第7話 多難な前途

 王都シュレージは二重の城壁に囲まれた城塞都市である。

 建国から既に三代。

 ヴェスタ家がこの地の有力者でしかなかった頃に築かれたこの都市が、増大する人口を城壁内に収めることができなくなったのは、もう八十年は昔の話だ。

 現在では、第一城壁の中には王族と貴族、第一城壁と第二城壁の間は上層から中層の平民、第二城壁の外は下層の平民と貧民・流民といった住み分けがされている。


 そんなシュレージの第一城壁の中に、王家からの勅許により例外的に営業を許された、平民の経営する料理店があった。

 名をポルトレーンと言う。

 勅許を得てから既に百年以上というこの名店の最大の存在意義は、「貴族同士の会談場所」である。




 通常、貴族の社交は貴族の邸宅に招いたり招かれたりして行われる。

 頻度の高い社交は、派閥の中で行われるものだ。

 派閥のトップの邸宅に集まる、というような形になることが多い。


 しかし、派閥間のトップ会談など、同格でありながら立場が対立するような家同士が会合をする場合、邸宅を使うことはできない。

 どちらかがどちらかに招かれるというのは、立場の上下を意味してしまうことになりかねないからだ。




 そのため、中立の場所として、この店が誘致されたのだ。

 それから百年以上、この店は王族や貴族の要望に応えてきた。

 料理や接客の質の維持、秘密厳守、安全管理など、全ての点においてだ。


 この店で行われた会談は、王族に対してすら秘密が漏れない。

 会談の内容はおろか、誰と誰が会ったか、ということさえ、百年以上の歴史で一度も漏洩したことが無いのだ。


 単に料理店として見ても、高位貴族が利用することからサービスの質が非常に高い。

 予約の横入りは王族にすら許さない、職業倫理の高さは有名である。

 政治闘争の真っ只中で家中の人間すら疑わしい状況であっても、ポルトレーンならば毒殺の心配をせずに食事を楽しめると言われているのだ。


 アルバートの記憶に照らし合わせると、日本で政治家が会談していたという高級料亭とやらが近い物だろうか。

 似たような店は、中世のウィーンやパリ、ロンドンなどにもあったらしい。




 そのポルトレーンを、アルバートは訪れていた。

 待ち合わせの相手はオリヴィア。

 先日できた縁を頼って、会談を申し入れたのだ。


 お互いに、別々の派閥のトップの家だ。

 オリヴィアのレーヴェレット侯爵家は宮廷貴族、アルバートのノーマン辺境伯家は北部の領主貴族。

 それぞれの派閥の中で集めた情報を持ち寄って、現状把握の精度を高め、今後の動きを話し合えないか。

 そう言って。




 アルバートは派閥内の会合をたびたび行っているし、ソフィアはその手伝いをしながら、自分の学友と連絡を取って情報収集してくれている。

 ヘンリックも、とりあえず講義が再開された宮廷学校に通い、そこで集めた情報を提供してくれている。


 オリヴィアの方でも、その人脈を駆使して情報収集を行なっているはずだ。

 むしろ、次代の王妃として貴族間の調整を積極的に行なってきた彼女は、アルバートよりはるかに良い耳を持っているだろう。


 気を引き締めて、アルバートは店内に足を踏み入れた。








 浮かれていらっしゃいますね。

 オリヴィアの侍女たるフローリアは、主の斜め後ろに控えて、その横顔を見ながら思った。


 今日は朝からこんな調子だ。

 本人は普段通りのつもりだろうし、他家の者にも普段通りに見えるだろう。

 だが、幼少期からオリヴィアを見守っているフローリアから見ると、身だしなみには普段以上に気合が入っているし、表情もどこか楽しげだ。

 他の使用人も仕えて長い者たちは気づいていただろう。

 出発する時の見送りも、どこか微笑ましげだったように思う。


 彼ら彼女らとしては、以前からリオンに不満だったのだ。

 我らのお嬢様を蔑ろにしやがって、と。

 大きな声ではないが、むしろ婚約破棄となって良かったのではないか、と囁く者もいた。

 あんな婚約者から解放されたのだから、お嬢様には幸せになってほしい、と言うのが使用人一同の思いだ。


 そのためにも、しっかり見極めねば、と気合を入れる。

 自分は、言ってみれば使用人の代表として、この場への同行を許されているのである。

 オリヴィアとは別の視点からの報告をフェリクスに行う役目も負っているのだ。




 対面の男に視線を移す。

 ランフォード子爵アルバート・ノーマン。

 年齢は二十一か二十二か、その辺りだったはずだ。

 ノーマン領の貴族にも民にも共通する、黒目黒髪に彫りの浅めの顔立ち。

 アルスター王国にあっては、どこかエキゾチックに感じる容貌だ。


 それに輪をかけているのが衣服。

 仕立てはアルスター風の物だが、布が違う。

 ノーマン織と呼ばれる毛織物で、独特の柄が織り入れられている。

 聞いたところによると、北方の遊牧民の伝統的な織物の柄を取り入れているらしい。

 ここ十年ほどで王都にも流通するようになった。

 布自体の品質の良さと、異国情緒を感じる柄で流行になっている物だ。


 鍛え抜かれた肉体は、宮廷では見かける事の少ない戦士のそれだ。

 すでに戦場での働きも何度も経験しているという。

 ノーマン領の兵士は一人残らず騎兵で、馬で駆けながら弓を射るという技を使うそうだ。

 貴族女性の嗜みとして、フローリアも横乗りで多少走らせるくらいならできるが、全くもって理解不能な芸当である。

 オリヴィアから見てもそうだろう。


 だが、そんな猛々しさに反して、表情は柔らかく、口ぶりは理知的だ。

 主たちは、お待たせしてしまいましたか、いえいえそのようなことは、と定型文のような挨拶を終えたところだった。


「思ったよりもお元気そうで安心しました。

 心理的なショックは、後からジワジワと心を蝕むこともあると聞きますので、心配しておりました」

「ありがとうございます。

 きっとあの宴のおかげですわ。

 他の皆様も、一生の思い出になる夜会だったと仰っておりました」


  実際、素晴らしい夜会だった。

 フローリアも宰相派貴族の一員として出席していたから分かる。

 男爵はおろか子爵でも、ミードなど飲んだのはあの時が最初で最後、となる者が少なからずいるだろう。


「それは良かった。

 当家としても開催した甲斐があるというものです。

 ですが、批判の声はお耳に届いておりませんか?

 例えば、不遜、あるいは不敬である、と言うような」

「少なくとも、わたくしの耳には届いておりません。

 ただ、今回の事件に関してはわたくしも当事者。

 わたくしの耳に届かない範囲でそのようなお声がある可能性は否めません」

「そればかりはどうしようもありませんね。

 オリヴィア嬢のお耳に届かない程度であれば、問題はありませんでしょう」


 二人はどこか悪戯っぽい、共犯者の笑みを浮かべ合った。


「どちらかと言えば、宮廷で噂になっているのは、先日の登城の件でございます」

「登城と言うと、当家の?」

「ええ。

 辺境伯閣下とソフィア様がお二人で登城されたことは衆知でございます。

 訝しいことだ、と」

「それはそうでしょうね」




 事件の翌日にギルバートとソフィアが登城した。

 そのこと自体は秘密でも何でも無い。

 宮廷貴族は誰でも知っていると言って良い。

 社交の季節で多くの領主貴族が王都に集まっているのだから、宮廷貴族から彼らの耳にも入る。


 ノーマン辺境伯家が登城することに不自然な点は無い。

 あれだけの大事件である。

 後始末のために当事者が顔を合わせるのは当然だ。

 発端がリオンであるとは言え、まさか王子が辺境伯邸に行くわけにもいかないから、会談の場所が王宮になるのもまた当然だ。


 だが、その後何の発表も無い。

 それが不自然だった。


 ノーマン家を呼んだということは、何らかの手打ちを行ったのではないのか?

 条件が折り合わなかったのか?

 だがそれならそれで、条件の調整のために王宮のどこかの部署が何かしらの動きをするはずだ。




 そもそも訝しいのが、なぜ登城したのが「ギルバートとソフィアの二人」なのかだ。

 一番の当事者であるアルバートが登城しないのは、どう考えてもおかしい。


 百歩譲って、当主であるギルバートだけ、というならまだ分かる。

 当事者全員ということでギルバートとアルバートとソフィアの三人、ということであれば一番納得が行く。


 だが、ギルバートとソフィアというのは不自然だ。

 いったい、何が話し合われたのか。

 なぜその後の動きが王家にもノーマン家にも無いのか。


 王都にいる貴族にとって、今一番の関心事が、この疑問と言えた。








 やっぱりそうなるよな、とアルバートは思う。

 あの日は朝から外出していた。

 帰宅したらギルバートとソフィアが外出しており、登城したと聞いて焦ったものだ。

 自分も呼ばれていて、不在だったから置いていかれたのかと。


 そして、侍従からそもそも呼ばれていないと聞いて、困惑した。


「婚姻の打診があったのです」

「婚姻?

 と言いますと、まさか」

「お察しの通り、リオン殿下とソフィアのです」


 アルバートは頷き、ギルバートとソフィアから聞いた、リオンとの会談の内容について語って聞かせた。


 オリヴィアは、言葉も無い、といった反応だ。

 無理も無い。

 自分も聞いた時に唖然とした。




 ノーマン家との婚姻自体は分かる。

 王家、と言うより中央政府から見ると、国策として非常に有効と言っても良い。

 半独立のノーマン家をどうにかして取り込まないと、アルスター王国は真に統一されない。

 建国王以来の宿題だ。


 だが、婚姻の理由が、ソフィアが優秀だから?

 意味が分からない。




「……リオン殿下では、もう無理なのでしょうね」


 オリヴィアは絞り出すように言った。


「そうですね。

 殿下に対する評価は、おそらくオリヴィア嬢の元に届く声よりも、当家に届く声の方が厳しい」


 オリヴィアの立場から言って、親しい貴族は宮廷貴族や、親王家の貴族だろう。

 一方でアルバートと親しい貴族は、独立志向の強い家が多い。

 当然、王家の不祥事に対する批判も強い。


 オリヴィアは、どこか遠くを見るような目をしていた。


「殿下が、次代の王国を担うために、多くの努力をしてきたことは存じ上げております。

 心は遠く離れておりましたが、それでも一番近くにいたのです。


 武芸も学問も、懸命に学んでいらっしゃいました。

 専門性の高い学問については、わたくしなどよりもよほど優秀でいらっしゃいました。


 ……それが、少しだけ、惜しいですね」


  呟くように言って、瞳を閉ざす。

 それは、黙祷を捧げているようにも見えた。




 少しだけ間を置いて瞼を開いたオリヴィアは、元の雰囲気に戻っていた。


「失礼いたしました。

 しかしそうなると、次代をどうするか、頭が痛い問題ですね」

「王女のシャーロット殿下では問題が?」


 アルバートの知る限り、リオンの同母妹が王位継承権の第二位だったはずだ。

 年は確かヘンリックと同じはずだから、年齢的に幼過ぎるということもあるまい。


「順位で言えばシャーロット殿下でしょう。

 嫡出の王女殿下で、現在でも王位継承権は第二位でいらっしゃいます。

 リオン殿下が外されるとなれば、第一位に繰り上がります。

 ただ、女王の是非に関して、議論が分かれるかと存じます」


 なるほど、そういう問題かと納得した。

 うっかり忘れていたが、だいたいにおいて、中世ぐらいの文明では男女を明確に分けるものだ。

 性差別という概念すら無い。


 ノーマン領では性別よりも能力が優先される風潮で、だからこそソフィアも伸び伸びと才能を発揮できている。

 だが、アルスター王国全体ではそうではない。

 そう言えば前世の日本では二十一世紀においてすら、女帝を認めるか否かで大きな論争が起きていた。


「もちろん、法の上での問題はございませんわ。

 ですがアルスターでも、近隣の他国でも、実際に女王が立ったことはございません。

 少なくとも、最近二百年ほどは無いはずです。


 政治は男が行うもの、と言う価値観は強うございます。

 わたくしも、これまで何度もそういったお考えの方とぶつかったことがございます」

「それは……心中お察しします」


 オリヴィアは、リオンがやらない分まで、貴族間の折衝や調整に尽力していたと聞く。

 ソフィアとヘンリックに聞いたところ、宮廷学校でも意欲的にそのようにふるまっていたそうだ。

 王妃予定者という肩書きがあってすら、腹立たしい思いをすることがあったのだろう。




「シャーロット殿下ご自身も、あまり政治に向いた方ではいらっしゃいません。

 今は陛下がいらっしゃいますから、今回の件をどうにか収めることはできるかもしれません。

 ただ、殿下の御代となった際に、混乱が再燃する危険は大きいように存じます」

「よほど有力な王配が必要になるでしょうか」

「はい。

 その場合でも、王配の家が外戚として権勢を奮うようになっては、やはり混乱が生じましょう」

「なるほど……

 それ以外の方となりますと、嫡出ではなくなりますよね?」

「はい。

 庶出のお子様がお三方。

 その下は公爵家の方々ということになります。

 いずれも正統性に劣りますので、やはり混乱は否めないでしょう」

「……頭が痛いですね」


 いっそ、国王夫妻にもう一人くらい頑張ってもらった方が良いんじゃないだろうか。

 そんなことを考えていると、オリヴィアが気が重そうな声を発した。


「もう一つ頭が痛い問題がございます」

「……伺いましょう」


 あまり聞きたくない気もしたが、聞かないわけにもいかない。


「リオン殿下の数少ない支持者に、近衛がございます」




 近衛隊。

 それは王家に直接仕える兵達だ。

 貴族の抱える領軍は、本質的にその貴族に属する物であるため、王家に直属する唯一の武力集団と言える。


 貴族に対する抑止力とならなければならないため、三千名の兵力を常備しており、装備も王国で最新の物だ。

 建国王以来、アルスター王国自体が大きな戦争を行なっていないため、実戦経験は無いが、常備兵だけに訓練は十分に行なっている。

 王都市民へのパフォーマンスとして郊外で演習を行うこともあり、重武装の騎兵が槍や剣を手に突撃する迫力は、市民に畏怖と頼もしさを与えている。


 王国として外国として戦う際には、領軍を束ねた王国軍の核となるため、気位も高く、ある面では貴族を見下しているような意識もあるようだ。

 宮廷貴族には相性の悪い相手だろう。




「ですが、近衛が王家に忠誠を誓うのは、言ってみれば当然のこと。

 殊更にリオン殿下を支持するというのは、何か理由が?」

「リオン殿下が提案している政策の中に、貴族の軍備保有を制限して領軍を縮小し、その分近衛を強化して、近衛だけで王国軍を編成するようにするべきだ、というものがございます」

「ああ、なるほど」


 非常にわかりやすい理由だった。

 しかし、そうなると問題は厄介さを増す。

 なぜなら、王都内に武装して入ることを許される兵士は近衛兵のみだからだ。


「リオン殿下を強引に下ろした場合、クーデターも考えられると」

「そうなります」

 

 顔を見合わせる。

 同時に、ため息が出た。




 思った以上に、アルスター王国の前途は多難なようだった。



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