七話 ぼくのことば
グラウンドを見つめていた。
外周を走る運動部。元気な掛け声。活き活きとした、入ったばかりの同級生たち。
僕はそれに混ざることなく、また声すらもかけることなく、ずっと見ていた。
部活動紹介であった部はこれで最後。
でも結局、勇気はでなかった。
パンフレットちらりと見つめ、ため息をつく。この先の生活が不安で仕方がなかった。
『……はぁ』
部活動一つすら上手く入れないのか、僕は。
いや別に、中学から帰宅部だったけども。いやいや、だからって青春の代名詞ともいえる高校の部活を早々に諦めるのもなぁ。
いやいやいや、そもそもお前、その性格を直してから考えろよ。部活仲間に迷惑かける気か。
いやいやいやいや……。
『……ま、いいか。母さんも無理して入らなくていいって言ってたし』
『バズーカ危機一髪?』
『え? ああ、はい。特に入りたい、というか僕が入っていい部活はなかったので、辞めようか、な、と……』
……ん?
『……』
『……』
無言で横を向く。
冗談みたいな美少女がいた。
てか、え、虹? 虹ってなんだよ。いやその髪、目、は?
……は?
『すみません、どちら様ですか?』
『……?』
首を傾げられる。おや、これは困った。大いに困った。
まさか貴女がそれをするのかい。うん、そりゃ困るよ僕は。困りますよ!
……ふぅ、落ち着け小戸森詩温。冷静になるんだ。
僕は貴女は誰ですかと聞いた。で、彼女は首を傾げた。これが意味することはつまり……。
『ええぇ……と、その、僕たちどこかで会いました?』
『……』
会ったかなぁ……? でもこんな綺麗で可愛らしい人、一度見たらそう簡単に忘れない気もするけど。
それに、虹色だもんなぁ。見たことないよ、髪と目が虹色の人。しかもなんか光ってるし。絶対普通じゃないよ……。
……んー、でも、何だろう。分かんないけど、何だかとても。
懐かしい、なぁ。
僕がそんな意味不明な感情に困惑する中、彼女は彼女でなにやら悩んでいた。
いや、悩むというか、無表情だけど。まるでスリープしたスマホみたいに、固まっていた。
しかしやがて、得心行ったとばかりに手を叩き。
『台風ドライバー』
『あ、はい、初めまして』
『猫ではない』
『霞川……廻さん? あ、僕は小戸森詩温といいます』
『ティッシュ争奪戦』
『はい、よろしくお願いします』
『……』
『……』
うん、納得がいかないな? ああそうだったねみたいな感じで自己紹介されて、それで終わり?
いや絶対なんかあるでしょ。変な間があったもん。
ていうか、ていうかだよ?
この人さっきから、何言ってんの?
『注文過多な迷宮』
『え、着いてきてってどこに……いやいや、何で僕も分かるの!? 怖い!?』
『……?』
『え、え、どうしてハテナ? これ霞川さんのせいじゃないの? 僕由来のあれなの……?』
まじか。
ちょ、ちょ、引っ張らないで。うそ、力強い、踏ん張れない……!
『蝋燭パーティ』
『ちょ、霞川さ、待っ』
あああぁぁぁぁぁ……。
『なに、見下してんだお前……!』
その視線を受けたとき、僕は己の失態に気づいた。
彼女はびしょ濡れで倒れていて。床には清掃用のバケツが転がっていた。遠ざかっていく足音が聞こえる。
僕がそうさせた。もうすぐ先生がここに来るからと、嘘を吐いた。
一応注意もした。返答はバケツの投擲だったけど。
『……見下してなんか、ないよ』
『はっ、じゃあ自己陶酔か? 自分より下のやつを助けた気になって、よがってんのか? あ?』
『……ごめん』
彼女が僕を睨みつける。焦げ茶色の中にある、侮蔑と嫌悪、そして僅かな……自己嫌悪。
寂しい目だと思った。同時に、申し訳ないとも。
彼女の言うとおりだ。
僕はただ、自分の欲望だけを満たすために行動した。
誰かを助けたい。それはなんて自分勝手で、上から目線なことだろう。
だから恥ずかしくなって、謝罪を口にした。
『……ちっ、気持ち悪ぃな、お前』
『……うん』
そうだね。
ほんと、気持ち悪い……。
『……ああ、もう!』
『?』
やや灰色がかった髪をがしがしと掻き、彼女は立ち上がる。
表情は怒りと……困惑? はて、彼女は何に戸惑っているのだろう。また僕のせいだろうか。
だったら、申し訳な……。
『その、悪かった』
『え……?』
思わず聞き返す。すると彼女は顔を赤くして、ぷいと顔を逸らしながら。
『だから! その、悪かったな……流石に、言い過ぎた』
『そ、そんな。だって僕は、僕は……』
『……ちっ。めんどくせぇなお前。男のくせになよなよしてんじゃねぇよ』
『う、ごめん……』
痛いところをつかれた。
優柔不断で臆病なのは、昔からの悪い癖だ。これも早く治せたらいいなぁ。でも正直、自信満々で勇敢な僕とか、全然想像つかないけど……。
『……はぁ。ったく、そういうところだぞ。ただでさえお前はひょろっちいんだから、せめて内面だけでも……って、なんだよその目は』
『ああいや、ごめん、なんでもないんだ。その、ちょっとびっくりして』
『あん?』
怪訝そうな目で見られる。
どうしよう、これ言えってことかな。でもなんでもないって言ったし。そもそも失礼……。
いや、こういうところが駄目なのか。
……よし。
『君って、凄く優しいんだね』
『……は?』
何言ってんだこいつ? みたいな目で見られた。死にたい。
『いやお前、どういう脳細胞してたらそんな馬鹿なこと……』
『だ、だって忠告してくれたし。それに、謝ってくれたし……別に君が悪いわけでも、ないのに』
『……』
『さっきの人たちは酷いこと言ってたけど。でも僕は、やっぱり……』
君があんな扱いをされて、いいはずがないと思う。
そう伝えると、彼女は少し目を見開いて、そのまま固まってしまった。
怒らせたかな? また上から目線だって、叱られるかな。
じゃあもういいや。いっそのこと、全部言ってしまおう。
僕は余罪を告白する罪人のように、口を開いた。
『だから、何かあれば言ってよ。頼ってよ。何にもできないかもしれないけど……今回みたいに、追い返すことぐらいはできるかもしれないから……』
『……お前、は』
彼女が、言いにくそうに顔を顰めて。
『……知ってるだろ、あの噂。なのに何でお前、こんなに私を……』
『え、噂?』
『……あん?』
何それ?
僕は首を傾げる。彼女も顔を傾げる。なんとも奇妙な絵面であった。
しっかし、噂、ウワサ、うわさ、ねぇ。
いやそもそも僕は、君が誰かも知らないのだけど。
『し、知らねぇのか、お前。まじで?』
『うーん。まあ僕、友達いないし』
『だ、だとしても普通、少しくらい聞こえてくるだろ……』
『いや盗み聞きはよくないでしょ』
『なんだこいつ』
理解し難いものを見るような目で見られる。流石に凹んだ。
『……じゃあお前、私の名前も知らねぇのか』
『うん、そうだね』
『……そうか』
沈黙が流れる。
そろそろ予冷が鳴る頃合いだ。昼休みも残りわずか。
なんとなく、お互いに分かれる雰囲気が漂って。
『……狼谷だ』
『え?』
『私の名前は、
ぶっきらぼうに言い放たれたそれ。
僕は思わず、嬉しくなってしまって。
『……僕は――』
……あれ?
なにか、おかしいな。
狼谷さんと僕って、こんな出会い方だっけ?
こんな、仲良しだったっけ。
記憶にある狼谷さんは、もっと僕に……。
ミーン、ミーン。
ミーン、ミーン。
山を登っている。理由はなんだっけ。
たしか、小野田くんが虫を飼いたいって言ってて。でも、お母さんが許してくれないからって。
そうだ、だからぼくは、代わりに捕まえるよって言ったんだ。よろこんでくれるといいなぁ。
ミーン、ミーン。
ミーン、ミーン。
『ふぅ、ふぅ……』
流れるあせを拭う。でも、拭いても拭いてもとまらない。
結局あせは流れるままに。
もっと奥に、ぼくは進んだ。
『……?』
それから、時間がたって。
もうだいぶ深いところまで来てしまって。なのに虫かごは空のまま。
おかしいなぁ。いつもなら沢山、木も虫もいるのに。すっかりさびしいや。
全部とられちゃったのかな。
そうやって、よそ見をしてたから。
『あぅっ』
ずる、どてん、ずざざざ。
森の斜面を転がり落ちる。体のあちこちが擦れて痛い。
服もぼろぼろになっちゃった。どうしよう、お母さんに怒られる。
『いててて……』
ぱんぱん、と服についた土やら葉っぱやらを落とす。上を見上げると、それなりの高さから転がったようだ。
これ、戻れるかなぁ。
違う道をさがしてみよう。視線を上から、周りにうつして。
『……?』
なんだろ、あれ。
ぷよぷよしてて、きらきらしてて。
それに、動いてる?
あれはなんだろう。
ううん、君は……。
『君は、誰……?』
虹色に光るそれが、ぷるりと揺れた。
ぼくは少しずつ近づく。
近づいて、近づいて。
……あれ?
僕は近づいて、どうしたんだっけ。僕はあの後、どうなったんだっけ。
思い出せない。
そもそも、なんで思い出してるんだろう。
こんな小さい頃の思い出、今まで一度も……。
あ、そうか。
僕、もうすぐ死ぬのか。
「か、ひゅ……ぁ、ぁ」
お腹が熱い。焼けるように、熱い。腕も、足も。体中が燃えているようだ。
呼吸すら一苦労。こりゃもう、だめかね。
「はっ、はっ、ぁ、ぁ……」
あの子は大丈夫かな。車の方も、無事だといいけど。分かんないや。せめて顔を動かせたらなぁ。
「ぁ……ぁ……」
あ、やばい。
なんかすごく、眠たい。周りが騒がしい気もするけど、これなら熟睡できそうだ。
ははは、寝ちゃだめだろって。小戸森、ジョーク……。
「ぅ、く……か、は」
……いやだなぁ。死にたく、ないなぁ。
ちくしょう。ちくしょう。
生まれ変わったら、今度はもっといい人間になってやる。
そしたら、みんなも、きっと……。
「……」
視界が閉じる。
暗闇の世界が覆い尽くす。
その端に、ふと。
虹色が、揺れた気がした。
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