もーいいよ。

びびっとな

本編

小学生の頃の話。

ある夕方のこと。


その日は塾をサボり友達の家で時間を潰していた。塾には友達の兄ちゃんに親のフリをして電話をかけてもらった。親にも連絡は行っていないはずだ。


「そろそろ帰るね。」「はいよ、また明日ね。」

塾が終わるより少し早い頃合いに、友達の家を出ることにした。塾に通っている奴らに見られたら、何を言われるか分からないからだ。


僕は、同じ塾に通う男子グループにいじめられていた。親に買ってもらった少年漫画のキャラクターが描かれた消しゴムを、リーダー格の奴に貸してあげなかったことが原因だった。


授業中に消しゴムのカスを投げつけられたり、すれ違いざまに突き飛ばされたり。些細なことだが、敵意を向けられているという事実はあまりにも重く、怖いことだった。


「舐められるからいじめられるんだ。お前はそうなるなよ。」

常々、父に言い聞かされていたことだ。いじめられているなんて口が裂けても言えなかった。ましてや、それが原因で塾をサボったなんてことも。



ガチャッ



外に出ると、7月のムワッとした風が顔を撫でる。少し甲高い、ニイニイゼミの声がした。



僕はたまに夕焼け空を眺めて、たまに小石を蹴ったりなんかしながらゆっくりと帰り道を進んだ。


すると、いつもの自販機が見えてきた。あの自販機が置いてある角を曲がり、もう一つ角を曲がると僕の家に着く。


近所に着いてホッとすると共に、塾をサボったことがバレないかという不安に押しつぶされそうになった。


どうして、こんなに悩まなくてはいけないんだろう。僕が何か悪いことをしただろうか。




もう、消えてしまいたい。

そう思った時だった。





「まーだだよ。」





それは、僕と同じ年頃の男の子の声だった。

辺りを見回すが誰もいない。

気のせいかと思い、歩を進めようとすると。


「まーだだよ。」


聞いてもいないのに、何がまだなのだろう。

色々と分からないことだらけだが、僕は反射的にこう答えた。





「もーいいかい。」




「まーだだよ。」




その時僕は、自分がルール違反をしていることに気付いた。

自分の目を隠さなくては。




僕は両手で目を覆い、もう一度聞いた。




「もーいいかい。」




「まーだだよ。」




ザッザッザッ




足音が聞こえた。こんなにハッキリと聞こえるなんて、なんというか間抜けだ。


足音の主は意外と近くにいるようだった。

一体どんな奴なんだろう。こっそり見てやろうと思った僕は、指の間に隙間を作り覗き見た。



視界の左端から、黒い影がちらついた。

もう少し…もう少しで…見える。


なんだかワクワクする。新しい友達になれるだろうか。

そんな僕の淡い期待をよそに、彼の姿がゆっくりと視界に入って来る。

その姿を見て、一気に血の気が引いた。



老人のように丸まった背中、ガリガリに痩せ細った手足。上半身は服を着ておらず、肋骨が浮き上がっているが腹だけは立派に大きく出ている。


目線を上げて顔の方を見ると、彼は般若の面を被っていた。当然ながらどんな顔なのかを見ることは出来ない。

しかし、ここは夕方の住宅街。その姿が如何に異様かは考えるまでもないことだった。





足音の主は、ゆっくりと視界の右端へと消えていく。





そして…





「もーいいよー。」





僕は両目を覆っていた手を離した。辺りを見回すと、もう一度「もーいいよー。」と聞こえて来た。




夕焼けの光が、自販機の裏手にしゃがんで隠れているであろう人影を照らし出している。

その人影が下を向き俯いているように見えて、僕は思わず彼を見つけてあげようと思った。


姿は変だが、彼はずっと一人ぼっちで寂しかったのではないだろうか。

だとしたら、遊び相手になってあげられるんじゃないだろうか。


僕は足音を立てないように、そっと自販機へと歩を進めた。


ゆっくり。ゆっくりと。


それにしても、かくれんぼが物凄く下手なんだな。友達がいなかったから、慣れていないのかな。

そう思うと、あの般若の面も滑稽に思えて来て笑いそうになってしまった。




見つけたら、次は彼が鬼だ。




そう、次は彼が…




鬼?




『彼を見つけたら【鬼】になってしまうのだろうか。』




僕は足を止め、彼の姿を思い出す。

肌色こそ赤や青ではなかった。しかし、彼の姿はまるで、鬼のなり損ないのようではなかったか。




僕は、何をしているんだ。




そう思った時、人影がゆらぁっと立ち上がるのが見えた。





「もーいいよ。」





もうダメだ。彼を見つけてしまう。

そうなったら彼は。彼は。





「たかあき。こんな所で何してるの。」





不意に後ろから声をかけられ、僕は身体を大きくビクッとさせて後ろを振り向いた。

そこには、買い物袋をぶら下げた母が立っていた。



「お母さん。お母さん。来ちゃダメだよ。そこに…」




そう言いながら自販機の方を見ると、人影はすっかり姿を消していたと言う。




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その後僕は母に塾をサボったこと、いじめを受けていることを正直に伝えた。すると、意外にもすんなりと塾を変えてくれた。


その後はいじめに遭うこともなく、真面目に塾通いを続けて中学受験にも合格することが出来た。




あのかくれんぼのことは、とうとう親に話すことはしなかった。あまりにも衝撃的で、話すことが出来なかったという方が正しいかもしれない。



あの時、母が通りかかっていなければ。どうなっていたのだろう。あの般若の面の下にはどんな顔が隠されていたのだろう。



彼はどうして僕を選んだのだろう。



あの時僕は「もう、消えてしまいたい」と思っていた。

先に「もーいいよ。」をしていたのは、僕の方だったのかもしれない。




彼は、鬼になれたのだろうか。

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もーいいよ。 びびっとな @bibittona87

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