六話 「母なる海よ、父なる空よ……」と先輩は言った
僕達は色んな店を回った。
ゲームコーナーに玩具屋、CD店に雑貨屋、さらには何故かスポーツ用品店まで。いずれも反応は芳しくなく、時間だけが過ぎていった。
先輩は一体何が好きなのだろう。こういうとき、経験の少なさが悔やまれる。
苦し紛れに映画館へ行った。特に見たいものはないと言われたので、ポップコーンだけ食べて帰った。
カラオケやボウリングをした。やっている姿を見てると言われたので、一人で歌って投げた。無表情で拍手する姿が印象に残っている。
虚しさに包まれながら、僕は一つ気付きを得た。
先輩はどうにも、娯楽に対して反応が薄い。というか、その必要性を理解できていない感じがする。
食事をするときもそうだった。
ジュースを飲むのも、ご飯を口にするのも。デザートを食べるのも。機械的に繰り返すだけで、美味しいとも不味いとも言わない。
いつもの無表情。
僕達は無言で昼食を済ませた。
あ、ちなみに僕はハンバーグを食べました。美味しかったです。嘘です。本当は先輩を気にして、あまり味は分かりませんでした。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ああ、ほんと、上手くいかないことばかりだな。
「……」
「……」
……いや、それすら嘘か。
先輩が無反応だから、上手くいかないんじゃない。身勝手な言い訳だ。
忘れられないだけだろ。あの光景が、こびり付いてずっと離れないんだろ。
虚ろな目をした店員さん。手を引く先輩。どこまでも冷たい、螺旋の瞳と言葉の意味。
意味深だ。あまりに、あからさまだ。
そんなの僕でも気付く。試されているのだ。僕は今、分岐点の只中にいる。
問わなければならない。彼女の秘密を暴くときが来た。
薄められた違和感が実態を伴おうとしている。
それでも。
……。
「……すみませんでした」
「……?」
結局、口から出たのはそんな言葉。
ベンチの隣に座っている先輩が、不思議そうに首を傾けた。
「お礼って言いながら、僕、全然何もできてないですね。ほんと、何も」
「……」
「先輩には色々よくしてもらったのに。こんな僕を、部に誘ってくれたのに。何も返せなくて。役立たずで。それで、僕は、僕は……」
「……」
床のタイルを見つめる。項垂れて、見つめる。
続く言葉が出ることはなかった。自分ですら、何が言いたいのか分からなかった。
僕は謝罪したいのか、それとも許されたいのか。
或いは、憐れんでほしいのか。
「はっ……」
「……」
嘲笑する。
過去の記憶が思い出される。投げつけられた上履きの感触。
『アンタ、何様のつもり? 人を助けた気になって気持ちいい? キモいんだよ、カスが』
そうだね。
僕も、気持ち悪いと思う。
独りよがりにお礼を強いて、最低限以下すら楽しませることもできなくて。先輩の欲しい物も買えずに、今はベンチで落ち込んでいる。
何様のつもりなんだよ、僕は。
勝手に誘って勝手に舞い上がって、いざ上手くいかなければ憂鬱になる。
ふざけんなよ。お前みたいな害悪が、また人を傷つけて――。
「絵画的宗教団体」
「っ……ぁ、せん、ぱい? あ、す、すみません、ちょっとボーッとして。えっと、あ、あはは、えっと、えっと……」
「海よ安らかに微笑み」
「あ……」
落ち着いて。
さすり、さすりと。
先輩の手が背に触れる。優しく撫でられる。
なんだか、心地、よい……。
「せん、ぱい……」
「裸足の王様」
悲しまないで。
「でも、僕は……」
「アクアリウム流星群」
とてもよい時間だった。
「……そんな、気遣わなくても」
「縫われた口、吐かれる真」
与えたつもりはない。貰ったのはこちら。
「貰った? 一体、何を……」
「レコード」
これ。
そう言って取り出したのは、一冊の本。表紙には男女が向かい合っており、その女の子は触手が生えていた。何だろう、どこか見覚えが……。
いや待て、どうやって出した今の。袖からだったよな。どういうことだ。
ぼやけた頭が少しだけ覚める。
それに、この本は。
「先輩、これって……」
「クリスタルレイン、哀惜の傘」
嬉しかった。贈り物を貰ったのは、初めてだった。
「天の海、ミルキーロック」
楽しかった。誰かと出かけるのも、初めてだった。
「狐の執着」
「……先輩」
何度だって言う。
「光よ我が胸にあり」
ありがとう。
今日はとても、よい日だった。
「――っ」
……ああ。
僕って、やっぱり善人にはなれないや。
正体不明で無表情で、明らかに人間離れしている、この不思議な先輩に。ただ一言、感謝されるだけでさ。
今までの後悔が全部吹っ飛んじゃうなんて。
我ながら単純だ。恥知らずだ。
でも、そんな僕だから。
「クロックチャイム」
「……先輩、ちょっといいですか」
「……?」
再び本を袖に入れようとした先輩を止める。
本当にどういう仕組みなんだろう。平然としすぎていて、逆に此方がおかしいとすら思えてくる。僕が知らないだけで、実は普通なのだろうか。
まあ、今はいいや。
ゆっくりと立ち上がって、先輩に目を合わせる。
続けて言った。
「最後に行きたいところが見つかりました」
「……」
先輩ではなく、僕がしたいと思ったこと。自分本位な酷いお誘い。
恩を返すでも、お礼をするでもない。ただの自己満足。
それでも、もし。
貴女が喜んでくれるのなら。
「少しだけ、待っててくれますか?」
心臓が脈動している。
お腹の奥が冷たくなって、暑さからではない汗が流れている。入学試験だってこんなに緊張しなかった。
それぐらい、大切だということだ。
「……ふぅ」
指にかかる、僅かな重みが問うてくる。
本当にこれでよかったのかい? 本当に喜んでくれる? 決して高価ではない、ありふれたもので。
「さあね」
それを決めるのは僕じゃない。
僕が駄目だと思ったことに、先輩は価値を見出していた。
ならば僕の保証なぞ、どれだけの意味があるのか。
大事なのはそうじゃない。
きっと、そうじゃないんだ。
「あ……」
いた。
いてくれた。
虹色の美しい髪を、ただの一つも揺らすことなく。静かに佇んでいる。
周りの人間が先輩を気にする様子はない。まるで空気に溶け込んでしまったような。
儚い……。
「先輩」
声をかける。何気ない、いつもの調子で。
ふわりと虹色が揺れた。
その螺旋が、僕を見つめた。
少し駆け足になって近づく。
「すみません、お待たせしました」
「森羅万象クリア」
ゆるゆると首を振る。優しい。
「靴下コンプリート?」
「……はい、買えました。僕の必要なもの、欲しかったもの。買えたと、思います」
「オール必中宝くじ」
どくん、どくん。
心臓が喉から飛び出そうだ。いやもう飛び出てるかも? 吐きそう。
「……っ、そ、その」
「……?」
「えと……こ、こ……!」
震え声のまま、喉を絞って音を出す。無様な姿だ。なんて今更か。
今更、今更。ならいっそ、とことん情けなくいこう。
覚悟は決まった。
……喜んでくれたら、いいな。
よし。
「っ……これ、プレゼントです。貰ってくれますか?」
「……」
言っ、た……。
買い物袋を両手で支え、先輩に向ける。視線は逸らさなかった。彼女の瞳が、僅かに開かれるのを見ていた。
どう、だろうか。
先輩は。
「……」
「……」
……。
「……」
「……」
……ふ。
終わっ。
「雪は落ちた」
「ぁ……」
しゅるり。
僕の手から、彼女の手へ。袋がするりと移動する。
そして。
ぎゅ。
「母なる海よ、父なる空よ……」
「……」
……。
綺麗だな。
大切そうに袋を抱く、先輩の姿はまるで。それこそまるで、壁画に描かれる天使のように美しく。
僕はつい、不躾にも見惚れてしまった。
「明かされた秘密?」
「……へ? あ、はい! 勿論です、ぜひ見てください」
丁重に。彼女の細い指が入口へと伸びる。
そこから出てきたものは……。
「……時を刻む印、堅牢なる棺?」
「はい。その、さっき先輩が、えと、本を見せてくれましたよね? だから、これがあった方がいいかなと」
「……ヴィーナス」
出てきたのは、深い藍色のブックカバーと、クラゲが映る海を模した栞。
どうしてこれを選んだのかを言語化するのは正直難しい。言ってしまえば直感だし、必死に考えた末の答えとも言える。
とにかく先輩に喜んでもらうことだけを考えていた。
その結果が、これだったというわけだ。
「着せ替えドールズ」
「あ、いえ、別に僕のやつじゃなくても……」
「クイーンオーダー」
「は、はい」
ずい。
強めの懇願。
仕方なしにいそいそと、包装を剥がしたブックカバーをあの本に取り付ける。
……これでよし。
表紙は見えなくなっちゃうけど、傷ついてボロボロになるよりいいはずだ。サイズも問題なさそうかな。
ええと、それじゃあ。
「ど、どうぞ……?」
「十字切り」
「……」
「……」
う、うーん。何だか気恥ずかしいぞ。
ていうか先輩も、そんなにじっくり見なくていいんですよ。カバーを優しく擦ったり、抱きしめたり。何か凄く恥ずかしいのですが。
いや、嬉しいんだけどね?
邪険にされるより、よっぽどいいんだけど……。
「……あ、あー、その。……あっ、もうこんな時間ですね! いやぁ、時間が過ぎるのは早いなぁ」
「……箱から飛び出る道化師」
「あはは、先輩もそうですか? ……うん、ほんと、あっという間でした」
「……」
やや強引に、というか大分不自然に話題を変える。
まあ時間が迫ってるのは事実だ。ずっとこうしているわけにもいかない。まして、僕らはただの先輩後輩の関係。
僕は先輩に恩返しを。そして先輩はそれを受け取った。
お互いに特別な感情はなく、ただそれだけの。
極めてそれだけの話。
体の向きを変え、先輩に口を開いた。
「……それじゃあ、そろそろ帰りますか」
「……」
「先輩?」
「……」
少しして、先輩が頷く。心なしかいつもより動きが、こう、ぎこちない。
無表情ではある。でも、どこか、何か。
……お互いに特別な感情はない。少なくとも、僕はそうだと思っている。
「……」
「……」
なら、先輩は?
「……ナンセンスだな」
「……?」
「ああいえ、ちょっと自己嫌悪を。段々空も暗くなってきました。さあ、もう帰りましょう」
「……難解迷路」
渋々、といった様子の先輩に思わず苦笑する。
やはり彼女は感情豊かな人だ。何を考えているのか分からないし、そもそも人かも怪しいけれど。
だってさ、普通に考えてだよ?
虹色に光る髪の毛と、螺旋を描く瞳だからね?
もう染めるとか、コンタクトとかのレベルじゃないよ絶対。加えて店員さんとの一幕だし。
でも、人だ。
「……そう言えば、言い忘れてました」
「ニーナ?」
いろいろ考えたけどさ。
横並びに歩く先輩は。
不思議そうに首を傾げる先輩は。
僕の贈り物を、大切そうに持っている先輩は。
「今日はありがとうございました。僕も先輩と一緒に買い物ができて、凄く嬉しかったです」
「――」
無表情。
だけれど少し、びっくりした顔。ちょっぴり頬に赤みがさして。
ふふ。
ふふふ。やっぱり、いい人だなぁ。
帰り道を歩く。
夕焼けが道路を照らし、反射した景色が寂寥感を誘う。電線に停まったカラスが、かぁかぁと鳴いている。横を通り過ぎる車の音が、やけに静かだった。
いつもと違った帰り道。朝に見た映像の逆再生。
何だかとても、懐かしい。
「……ふん、ふ、ふーん、ふーん」
今日の僕は鼻歌も歌っちゃう。
こんなに爽快な気分はいつぶりだろうか。軽やかな足取りで道を行く。
あの後、僕らは駅で別れた。何でも、先輩は駅を使わずに来たらしい。意外と家が近いのだろうか? それとも親御さんが迎えに来て?
もしかしたら、ワープみたいな超能力だったり……。
「はは、まさかね」
愚かな発想を一笑に付す。
いや、正直その可能性は結構あると思う。でもまあ、何だ。そもそも、そんなことを考える必要がないというか。
先輩が超能力を使えようが、使えまいが関係ない。それは本質的な問題じゃない。
先輩はいい人だ。だから僕は、あの人と二人だけの部活に臨む。
「うん、それでいいや」
喉に刺さった小骨が取れたような、長年苦労した研究が解明したような。
すっきりとした気分。
僕は先輩のことを全然知らない。けれどそれを、無理に理解する必要はなかったんだ。
仲良くなるために、仲良くなろうとするのは間違いだ。
接していればいつの間にか、なっている。友達ってそんなもの。
どうして忘れていたんだろう。
こんな基本的なこと、ずっと前から知っていたのにね。
「……早く学校始まらないかな」
うーん、我ながら浮足立っている。
変な感じだ。すっきり爽快なのに、そわそわ落ち着かない。まるで遠足を待つ子供みたいだ。恥ずかしい。
僕は何となく気まずくなって、周りを見渡した。
すると。
「わ、懐かしい」
視線の先には公園があった。錆びれた鉄棒と、くたくたのタイヤ。夏の滑り台がめっちゃ熱かったことを覚えている。
次にボール遊びをしている子供たちを見て、頬が緩んだ。楽しそうで何よりである。
しかし本当に懐かしい。僕も昔は、あんな風に遊んだっけ。一人だったけど。
あれ、でも行きはなかったような……?
「ってそうだ、おばあさん」
緊張してて頭から抜けていた。
あのおばあさん、大丈夫だったかな。荷物も重そうだったし。ちゃんと着けていればいいんだけど。
まあ、あそこから行けば後は簡単な道だけだし。十五分くらいで着くから大丈夫……か?
「……う、うーん」
心配だ。
電話番号聞いておけばよかったな。ていうか最後まで送るべきだった? いやでも、時間ぎりぎりだったし……。
「あー、もう、そういうところだぞ。うじうじ悩んで、情けない」
頭を振って叱咤する。振りすぎて通行人に変な目で見られた。恥ずい。
……まったく、大体お前は――。
ぽん。
「――」
ぽん。
「――」
ぽん。
ボールが跳ねている。
無邪気な男の子が、楽しそうに追いかけている。
道路に出た。
「きゃ――」
誰かが悲鳴を上げた。
大丈夫。
何とかするから。
「――ぁあっ!!」
キィィィイイイイイ。
ブレーキの不協和音が鳴り響く。最悪の結末が手を招く。死神が笑っている。
それより早く、僕は駆け出した。
景色が過ぎて。
時間がゆっくりになって。
……無理、か。
「ぁぅ」
どん。
男の子を突き飛ばす。
ごめんよ。痛かったろうに。
「……」
ごめん。
ごめん。
お父さん、お母さん。
馬鹿な息子で、ごめん。親孝行できなくて、ごめん。
……先輩も。
ごめんな、さ――。
ドン!
グシャ。
ドチャ。
グリ。
ギチチチチチ。
カチュ。
……。
「……」
……。
「……」
……。
『……』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます