第8話 縁
その夜、オリヴィアはフェリクスに呼ばれ、執務室を訪れていた。
対面のソファに腰掛ける二人を、ローテーブルの燭台が明るく照らしている。
そう言えば、この蝋燭もノーマン製か。
何とは無しにそんなことを思う。
手元のティーカップにはハーブティー。
頭がスッキリする物を侍女が淹れてくれ、今は退室していた。
重要な話だから、とフェリクスが下がらせたのだ。
「今日はランフォード子爵と会ってきたのだったな」
「はい、ポルトレーンで」
「先にフローリアから一通り聞いているが、改めてお前からも聞きたい」
「かしこまりました」
オリヴィアはアルバートとの会談を思い出しながら、その内容を報告する。
婚姻打診のこと。
リオンのこと。
次代のこと。
近衛のこと。
情報交換としては多くの実りのある会談だったと思う。
「なるほど。
だいぶ親しくなったようだな」
「ええ。
何か問題がありましたでしょうか?」
宮廷貴族であるレーヴェレット家と実力派の領主貴族であるノーマン家は、本来政敵の間柄だ。
今は協力しているとは言え、あまり関係を深めるのは問題だろうか。
何とも言えない不安が胸をよぎる。
「いや。
むしろそのまま交流を深めてくれ。
お前の嫁ぎ先はあそこになるやもしれぬ」
「え……」
ドキリと心臓が跳ねた。
そんなオリヴィアの様子を見て、フェリクスは笑みを浮かべた。
「まんざらでもなさそうだな」
「……こう申してはなんですが、リオン殿下よりもよほど感じの良い方と存じますわ。
理性的で頭の回転も早く、各方面に目配りをされています。
武勇に優れた方と聞いてはおりますが、知力もそれに劣らないのではないでしょうか。
戦場ではまた違うのでしょうが、少なくとも普段は穏やかで話しやすい方のようです。
信頼できる方だともお見受けします」
「そのようだな。
フローリアの見立ても同様だ」
フェリクスは真顔に戻る。
「ノーマン辺境伯家のことはどの程度知っている?」
「……今回の件で親しくなって、改めて調べ直しました。
己の無知を恥いるばかりでしたわ」
王都を含め、王国中部以南の貴族にとって、ノーマンは遠い存在だ。
王都に住む宮廷貴族も、その例に漏れない。
オリヴィアもそうだった。
本当に恥いるばかりだった。
リオンは国内のことに事情に昏いと言っておきながら、自分もたいして詳しくはないのではないか、と。
そもそもこの国では、文明圏はルガリア川まで、という感覚でいる者が多い。
川より北は未開の辺境、という認識だ。
建国王アルフレドが戦争を仕掛けたのも、ルガリア流域の安全保障のためという考えであって、ルガリア以北の土地に旨みを感じていたわけではない。
北の遊牧民がルガリアを脅かすことが無くなれば、それで十分だったのだ。
そういう認識だったからこそ、ノーマン家との交渉の際、半独立国と言える自治権を要求されても、妥協の範囲内だったのである。
ルガリアより北でどのような統治が為されようとどうでも良かった、と言っても良い。
農耕民寄りの遊牧民を、防壁として取り込んだ、というだけの認識なのだ。
国王からしてそうなのだ。
だから、ノーマン領について詳しく調べる者は、中央にはいなかった。
ルガリアの北で半農半牧の暮らしをしている辺境。
文明の北端の未開の地。
故に協力な領軍を持ち、アルフレド王を退け、遊牧民にも対抗できる。
蝋燭と蜂蜜と毛織物で潤っている。
せいぜいそんなところだ。
そして、ノーマン家の側も理解を求めなかった。
詳しく知られて煩く嘴を突っ込まれたくない、という意図もあるのかもしれない。
そんなノーマン領について、詳しく知っていたのは商人だった。
調査の一環で、ダメで元々、という気持ちで出入りの豪商に聞いてみたのだ。
オリヴィアはその時のことを思い出す。
「ノーマンを知らない商人は、それだけでモグリと言えるでしょう」
福々とした肥満体の商人は、そう断言した。
太ってはいても肌の色艶はよく、ほどほどに日焼けもしており、不健康な印象は無い。
豪商だからといって安穏とした商売をしているのではなく、自分でも時折取引の現場に赴いているのだろう。
「少なくとも私が知る限り、王都に居を構える商家で、ノーマン領と一切取引をしていないという者は、片手で数える程度には少ないかと存じます。
それ以外は、何かしらの形でノーマン家、あるいはノーマン領との取引がございます」
「それほどですか」
「はい。
貴族の方々にはノーマン領を未開の地と仰る方もいらっしゃいますが、とんでもないことでございます。
あの地は宝の山でございます」
商人は自信たっぷりに頷く。
「其方自身も出向いたことがあるのですか?」
「はい。
流石に遠方ゆえ、それほど多くはございませんが」
そうして、商人は語り出した。
「貴族の方々の間で、ノーマン領の産品として有名なのは、蜂蜜、蝋燭、毛織物といったところでございましょう。
あとは、馬に乗る機会が多い方は馬具もご存知でしょうか。
ですが、それだけではございません。
ご存知の通り、ノーマン領では牧畜が盛んでございます。
牧畜が盛んということは、羊毛などの毛が取れるだけでなく、肉も取れれば乳も取れ、皮も取れます。
食料の確保に不安を抱える地域だけに、肉や乳を原料とした保存食の生産が盛んで、最近は保存性だけでなく味に関しても改良が進んでおり、十分売り物になります。
皮があるのですから皮革製品も盛んに作られており、長い畜産の文化から技術も確かでございます。
特に馬具に関しては、職人達ですら馬に乗る土地柄のため、使い勝手や耐久性など、最高品質と申してよろしいでしょう。
毛織物に関しては言うまでもございませんでしょう。
織物に使う毛は、寒い土地で育てた家畜ほど、良い物が採れます。
ノーマン領はこの辺りに比べてだいぶ寒うございますから、必然的に織物の品質も良くなります。
近年始めたノーマン織の柄物は、異国情緒を感じる美しさで、どこの国に持って行っても喜ばれる商品でございます。
さらに注目すべきは琥珀です。
あまり知られていないことでございますが、ノーマン領では良質な琥珀が採れるのです。
国内で流通している宝飾品にも、ノーマン産の琥珀が使われている物は少なくございません。
当家でも国外向けには取り扱いがございます。
なぜ国内で知られていないかと言えば、商人が申し上げないからでございましょう。
王国内では、ノーマン領は文化的に遅れた未開の地と言われております。
ですから、宝飾品をお売りする際、ノーマン産であってもそうと申し上げない者が多いようです。
憚りながら、当家が国内での販売を行わないのもそのためでございます。
むしろ国外において、ノーマン産琥珀の評価は高うございます。
良い産品があるということは、商人が集まるということです。
西の海からも、東の草原からも、です。
西の海からは、王国内や、王国よりも西にある国からの船が参ります。
国内からは大型船に穀物を満載してくる者が多うございますな。
国外からも穀物は参りますし、最近はユヴェールの商人が紙や書物を持ち込むことも多いとか。
東の草原からは、遊牧民たちも取引に参りますし、遥か東から隊商を組んでやってくる者達もございます。
シノン帝国からやってくる者すらおります。
むろん、隊商で運べる荷の量などたかが知れておりますが、だからこそ、彼の者たちは珍奇で高価な品のみを商っており、取引の額は侮れないものになります。
聞くところによると、ノーマン領の平原は、そこから東に広がる広大な大平原の一部らしいのです。
その平原の東の果てがシノン帝国であり、西の果てがノーマン領だと言われております。
そして、この西の果てで草原と海を繋いでいるのがノーマン家であるとも。
そうした交易の中心となっているのが、ノーマン領の領都であるコルムでございます。
コルムはルルド川という大河の川沿いに作られた街です。
ルルドはルガリアほどの大河ではございませんが、大型の川船が航行できるほどの幅や深さがございます。
西の海からきた船は、この川の河口の自治都市アルギアで陸に上がります。
そしてルルドを遡り、コルムに至ります。
東の草原からきた隊商は、より上流の小河川のいずれかに辿り着くと、ルルドを下り、コルムに至ります。
この両者が交わるコルムは、王国内では王都シュレージに次ぐ大都市でございましょう。
人口は四万ほどと聞いたことがございます。
こういった商いを、代々の辺境伯閣下は推奨していらっしゃいます。
強大な軍を戦のみに使うのではなく、領内の警備や見回りにも使っておられます。
そのため、商人も安心して高価な荷を持ち込むことができるのです。
ノーマン領の民もまた、商いに熱心です。
商いの途中で立ち寄った小さな村でさえ、狩りで得た毛皮や、家内で作った細工物や織物を売り込んで参ります。
寒さ故に農業に向かず、作物はいつ不作になるかわからない。
だから、商いをし、金を得て、その金で食料を買い、蓄えるのだと」
滔々と語った商人は、表情を改めると、不意に跪き頭を垂れた。
「オリヴィア様。
恐れながら、嘆願させていただきとう存じます。
ここしばらく、王家とノーマン家の関係が悪化していると伺っております。
何卒、この仲を取り持っていただくことはできませんでしょうか。
今や、ノーマンはアルスター王国にとって無くてはならない領であるかと存じます。
アルスターの沃野で収穫された作物は、川を下り、海からノーマン領へ流れております。
そしてノーマン領で生み出された様々な物品は、王国各地へ、あるいは国外へと流れ、多くの富を産んでおります。
この流れが滞り、ましてや止まることがあれば、その損失は莫大なものになりましょう。
商家の中では、破産し路頭に迷う者が、両手に余るほどになりかねませぬ。
当家とて安泰とは言い難いのが正直なところでございます。
何卒、ご検討いただきとう存じます」
聞き終えた後は言葉も無かった。
豊かなことは知っていた。
ノーマン領には他の貴族のように割合の税は課されておらず、代わりに定額の上納金を納めている。
割合で課税しようにも、自治権の強さ故に監査のしようが無いからだ。
かなり大きな金額だが、その支払いが滞ったことは無い。
そのことは宮廷貴族として知っている。
だが、その経済力は想像を遥かに上回るものだった。
もともと王家を含めて多くの家が農業に基盤を置く家柄だけに、商工業を軽視する傾向があることも、この認識の不足に輪をかけているのだろう。
「お前が聞いた商人の話。
私も驚いた。
王宮にいると、地方の貴族の実態は見えにくいものだが、まさかそこまでの存在とは思っていなかった」
「正直に申し上げて、ノーマン家が王家に臣従しなければならない必要性が見受けられません」
「そうだな。
私も、そう感じた」
フェリクスは深刻そうに頷く。
「むろん、王国に属するメリットはある。
食料の安定確保というメリットがな。
だが、その取引相手がアルスターでなければならない理由は、何度考えても見つからんのだ。
独立国となるには不安定かもしれんが、それこそドローニス辺りに寝返るならば、諸手を上げて歓迎されるだろう。
その商人の話を聞く限りでは、我が国を飛ばして、さらに西の国から海を越えて輸入することも可能だろう。
食料など、我が国でしか作れないものではない。
だが、アルスターの他地域がノーマンからしか得られないものは多い。
蜂蜜や蜜蝋、毛織物に革、馬、そして何よりも兵。
アルスターの東の国境は、ノーマンがあって初めて安定するのだ」
「それなのに、なぜノーマンはアルスターに従い続けているのでしょうか」
二人で首を捻るが、その答えを見つけることはできなかった。
「……分からんな。
分かるのは、その気になればアルスターを捨てることもできるのだろうということだ。
今ノーマンをアルスターに繋ぎとめているのは、アルフレド陛下から続く縁しか無い」
「それで婚姻という話になるのですね」
「そうだ」
「重大なお役目ですね」
「ああ。
だが、焦る必要は無い。
ランフォード子爵は道理を重んじる人柄のようだ。
むしろ事を急いでおかしな近づき方をすれば、態度を硬化させかねん。
まずは信頼関係を築くことだ。
家中での発言力も十分にあるようだし、それさえできていれば、婚姻まで至らなくとも悪い結果にはなるまいよ」
そこまで言って、フェリクスは表情を緩める。
宰相の顔から、父の顔になった。
「思えば、お前の年頃の娘らしい表情など、今まで見たことが無かったな。
国のためにとリオン殿下との婚約を結んだが、こうなってしまった以上、元の鞘には戻しようが無い。
ランフォード子爵と縁があるのであれば、国策として考えても間違い無く良縁だ。
心の赴くように振る舞ってみなさい。
お前の幸せを願っているよ」
「……承知しました」
オリヴィアは、赤くなった頬を隠すように、俯いて頷いた。
部屋に戻ったオリヴィアは就寝の準備を整えると、寝台に横たわった。
「アルバート様とのご縁……」
以前、親しい令嬢の一人に言われた時は、まさかそのようなことは、という認識だった。
だが、父の口からその話が出たとなると、かなり現実味を帯びてくる。
少し、想像してみた。
レーヴェレット侯爵家とノーマン辺境伯家の婚姻となれば、間違いなく国内でも最高の格式の結婚式となるはずだ。
アルスター王国で最も格式の高い結婚式は、天空の大神テテスと大地の大神コルギアの神殿を借り切って行われる。
はるか昔、テテスは神々の園でコルギアを見初め、自身が司り、自分自身でもある天空でコルギアを包み込んで覆い隠し、その時から世界は始まったという。
それ以来、天空に配された太陽神と月神、星々の神々は、コルギアを奪いに来る外なる神々と戦っているのだ。
その神話に基づき、結婚式は花婿をテテスに、花嫁をコルギアになぞらえて行われる。
花婿はテテスの、花嫁はコルギアの神殿に分かれて、それぞれの準備を終えると、テテスの神殿から花婿は行列を引き連れてコルギアの神殿へ向かう。
コルギアの神殿に辿り着いた花婿は、妻を包み込み、守り抜くことを誓う。
花嫁はそれに対して、夫を慈しみ、共に生きることを誓う。
そして、花婿は自分のマントを外して花嫁を包み、そのまま抱き上げて、新居へと向かうのだ。
ノーマン織のマントが自分を包む。
アルバートの鍛えられたあの腕なら、自分など軽々と抱き上げるだろう。
そしてその後は……
その後は…
(きゃあああああああ!)
脳内が黄色い悲鳴で満たされる。
顔が熱い。
耳まで熱い。
むしろ全身が熱い。
ころりと寝返りを打って、顔を枕に押し付ける。
誰も見てやいないのに、隠すように。
何と言うか、非常に破壊力のある想像だった。
心臓が音高く鳴り響く。
眠れる気がしなかった。
翌朝、起床の時間を告げに来た侍女は、妙に寝不足の顔をしたオリヴィアの様子に、首を傾げるのだった。
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