最強にして最後の討伐騎士カリア~奴隷から這い上がって幸せになるまで~

まほか

第1話:カリアの過去

「カリア、それがあの騎士の名前なのか?」


 夕暮れの図書館。

 司書の年老いた女は、来訪者の問いに対して「そうよ」とどこか感慨深そうに答えた。


「なんだい、あんた。今さら悪魔と戦ってきた『討伐騎士』の歴史でも振り返ろうっていうのかい」

 北の地方の訛りが混ざった喋り方をする。

 ふう、と司書は老眼鏡の奥でため息を吐く。

「もう……七十年にもなるっていうのにねえ」


「お婆さんは、何か知ってない? 討伐騎士の本、全然見つからなくてさ」

 学校の課題なんだけど、と来訪者は続けた。


「それなら、あたしが教えてあげるよ」


 え、と来訪者が驚きの声を上げる。

 想定していない回答だったんだろう、手にしていた『討伐騎士の歴史』という本を落っことしそうになっていた。


「いいのか?」

「もちろん、閉館時間までさ。続きは、あんたの持ってる本でなんとかしな」

「あ、ああ。それでも、助かるよ」


 よっこらしょ、と司書の女は椅子に座りなおした。

 来訪者もおどおどしながら、司書の前に座る。

 

「最後の討伐騎士――カリアについて、話をしよう」


 まずは、カリアの過去について教えようか。

 カリアはね、――奴隷だったのさ。


 

 ***


 ――約70年前――

 

「おい、カリア! 皿を洗うのにどんだけ時間食ってんだ! 早くやれ!」

「はいはい……」

 カリアはぼそりと答える。

 貴族出身を示す紫の瞳に、ボサボサの金髪を持つ少年――彼こそ、のちに悪魔と戦い、最後の『討伐騎士』として名を残すことになる。


 カリアはもともと、貴族の血筋であった。

 しかし、母親の不貞をきっかけに、家を追われることになってしまったのだ。肉親であった母親は、家を追われてすぐに消息不明。幼かったカリアが真っ当な働き口を見つけることなどできるはずもなく。

 とある飲み屋で――「奴隷」として、過ごすことになったのだ。 

 

 店主の大男がガチャンッと汚れた皿を、不機嫌そうにカリアの脇に放り投げる。

「お前みたいな奴隷に、仕事をくれてやってるんだ、感謝しろよ」

「どうも」

「ふん、可愛げのない奴め」

 ソーセージのような太い指で、しかめっ面の店主は自慢の髭を触る。

「悪魔どもに殺されずに済んだくせに、何が不満なんだ」

 ぐちぐちとおれに対する暴言を吐きながら、大きな腹を揺らしてずんずんと店内へと歩いていった。

 

 カリアは心の中でめいいっぱい、中指を立ててやった。

 貴族の没落をその幼さで経験したせいか、世間様を疎むような性格に育ってしまったようである。

 ひねくれた性格のカリアは、汚れた皿を目の前に「どうやったら楽に終わらせれるだろ、でも早く終わったら他の仕事が来るからやめとこ」とそんなことばかりを考えていた。

 

 しぶしぶ汚れた皿を、樽にためた冷水の中に放り込み、ざぶざぶと洗い始めた。

 朝からずっと皿を洗い続けていたカリアの指先は、もう感覚がなくなり、ガチガチに固まっている。

「……痛っ」

 指の関節から、赤いものが流れた。

 冷水の中にぷかぷかとおれの血が混ざっていく。


 正直、奴隷の労働環境は最悪だ。

 奴隷は使いつぶしの道具であり、そこに「かわいそう」などといった感情など存在しない。

 壊れたら、新しいものを買う。

 それだけのもの。


 とっとと逃げ出せば良い、と外野がヤジを飛ばすかもしれない。

 だが、カリアには逃げない理由があった。


 ――妹だ。


 両親のいないカリアにとって、唯一の肉親である妹フェリィ。

 彼女を守るため、奴隷の立場で甘んじているのだ。


 

 

 働いているカリアは、店に住み込みさせてもらっていた。

 といっても、ベッド一つすら置けない狭い屋根裏一室だけだが。その屋根裏も、お世辞でもキレイとは言えず、床はほこりまみれだった。

 そんな環境だから、火があるランタンも使えず、明りはいつも太陽と月だけだ。

 

「お兄ちゃん、おかえり!」

 そんな屋根裏部屋には、カリアともう一人、妹のフェリィが一緒に住んでいた。

 

 まだ年は十にもならない幼さで、カリアと同じ紫の目をしていた。にこにこと笑う、おとなしい少女だった。

 とはいえ、フェリィも奴隷。薄い布の下から見える腕や足は、とても健康的とは言えない細さだ。唇の色も悪く、栄養が足りていないのは明らかだった。

 

「ただいま」

 カリアがフェリィの前に座る。

 椅子すら置けないほど、天井が低いため、基本的に座って過ごしていた。

 

 ふと、カリアはフェリィの横にスープがあるのに気付いた。

「これは?」

「お兄ちゃんのぶんだよ!」

 フェリィがぱっと明るい顔で言う。

 

「昨日ね、店主さんがご飯だって持ってきたの。でもね、お兄ちゃんお仕事だったから、取っておいたの!」

「そっかそっか、ありがとな」

 フェリィの短くなった髪をなでるカリア。

 虫がついてしまうから、と長かった髪を昔、短く切ったのだ。

 

「でも、これはフェリィが食えよ」

「え、でも」

「いいの、おれは。食事は済ませてきたんだよ」

 フェリィが、不安そうにカリアを見上げる。

 それはそうだろう。カリアはここ数日働きづめだった。何やら偉い人が来るとかで、町そのものが浮足立っていたからだ。

 

 食事なんて取らせてもらえるわけもなく、今にも腹が鳴りそうである。

 しかし、

 カリアがごくんと唾液を飲み込んだ。

 目を伏せ、ぐいっとフェリィにスープを差し出す。

「フェリィがちゃんと食えよ。特に今なんて冬だ、食べられるうちに食っとけ」


 差し出したスープに、しぶしぶといった様子でフェリィは口を付けた。

 スプーンを握る指は細く、今にも折れてしまいそうだった。

 

 それを見て、いつもカリアは決意する。

 たとえ何がどうなったとしても、フェリィだけは守る。

 それが、唯一の家族である自分にできることだ――と。


「ありがとうね、お兄ちゃん」

 スープを飲みながら、フェリィはどこか寂しそうに言う。

 

「気にすんなって。春になったら、また美味しいものを食おう」

「うん!」



「あ、そうだ、今日ってお兄ちゃんの誕生日でしょ?」


 日付の感覚などとおの昔になくなっていたため、カリアは「そうだっけ」と返す。

「そうだよ、お兄ちゃん毎年忘れてる!」

「別に年とってくだけだし、そんなになあ……」


「はいこれ!」


 フェリィは、カリアにさっとお皿を渡した。

 キレイとは言えない皿の上で、ちょこんと、小さなショートケーキが乗っていた。


「え、これ」

 八分の一にも満たない、一口だけのケーキ。

 そばに置かれたフォークのほうが大きいのではと思うくらいだ。

 イチゴすらなかったけど、それでも、十分にこみ上げるものがあった。

 

「これ、おれに?」

「うん! いつもありがとう! それと、誕生日おめでと――――――――――――――」


 ――ぐさり、と。

 フェリィの胸から、鋭利な棘が突き出していた。


 カシャン、と皿が床に落ちた。

 小さいケーキはあっという間に崩れ、フォークがころころと転がった。

 

「あ……」

 ぽたっと血が埃と食べかすまみれになった床に落ちた。

 覆い被さるように、フェリィがどさりと倒れる。


「は? え?」

 ――今、一体、何が。

 震える指で、カリアはフェリィに触れた。 

 まだ生暖かいフェリィの体の下から、どろどろと赤い液体が流れていた。

 虚ろな目が、崩れ落ちたケーキへ向けられている。


「うーん、いい感じに狂ってる!」


 きゃはは、と楽しげな笑い声がした。

 呆然としたままカリアは顔をあげる。そこにいたのは、ピンク色でフリフリ服を着た愛くるしい人形のような、齢十五歳ほどの少女だった。

 日焼けなど知らないような白い肌に、真っ赤な目と、艶やかな赤い口紅が光っていた。


「お、まえ……」

「あは! いい顔するじゃん! 可愛いね~」


 カリアは言葉が出なかった。

 そこにいた「少女」には、明らかにおかしいものがあった。


 ――しっぽだ。


 まるでサソリのようなしっぽが、フリルのあしらわれたスカートの下から覗いていたのだ。

 そしてそのしっぽから、ぽたり、と赤い液体が落ちた。


「…………悪魔」

「そうだよ? 初めて? 悪魔見たの」

 少女――悪魔の問いかけに、答える余力はなかった。


 フェリィが、こいつに。


「あれ? おーい、聞こえてる?」

 悪魔がこてん、と首をかしげた。

 

 殺された。


 カリアにとって、この事実は悪魔の問いかけ以上に強い意味を持っていた。

 

 ――殺された。

 フェリィが、目の前で。


「あ、う」

「ん~? どうしたどうした? もしかして、声も出なくなっちゃった?」

 かわいそ~、と悪魔がしゃがみ込み、楽しげにカリアの顔を覗き込んだ。

 趣味の悪い顔だ。


 カリアは、手元にあったフォークをガッと掴んだ。


「ああああああああああああああああああッ!」


 涙声で、ぐちゃぐちゃになった声で絶叫するカリア。

 そのまま掴んだフォークで殴りかかる。

 悪魔はダンスでもするみたいに、ひらりと横によけてカリアをかわした。悪魔はしゃがんだまま、一歩も動くことなく、サソリのしっぽでぶんっとカリアを弾き飛ばす。

「あがっ!」

 顔から床に突っ込み、ごろごろと転がった。


「ひゃ~、いきなり襲われたの初めて! 嫌いじゃないね!」

 ぶんっと振った悪魔のしっぽが、よたよたと立ち上がったカリアの腹へ。

 しっぽはメキリと腹にのめり込み、胃液が口からがぼっとこぼれる。

 こぼれた胃液が床に落ちてしまうより先に、カリアは体ごと強く扉にどんっと叩きつけられた。


 立てつけの悪かった扉の蝶番がバキリと壊れ、そのまま廊下にごろごろと転がった。


「いっ……」

「そーんなちゃちな武器じゃ、アタシを殺せないよ?」

 悪魔が、屋根裏部屋からゆったりとした動作で出てきた。

 どこか楽しそうにニヤニヤと口元を歪めている。パタパタとしっぽが犬のように揺れていた。

 フォークを掴もうとしたカリア。

 しかし、その手を悪魔がドンっと踏みつけた。


「――――っ!」

 悪魔のヒールが右手の甲にめり込んだ。

 声にならない悲鳴がカリアの喉から溢れた。

 わずか一点に集中して、悪魔の体重ともどもヒールのピンで右手の甲が突き刺される。

 骨が砕かれる、冗談抜きでカリアはそう思った。


「ふふ、痛いよね? でも、全然諦めてない顔」

「うるっせえ……よくも、フェリィを」

 きゃはは、と悪魔が心底嬉しそうに笑う。

「ほら頑張ってみて?」

 ぐりぐりとヒールのピンがカリアの右手の甲にねじ込まれていく。

 

「――ねえ、アンタ、名前は?」

「は?」

「アンタの名前。ほら、早く言わないと、右手が使い物にならなくなるよ?」

「……カリア」

「カリア、ね。覚えた!」


 悪魔がヒールをのけた。

 カリアは今度、左手でフォークを掴んで殴りかかったものの、またしっぽに弾かれ、廊下に転がった。

 二度目は腹に直撃しなかったものの、奴隷という細い体ではすでに限界だった。

 腕に力が入らず、ぐらぐらと視界が安定しない。


「カリア、アンタのこと気に入った!」


 悪魔が屋根裏部屋の中で、ぴょんと飛び跳ねながら宣言した。

「カリアさ、――討伐騎士になってよ!」


 ――討伐騎士。

 それは、特別な武器を使い、悪魔と戦う者たち。


 彼らは人間の守り手であり、敬意と畏怖の対象であった。

 悪魔という異形の存在と戦うため、多くの試験を経て適正を見定められる。そうしてようやく、討伐騎士として戦場に立つことができる。


 要するに。

 奴隷であるカリアからは――最も程遠い職業である。

 

「だって憎いんでしょ? アタシのこと」

「あ、たりまえだろ……!」

「じゃあピッタリだよ、アタシ、カリアのこと気に入っちゃったから」

 

 なにを言っている?

 カリアの正直な感想はそれだった。

 そんな感想を無視して、悪魔は赤い頬に手を当てて、きゃーっと楽しそうに笑う。そして、愛しい人形に語り掛けるように続けた。


「妹を思う家族愛! なのにあっさり奪われちゃう愚かさ! 勝てないって分かってるのに、挑んでくる無鉄砲さ! バカすぎて可愛いの!」


 でも、ね。

 悪魔が、はーっと露骨にため息をつく。


「アタシは悪魔で、カリアは一般人でしょ? 今を逃したら、もう接点なくなっちゃう」


 それは困るな。

 と、カリアは心で呟く。げほげほと咳き込み、床に倒れる。ボロ雑巾のような体はとうに悲鳴をあげていた。


 それでも、ぐっと拳だけは握りしめていた。


「だから討伐騎士になって、アタシを会いに来て?」

「――上等だ」


 拳を支えに、カリアがヨロヨロと立ち上がった。

 英雄を見たかのように、悪魔はきゃーっと黄色い歓声をあげる。


「討伐騎士になって、テメェを必ずぶっ殺す――!」


 ***

 

 ――現在――

 

「それが、その『討伐騎士』カリアの過去……」

「そうだよ」


 司書の女は、来訪者の問いに頷く。

「もうそろそろ、閉館時間だよ」

「あ……」


 窓から夕暮れの光が差し込んでくる。

 図書館の中は暖かいオレンジ色に染まり始めていた。すっかり人気のなくなっており、寂しい雰囲気だ。


「じゃあ、すみません、そろそろ……」

 鞄を肩にかけ、来訪者はおずおずと椅子から立ち上がった。


「またおいで」


 司書の言葉に、小さく来訪者は頷く。

 夜のとばりが降りていく中で、来訪者はその図書館をあとにした。

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