからね」
「近年は収穫もだいぶ安定していると聞きますが?」
「それでも不安定なことに変わりはありませんわ。
一年ならともかく、二、三年不作が続いたら耐えられないでしょうね」
「……そのようなことを仰ってよろしいのですか?」
領地貴族が自領の弱点を晒すようなことを言ったことに驚く。
貴族たるもの、弱みは隠すのが当然だからだ。
おかげで領地貴族の領内の事情は、王宮からでは見えないことも多い。
「貴家にはお話しておいた方が良いでしょう。
過大評価されて、過剰に恐れられることの方が問題ですわ。
当家としても、アルスターから離反するのは害が大きいのです。
和解して共に歩む意思はございます。
お父様もお兄様も、そのように仰っています。
そのことを、お父上にもお伝えください。
それに……」
「それに?」
ソフィアが悪戯っぽく笑った。
「いずれお義姉様になるかもしれない方ですもの。
誤解されたくはありませんわ」
「……え?」
言われた意味を理解して、オリヴィアの頬に朱が上る。
「うふふふ。
オリヴィア様って、意外と可愛らしい方だったんですね。
良いと思いますわ。
あまり取り澄ましている方は、ノーマンでは暮らしにくいでしょうから」
「……からかわないでくださいませ」
オリヴィアは表情を隠すようにティーカップを取り、顔を伏せぎみにして口に付けた。
「王都の方々は、あまりノーマンに馴染めそうにない方が多いように感じますが、オリヴィア様は違いますわね。
多分、上の者に苦労させられて来られたからでしょうね。
無闇に身分が下の者を見下すこともございませんし。
ノーマンは上と下の距離が王都より近うございますから、大事なことですわ」
「ノーマン領では効率重視、実用重視と伺いますものね」
ソフィアが、じっとオリヴィアを見つめてきた。
「もしオリヴィア様に嫁いできて頂けるのであれば、わたくしも安心して臣下に降ることができます」
「ソフィア様は臣下に降って婿を取られるのでしたね」
聞いた時には驚いたものだ。
ソフィアは宮廷学校を首席で卒業した初めての女性。
それに辺境伯の令嬢となれば、どの高位貴族とでも縁を繋げたはずだ。
「元々その予定だったのですもの。
わたくしはアルベリア子爵家を継いで婿を取り、ノーマン辺境伯家をお支えする立場となります。
ですから、うるさい小姑の心配をしていただく必要はございませんわ」
ソフィアは一度言葉を切って、ティーカップを取った。
しばし言葉を探すようにした後、再び唇を開く。
「何と申しましょうか。
わたくしにとって一番大事なのはお兄様ですが、わたくしがお兄様の一番大事な者となることを求めているわけではないのです。
お兄様はノーマン家をお継ぎになる身。
わたくしはノーマン家を出てアルベリア家を継ぐ身。
幼い頃から言い聞かされて育って参りましたので、そのことは弁えております。
今までの研鑽も全て、臣下としてお兄様をお支えするために積んでまいりました。
ただ、わたくしにも我慢のならないことがございます。
それはお兄様に嫁がれる方が、わたくしよりもお兄様のお役に立たない方であること。
わたくし、今までのところお兄様に一番近く、一番お役に立つ女であると自負しておりますわ。
お兄様が奥様をお迎えし、一番近くの座を明け渡すことに否はございませんが、その時に一番お役に立つというお役目もお渡しできる方でなければ許せませんの」
「……それはわたくしには荷が重いのではないでしょうか?」
オリヴィアは眉尻を下げる。
ソフィアは宮廷学校を首席で卒業した才媛だ。
成績を開示されるようなことはないから教授陣の話からの推測だが、おそらく群を抜いて。
それよりも役に立つというのは、あまりにも難易度が高過ぎる。
そのような問いだったが、それはオリヴィアがアルバートに嫁ぐことを前提とした思考であるという自覚は無かった。
「とんでもございませんわ。
オリヴィア様はお兄様の代のノーマン家に最も必要な人材かと存じます」
それに対して、ソフィアはそう断言した。
「……そうなのですか?」
「はい。
こう申しては何ですが、お兄様やわたくしは、世の中の当たり前というものに少々……どころではなく疎い部分がございます。
お兄様やわたくしが考える施策や工夫は、常識に捉われないのが良いところで、常識に捉われなさ過ぎるのが悪いところだ、とお父様にも常々言われております。
その分、効果はあっても、実現の過程で摩擦や衝突があることがございます」
「は、はあ……」
「ですので、世情に詳しい方に、常識的な意見を述べていただいたり、実施にあたっての橋渡しをしていただくことが、お兄様が当主になられてからは特に重要になるかと存じます。
今のところ、ヘンリックにその役目が期待されておりますが、正直に申し上げて、力不足は否めませんの。
わたくしが学校で同世代の方々を拝見した限り、男女を問わず、その点に関してオリヴィア様以上に優れた方を存じ上げませんわ」
確かに、オリヴィアは未来の王妃として、派閥内や派閥間の調整役という役目を己に課してきた。
リオンに否定されたその立ち位置、技能が、ノーマン家では必要とされている。
そのことに、不思議な昂揚を感じた。
戸惑いもあるが、とても良い気持ちだった。
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