第11話 僭主マンフリード
「財宝…ですって?財宝をくれてやろうと…そう言ってるの?」
最後の間に続く扉を開くと、大ホールの中央には、人の二倍ほどの高さまでに達する、金銀財宝が積まれていた。
暗黒の橋を渡り終えるまでに、二人の砂堀りたちまでもが犠牲になった。この迷宮での犠牲者は、ターラント、ウルバン、二人の町人、そして、ハルトマンの5人を数える。実に、半数近くの犠牲を出してしまったことになる。二人の町人は、守るべき善意の協力者たち。ハルトマンだって、アマーリエの騎士ではない。彼女の窮地に対し、助っ人を買って出てくれた恩人であった。あれ以来、アッシュは俯いたまま、何も語らない。
恩人…いや、そんな易い言葉で表現できるのだろうか…。
アマーリエはアインスクリンゲを抜くと、金貨の山に振り下ろした。
金貨と銀貨、黄金の杯、エメラルドの首飾り、ミスリル銀のティアラ…財宝たちがキラキラと輝きながら、大理石張りの床を転がった。
騎士たちは、彼女の後ろ姿を、ただ黙して見つめていた。
「おい、アマーリエ…退がれ…妙だ!退がれ!」
クルトが、注意を促した。
アマーリエも異変に気づいた。
財宝の山に輝きが失せ、やがてドロドロと溶け始めてゆく…。
「何…?幻影?」
『いや、猛毒で作ったイミテーションじゃよ』
アマーリエの耳の奥に、しわがれた声が響いた。
「誰…?」
「アマーリエ、どうした?」
クルトが訝しむ様子を見て、アマーリエは問い返した。
「聞こえない?…私だけ?」
クルトたちは、揃って首を捻った。
『全員に同時に語りかけておるが、波長が合わねば、言語の形を成さぬ。そういう仕様で、作られておるのじゃ』
溶け出した猛毒は、さまざまな色のマーブル模様を生みながら、床の継ぎ目の中に吸い込まれていく。
『財宝目当ての探検家には、用が無いでな。浮かれて飛び込んでおったら、命は無いところじゃった』
「大切な人たちを失ったわ。その対価は、きっとあなたでは、埋め合わせできない」
『命を賭け金とするのが、迷宮の試練じゃ。お前が国をつくるにも、明日まで命を永らえようとするにも、今この時、身体を動かしていることにでさえ、数多の命を消費している。お前の身体自体、数多の命の集合体なのだ』
アマーリエの視界が変化する。
暗い海中へと変わり、その中には不定形な生き物たちが、星のように漂う。
「…どういう、意味…私は、一人きりよ」
「アマーリエ、どうした。しっかりしろ」
霞を振り払うように足掻くアマーリエの身体を、クルトが後ろから支えた。
『ぬしの瞳で見える範囲では…と言う意味ではな。だが、人を喰らい同化する者にとっては、一人という概念は拡大されるであろう。その点では、魔導具も同じ』
「私の言葉を、煙に巻こうというつもり?」
『ぬしにも、いずれ盲が開ける時が来よう。ともあれ、迷宮の試練は達成された。ぬしに力を貸す事は藪坂では無い。神格化に向けて、精進するのだ。だが、慎重にな…ぬしの成長を阻害せぬよう、我は最低限の助力しかせぬからな…そういう風に仕込まれておるで…』
アマーリエの甲冑が音を立てて、地面の大理石タイルに落ちた。
留め具全てが、勝手に外れたことを理解するよりも前に、新たな甲冑が現れ、その身体を包み込んだ。
波打つ意匠が翼を表現し、白銀に輝く鋼は威厳に溢れる風格を放ち、アマーリエの白い肌とよく調和した。今まで装着していたオーダーメイドの甲冑よりもさらにフィットし、重さを意識させない。
「ミスリル銀のプレートですね。素晴らしい、おめでとうございます」
ロロ=ノアが、ぱちり、ぱちりと手を叩いて祝福する。
「なんと神々しい…アドルフィーナの再臨を目にするようで…」
フェアナンドが、感極まった視線を送る。
「アッシュ、ごめんなさい。この甲冑を持って帰れるかしら?」
アマーリエは足元の甲冑を、アッシュに託す。ミュラーが口を挟んだ。
「魔法の鎧なんだろ。そう簡単かに傷が付く代物じゃないよ」
「父からもらったの」
ミュラーは何かを言おうとして、アマーリエの顔に気付き、口をつぐんだ。
「うかないな…その魔法の甲冑と何かを話したのか?」
クルトが甲板を指で叩きながら、尋ねたが、アマーリエは静かに首を振った。
「奥に、扉があるわ。そこを開けると、城代の間よ。このまま、戦闘になる。みんな、準備して頂戴」
アマーリエ、クルト、ミュラー、ギレスブイグ、フェアナンドの五騎士と、ロロ=ノア、レオノール、アッシュの三人は、扉の前に並び立つ。
最後尾のアッシュが、控えめに声をかける。
「ハルトマン卿は、自らの意思でこの旅に同行したのです」
「…」
白銀に輝くアーメットを被ったアマーリエは、無言のまま動かない。
「俺も同じだ。だが、俺が死んだ時には…笑顔でありがとう、と言ってもらいたい」
アマーリエは、クルトを振り返った。
クルトはアーメットの中で光る、その瞳を見て、胸が痛むのを感じた。
「縁起の悪いことを言わないで頂戴…さぁ、騎士たちよ…戦いの時よ」
アマーリエは、両開きの扉を一気に押し広げた。
昼間の明かりを受けて、視界が白く染まる。
目の前に椅子の背もたれがあり、その先には降りの階段があった。
おそらくここは、キープの最上階にある大ホール。
階段の下には煩雑に机が置かれ、どこから持ち込んだものか、豊富な料理と酒を囲んで、20人ばかりの男たちがくつろいでいた。その中には、半裸の女たちまで混ざっている。
アマーリエには、その女たちの顔に見覚えがあった。パラペットの上に、腕を縛られて現れた女たちだ。しかし彼女らは、男どもに腕を絡ませながら、葡萄を摘みながら笑っている。
「おぃっ…」
男たちが、騎士に気づいた。
「何処から…待て、扉があるぞ!あんなん、あったか!?」
女たちは服を整えながら、部屋の片隅まで逃げていく。
膨らんだ肩に数本の切れ込みを施した、傭兵たちが好む貴族風の衣装を纏った男が、椅子に身を横たえながら、騎士たちを指差した。
「ノックもせずに入るとは、無礼な奴らだ」
鳥の骨を床に投げ捨て、マンフリードは男たちに合図を送る。
「クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエ」
白銀の女騎士の名乗りに、マンフリードは面倒臭そうに答えた。
「知ってるさ、すでに名乗りあったろう…マンフリードだ。どうやって、ここに来た?」
男たちは武器を抜き、階段の下に集結する。
アマーリエはアインスクリンゲを抜き放ち、神に宣誓した。
「我らアドルフィーナにこの戦さを捧ぐ。横隊にて前進」
騎士たちがアマーリエの左右に展開し、主人の歩調に合わせてゆっくりと大階段を降り始めた。マンフリードは慌てて立ち上がり、両手を振って訴えた。
「ちょっと、待て。どうして、俺たは戦うんだ?お前は、何の権利があって、俺の領土に足を踏み入れる?ここは、シュナイダー侯爵の土地、シュナイダー侯爵の砦だぞ!」
アマーリエは、冷めた瞳で眼下のマンフリードを見据えた。
「ここの何処に、その正当な世継ぎがいる?僭主マンフリードよ、観念するのなら、今、この瞬間が最期の機会と心得よ」
「待て、待て。そう剣呑な態度を取ることは無いだろう…ちょっと、考えさえて…」
マンフリードの表情が、邪悪なものへと一変した。
「…やっぱ、いいや。お前たちは、ここで死ね」
マンフリードは、横へずれた。背後から、フードを被った青白い肌の男が現れ、杖を突き出す。すでに呪文は完成していた。
『イフリートの息吹よっ!』
魔術師の杖から、一筋の炎が迸り、階段の上へと迫った。
アマーリエの甲冑が、紅に燃える炎を映し出す。
「舞いなさい、シルフたち」
ロロ=ノアの言葉と同時に、レオノールが何かを投じた。
突如として巻き起こった気流に、炎が巻き取られて軌道を変えた。天井すれすれにUターンして舞い戻る炎に、魔術師は慌てて呪文を唱えて対抗する。
『炎の加護を我らにっ』
男たちが身を屈めて慄く中、炎の乱流が掻き消さたように失せる。
カツンッ…。
消えた炎の中から、ダーツが出現し、魔術師の眉間に突き立った。
頭蓋を貫かれた魔術師は、悲鳴をあげて床を転がり回る。
「能ある鷹は、爪を隠すものですよ」
ロロ=ノアは涼しげに言い放った。
「騎士たちよ、蹂躙せよッ!」
アマーリエの号令で、騎士たちは一斉に階段を駆け降りた。
「皆殺しだッ!生かして帰すなッ!」
マンフリードが手下たちを鼓舞した。
二つの勢力は、階段上でぶつかり合う。
アマーリエの正面に、マーリアにヘルメット姿という完全武装の男が迫り、両手剣を振り上げた。
アマーリエはその軌道を読んで、正面からアインスクリンゲを撃ち下ろした。
パッと火花が散った。
男は頭上でかち合った大剣の勢いに押し負け、肩口にそれを喰らった。相殺された慣性は、マーリアを切り裂くほどの力は無い。アマーリエの剣を外へ押し除け、突きに転じようとしたが、今度は下腹に前蹴りを喰らう。後ろの者に支えられて、転落を免れたと思ったのも束の間、男のヘルメットはVの字に叩き割られた。
脳髄を撒く仲間を見て、後ろにいた別の男は、雄叫びを上げながらウォーハンマーを叩きつけた。アマーリエは一歩引いて、それを躱す。アマーリエの足元に一撃を叩きつけた男は、絶命して倒れ込んでくるマーリアの男に足元を邪魔されて、前のめった。その後頭部に、アマーリエの二撃目が振り下ろされた。
「阿呆どもが、退がれッ!人数はこっちが多いだろ!階段の下で囲みゃいいんだ!頭ぁ使え!」
マンフリードの怒声が耳に入った者たちが、階段を降りて距離を広げた。
アマーリエは状況を確認する。今の衝突で戦闘不能になった相手は三人。軽い怪我は二人。こちらの損害は軽微、脱落者なし。
騎士たちが階段を降り切ると、待ち切れないのか、再びマンフリードの手下たちが殺到した。
片手剣とバックラーを構えた細身の男が、突きを繰り出す。アマーリエはその突きの軌道を剣の腹で逸らし、逆に突き返しに掛かるが、男の動きはフェイントだった。伸びたアマーリエの剣を予測していた男は、バックラーと剣を使って外へ逸らす。そして、器用にバックラーを操り、アマーリエの大剣をロックしてしまった。突きの予備動作を察知したアマーリエは、前へ出てその剣を左手で掴み取る。股間をグリーヴで蹴り上げるが、男はそれを予測し、股を閉じてヒットを避けた。アマーリエは右手を剣から離すと、男の喉元を掴み、足を絡めて押し倒す。股間の蹴りを嫌った所為で体勢を崩した男は、足の自由を取り戻せずに、そのままアマーリエに押し倒された。
剣を奪いながら馬乗りになろうとするアマーリエの視界の隅に、倒れた男の背後から襲来する敵の姿が映る。追い討ちを諦めたアマーリエは、横転しながら敵の袈裟斬りを躱しつつ、大剣を拾った。掲げた大剣の十字鍔とリカッソの間に、敵の二の太刀を受ける。同時にその切先は、敵のヘルメットの隙間に滑り込み、頬の肉を抉っていた。
さらに、手首を返して、苦痛を与える。
頬を削がれた相手は、戦意を失って後退した。倒れていた男も、四つん這いのまま慌てて退がる。
アマーリエは、左右の騎士たちの様子を視界に収める。
クルトは、素早い太刀筋で、相手の手首を切り落としていた。
ミュラーは、盾で攻撃を受けながらチャンスを待ち、マーリアに守られていない相手の膝を突く。
ギレスブイグに魔法を使う素振りはなく、剣を絡めて相手の武器を奪い、足蹴にして体勢を崩してから袈裟斬りを浴びせる。
フェアナンドがいない。
振り返ると、ロロ=ノアとレオノールに守られながら、アッシュがフェアナンドを治療していた。
「具合は!?」
アマーリエの問いかけに、アッシュは目を閉じて念じたまま、短く答える。
「意識がッ…」
四つん這いで後退した男が、巨大な男に腹を蹴り上げられた。
2m越えの巨漢が、長い柄のついた金槌、モールを構える。毛皮の胴衣を纏い、陽に焼けた腕は肩から剥き出しで、まるで岩のように盛り上がっている。
「いい女だ。俺のもんになれ」
巨漢は、大きく発達し顎を歪め、大きな口でにんまりと笑みを作った。
「女を口説きたいなら、鏡を見て練習しなさい。汚い歯が丸見えよ、気持ち悪い」
「好かれようは、思っちゃねぇぜ」
アマーリエは、腰の位置に大剣をやや倒した状態で構える。
モールを両手に抱え、巨漢は悠然と足を踏み出す。
突きの間合いに入った。
男の肩の三角筋が盛り上がる。
「!」
ぶんッと唸りを上げて、モールが空を裂く。
アマーリエの足が、ぴくりと動いたが、踏み出せなかった。
柄を短く持った巨漢の一撃は、素早く手元に引き戻される。
「…」
アマーリエと巨漢の対決に、誰も割って来ようとしない。
大剣をゆっくりと持ち上げ、屋根の位置に構えを直す。
巨漢は笑みを浮かべながら、舌なめずりをした。両目は瞬きを忘れたかの様に、大きく開かれたまま。
袈裟斬りならば、まだ20cm…アマーリエは足をジワリと前に滑らす。
巨漢の肩の筋肉と、太い首元の筋が、ピクピクと痙攣する。
もう一回、アマーリエは躙り寄る。
アマーリエの頬が紅色に染まる一方、瞳は光を失い、若草色のクリスタル玉が入っているかの様に、感情の一切が消え失せる。
巨漢の肌に、じんわりと汗が浮き出し、背後からの窓の光を反射する。
巨漢は口をぽかんと開いた。
時間が止まる…。
「ひゅッ…」
アマーリエの鼻が、息を吸い込んだ。
空気を裂いて飛び出したアマーリエの身体に、鉄の塊が振り下ろされる。
必殺の一撃だ。
先に打撃を届かせた側が、相手の膂力を奪い、打撃の慣性を渾身の一撃へと変容させる技量を込めた、“最後の一押し“の力を消し去ることができる。だが、総重量4kgのアマーリエの剣に対し、巨漢の持つ巨大なモールの金槌の重量はヘッドだけでも5kgに達す。アマーリエの剣が先に巨漢を捉え、その最後の一押しの力を奪ったとしても…。
アマーリエの剣先は、振り下ろされなかった。
ハンマーヘッドの打点を紙一重で通り過ぎ、甲冑のボールドロンに柄が当たる。アマーリエの身体は、打撃を受けてそのまま崩れ落ちた…のでは無かった。
巨漢は股ぐらを潜り抜けようとするアマーリエに、急いで膝打ちを喰らわそうとするが、両脚を大きく開いてふんばった足は、反応しない。
巨漢は振り返り様に、モールを水平に薙ぐ。
鉄の塊は唸りを上げて、アマーリエの顎先を掠める。
アマーリエは地面を転がって遠ざかり、次の一撃に備えて半身を起こした。
次の一撃は無かった。
巨漢は、内太ももに突き立った短刀に、この時初めて気がついた。
巨漢は、アマーリエを見て、ニヤリと笑うと、邪魔な短刀を引き抜いた。
アマーリエは思わず、眉を顰めた。
巨漢は足を引きずりながらモールを構えるが、アマーリエの元に近づく前に片膝をついた。顔からは、血の気が引いていた。自分の足を見つめると、不思議そうに首を捻り、そのまま倒れ込む。
内腿からは、まるで葡萄酒樽に穴を開けたように、水っぽい鮮血が溢れ出していた。
大ホールに、沈黙が訪れる。
アマーリエが歩を進めると、マンフリードの手下たちは後ずさる。
騎士たちの相手も倒され、手下たちはマンフリードの背後へと集まった。
「てめぇら…なんのつもりだ…」
マンフリードの首筋に、冷や汗が伝う。
「みんな、あなたが頼りみたい。威勢のいいところを見せてあげたらどう?」
マンフリードは苛立って手下を蹴倒すと、テーブルに立てかけてあったバスタードソードを掴み上げ、アマーリエを睨みつけた。
騎士たちは退がり、アマーリエに場所を譲る。
マンフリードは葡萄酒を乱暴に煽ると、袖口で口を拭う。
「おめぇら、タダじゃ済まさねぇぞ…年下の女にビビりやがって…」
マンフリードは、顔の横で剣を水平に倒し、雄牛の構えを取った。
「勝った者が、家徳を渡す」
アマーリエの言葉に、マンフリードは声を荒らげた。
「いちいちクドイぞ!死ぬのはオメェだ!」
アマーリエは、正面に剣を構え、ツカツカと間を詰め寄る。マンフリードが怒声を上げ、剣を突き出した。アマーリエもそれに倣う。
二対の剣が火花を上げて、交差した。
互いに軌道が逸れた剣は、相手を貫くことなく、二人の身体は密着した。
マンフリードは自らの両手が、アマーリエの大剣に抑えつけられている事に気付いた、そしてそれに気付いた次の瞬間には、剣が足で踏みつけられ、手から離れ落ちていた。
アマーリエの頬に、マンフリードの唾が吐き付けられる。
アマーリエは、マンフリードの顔を睨み返した。
彼女が身体を翻し、背を向けた後、マンフリードの首は大ホールのタイルの上にゴロリと転がった。
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