第11話 斯くしてブラコンは育まれた 後編

「わたくし、小さな頃は劣等生でしたの」


 ソフィアは昔を思い出しながら言った。


「え?」

「領で家庭教師に教わっていた頃のことですわ。

 お兄様にも、ヘンリックにさえも覚えられることがわたくしには覚えられませんでした」

「想像もできませんわ」


  ソフィアは宮廷学校を首席で卒業した。

 卒業時だけではなく、入学直後から優秀と見られていた。

 だが、幼少期はそうでは無かった。




「わたくし自身も詳しくは覚えておりませんが、例えば、マナーの授業の時。

 教えてくださっていることはそっちのけで、フォークやスプーンはなぜこのような形なのか、木にはなぜ模様があるのか、ナイフはなぜ光るのか、木はなぜ光らないのか、そんなことを質問攻めにしていたそうです。

 それが終わったら、なぜ食器はこのように持つのか、なぜ音を立ててはいけないのか、なぜ背筋を伸ばすのか、なぜ浅く座るのか。

 教わることにいちいち質問して、必要なことは全く覚えられなかったと聞いています」


 いわゆる「なぜなぜ期」というものだが、ソフィアのそれは、他の子供よりもずっと強烈だった。

 この年頃の子供を教え慣れた家庭教師や、世話を焼き慣れた侍女ですら手を焼くほどに。

 そして、「なぜ?」という疑問を抱えたまま、そういうものだと納得して覚えることができない子供だった。


 その頃のソフィアに対する評価は、「落ちこぼれの問題児」以外の何者でも無かった。




「それが変わったのは、お兄様のおかげです。

 ある時、庭に散歩に出ていたわたくしは、いつものように侍女に聞いていたそうです。

 なぜ空は青いのか、なぜ草木は緑なのか、なぜ蟻は行列を作るのか、なぜ虫や鳥は空を飛べるのか。

 神々がそのように世界をお作りになられたのです、という答えにわたくしは納得せず、駄々をこねていたそうですの。

 そこに通りかかったお兄様が、仰ってくださったのです。

『それなら、一緒に考えようよ』と」


 具体的に、侍女に何を聞いていたのかは、もう憶えていない。

 だが、そう言ってくれた兄の姿は、脳裏に焼きついている。


「それからは、わたくしは家庭教師ではなく、お兄様について学ぶようになりました。

 お兄様の家庭教師のお話を一緒に聞いて、なぜ、と思ったことは全て言うようにと仰られたのです。

 そして、それをお兄様とわたくし、それぞれの家庭教師も一緒になって考えるようになりました。

 もちろん、答えが出ないこともありました。

 ですが、そうして考えたことは不思議と覚えられたのです」




 それからだ。

 学ぶことが、知ることが楽しくなったのは。

 「分からない」ことに感じていた苛立ちが、「知る楽しさ」の源になった。

 世界が光で満たされたように感じられた。




「マナーなどもそうです。

 なぜこのような所作をするのか、と聞いて、その方が美しく見えるから、で終わるのではなく、ではなぜそのような所作が美しく見えるのか、を考えました。

 お兄様と家庭教師たちと、時には侍女や執事まで巻き込んで、敢えて美しくない所作をして比べてみたり、色々と試しましたわ。

 そうしたら覚えられたのです」


 侍女などは最初は嫌がったものだったが、そうして研究してみると、以前よりも洗練された所作ができるようになり、礼を言われたりもした。




「もちろん、そのような回りくどいことに否定的な方もいらっしゃいましたわ。

 ただ覚えれば良いだけのことではないか、と。

 お父様もそのようなお考えでした。

 ですが、お兄様がいつも庇って下さったのです。


『ソフィアの好奇心は領の宝です。

 それを潰すなどとんでもない』


 そう仰って」


 アルバートとて、ソフィアの全てを肯定していたわけではない。

 時には叱られることもあった。

 身の危険に関わることは特にそうだ。

 だが、ソフィアの好奇心を抑えるようなことには、断固として反対した。




「その後、お兄様はお父様にねだって、一つの部屋を貰ってくださいました。

 そこに『研究室』と名付けて、先ほど言ったようなことを、この部屋で行うようになったのです。

 最初はお兄様とわたくしと家庭教師だけでした。


 ですが、徐々に出入りする大人の方が増えていきました。

 それに伴って、『なぜ』の内容も高度になっていきました。

 領の統治に影響を及ぼすほどに」


 その頃には、周囲の見る目も変わっていた。

 「馬鹿と天才は紙一重」の、一方からもう一方の側へ。




「例えば、そうですね……

 オリヴィア様は、蜜蜂がどのようにして蜂蜜を作るのか、ご存知ですか?」

「……いえ、考えたこともございません」


 それはそうだろう。

 蜂蜜や蜜蝋は、豊穣神サリカの恵みとされ、森の中で偶然見つかるものとされている。

 木のウロを覗き込み、その中の蜂の巣から蜜や蝋を採取するものだと。

 そして、蜂はサリカの力を受け取って、蜜を「生み出す」ものだと考えられている。

 これまでのこの世界の「常識」は、そこで考えるのを止めるものだった。


「詳しくは申し上げられませんが、当家ではすでにその方法を解明しております。

 そして、牛や馬のように任意の場所で蜜蜂を飼育し、蜂蜜や蜜蝋を採る方法も確立しております。

 当家でこれらの生産量が群を抜いて多いのはそのためです」


 オリヴィアが唖然とした表情を浮かべる。

 このことがどれほどの利益を生んでいるのか、彼女ならわかるはずだ。


 「常識」が裏切られる時、多くの人はこういった表情を浮かべるものだった。

 今まで、何度も見てきた。




「きっと、研究室をご覧になったら驚かれると思います。

 貴族の屋敷にはとても似つかわしくない部屋ですもの。

 装飾品の一つも無い、雑多な物が詰め込まれた部屋です。

 物置にしか見えないかもしれません。


 置いてある物の多くも、大多数の方々には価値を理解できないものでしょう。

 様々な石ころや、虫や動物の死骸や、使い道のわからない妙な道具や。

 そのようにしか見えないかと存じます。

 お兄様に連れて来られたヘンリックは悲鳴をあげておりましたわ。

 もし泥棒が入っても、この部屋は外れと思って出ていくでしょうね」


 もっとも当家に泥棒に入るような命知らずがいるとも思えませんが、と付け加えて笑う。


「ですが、わたくしや、ここを利用する方々にとっては宝の山です。

 わたくしも以前はこの部屋に篭っていることを気味悪がられたりしたものですが、今では功績を認められております。

 『研究室』からは様々な物が生まれました。

 『アルバートの櫛』という農具や、『ソーバン』という携帯式の計算器具。


 蜜蜂以外の虫の研究では、王都の方にはとても申し上げられないような研究もしております。

 ノーマン家の家臣には「虫男爵」などと呼ばれる方もおりまして、虫の研究に関してはユヴェールよりも進んでいる自信がございますわ。


 わたくしも無事に卒業できましたので、領に戻ったら、ここの所長を拝命することが決まっておりますの」




 ソフィアが宮廷学校で他の領地の話を聞いた時には驚いたものだ。

 ノーマン領とはあまりにも違った。

 どこの領地でも、このような「そもそも」の部分から考えるような運営をしていなかった。

 それをする意志や発想もだが、それ以上に余裕が無いのだ。

 そのことを知って、ソフィアは心の底から、ノーマン領にアルバートの妹として生まれた奇跡に感謝した。


「お兄様は、事の始まりから、ずっとわたくしの味方でいてくださいました。


 わたくしが屋敷の一部の者たちに気味悪がられていたこともございました。

 それはそうでございましようね。


 不意に出かけてはよくわからないものを拾い集めてきて、部屋に閉じこもってそれらをいじくり回す。

 時には、朝から晩までじっと観察する。

 かと思えば猛烈な勢いで何かを書き殴る。


 照明を使い過ぎだとお兄様に苦情が入り、ご自分の予算から補填してくださったこともあったと聞いた時は、さすがに謝りに行ったのですが、無駄な贅沢ではないのだから良い、と笑って許してくださいました。


 それだけでなく、研究室を頻繁に訪れて、わたくしの話を聞き、時に議論を交わし、時にはわたくし一人では行けない場所まで同行してくださったこともございます。


 同年代の友人はおりませんでしたが、少しも気になりませんでした。

 お兄様がいらっしゃいましたし、研究室に出入りする大人の方々とは親しくさせていただいておりましたから」


 オリヴィアには刺激が強すぎるだろうから言わないが、カマキリの卵を持ち帰り、その孵化を観察したこともある。

 阿鼻叫喚の騒動となり、その時は流石に叱られたものだ。

 もっとも叱られた内容は、それをしたことではなく、誰にも相談しなかったことだったが。




「わたくしには夢というか、己に課していることがございますの。


 それは、お兄様の目となり耳となること。

 お兄様も、わたくしほどではなくても好奇心が強い方です。

 だから、本当は色々なものを見聞きしたいはずですわ。


 ですが、当主となる以上、そう言うわけにもいかないでしょう。

 あまりそういうそぶりをお見せにならないのは、責任感によるものかと存じます。


 だから、わたくしが代わりにそれをするのです。

 色々なものを見聞するための下地として、あらゆることを学んで参りました。


 幼い頃、お兄様とわたくしで作った、『わからないことリスト』と言うものがありますの。

 お兄様と二人で考えた結果、今はこれ以上のことはわからない、と結論を保留した物事のリストです。

 その後、このリストは研究室の皆様のお力をお借りして減らすことができたり、かと思えばもっと多くのわからないことが増えたりしています。

 これをどんどん更新するのがわたくしの楽しみなのです」


 そのリストは、裁断していない大きな羊皮紙に書き写され、今も研究室の壁に架けられている。

 現在進行形で、何かが減ったり増えたりしているかもしれない。




「きっとこれから、お兄様にもわからないことや困ることが出てくると思います。

 そうしたら、今度はわたくしがお兄様に、一緒に考えましょう、って言って差し上げるんです!」




 輝くような笑顔でソフィアはそう語った。






 オリヴィアは思う。

 この方は、ある意味子供のままなのだろう、と。


 ただ純粋に好奇心を満たそうとする。

 そのために必要と理解したから、礼節などの「猫被り」も学んだだけ。

 本質は何も変わっていない。


 ともすれば悪い印象を与えかねない「子供のような大人」という言葉だが、ソフィアにそのような印象は全く無かった。

 何もかもが輝いて見えた子供時代を思い出すような、眩しいほどの輝きがあった。

 宮廷学校で見た怜悧な姿、月の女神のような冴え冴えとした印象とは程遠い。


 だが、こちらがソフィアの本質なのだろう。

 この姿の方がよほど自然で、そして魅力的だった。




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