二話 「恰もそっくり三之助」と先輩は言った


 今日も今日とて部活へ赴く。

 足を踏み入れるは四号館。我らが読書感想部は、ここの三階にあった。

 地味に教室から遠いのが辛い点である。


「だからって、遅刻の言い訳にはならないんだけど……ね」


 甘えた心を引き締め直す。

 幸い今日は遅刻せずに済みそうだが、それは常識だ。

 遅刻をしない。

 こんな当たり前のことが、どうしてこうも難しいのだろう。

 いや、僕が気を付ければいいだけの話なんだけど。昨日とかを考えると、ほら、察するというか。

 もう病院とか行くしかないのかなぁ。


 そんな取り留めのない思考もそこそこに。

 目的地へ辿り着いた僕は、しかし立ち止まって。

 

「……すぅ、はぁ」


 扉の前で深呼吸を一往復。

 髪の乱れを僅かに直し、襟を正した。

 この瞬間はいつも緊張する。何せ彼女との会話は、その、何というか、個性的である。

 緊張するのも仕方がないというものだ。


「……うん」


 よし、決まった。行こう。


 ガラガラ。


「お疲れ様です、先輩。こんにちは」

「モンゴリアン腹式呼吸」

「どういうことだってばよ……」


 何だそれ。


 ……って、いかん。こんなのに一々突っ込んでたら正気じゃいられないぞ。

 平然だ、小戸森詩温。

 挨拶をしたってことは分かるんだから、それでいいじゃないか。何で分かるのか知らないけど。

 彼女との付き合い方なんて三日で理解しただろ?

 クールにイカれようぜベイベー。


「……?」

「ああいや、何でもありません。最近ちょっと暑いなって思って、あはは」

「粉砕骨折リング」

「……そうですよね! やっぱり暑くなりましたよね! そろそろ夏服かなぁ」


 カバンを椅子の横に下ろし、そのまま座る。

 対面には現実離れした美少女がいた。虹色に輝く、髪と瞳。

 世界の美を欲しいままにする彼女は今日も無表情だ。

 螺旋の虹彩が覗いている。

 何となく、僕は決まりが悪くなってしまって。不器用に話題を展開した。


「あ、そういえば。まだ昨日の感想会終わってなかったですよね。少し早いですけど、始めましょうか」

「膝栗毛」

「はい」


 了承を得たことだし、早速ノートを取り出す。

 思うに、昨日の僕はがむしゃらに喋りすぎていたように感じる。加え、遅刻したことも考えておらず。だから時間配分も間違えて、日を跨いでしまったのだ。

 そんな反省を含め、今日は秘策を用意した。


「電子ピアノクラッシャー?」

「え? ああ、これはですね。昨日ちょっと話がまとまってなかったので、一旦全部家で書いてきたんです」

「温暖湿潤気候」

「あはは、真面目だなんてそんな。書いたといっても、ほんと小学生みたいなもので」

「恰もそっくり三之助」


 ずいっ、と身を乗り出して先輩は口を開く。

 どうやら見てみたいらしい。それは構わないのだが……。


「は、はい、分かりました。分かりましたので、その、距離感を……」

「ヘルメット?」

「あわわ、だ、駄目です! 首傾げないで! 見えちゃいますからっ」

「?」


 決して、何がとは言わないが。

 先輩の着ている制服は明らかに彼女の体に合っておらず。有体に言えばぶかぶかなのだが。

 そのせいか、む、胸元辺りの防御力が乏しく。線の細い体も相まって。

 何がとは言わない。 

 言わないが、慎まし気な薄い肌色がアウトである。

 

 僕は顔を赤くして必死に目を逸らした。

 本棚にある無数のタイトルを見つめながら、彼女を諭す。


「い、いつも言ってるじゃないですか。先輩は、その、女の子なんですから。もう少し危機感というか何というか……」

「アイビー」

「んなっ!?」


 思わず、彼女の方へ向き直る。

 整った顔立ちは変わらず僕だけを見つめていた。僕もまた、彼女から目を離せなかった。

 時間が止まったような錯覚。

 停止した思考がそう感じさせるのだろうか。 


 ……貴方なら、いいと。見られても構わないと。

 そう、言われた気がする。

 彼女の細い指が、ゆっくりと制服へ伸びて。

 曖昧となった、その境界を崩落させようと……。


 きゅっ。

 

「……だとしても。やはり、見せるべきではありません。交際もしていない男女が、こんな」

「……」

「……手、いきなり握ってすみませんでした」

「……」


 柔らかな、酷く柔らかな感触が途切れる。

 それを名残惜しいと感じる、この浅ましさをどうしたものか。

 もっと彼女と触れ合いたい。そんな欲望を持ってしまうこの卑しさを、一体。

 僕はどうすればいいのだろう。

 一体どうすれば、僕は彼女を……。


「……」

「……」


 ……いや、今は考えるな。

 優先すべきは、そうじゃないはずだ。

 手から離れた温もりを想いつつ、やや強引に話を変えた。


「ええと、あはは。何だか、変な空気になっちゃいましたね」

「……」

「すみません。えーと、あ、そうだ、感想でしたよね。いやぁ昨日どこまで話したっけなぁ」

「……」


 ぱらぱらとページを捲る。

 書いたといっても、精々が数ページ程度のもの。時間稼ぎにもならない捜索を続け、該当する箇所を大げさに見つけた。


「おっ! あったあった。えー、確かヒロインが母星に帰るとこで終わったんでしたっけ?」

「……」

「……あー、先輩?」

「……」


 やばい。

 先ほどから応答がない。

 やばい。

 手を握ったのが不味かったか。キモいと思われたかもしれない。てか普通にセクハラじゃねこれ?

 ややばばい。

 混乱した思考のまま、恐る恐る顔を上げる。 

 彼女の反応次第で僕の人生が終わるが、果たしていかに。


「って、先輩? ほんとに大丈夫ですか?」

「……」


 いつもの無表情。そのはずだが、どこか違う。

 呆然というか、夢現というか。まあ普段もこんな感じだけれども。

 でも、今は明らかに違う。

 自分の手をじっと見ながら、ゆらゆらと揺れている。


 ……僕が握った、手をである。


「ああああああ、すみませんすみません。デリカシーにかける行いでした反省してますすみません申し訳ありませんんんん……!」

「……? 大根おろしスライダー?」

「あ、気付きました? じゃなくてっ、あの、ほんとすみませんでした。いきなりあんな接触行為を」

「回転焼肉定食」

「い、いやでも先輩、さっきまでじっと手を見つめて……」


 ぴくり、と彼女の肩が揺れて停止する。

 そして表情は変わらぬまま、顔だけを横に逸らし。

 ぽしょり。


「……完全武装少女」

「あ、はい」


 実際の所、僕は彼女の言葉を何となくで理解しているのだが。

 今のは完璧に伝わった。


 黙れ。喋るな。


 つまり、これ以上追及するなということらしい。

 でもちょっと勿体ないかも。こんな先輩の姿、滅多に見られな……。


「四輪新幹線」

「は、はいっ、直ちに朗読させていただきます!」


 謎の迫力に押され、僕は急いで口を開いた。

 無表情なのにどうしてこうも迫力があるのか。いや、無表情だからか?

 虹色に光る螺旋の瞳がじろりと睨む。

 さっきの態度が嘘みたいである。やはり僕のセクハラに怒っていたのか。

 

 僅かに、本当に微かに赤らんだ先輩の顔を見ながら、僕達の感想会は続いた……。

 













「……っと、まぁ僕からはこんなところです。すみません、長くなっちゃいました」

「ヴィーナスの生まれ故郷」

「はは、そう言ってもらえると助かります」


 パタン、とノートを閉じる。

 気付けば夕日が差し掛かり。

 茜色に染まる部室の中で、僕達二人の影がぼんやり伸びていた。


「……」

「……」


 心地よい沈黙が包む。

 穏やかで、なだらかな。冬に毛布を包まったみたいで、安心する。

 落ち着く。

 

「……何か、いいな」

「……?」

「や、何でもないです。ちょっと独り言を……」


 独り言は、僕の悪い癖ナンバー2である。

 思ったことをぺらぺら口走るものだから、今みたいに彼女を困らせてしまう。

 これも直さないとって思うんだけどなぁ。

 中々難しい。

 まあ、おいおい直していこう。


「……さて、と。じゃあそろそろ、帰りましょうか」

「ペットボトル爆発」

「……その、毎回思うんですけど。鍵返すの、別に僕でいいんですよ? そこまで教員室遠くないですし」

「走る因果応報」

「むぅ、先輩って意外と頑固ですよね」


 そう、理由は分からないが、何故か先輩は一人で鍵を返そうとするのだ。絶対に、断固として。

 本来なら後輩である僕がやるべきだと毎回説得するも、未だ成功した試しはない。

 ならばと一緒に行こうとすると、全然帰らないし。

 やっぱり、先輩は不思議だ。


「……じゃあ、お先に失礼します」


 ……時々、考えることがあるのだ。

 いつかもし、彼女の考えていることが全て分かったら。

 そのとき僕は、何を思うのだろうと。

 意味のない空想だと理解しているが、それはこびり付いて離れない。

 僕は、そんな日が来ることを待っているのか。

 それとも、恐れているのか。

 答えは出ない。

 だから今日も、取り敢えずの埋め合わせとして。


「二度漬け太陽」

「はい、また明日」


 僕と彼女は、再会を約束するのだ。


 いつか答えを見つける、その時まで。

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