五話 『――』と先輩は言った


 少し遠くてもいいから、先にアクセサリーショップに行こうという先輩の返事を聞いて。

 僕はすっかり有頂天。これでようやく先輩に恩返しができるかもしれないぞ。やったー。

 そんなウキウキワクワクな状態で、店に訪れたまではよかったが。


「わあ、高ぁい……」

「パープルバブル」


 今、目の前にしているのは綺麗な首飾り。店のライトが当たって煌めいていた。あら、なんて素敵なのかしらと顔が綻び。

 値札を見て真顔になった現在。見間違いでなければ、ゼロが五つと数字が二桁はある。

 やばい、アクセサリーショップ舐めてた。自分の常識のなさに辟易とした。

 これが引きこもりの弊害か……。


「少しお待ちを」

「シール」


 先輩に見えないよう、財布を確認する。

 そこにはかつての偉人が数名ウインクしていた。すごい、全然頼りにならない。

 ざっと辺りを見渡した。

 どこもかしこもキラキラしていて、眩しかった。ついでに値札も長かった。

 

「……」

「……」


 僕たちは無言で見つめあう。

 先輩の睫毛長いなぁ、美人だなぁ、とかを考えながら。僕は一つ頷いた。


「今から銀行に行ってきます」

「特急地獄行き列車」


 ATMへダッシュをかまそうとしたところを止められた。聞くに先輩は、そこまでアクセサリーに興味がないらしい。

 うーん、残念である。

 


 ということで、次に訪れたのはお洋服屋さん。

 店の前には見知った店名が主張激しく掲げられている。まあ見知ったといっても、実際に来たことはないけど。

 CMとかで名前は知っている有名な店、ってやつである。

 

「わぁ、なんかいっぱいありますねぇ」

「ガーデンカーテン」

「すごい、こう、ヒラヒラしてますねぇ」

「クイッククリック」


 服屋に来て、自分でもこの感想はどうかと思う。

 語彙の少なさが顕著に出ていた。


「……」

「……」


 ……沈黙! 

 会話終了! 僕の馬鹿!

 ちらりと横目で先輩を見る。完璧な無表情だった。泣きそう。

 女の人って、可愛らしいお洋服とか好きなんじゃないの……?

 分からないことばかりだなぁ。恥ずかしいや。

 もっと勉強してくればよかったなぁ。


「あのぉ、お客様?」

「ひゃいっ!? あ、は、はい。何でしょうか」

「先程からお困りのご様子でしたのでぇ、何かお力になればとぉ、お声をかけましたが〜」

「す、すみません、その、えと……」


「……」


 二回三回、視線を泳がせる。

 どうしようか。正直、有難い申し出ではある。僕なんかが服の善し悪しを理解できるとも思えないし。

 けど、でも、うむぅ。先輩のお礼として、それはどうなんだろう。人に頼るのは、うーん。


 ……いやいや、何様のつもりなんだ僕は。

 僕の下らない拘りよりも、先輩が喜んでくれることの方が、よっぽど大事だろうに。

 ここは素直に力を借りよう。

 それでいいはずだ。きっと、そのはずだ。


「……あの、先ぱ、えと、彼女の服を探していまして。何かおすすめがあれば、聞きたいんですが……」

「まぁ、もしかしてプレゼントですかぁ?」

「は、はい」

「まぁまぁっ! それは大変よろしいですねぇ〜」

「あ、ありがとうございます……? あはは……」


「……」


 ニコニコと店員さんは笑う。

 なんか、ほわほわした人だなぁ。人が良さそうというか、朗らかというか。周りに花が咲いている様子を幻視するような、そんな人だ。

 思わず此方も顔が綻ぶ。

 気付けば緊張は消えていた。これも彼女の人徳が為せる技だろうか。

 

「それではぁ、私も気合を入れて~おすすめしますねぇ」

「すみません、よろしくお願いします」

「はいはぁ~い」


「……フルプール」


 ほわほわとした返事をして、店員さんがふよふよ去っていく。

 なんて頼もしい背中だろう。なんかこう、安心感が違う。彼女に任せれば世界とか救えるのではなかろうか。感激だな……。

 そんな風に、心の中で最敬礼をしていると。


 くい、くい。


「ん?」

「……」

「あれ……せ、先輩? ど、どうしましたか?」

「……」

「え、ええっと……?」


 無言で服の裾を引っ張られたとき、どう反応すれば正解なのか。

 ていうか先輩怒ってる? どうして? 何かやらかしたっけ? いや、きっとそうなのだ。僕の馬鹿野郎、早く謝らなきゃ。でも何に?

 頭の中の小さい小戸森、小小戸森達が急いで原因を探し始める。転んで、踏まれて、もみくちゃになって。

 そして、見つけ出した答えは……。


「……ぁ、す、すみません! 何も聞かず、勝手に話を進めちゃって。その、本当にすみません!」

「……」


 必死に頭を下げる。

 少し考えれば分かることだった。僕は彼女に恩返しをするため、ここに来たのに。その当人を放っておくなんて、最低だ。最悪だ。

 結局、僕は最初から最後まで自分のことしか考えていなかった。

 先輩ではなく、先輩のお礼を優先してしまっている。恩を返したいという、独りよがりの感情を。

 くそったれ。

 ちくしょう。

 申し訳ない。恥ずかしい。申し訳ない。


「……かくして狭間よ」

「……っ、でもっ」

「滴る帳、歌う朝霧」

「……はい、分かりました」


 ゆっくりと、頭を上げる。彼女の瞳がよく見えた。この世のものとは思えぬほど、それは美しかった。

 そのままに僕は言葉を待つ。 

 目を見て話したいと、彼女は言ったから……。


「狐の宴、狸の喝采、鼠の裏切り」

「はい、はい……」

「溶けた翼、迷宮の縄、勇気の鏡」

「え? そ、それはっ」


 ずいっ、と螺旋が近づく。一切の淀みなく、機械的に渦を巻いて。

 解けた。


「姫の生首」


「……は、い」


 辛うじて、頷く。喉が渇いていた。口から出た言葉は、酷いものだった。


「……」

「……」


 心苦しい。

 それは眼前の彼女に対する思いであり、これから行う非礼の被害者に対するものでもあった。

 全ての責任は僕にある。だから、今感じている苦しみは正当な罰だ。

 だが、あの人は。完全な善意で手助けしてくれた、あの人は違う。酷いとばっちりだ。全部、僕のせいだ。

 手が痛むほど握りしめる。

 やがて聞こえてきた軽やかな足音に、僕は動くこともできず、ただただ俯いた。


「ふぅ、ふぅ、すみませ~ん。探すのに手間取っちゃってぇ」

「……あの、僕ら、その……」

「ちょぉっと待ってくださいねぇ~。この中だとぉ、うーんとぉ」

「……あ、あのっ、僕らやっぱり」


 奥歯を噛み締め、意を決して口を開き。


「あ、これなんかおすすめですよぉ? 涼しげでぇ、彼女さんのにぴったりだと思いますぅ」


「……ぇ?」


 間の抜けた、情けない声が漏れた。僕の声だった。頭の中が真っ白になる。

 真っ白のそこで、言葉が漂い。彷徨い。

 次第に解けていく。

 そして、僕は。


「先、ぱ……い」


「……」



 螺旋が、此方を、見ていた。



「……? ええとぉ、お客様ぁ? いかがなされ――」

『――』

「せ、先輩っ?」


 分からなかった。今、なんて……。


「――……」


「……え、ちょっ、店員さん!?」


 瞬間、店員さんの首ががくりと落ちる。まるで電池が切れた玩具のように。

 物言わなくなる。


「店員さんっ、大丈夫ですかっ? 店員さん!」

「……」


 返答はない。

 服を持ち続け、また立っていることから気絶していないとは思うが。いや、本当にそうなのか? 僕に専門的な医療知識はない。もしかすると、この人に何かが……!


「せ、先輩! きゅ、救急車、いえ、まずは大人の人を呼んで……っ」

「姉もねアネモネ」

「……は?」


 せん、ぱい?


「……な、何を、言って……」

「回転ゴーランド?」

「え? いや、駄目とか、そんな」


 そんな。


「……っ、そんな話をしてる場合ですかっ!? もしかしたら命に係わるかもしれないんですよっ? は、早く誰かを……!」

「地獄エデン門」

「……だ、大丈夫って……どうして、そんな……」


 そんなことが、分かるんですか……?

 半ば放心状態になっていると、不意に視界の隅で動くものがあった。

 それは布であり、見覚えのあるものであり、美しいものである。ゆっくりと伸ばされるそれを、僕は見ることしかできなかった。

 そして。


 ぎゅっ。


「ぁ、ぅ……」

「……」


 普段は袖に隠された、先輩の細い指が絡まる。僕の指と先輩の指が、溶け合うようにぴったりとくっつく。

 訳が分からなかった。今この状況も、先輩の意図も、先ほどの言葉も。

 途方もない不理解が、僕の頭を包んでいた。


 ……いや、一つだけ、あるか。

 分かること。

 それは、彼女が――。

 

「沈みゆく月、走れ若人」

「……分かり、ました……」


 望まれている。ならば僕は、応えなければならない。

 先輩は大丈夫だと言った。故にそれを疑うのは、彼女を疑うに等しい行為だ。

 先輩を信じろ。先輩に恩返しをしろ。

 だから、だから……。


「……行き、ましょう、か」

「隠された猫の臍繰り」


 ちらちらと、動かなくなった店員さんに視線を送りながら。自らの酷い欺瞞を悔やみながら。

 離れぬよう手を繋いで、僕たちは再び歩き出した……。

 












「……あらぁ? 私、何をしてたのかしらぁ。それに、この服もぉ。……う~ん」

「すみませーん、ちょっといいですかー?」

「ああ、はぁ~い。今行きます~」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る