三話 「……ジャスミンが終わるまで」と先輩は言った
「先輩ってSFが好きなんですか?」
「……?」
季節は夏。
蝉の声と太陽の光が自己主張を強め、日々喧噪な宴を開いているこの頃。
不意にそんなことが気になって。
僕は奇怪な姿をした宇宙人が写る本の表紙を見ながら、先輩に問うた。
「シュークリーム爆弾?」
「あ、別に深い意味はなくて。ただ、先輩が紹介してくれる本ってこういうのが多いでしょう? だから好きなのかなぁ、と」
「……」
恋愛もの、戦闘もの、友情もの。
先輩が紹介してくれた本は様々なジャンルではあるものの、その中には必ずと言っていいほど宇宙人が登場していた。
頭が四つの単眼エイリアンとか。亡星の姫君とか。自分が早すぎるせいで止まれない宇宙マグロとか。いや、宇宙マグロは宇宙人と言っていいのか? まあとにかく。
彼女が持ってくる本では、そういう登場人物がやたら多いのだ。
故に彼女もきっと、SFが好きなのではないかと思ったのだが……。
「……座布団椅子」
「えっ、そうなんですか? ……あー、しまったなぁ」
「……?」
「あはは……すみません、何でもないです」
笑って誤魔化すも、心の内では大きな後悔が募っていた。
てっきり好きだから紹介してくれていたとばかり。酷い思い込みだ。恥ずかしい。
恥ずかしい。
不意になんて、嘘だった。本当は聞きたかったくせに、態と偶然を装って。汚らわしい。恥ずかしい。
カバンから出しかけていたそれを仕舞い込む。
愚か者に相応しい天罰であった。残念だが、これは自分用に……。
「五連ショルダータックル」
「え? いや、でも」
「七連ショルダータックル」
「ふ、増えた……。しかしですね。流石にこれは……」
ずい。
彼女の冗談みたいに整った顔が近づいて。
「十連……」
「わ、分かりました! 分かりましたから!」
両手を上げ、降参の意を示す。
危ない。もう少し続いていたら確実に死んでいた。十連はまずい。
情けなく悲鳴を上げる姿に納得したのか、彼女は椅子へ腰を下ろす。
しかし依然として眼力は衰えず。
結局僕は、それを取り出すことになった。全く、顔から火が出る思いである。
ことん。
「……? イヤホンハイジャック?」
「あの、えーと、ですね。これは……その」
置いたのは、一冊の本。
表紙には高校生くらいの男子の姿があり、対には女の子の姿が描かれている。
これならば普通の恋愛小説だが……。
「先輩がこの前貸してくれた本が、凄く面白くて。僕、感動したんです、本当に。あ、今までの本も面白かったですよ? でも、あれは特別読み耽っちゃって……」
「……」
「だからという訳ではないのですが……いや、という訳なんですが……もっとこう、色々あって」
「……」
その女の子は、体から触手を生やしていた。
緑色のうねうねしているやつ。それが妙に心惹かれて、気付けば購入していた。
単純に気になったからというのはある。
でも、僕はそれだけじゃなくて。
本当は。
「い、今までのお礼がしたくて。先輩に……読んでほしくて、買いました」
「――」
稚拙な行動だった。
前々からそうしようと、愚かにも描いていた理想だった。
読んだ本が面白かったからって、感動したからって。彼女も同じように感動を感じてほしいなどと。純情な小学生じゃあるまいに。
しかも特にSF好きなわけでもなかったし。馬鹿かよ、ほんと。
ああ、アクセサリーとかにしておけばなぁ、しまったなぁ。
馬鹿だなぁ、僕。
「だのに、ごめんなさい……好きな本じゃないのに、こんなの迷惑ですよね。ほんと、すみません。これ、持って帰」
「アンドロメダ」
「せ、先輩……?」
がしり。
彼女の細い手が、僕の手首を掴んでいる。
ていうか握り締められている。腕が全く動かない。
……あれ、先輩力強くない? それとも僕が弱いだけ?
「虎挟み」
「いえ、そんな、気を遣わなくても」
「移ろう資本主義社会」
「い、今好きになったから問題ない? それは……」
絶対嘘だ。
彼女が僕に気を遣っていることは明らかである。断るべきだ。
残された人間的良心があるなら、これ以上迷惑はかけぬべきだ。
しかし。
「……」
「……」
本心はともかくとして、読みたいというのに読ませぬのもまた、悪か。
天秤がカタンコトンと揺れ動き。結論を下した。
仕舞いかけた本を取り出す。ゆっくりと表紙を彼女の方へ向け、一言。
「先輩のおかげで、本を読む楽しさに気付けました。これはお礼にもなりませんが……どうか、貰ってくれますか?」
「一輪バイク」
「……ありがとうございます」
先輩は右手をサムズアップさせ、本を手に取る。そして美術館の展示物を見るかのように、しげしげと観察し始めた。
その手つきがあまりに慎重だったから、僕は思わず笑ってしまった。
「ふふ……」
「……? サンダー電気エレクトロン?」
「いえ、ふふ。気にしないでください、ふふふ」
「?」
相変わらず不思議な人だ。でもそれ以上に、優しい人だ。
思えば初め会った時からそうだった。ちょっと強引だったけど、嫌じゃなかった。
きっと彼女の心根が善良だからだろう。
幸運である。そういう人の傍にいられることは、とても幸せなことだった。
霞川廻という女性は優しかった。
「いか足コンセント」
「え、ここでですか?」
「メダカ?」
「だ、駄目というわけでは……」
「腹筋抜群ボディーブロー」
「あ、はい」
同時に悟る。
やはり僕は、優しい人間ではなかった。頼まれぬお節介ばかりして、何もかも空回る愚か者でしかない。
今回もそうだった。思いやった気になって、碌に成果を出せやしない。ばかりか、気遣われて。
『この、偽善者が……!』
思い出す、侮蔑の瞳。
あの子の言う通りだ。僕はずっと、いい気になってる偽善者だった。気持ち悪い、卑怯者だった。
「……」
「……」
それでも。
「……先輩」
「……?」
ぺらり、ぺらりと捲られる手を止める。
集中している彼女に声をかけるのは酷く申し訳なかった。けれど、今言わねばならぬ気がして。
僕は卑怯者で偽善者だ。加えてお節介の考え足らずだ。
でもそれは、彼女の恩返しを躊躇する理由にならなかった。
「今週の土曜、空いていますか?」
「殻殻たまご」
即答の肯定。
渦巻く虹色が僕を見つめている。場違いながら、綺麗だなと思った。本当に場違いだった。
気を取り直し。
「やはりお礼は今一度、改めてさせていただこうと思いまして」
「風船危機一髪」
「そういうわけにもいきません」
「……」
断固として言う。
返答はなく、無表情のまま。されど少し呆れ気味で。
言葉を待っていると理解した僕は続けた。
「ですので、その、今週の土曜。もしよかったらですが……」
一呼吸空け。
僕はなけなしの勇気を振り絞って、とある提案をした。
「一緒に、買い物へ行きませんか。先輩の欲しいものを買いに」
「……!」
どこかの本で、本人に欲しいプレゼントを聞くのはNGだと書かれていた気がする。
でもあれは恋人とかの話だったし。ただの先輩後輩である僕達ならば、寧ろそれくらいが安定なんだろう。
第一、推定の場合は痛い目に合ったしね。
まぁ断られたら、そのときは素直に諦めよう。
そんな意図を含めた提案だったが……さて、反応はいか、に?
「あれ、先輩? せんぱーい?」
「……」
ううむ、これは参ったぞ。ああ、参った。
昨日のそれしかり、先輩は時折フリーズしたかのように動かなくなる時がある。こうなったら中々動き出さないのは、経験で知っていた。
先輩の瞳が虚空を捉えている。
参ったなぁ、うーん。
「大丈夫ですかー、せんぱーい」
「……」
「……はぁ、結構勇気出したのになぁ」
「――?」
「ん?」
そのとき、僅かに先輩の体が揺らいで。
「……? ……!? ……!?!?」
「え、ちょ、先輩?」
ぎょっとした。
先輩が急に真顔で手足をじたばたし始めたのだ。せわしなく手を動かす姿は赤子のようにも見える。どこかおろおろとした雰囲気を纏って……。
って冷静に分析している場合か。
「先輩、先輩! どうしたんですかっ、一体何が……!」
「……!!?? ……!? ……!」
「すみません、全然分からないです……!」
何かを伝えようとしている。それは理解できるが、肝心の音がない。まさか、呼吸ができていないのでは?
焦りながら席を立って近づく。何らかの病気かもしれない。そう考えての行動だった。
最悪の場合は心臓に問題があることだが。
くそっ、無表情すぎて呼吸しているのか分かりずらい。こうなったら直接耳で確認を……。
「先輩、ちょっと失礼しますっ」
「~~!?!?」
顔を近づける。
すると先輩は口をパクパクとさせ、視線が彼方此方へ行った。やはり、呼吸困難なのか……!?
顔をさらに近づける。
そして……。
「緊急ダンス警報!」
「ぶへぇ!?」
僕の顔面に本が押し付けられた。
幸いそこまでの勢いはなく、どちらかというと驚きを含んだ悲鳴を僕は上げた。
重力に従って落ちる本。それをキャッチした時、先輩は既に入り口にいた。
何という俊足だろう。
そのまま彼女は走り去っていく……と思われたが。
体を反転。
くるり。
すたすた。
ばしゅっ。
そんな擬音が聞こえそうなほど強烈に、彼女は僕から本を取った。
手持ち無沙汰になった僕は困惑。言葉に出せたのは、ありきたりな疑問だけだった。
「……えーと、大丈夫ですか、先輩?」
「……」
こくりと頷かれる。
先程の様子から一変。彼女はどこまでも落ち着いている。いや、内面までもどうかは知らないけど。
とりあえず、表面上は落ち着いている。
しかし、これからどうしたものか。僕の発言によって彼女が動揺したのは間違いない。
であれば正解は、この提案を撤回することだろうが……。
「あの、せんぱ――」
「……ジャスミンが終わるまで」
「え?」
それを言い終えたが最後、彼女は消えてしまった。勿論比喩表現である。
ててて、と可愛らしく走り去る背中を見つめる。
僕は今言われた言葉の真意を考えていた。囁くように伝えらえた曖昧な理解を。
五秒、十秒。
考えに考えて、嘆息した。
「……やっぱり先輩って、不思議だ」
貴方と一緒にいたい。
これを提案の肯定としていいのか、僕にはまだ難しすぎた。
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