第9話 リオンの理想

 何もかもが上手くいかない。

 なぜこんなにも上手くいかないのか。


 リオンは憤りを胸に、王宮の廊下をズンズンと歩いていた。

 先ほど、宰相執務室から出てきたところだ。

 出てきたと言うより、追い返されたと言う方が正しいかもしれない。




 オリヴィアとの婚約を破棄してから、宰相である彼女の父のフェリクスは出仕を拒否して自宅に篭っている。

 おかげで、彼の権限でなければできない処理が停止している。


 通常の業務は良いのだ。

 フェリクスが出仕を停める前に手を回していたおかげで、権限を委譲された補佐官たちで処理できる。

 だが、大きな動きはできない。


 例えば、王領の春の作付けの準備は進んでいる。

 毎年やっていることであり特に気象の異常も無いため、例年通りに進めるだけだからだ。

 年末で会計を締め、この時期に徴収を行う商人への課税も順調だ。




 だが、成人したのだから、とリオンが進めようとした物事のことごとくが却下されるのだ。

 近衛兵の増員も、近衛隊の演習も、図書館の建設も、水道の整備も。

 宰相補佐官たちから返ってくる答えはいつも同じだ。


「まだ立太子されていないリオン殿下は公的な立場にございません。

 ですので、こういった提案をされる権限自体がございません」


 と。

 そう言って、仕事の邪魔と言わんばかりにリオンを追い返すのだ。


 そればかりか、妹のシャーロットが学友と開こうとした茶会すら却下されたと聞いた。

 宰相閣下がおられませんので、予算の審議のために時間が必要で、ご希望の日程では不可能です。

 そう言われたと。


 茶会のような貴族の顔色を窺うが如き催しには否定的なリオンだが、これには腹が立った。

 シャーロットは嫡出の王女である。

 王族の行動を貴族が縛るとは、何たる不敬か。




 足音高く自室に戻ったリオンは、荒々しくドアを締め、どっかりとソファに腰を下ろした。


 ここしばらく、不快なことばかりだった。


 オリヴィアを婚約者から外すことはできた。

 だが、上手くいったのはそれくらいだ。


 ソフィアを迎えることはできなかった。

 領内で婿を取り、母の実家を継ぐからだという。


 母の実家と言ってもたかが子爵家だ。

 その上、現在は当主不在で空位となっている家だ。

 そんなものが、王妃の地位よりも大事だなどと言ったのだ。


 王妃に相応しいと思っていたが、とんだ期待外れだ。

 あの無礼者の妹だけのことはある。




「どいつもこいつも!」


 ローテーブルに拳を叩きつける。

 自分は王になる人間なのだ。

 皆ひれ伏して自分に従うべきなのだ。


 心を落ち着けて、考えを整理する。

 現状、自分の仕事は無い。

 業腹だが、父が帰還すれば立太子の儀だ。

 そうなれば、後は忙しくなる。


 であれば、今のうちに、今後やるべき政策を考えておくべきだろう。

 何しろアルスターは遅れているのだ。




 リオンの中には、目指すべき国のモデルがあった。

 近隣で最強にして最先端と名高い、ユヴェール王国だ。


 アルスター王国から見て南東の方角、国を二つ跨いだ先にその国はある。

 王家は極めて強力な権力を手中にしており、絶対王政とすら呼ばれる。

 代々拡張主義であり、今は南方に面する穏やかな内海の海岸沿いに領土を広げており、この海を完全に領土の中に取りこむ日も遠くないと言われている。

 彼の国では、貴族はみな王家の忠実な僕であり、命令一つでどんな死地にも飛び込んでいくという。


 軍事一辺倒の国ではなく、通商や学術振興にも熱心だ。

 アルスターの宮廷学校のモデルにもなった王立の学校が各地に設立され、熱心な教育が行われている。

 アルスターで使われている羊皮紙よりも格段に低コストの「麻紙」の製造技術や、木の板に文章を彫り、判を押すように同じ文書を大量に作り出す「木版印刷」の技術をはるか東方のシノン帝国から導入し、学校教育に必要な大量のテキストを製造しているのだ。

 聞くところによると、平民でも二人に一人は文字の読み書きができるという。


 それに合わせて王立の図書館が設立され、東西の様々な書籍を集めて複製し、公開しているそうだ。

 この図書館は平民でも利用することができる。

 それによって、平民の教育水準が上がり、ただでさえ肥沃な土地の農業生産はさらに向上し、職人たちは種々の最新の産物を作り出し、商人たちはそれらを携えてはるか遠方まで交易に赴く。

 平民は王家からの恩恵を直接受けることにより、貴族以上に王家に従順なのだと聞く。




 初めてユヴェールについて知ったのは父からだった。

 我が国も、彼の国のような強い国を目指さなければな、と。


 その後、家庭教師から詳しく教わり、衝撃を受けた。

 アルスターとは何もかもが違う。

 アルスターは何もかもが遅れている、と。


 ユヴェールでは国王は絶対的な権力を持つ。

 だから、国王の進んだ考えが即座に国政に反映されるのだ。

 アルスターもそうしなければならない。

 貴族たちをのさばらせていては、アルスターはいつまで経っても遅れたままだ。


 貴族たちを王に付き従う存在に変えなければならない。

 彼らに、王を尊び、王に従うことを教えなければならない。

 自分がアルスターを変えるのだ。




 だと言うのに、婚約者となったオリヴィアは、いずれ王妃として王族に連なることになるにも関わらず、それを理解しようとしなかった。

 茶会だの何だのを開いては、貴族たちの望みを聞き、それを叶えてやるのだ。

 王妃となるものが貴族に媚びるような真似をするな、と何度も言ったが、一向に聞き入れようとしなかった。


「殿下。

 殿下はアルスターの王になるのです。

 ユヴェールではなくアルスターの王に。

 アルスターでは、これが必要なのです」


 そう言って。




 ふざけるな。

 王とは上に立ち命ずる者だ。

 自分の考えで国を導く者だ。

 いちいち雑音を聞いて心を惑わせていては、国を導き、強くすることなどできるわけがない。


 だから、オリヴィアに見切りを付けた。

 あの女は王妃の器ではない。




 王妃とは本人の能力によって選ぶべきなのだ。

 実家の力などではなく。


 ユヴェールが良い例だ。

 ユヴェール王国では王妃は貴族籍さえあればどれだけ爵位が低くてもなれる。

 その結果はどうだ。


 今代の王妃は自分の出産に対する不安をきっかけに医学振興を支援して、医学の中に「産科」という分野を創出した。

 その結果、貴族ですら生まれた子のうち三割から四割は成人することなく死ぬと言われていたのが、現在では二割ほどにまで低下しているという。


 先代の王妃は国王の秘書官を兼任し、辣腕を奮っていた。

 先々代の王妃は特技のダンスをただの娯楽から宮廷文化にまで昇華させ、サロンを開いて詩作に励み文学を発展させた。


 いずれも中位から下位の貴族家の出身だと言う。

 王妃には家柄など要らず、本人の資質さえあれば良い、良い例ではないか。




 頭を振って、思考の中からオリヴィアのことを振り払う。

 こんな無駄なことを考えている暇は無い。

 リオンは気合いを入れ直し、ソファから立ち上がる。


 向かったのは書棚。

 ユヴェールから輸入した文献を手に取ると、机に向かい、ペンを取った。


 今考えているのは王都シュレージの再開発案だ。

 リオンの構想の中に、王都は城壁で囲うべきではない、というものがある。

 ユヴェールの工学書によれば、高い城壁は本来忌むべき物、とある。

 まさに今手にしている文献がそれだ。




『高い城壁は風を遮る。

 風が遮られれば、悪い空気が城壁内に溜まる。

 悪い空気は疫病をもたらし、人心を荒廃させる元となる。


 日光を遮るのも良くない。

 日が射さない城壁の影には湿気が溜まり、物が腐りやすくなる。

 腐った物はそれ自体が病をもたらすし、病を撒き散らすネズミを増やす。


 その上、城壁は街の発展を妨げる。

 自由に道を繋ぐことができないため、人の流れが偏り、良い場所と悪い場所の差が大きくなる。

 悪い場所は悪い物を呼び込む。

 病や犯罪などだ。


 だから本来、城壁などあるべきではないのだ。

 それでは街の守りに不安が出る、と言う者もいるが、街が攻められる時点で負けているのだ。


 真の街の守りとは兵だ。

 街が攻められる前に、兵を以て敵を撃退すべきなのだ。

 兵こそが堀であり、兵こそが城壁なのだ。


 都市には発展と防衛のバランスが重要だ。

 城壁で都市を囲むのは、防衛を偏重し、発展を捨てる悪手である。

 発展のために城壁を廃し、その富を以て兵を養い、兵によって防衛を行うべきだ』




 その論を読み、目から鱗が落ちる思いだった。

 そして、シュレージの城壁内を調べさせたのだ。


 第一城壁はまだ良い。

 貴族が住む地区なのだ。

 問題を起こす者などいない。


 シュレージが小高い丘を利用して建てられていることも幸いしている。

 第一城壁は丘を囲むように建てられているので、土地の高さが城壁よりも高い場所も多い。

 だから、風が遮られると言っても、城壁のすぐ真下くらいのものだ。

 貴族の邸宅だけに敷地は広く、建物の間隔が広いことも風通しよくしている。

 日光が遮られるほど城壁に近い建物などというものも無い。




 だが、第二城壁は酷い物だった。


 城壁の影になる場所はジメジメとした湿り気があり、そのために貧しい者たちの住まいとなっていた。

 彼らは日々の生活に余裕が無く、湿り気で腐りかけた物でも食べざるを得ないため、比較的病人も多い。

 ネズミや蚊も日当たりの良い場所に比べて多いとのことだった。

 治安も悪い。


 城壁内の道が複雑なのも良くない。

 防衛のために迷路のように入り組んだ道は、あらゆる行動の効率を下げる。

 しかも城壁内の限りある敷地を奪い合うように、密集して建物が建ち並んでいる。

 もし火事でも起きよう物なら、避難もままならないのではないか。


 聞くところによると、ユヴェールの王都は城壁を廃し、王城を中心とした放射線状の主道と同心円状の側道によって整然と区画され、あらゆる物事を効率的に行うことができるようになっているという。

 目指すべき姿は、間違いなくそれだ。




 そして、街の防衛を行うのは、近衛とする。

 街に危険が及ぶ前に、出撃して撃退するのだ。

 現状ではまだまだ少ない。

 近衛はあらゆる脅威に迅速に対応できる軍でなくてはならない。

 いちいち農民を徴兵していては遅いのだ。


 ユヴェールの軍は、実際にそうしている。

 ユヴェール軍も以前は徴収兵だったが、志願制の常備軍にしてからは、明らかに領土拡張の速度が上がったそうだ。

 相手がいつ攻めてきても対応でき、相手が守れない時でも攻められる。

 軍とはそうあるべきなのだ。




 王城の自室から王都の街並みを見下ろす。

 発展はしているが、ごちゃごちゃとした、雑然とした街だ。


 リオンは想像の中で城壁を取り払ってみた。

 そして、王宮から真っ直ぐな道を敷く。

 王都の外まで続く道を。




 そう、道だ。

 それもあった。


 今のアルスターは道が悪すぎる。

 貴族たちが争い合っていた時代の名残だ。

 道が悪い方が敵に攻められにくい、という考えなのだ。


 いつまで敵同士のつもりでいるのか。

 だから、貴族たちに領軍など持たせておくべきではないのだ。

 近衛だけあれば良い。


 書棚から別の本を取り、開く。




『道とは国の血管である。

 良民は全て、道を通って移動する。

 あえて道なき道を行く者は、犯罪者の類であろう。


 故に、良民が運ぶ金や物も、道を通って移動する。

 中でも特に商人は悪路を嫌う。

 道が悪ければ運べる荷の量が減り、得られる利が減るからだ。


 一つの土地だけで自給自足していては、得られる物に限りがある。

 民の豊かな生活には、様々な物が必要となる。

 それらを揃え、民が豊かな生活を送り、土地が栄えるためには、道が必要なのだ。


 また、道は軍の移動も容易にする。

 広い国土のどこかが攻められた時に、速やかに援軍を送るためにも、道は有用だ。




 そして、道は血管である以上、必ず心臓と繋がっていなければならない。

 心臓とはすなわち王都である。


 王都は全てが集まり、全てが始まる地である。

 新たな文化や技術も、王都より始まる。

 何より、王都の中心にある王城から、国王陛下の御意志や御決断が降るのだ。


 王都という心臓から、国内の隅々にまで道を張り巡らせ、国王陛下の御意志や御決断が迅速に行き渡るようにする。

 それこそが国土のあるべき姿である』




 これだ。

 まさしくこの通りだ。


 想像の中で、城壁とを取り払った王都から道が伸び、はるか彼方まで繋がっていく。






 リオンの想像の中で、理想の王都の姿が出来上がっていく。


 だが。


 彼の想像した「道」の繋がる先。


 各地の領地がどのような土地で、どのような人々が住み、どのような暮らしを送っているのか。


 そのような実像が何一つ含まれていないことを。


 彼は認識すらしていなかった。




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