第10話 それぞれの願い

 その報告を、アルスター国王たるショーン・ヴェスタが受けたのは、アルスター王国西方国境の要であるクレスタ侯爵領、その領都パリベルに滞在中のことだった。


「何ということをしてくれたのだ」


 重い息を吐き出しながらショーンは呟いた。




 遡ること数日。

 第一報が届いたのは、夕刻のことだった。

 主だった西部貴族との昼餐会を終えて寛いでいたショーンのもとに、侯爵の従者がやってきた。

 聞けば、王都から急使が来たとのことだった。


 急使とは緊急事態専用の駅伝で書状を届ける使者を指す。

 只事ではない。

 宰相フェリクスからの使者だった。

 書状を受け取り、目を通す。


 リオンがオリヴィアとの婚約を一方的に破棄した。

 それも卒業式の中で。

 公の場で王子が宣言した以上、無かったことにはできないし、フェリクスとしてもここまでのことをされて婚約を維持する気は無い、とのこと。

 また、抗議のために出仕を停止するとの宣言。

 そしてこれは至急の第一報で、今後は補佐官から連絡するだろう、と。


 理解できなかった。

 何度読んでも、なぜそんなことになっているのか、想像も付かない。

 第一報と言うだけあって、前後の経緯も分からないし、リオンがそのようなことをしでかした理由も不明だ。

 だがとりあえず、最低限必要なこととして、宰相補佐官の代理権限を認める命令書を作成した。

 そして信頼できる従者を呼び、必要であれば補佐官に渡すように、と託し、王都へ送り出した。

 宰相が同様に権限を与える命令を出しているようだが、国王が追認してその正当性を認めることは必要だった。




 連絡を待ちながらスケジュールを消化する数日間を過ごし、至った今日。

 ようやく補佐官から使者が来た。

 待ちに待った詳報である。

 侯爵に断りを入れて入念に人払いをし、使者から話を聞いた。


 卒業式で起きたこと。

 式のその後や夜会のこと。

 ノーマン家への婚姻打診のこと。

 王都の混乱のこと。

 北東部の三家が領地に戻ったこと。

 リオンが無役のまま政治に関わろうとしていること。


 使者の手前、表情は取り繕っていたつもりだが、顔色が青くなるのを隠せていたかどうか、自信が無かった。

 とんでもない事態だ。


 だが、だからと言って、この後の予定をキャンセルして王都へ、というわけにはいかない。

 今回の視察と慰問は、西方国境地帯を掌握するための重要なものなのだ。




 西の国境地帯は、これまであまり重視されてこなかった歴史がある。

 それは仮想敵国の違いだ。


 アルスター王国の主な仮想敵国は三ヶ国。

 東部北寄りのドローニス

 東部南寄りのサルフェド

 南部東寄りのクラニア

 つまり、いずれも東寄りだ。


 では他の地域の仮想敵国はどうなのかと言えば、まず南部にはファルクラ山脈という壁がある。

 山脈の向こう側にある国がクラニアだが、この山脈を越えての進軍は現実的には不可能とされている。

 そのためクラニアへの備えは、ファルクラ山脈が低くなだらかになり、「高原」と呼べる地形に変わる東寄りの地域で行われている。


 北はノーマン辺境伯がおり、盤石だ。

 支援は必要とされていないし、むしろ干渉しようとすれば抵抗されるだろう。


 残る西はと言えば、小国が割拠する地域に面している。

 どの国も単独でアルスターを攻める力は持っておらず、脅威度は低い。

 この小国群は外敵に対しては連合を組んで立ち向かうが、それ以外の時はお互いを攻め合い、勝ったり負けたりを繰り返している。

 こちらから攻めかからなければ、かなり安全な相手と言えた。




 そのため、西の国境は安泰として、あまり触れられずに来た。

 だが近年、ショーンはそれを変えようとしていた。

 西の国々の危険度が増しているというわけではない。

 逆に、これらの国々をアルスターの方から攻めようと考えているのだ。


 この地域はアルスターよりもさらに温暖な地域であり、豊かな地域だった。

 湖沼や河川も多いため流通の便もよく、各地に独自性の高い小国が成立している。

 逆に言えば、小さな国でも独立してやっていけるだけの経済力があるのだ。

 この地域を獲得できれば、アルスターは東の仮想敵国に対して、一気に有利な立場になれるはずだ。


 アルフレド王の晩年にノーマン家に負けたことで、王国として外国に対する攻めの軍事行動は難しい国内情勢だった。

 だが、しばらくかかったが、国内はだいぶ安定したように思える。

 今なら対外拡張が可能なのではないか。


 西ならば小国が割拠しているので、国内の国境付近の足場を固めて背後を安定させた上で、連合を調略で切り崩して攻めれば獲れるのではないか。

 そう言った考えである。

 アルバートがこの話を聞いたら、合従と連衡だな、と言ったかもしれない。




 そのために、こうして出向いているのだ。

 卒業式は国内の安定のために重要ではあるが、すでに形式が確立している。

 だからリオンに任せられると判断した。


 国王が地方に出向けるタイミングは限られている。

 去年のうちから根回しと調整をして、セッティングしたスケジュールである。

 それを急にキャンセルなどすれば、相手の顔を潰すことになる。

 何しろ、この春の王都での社交をパスしてまで、国王夫妻を歓待してくれているところなのだ。

 かえって国境地帯が不安定になりかねない。




 悪いことに、この西部の貴族たちにも、王都の情報が伝わり始めたようだ。

 今は社交のシーズンの真っ只中。

 王都との通行に障害は無いし、王都には西部以外の貴族がほとんど集まっている。

 となれば、貴族同士の横の繋がりで情報は届く。


 レーヴェレット家とノーマン家を同時に怒らせてしまって大丈夫なのか。

 特にノーマン家は国内最高峰の武力を持っている。

 これは相当まずい事態なのではないか。


 そんな動揺が広がり始めているのだった。




 ともあれ、当初から予定していたスケジュールは、あと三日で終わる。

 その後、もう少し滞在して交流を深めるつもりだったが、そういうわけにもいかなくなった。

 対外戦争など考えている場合ではない。

 西部貴族たちの動揺を抑えたら、一刻も早く王都に戻らなければならない。


 大きく一つ息を吐くと、席を立った。

 部屋に戻ったら、このことを王妃に話さなければならない。

 気が重い。


 もう、リオンを王位に就けることはできなくなった。

 そのことを告げなければならないのだから。


 これ以上何も起こらないでくれ。

 ショーンは切実に願っていた。








 クレスタ侯爵フェルディオは、王都へと旅立つ国王夫妻を見送った後、城の宝物庫に向かった。

 王都で起こっているという騒動の内容に、胸騒ぎを覚えていた。

 王族と高位貴族の諍いというだけでも頭が痛いが、相手がノーマン辺境伯というのは最悪だった。

 ノーマン家との敵対など、悪夢も良いところだ。


 宝物庫に入り、奥へ。

 そこに飾られていたのは、「宝物」とはとても呼べない代物だ。

 飾り気など少しも無い、実用一辺倒の鎖帷子である。

 かつてのアルスター王国のノーマン遠征。

 その第三次遠征に従軍した際の物だ。




 クレスタ侯爵家がノーマン軍と戦ったのは、アルフレド王の第三次遠征の時だけだ。

 それまでは北部や中部の兵までしか動員されなかった。


 第一次遠征は、そこそこ好調だったと聞いている。

 ノーマン家の側に備えが少なく、かなり領の深くまで攻め入ったらしい。

 遊牧民以外との戦いの経験が少なく、戸惑いもあったようだ。

 だが、冬の厳しさが予想以上で引き返さざるを得なかった。


 そして、第二次遠征では敗北した。

 王国側は第一次と同じように臨んだが、ノーマン側が備えをしていたのだ。


 それを受けて、王国の総力を挙げて向かった第三次遠征。

 この時に初めて、西部や南部の兵はノーマン軍と戦ったのだ。

 そして、手も足も出なかった。




 フェルディオは手を伸ばし、触れる。

 宝とは、鎖帷子、それ自体ではない。

 これが語る「教訓」こそが宝だった。


 指先に感じる冷たい鉄。

 間違いなく鉄製であるそれの胸には、穴。

 そして、その背中側にも、穴。

 胸に刺さった矢が、心臓を射抜いて背中側まで貫通した痕だった。


 ノーマン軍が使用した「鎧貫き」と呼ばれる特殊な矢によるものだと伝わっている。

 元々、鎖帷子は槍などの「刺す」武器に弱い。

 だから、鎧の下に詰め物をした厚手のジャケットを着るなどして、それを補う工夫をしている。


 普通の弓から放たれた普通の矢であれば、鎖帷子を貫通することはまず無い。

 だが、通常の矢よりも重く、硬く、鋭いそれは、苦も無く鎖帷子を貫通したという。

 信じられないほど速い矢だったと聞くから、弓自体も凄まじい強弓なのだろう。


 第一次遠征の時にはそれらが使われることは無かったから、第二次遠征までの間に開発したのだろう、と言われている。

 それによって、第二次遠征では敗れたのだと。

 そして、第三次遠征も同じ結果に終わった。


 こういった鎧を伝えているのは、クレスタ侯爵家だけではない。

 幸いにもクレスタ侯爵家の家人に戦死者は出なかったが、配下の貴族たちの中には、当主が戦死した家まである。

 そのうちの一人から譲り受けたのが、この鎧だ。




 だが、最も恐ろしいのは、弓や矢そのものではない。

 普通であれば、矢の攻撃はずっと受け続けるものではない。

 突撃して距離を潰せば、矢は来なくなる。

 弓隊に突入できれば最善だし、そうでなくても敵軍との白兵戦になれば、誤射を恐れて射撃は無くなる。

 むしろ矢の雨の中を突撃するのは勇気の見せ所と、己を奮い立たせることもできる。


 真に恐ろしいのは、彼らが射撃しながら移動することだ。


 ノーマンの騎兵は弓騎兵だ。

 馬に乗り、駆け回りながら弓を射る。

 その馬術はどのアルスター貴族よりも巧みで、防具は貧弱だが、だからこそ身軽。


 鎧を容易く射抜く矢を放つ敵が、動く。

 それも、自分達よりも速く、自分達よりも自在に。

 突撃してもかわされ、自慢の剣や槍を振るうことすらできない。

 駆けても駆けても矢が止まない。

 止まない矢が、ただ一方的に、次々と戦友を射落としていく。


 それは、どれほどの恐怖と絶望だっただろうか。

 その経験を語り継ぐために、これらの鎧は各家に受け継がれているのだ。




 ノーマンの弓騎兵とは戦いたくない。

 それが遠征を生き延びた兵達に共通の思いだっただろう。

 王国軍が壊滅を免れることができたのは、タルデント領軍が守る陣地に逃げ込めたからでしかない。


 タルデント領はノーマン領と隣接するだけに、弓騎兵の恐ろしさを知っていた。

 故に、射程と速射において弓騎兵に勝る長弓兵を保有しており、それを知っているノーマン軍は無理に追ってこなかった。

 ただそれだけなのだ。




 そのノーマン家と、王家が険悪になっていると聞いた。

 そして心配になったのだ。


 あの遠征の時、近衛隊はいつも通り王の身辺を守っていた。

 つまり後陣にいた。

 だから、あの矢に射落とされた者はあまりいないと聞く。


 その彼らに、あの時の教訓が伝わっているだろうか。

 機動力と射程で自分達より優れる相手との戦いがどれだけ絶望的か、近衛は認識しているだろうか。

 彼らの認識不足が、王族の判断に影響を与えている可能性は無いだろうか。


 リオン王子は近衛と近しいと聞く。

 彼がその影響を受けて、ノーマン辺境伯との決裂を軽視していないことを、願うばかりだった。








 ノーマン辺境伯邸のガゼボで、アルバートはソフィアとヘンリックの報告を受けていた。

 テーブルにはティーカップ。

 だいぶ暖かくなってきた春風が、三人の髪と、カップの湯気を揺らしていく。


 ちなみに、この世界の茶とは、茶葉から淹れるいわゆる「お茶」ではない。

 少なくともこの辺りの文明圏ではそうだ。

 前世でも、タンポポ茶だの麦茶だのハーブティーだのあったが、それらを引っくるめて言うような、広い意味の「茶」だ。

 極端な話、何かの植物を煮出して、色と味と香りを付ければ、何でも「茶」と呼ぶ。


 それだけに、主人の体調や気分を考慮して、その時々に適したブレンドの茶を出すのが、侍女などの高級使用人の腕の見せ所だそうだ。

 今日の茶は思考を冴えさせる効果がある聞いた気がするが、アルバートには分からない世界だった。




 さて、そんなことより報告の内容だ。

 二人に調べてもらっていたことがあるのだ。


「つまり、卒業式の時に会場に残ったのは、概ね中部の中小貴族、それも王家に直属する家なんだな」

「はい」

「で、そういう家からの今年の卒業生は一人だけで、その学生の家はさすがに退出した。

 逆に、卒業生を出していないそういう家は、みんな残ったと」

「そのようです」

「やっぱりおかしいよなあ」


 アルバートは腕組みをして考える。

 おかしいのは、そういった家が退出せずに残ったことではない。

 退出しなかった家が少なすぎることだ。




 発端はアルバートの違和感だった。

 事件の最中や直後は昂揚感もあって見逃していた。

 だが、冷静になってみて思ったのだ。

 卒業式の続きの時、ノーマン家の方に来た家があまりにも多すぎないか、と。


 元々、ノーマン家は王都でそれほど影響力のある家では無い。

 何せ、大多数の貴族にとってみれば、「川向こうの野蛮人」だ。

 彼らにとって、文明の世界はルガリア川までなのだ。


 にも関わらず、婚約破棄事件が起こった時、式場に残った家と辺境伯邸に来た家が、だいたい半々。

 リオンへの反感ももちろんあるだろうが、少し多すぎやしないだろうか。


 正確な数字は分からないが、アルスター王国の貴族の中で、家の数として九割は子爵以下の下位貴族だ。

 その中には王家ではなく高位貴族に仕える者たちもいるが、王家に直属する下位貴族だけで、全貴族家のうち六割から七割を占めるはずだ。

 彼らは基本的に、王族の意向に逆らえない。


 となると、比率としては、式場に残る貴族は少なくとも六割以上。

 他に王家寄りの家ももちろんあるから、七割以上になるのが自然ではないだろうか。




 思いついた可能性が、貴族家自体の数の割合と学生数の内訳の割合がずれている、というものだ。

 それをソフィアとヘンリックに調べてもらったのだ。


 結果は、当たりだった。

 王国中央の平野部に領地を持つ下位貴族の家から来ている生徒数は、全生徒数の半数程度だった。

 家の数は六割から七割あるのに、だ。

 つまり、一つの家から来る学生数が、平野部の貴族はそれ以外の貴族よりも少ない、ということにならないだろうか。


「しかし兄上、この世代に偶然そういった傾向があるだけ、ということもあるのではないでしょうか」

「もちろん、それもあり得る」


 実際、偶然の可能性も高い。

 同時期に在籍する学生たちの年齢の幅は、だいたい五歳程度だ。

 そのくらいの偶然はあり得るだろう。

 だが、平野部の貴族家に何か異変が起こっている可能性もある。


「何かの病気でも流行したんでしょうか?」

「いくらウチが中央に疎いとは言え、貴族がバタバタ死ぬような病気が流行ったら、流石に噂も聞かないってことは無いだろう」


 三人で首を捻るが、答えは出ない。

 そもそもの材料が足りていない印象だった。


「いずれにせよ、放ってはおけないな」


 彼らは、アルスター平野の穀倉地帯の有力者たちだ。

 こういった平野部の貴族が、ヴェスタ王家の一番の支持基盤だ。

 ヴェスタ家自体が、そういった有力者から成長してきたのだから。

 彼らに何らかの異変が起こっているのであれば、国の根幹に関わる可能性がある。

 ノーマン領にとっても、大事な食料の供給元だ。

 ここが不安定になるのは困る。




 情報が必要だ。

 もっと期間の長く範囲の広い、貴族社会全体を俯瞰できるような情報が。

 そして、そういうことは宮廷貴族の得意分野である。

 最近親しい令嬢が頭をよぎる。

 色々と頼ってばかりの気もするが、他にあても無い。


「お兄様。

 それでしたら、今回はわたくしがオリヴィア様にお会いしに行ってもよろしいでしょうか」

「ソフィアが?」

「ええ。

 一度きちんとお話したいとは思っていたのです。

 女性同士でしかできないようなお話もございますし」


 うふふふふ、と楽しげにソフィアが笑う。


「姉上。

 くれぐれも、オリヴィア様にご迷惑をおかけしないよう、お願いしますよ」

「ヘンリック。

 あなた、わたくしを何だと思っているの?」


 ソフィアはじとりとヘンリックを睨む。

 ヘンリックはあわあわと慌てている。


 まあ、ソフィアとオリヴィアが仲良くなることは良いことだ。

 なぜだかわからないが、アルバートはそうなって欲しいと願った。



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