四話 「爆発滅殺アリエンティーノ」と先輩は言った
「よっこいしょ、っと」
休日の朝に出かけるのは、何だかんだ久しぶりな気がする。
別にインドア気質というわけでもない。ただ単純に、外に出歩く口実がなかっただけで。
僕には遊ぶ友達がいないし、これといった趣味もない。
加えて、病気寸前のお節介である。この前は落ちたハンカチを渡しに隣町まで行く羽目になった。その更に前は、お婆さんの道案内で半日付き合ったっけ。
まぁ、そんなわけで、僕は外出に若干の苦手意識があったのだが。
「じゃあ行ってきます」
「はーい、気を付けて行くのよー」
「分かってるー」
母に返事をしながら靴を履き、つま先を数度叩く。こんこんと音が鳴り、足全体がフィットした感触を覚えた。
「ハンカチ持ったー?」
「持ったー」
「夕飯までには帰りなさいよー」
「はーい」
「困ってそうだからって、危ないことしちゃだめよー」
「分かったー」
「あと財布とスマホと救急セットと予備のハンカチと……」
「いや長いよ」
部屋から聞こえてくる母の声にツッコミを入れる。行ってきますと言った後の応答とは思えなかった。
普通、気を付けてとハンカチくらいでしょ。有難いけども。
ガチャ。
「はい、じゃあ、ほんとに行ってくるよー」
「いってらっしゃーい。あ、そういえばアンタ日焼け止め――」
バタン。
うむ、本日は快晴なり。澄み切った空と淡い雲。
誰かと出かけるのにはぴったりな日である。本当に、これ以上ないほど。
「……よし」
約束の土曜日。
僕は僅かな期待と不安を胸に、硬いアスファルトへ足を踏み出した。
「あ、おばあさん。その荷物持ちますよ」
「ふぅ、ふぅ……おやぁ、いいのかい?」
「勿論ですよ! 任せてください!」
「ふふふ、頼もしいねぇ」
「あはは!」
「ふふふ」
あはは。あはははは……。
遅れたら土下座しよう、絶対に。
「つ、着いた……ギリギリ、セーフ」
電車で三十分。
急ぎ足で着いたのは大型ショッピングモールである。時計を見れば、約束の時間まであと十五分はあった。
念のため早く家を出ていてよかった。いやほんと、ほんっとよかった。二時間前の自分に賞賛のビンタを与えたい。
おばあさんはあれからちゃんと着いたかな。
お孫さん、喜んでくれたらいいな……。
「ってそれどころじゃない。ええと、先輩先輩」
ううむ、流石に休日は人が多いなぁ。
一応西の入り口付近で集合とは言ってあるけども。正直、不安だ。彼女のサムズアップはどこか信用できないところがある。
というわけで。
情けないが、文明の力を頼ることにしよう。
どうか出てください、先輩……っ。
プル。ガチャ。
『アンダーアンダー』
「はっや!?」
ワンコール未満だったぞ絶対……!? もう出待ちしてるレベルだろこれ。
『……?』
「あ、すみません、今着きました。もしかして、もういらっしゃいます?」
『三角ティッシュ』
「ああぁ、ほんとすみません。待たせちゃいましたかね。すぐに行きます! ええと、先輩は今……」
『隅々見ず水』
「オッケーです! ではっ」
ピッ。
電話を切り、足を進める。
幸いここから入口まではそう距離もない。数分で着くだろう。
過ぎていく景色を横目に流しつつ、淡い期待を膨らませた。
「……先輩の休日」
いつも不思議な先輩。霞川先輩。
ミステリアスで、髪と目が虹色の先輩。お人形のように、可憐な先輩。
その先輩が、休日に待っている。
一体どんな服装なのだろう。やはり不思議系なのだろうか。それとも、意外に清純系だったりして。これを機に、少しでも先輩のことを知れたらいいが。
入口が見えてくる。
ああ、先輩。見せてください、貴女の秘密を。
先輩。
ああ、先輩……!
「先輩……!!」
「ソニックボーイ」
「先輩、先輩ぃ……!!」
「……?」
貴女って人は……! そんな……! どこまで……!
どこまで……!
「いいですけど……! お好きなように、すればいいですけど……!」
「??」
「休日に、制服て……!」
全僕が泣いた。
目の前にはぶかぶかの制服を着た、全くいつも通りの先輩がいた。虹色に輝く髪が太陽に照らされ、何とも眩しい。
今日も今日とて、先輩は先輩だった。
そう思うと少しだけ誇らしくて、僕は鼻の下を照れ臭そうにさすった。
「ねじねじボンバー」
「あ、いえ、別に頭がおかしくなったわけではなく。ただちょっと世界の残酷さに打ちひしがれまして」
「爆発滅殺アリエンティーノ」
「いえ、頭がおかしくなったわけではありません」
いかん。テンションが上がって情緒が壊れている。
何せ友人と出かけるとか本当に久しぶりで。しかもちゃんとした、買い物という素晴らしく健全な内容である。こんなん、はしゃがない方がどうかしている。
神に感謝を。
先輩の私服姿を拝めなかったのは残念だったけど、元より目的はお礼なのだ。しっかりしろよ、小戸森詩温。
履き違うな。勘違いするな。戒めよ、戒めよ。
「……ふふ、何だか安心しました」
「?」
浮ついた心を押さえつける。
うん、問題ない。いつも通りの僕だ。
にへらと笑って、謝罪した。
「僕、実は今日すごい緊張してて。だからかな、変なこと言っちゃいましたよね。すみません、もう大丈夫です」
「……」
「最初はどこに行きましょうか? 何か先輩の希望があれば、そこにしますが」
「旅人によるかく語りき」
「……うーん、じゃあまずは無難に、アクセサリーを見てみましょうか。もしかしたら気に入るものがあるかもしれませんし」
「ロックサーフィン」
「はい、お任せください。不肖小戸森、全力を尽くします!」
僕は、先輩が何かを欲する姿を見たことがない。
知っているのは部室の中で、僕が本を読んでいる様を見つめていることだけ。その間は話さないし、動きもしない。
ただじっと、僕を見つめている。
正直居心地が悪いなんてものじゃないが、毎回のごとく本を紹介されると、どうも弱い。内容がちゃんと面白いのも一役買っていた。
僕は先輩を、知らないままだった。
「では行きましょうか。って言っても、僕もほとんど来たことないので、案内なんてできませんけど」
「兎の居眠り」
「……そうですね。折角、早く来たんですもんね」
先輩。
先輩。
貴女はどうして、僕を部活に誘ってくれたんですか。
どうしていつも、僕に本を紹介してくれるんですか。
どうしてずっと、僕だけを見つめているんですか。
どうして。
どうして。
どうして皆は、貴女のことを――。
「あっ、あそこに案内掲示板がありますよ! よかったぁ」
「エアコンブレス」
かくして、僕と彼女は歩き出す。
すれ違う人々はこちらを一瞥もせずに過ぎていく。当たり前のことなのかもしれない。他人なんて、そんなものだから。
分かっている。でも、どうしても。
心の端っこに僅かな疑念が生まれてしまうのだ。
虹色の瞳。七色の髪。あまりに整いすぎた、神秘とすら思わせる美貌。反対してだぼだぼな制服。
そんな彼女を、一切の興味なく。好奇心なく、通り過ぎるなど。
本当に可能なのだろうか。
待ち合わせの場所で彼女は待っていた。
ただ一人で、孤独に。誰の視線すら集めずに。誰かの興味すら当てはまらずに。まるで、存在を忘れられたかのように。
その不思議な姫は佇んでいた。
「うわわ、ちょっと遠いですね。どうします? こっちからだと服屋さんの方が近いですけど」
「指組みポーズ」
「ん、分かりました」
エスカレーターに乗る。
景色が上から下へと降ってくる。目的地に変更はなく、滞りもない。
僕たちを邪魔するものは何もない。
順調な計画。変わらぬ放課後。いつも通りの日常。二人だけの感想会。
夕焼けが部室を茜色に染めて、ぺらりと紙が捲れた。
「何か欲しいものがあれば、いいですね」
「玉手箱の本質」
僕にはそれが、少し切なく思えた。
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