第10話 騎士ハルトマン

 休む暇もなく、アッシュはカラスをあちこちに連れまわした。

 狩りに出かけ、罠を見回り、獲物を捌き、肉を精製し、毛皮や加工品を作った。時には灌漑のごみを取り除き、開墾を手伝い、町で買い込みをして来た荷馬車の荷下ろしに手を貸した。糸紡ぎを教わり、民族衣装のような袖のない羽織を編む作業を指導された。

 カラスにとって、全てが無難にこなせる作業とは、言えなかった。

 しかし、秋まで続く自分の命は、アッシュに命じられるままの奉仕作業に捧げると決めていた。

 農奴という言葉は知っていた。いわば、自分はそれに近い存在なのだ、と理解したからだ。


 秋が訪れ、森の奥地に開けた畑で、その収穫を手伝った。

 小麦は大量に収穫できたが、三分の一は来年の種に残すらしい。

 収穫後も、残った茎をサイズで根元から刈り取り、それを縛って納屋まで運び、さらに駄馬の背後に農耕具を取り付けて、土を堀起こす作業が続く。

「帰りたい…」

 作業の終わりに道具をまとめていたカラスは、ふと、いつもとは異なる声色で、アッシュに話しかけられた。

「…なんだって?」

「町から出て…外で暮らしてみて、どうかな?帰りたい、とかは思わないの?」

 カラスは考えながら、農具を荷車に乗せる。

「夜になると、夢を見る…いや、見た…かな」

「最近は、その夢を見ないの?」

「そう…だな。疲れてるし」

 確かに、重労働の日々に、カラスは余計な事を考える余裕が無くなっていた。

 軽い夕飯を済ませ、本を読み、床につく…日の出と共に起き、仕事を行い、ひと段落したところで軽い朝食を食べる。思えば、そんな毎日が続いていた。

 冬が来たら、いよいよ口べらしのために、殺されるのだろうな…カラスは思った。

 先に帰路に着くアッシュの背を見ていたカラスは、立ち止まって空を見上げた。

 青々とした針葉樹の森と、雲ひとつない空のコントラストを、じっと眺めた。

「色々と食ったな…全部、旨かった…」

 一筋、涙が頬を伝ったことに、カラスは自分でも気が付かなかった。


 秋が深まり、紅葉樹が黄色に色づき始めたある日、丸太小屋の扉が乱暴に叩かれた。

「アッシュ、大変だ!蛮族が現れた!」

 村の若手衆の一人が、血相を変えてアッシュに状況を語る。何でも、小鬼の集団が森から現れ、キノコを探していた親子を襲ったらしい。親はその場で殺され、子どもが一人、攫われた。生き残ったのは母親一人だけで、今は錯乱から覚め、茫然自失の状態だという。

 壊れた椅子を修復するため、ナイフで挿し木を削り出していたカラスは、手を止めないまま若者に語りかけた。

「…誰か、着いていてやるべきだ」

 カラスの忠告に、若者は「従兄弟に頼んである」と答えた。

「ところで…その…小鬼っては、どんなんだ…人間じゃないのか?」

 カラスの呟きに、アッシュは両手を広げて答えた。

「蛮族を知らないのか?本当に?これは、呆れたな…ハルトマンの本にも書いてあったろう?」

「…あぁ、コボルトとか、ゴブリンとか、レッドキャ…何とかと言った類のやつか」

「どこか近くに住みつかれたら、一大事だ。すぐに数を増やして、この村では対処できなくなる」

「王様は、その時の為に騎士を従えているんだろ?」

 若者は、ため息をついた。

「ここには、来ちゃくれね。王様に税を納めちゃないんだ」

「なんでぇ…そうなの?」

「ハルトマンは、特殊な事情を持っていたのさ…それより、早く僕たちだけで、何とか対処しないといけない。長老たちをここに、集め…」

「俺が行く」

 カラスの声に、アッシュと村の若者は、思わず彼を振り返る。

「糸を紡ぐより、そっちの方が得意だ」

「確かに、ハルトマンを倒したっつぅあんたなら…」

 若者の言葉を、アッシュは遮った。

「とにかく、君は長老たちを…」

「あい、わかった」

 若者を送り出して、アッシュはカラスに向き直った。

「相手が何体か分からない。まずは、皆と相談して、対策を慎重に決める」

「相手は獣じゃねぇんだ。罠や柵を作ったって、どうしようもねぇ。人も食うんだろ?子どもは、どんな動物だって柔らかくて、臭みも少なく旨いもんだと相場が決まっている。奴らにとっては、人間だって同じだろうよ。大人を殺したのは、抵抗が激しいからだろうが、死体をその場に残したのは、きっと運ぶ手間に反して、味が旨くないからだ」

 アッシュは反論した。

「偵察程度のつもりで、少ない数だったから、大人は重くて連れ去れなかっただけだ!今回は、はぐれの群れだ。そうでなければ、大人も奴隷として連れ去られているはずだ」

「…別にどうでもいいが…なぜ、ムキになる」

 アッシュは壁を叩いて答えた。

「子どもが旨い、なんて言葉は、みんなの前では、絶対に口にするな!絶対に、だ!」

 カラスは肩をすくめると、ナイフと木片を机に置き、歩き出す。

「待て、どこへ行く」

「準備だよ。多少の食料は必要だろ」

「死場所!」

 アッシュは叫んだ。

「…だと思っているんだろ」

「別に、そんなつもりはねぇよ」

「秋になってから、塞ぎ込んでいたな。そんなに、ここの暮らしがつまらないのか?」

「…だぁら、そんなんじゃねぇってつってんだろ…何度も言わせんな」

 沈黙が訪れた。

 アッシュは唇を噛み締めてから、首を振り、カラスに近づいた。

「君には、ちゃんと話しておくべき話がある」

 目を背けて、カラスも応える。

「俺にも、あるぜ」

 扉が開かれ、村人たちが部屋に上がり込んできた。


 大テーブルに着席した村の長老陣の周りに、若者衆が立ち並ぶ。

 葬儀の晩にカラスに酒を注いだ、最長老の男が、若者たちと共に立つカラスに語りかけた。

「自分が倒すと、意気込んだそうだの」

 カラスは、軽く頷いて答える。

「実は、これが初めてではない。じゃから、蛮族への対策は前もって示し合わされておる」

 長老は、人々の顔を順に見つめながら、言葉を続けた。

「村を捨てるか、討伐するか…そのどちらかじゃ」

 若者たちは、こぞって「討伐する」と声をあげる。

「逸るな!若造どもめ!」

 老人とは思えない、凄みのある一喝が、若者たちを黙らせた。

「まずは、物見じゃ。何処に、どれほどの数がいるかを知らねば、何も決められんて」

「それでは、連れ去られた子どもは…」

 長老は目を閉じ、深く息を吸う。

 皆の耳に、掠れた呼吸音が聞こえた。

「…まずは、物見じゃ」


 村の周辺の地形は、村人たちが熟知していた。

 住み着くことを考えた場合、どこがそれに適するか…いくつかの候補が挙げられ、若者たちは手分けして捜索に出た。場所は、三日後に特定された。さらに、そこへ至る道のりを歩いた足跡を探すにも、さして時間は掛からなかった。

 少なくとも30体。どんなに多くても50体。それが予想される蛮族の数だった。

「意外に多い…」

 会合でアッシュが額に拳を当てながら唸った。

「戦える者は、どれほどいるんだ?」

 カラスの問いに、若者たちは、自分たちを入れて、30人程度だと答える。

「まぁ、百人ちょいの村だからな。そんなところだろうよ…だが、問題は数だけじゃぁねぇぞ」

「武器なら、ある」

 アッシュがカラスに告げる。


 丸太小屋の地下室は、食糧庫と武器庫になっていた。

 食糧棚は空だったが、武器ならあった。

 長槍、手投げ槍、ポールアックス、スタッフ、モルゲンシュテルン、大剣、長剣、弓に弩に至るまで、バリエーション豊かな武具が揃っていた。

「チェインもある!」

 若者が鎖帷子を重そうに持ち上げて、歓声をあげる。

「騎士は、マーリアと呼ぶよ」

「数があるのは分かったが…最後に手入れをしたのはいつだ?」

 カラスは大剣の刃を指でなぞりながら、アッシュに尋ねた。

「…去年の…春だったかな?」

 カラスは、皆に告げた。

「まずは、砥石にかけて錆を落とす。その次は、訓練だ」

「そんな悠長なことを言っ…」

 カラスは反論した若者の襟元を捻り上げた。

「相手の数の方が多いんだぞ。一人相手にするのだって、運が味方しなきゃ命を落とすのは、こっちの方だ。分かってねぇのか…ハルトマンだって、死んだんだぞ!?」

 その名を聞いた途端、若者たちが、はっと硬直する。

「これは、命の取り合いなんだ。死にもの狂いの相手と、命を奪い合ったことはあるのかッ。この中に、一人でもそれをした事がある奴ぁ、手を挙げろッ!」

 若者たちは互いに視線を交わした後、威勢を失い黙り込んだ。

「…なら、黙って言うことを聞け」


 威勢よく啖呵を切ったカラスだが、実はナイフしか使ったことが無い。彼も一緒になって、アッシュのレクチャーを受ける事になった。村人たちには、敵に見立てた丸太の柱に対し、盾で受けて、突きで反撃する、という練習をひたすら反復させる。それを続けるように命じておき、アッシュは剣をカラスに投げて渡す。

「いつぞやの証明をしよう」

 カラスは眉を顰めた。

「なんだ、そりゃ?」

「僕が、君より強い、と言った証明だよ」

 カラスはニヤリと笑うと、「上等だぜ」と言って剣を突き出して構えた。

 カラスはグリップを右手で握り、柄頭(ボンメル)に左手を添えている。

 アッシュは剣を肩の位置に立て、すっと詰め寄る。

 カラスは、振り下ろされる剣を左に弾き、次に右へ返すことで相手の首をスライスする算段だった。

 だが、剣は空を切り、戻そうとしたところを、アッシュの刀身によって妨げられた。

 カラスの刃はアッシュの剣を跨がねば、相手に届かず、反対にアッシュの切先はいつでもカラスの喉元へ向けられる。

「どうして、剣を外に振るのさ。ナイフの時には上手かったのに」

「重いんだ、仕方ねぇだろ」

「その剣は、二キロちょっとしかない。重く感じるのは、重心を理解してないからだよ」

 カラスは「くそッ」と叫んで剣を地面に突き刺した。

 アッシュは腰に手を当てて言った。

「まぁ、君の言うとおり、今回は命のやり取りだ。使い慣れているナイフの方がいいね」

「お前が、剣を寄越したんだろうが」

「筋を見たかったんだよ。許してくれ…リングナイフが三本ある。予備として全部持っていくといい。さぁ、気を取り直して一緒に稽古を見てくれ」


 午後になると、アッシュは長物を練習させる。

「槍は、絶対に持って行く。距離を保ったまま戦えるから、背の低い小鬼相手には有利なんだ。短い槍は、柄の中央を掴んで、突いたり、切ったりする」

 アッシュは丸太相手に、実践してみせる。

「まぁ、これは分かり易いだろう。でも、短槍は全員分無いから、長槍も使って欲しい。でも、長槍は柄が長い分、重くなって突きの威力が弱まる。こんな風に、しなってしまうしね」

 アッシュは丸太に穂先を突き立てた。十分な威力があるように見える。

「馬の突撃とかを防ぐには、とても役に立つ。馬だって、自分から痛そうな物に突っ込んで行くほど馬鹿じゃないし、怪我をしてでも無理をする理由を理解するほどには賢くない。それは、余談か…歩兵を相手にする場合には、こういう使い方の方が、威力がある」

 丸太に進みながら、アッシュは穂先をくいと、上に持ち上げ…そして、下へ叩き落とした。

 バチンッと激しい音が鳴った。

 しなった柄は、穂先の重さに慣性を上乗せさせ、丸太の頭に、それを深々とめり込ませていた。

「ヘルメットを被っていても、無事では済まない」

 村人たちは歓声を上げ、長槍がいい、と手を挙げた。

「それを食らったら、お前ならどうする?」

 カラスが質問した。

「うーん。軌道は決まっているから、避けるのが一番だけれど、もしそれもできないなら、諦めて額で受けるよ。ヘルメットは額の部分が一番厚く作られていて、四ミリ位ある。傾斜もついているしね」

「いやいや…どんな度胸だよ」

 アッシュは村に残る者にも、訓練を受けさせた。それは4日間続けられ、最後に1日の休息を空けてから攻め込むことに決める。その間、襲撃組には肉を多く食べさせた。初日の筋肉痛が回復し、身体が動きに慣れるのを待つ、との考えだった。

 他の者たちは村を柵で囲み、罠を作り、同時に逃げ出すための荷造り、保存食の仕込みもしておく。

 6日後、襲撃組28名は、一列になって村を出発する。


 蛮族たちが新しい根城としたのは、古代の住民たちが墓として利用していた洞窟だった。身を屈めないと入れない入り口以外に、外へと通じる道は無く、深さはせいぜい50m程度とのことだ。

「戦闘の指揮は、君に任せるよ」

 アッシュは、カラスに握手を求めた。その手を見つめながら、カラスは問い返す。

「お前の方が、戦いには向いているだろう」

「いや…僕の声じゃ、戦闘の音に負けてしまうだろう。君の大きな声の方が、聞こえやすい」

「…そうか。これが終わったら、その“君“とか“僕“をやめてみろ。そうしたら、大きな声が出る」

「本当かい?」

 思わず吹き出したアッシュの手を、カラスは力強く握り返した。


 洞窟に見張りがいない事を認めたカラスは、枝張りのいい木を切断し、それを入り口に詰め込むように指示をした。但し、それは襲撃隊が入った後の事だ。

 カラスは考えた。

 村人たちの威勢がいいのは最初だけだ。手傷を負わされ、たくさんの血が止まらないのを見るや、死の恐怖に取り憑かれるだろう。もとより、人数が少ないのだ。逃げ出す者が出ては、勝ち目は一層、薄くなる。さらに、蛮族の脱走者も出すわけにはいかない。同じことの繰り返しになってしまうからだ。ここできっかり、殲滅しなければならない。

「行くぞ!」

 松明に火を付けた襲撃隊は、木を引き摺りながら、入り口へ殺到した。 

「うわッ、なんだ」

 入り口を抜けると、すぐに広い空洞に出た。その途端、足がぬるっと地面に沈み込む。

「コウモリの糞だ」

「気持ち悪い…」

「入り口を背後に、円形に固まれ。離れるな、ピッタリ付いて、盾を並べろ」

 ひんやりとした空気に満たされた洞窟の内部は、しんと静まり返っていた。

「入れ違いで、蓋をした、なんてオチじゃないだろうな」

「笑えないぜ」

 村人たちがヒソヒソ話を始めた。

「おいッ!蛮族ども!起きろッ!ぶっ殺しに来てやったぞ!おいッ!どうしたぁ!」

 カラスの大声に、村人たちは飛び上がる。

「カラス、気付かれるだろ」

「気付かれなくて、どうする!」

「寝てるなら、忍び込んで寝首を掻けばいい」

「…なるほど、そんな手もあったな…次はそれを試してみよう」

 コウモリたちが、一斉に飛び回り、天井あたりで円を描き始める。

「来たぞ…構えろぉ!」

 暗がりの中から土気色の肌を持つ、背の低い者たちが姿を現す。頭陀袋を頭から被ったかのような、粗末な衣服。そこから突き出した、長い手足。細いが、しかし、筋肉がしっかりと付いている。手には、棍棒や槍、剣や短刀が握られている。

 徐々に、松明の灯りがその身体を照らし出す。

 鉤爪のように曲がった鼻、尖った小さな耳、黄色い不気味な瞳。

 その数は…襲撃隊の倍は確実にいる。

 小鬼たちは、甲高い奇声を上げると、村人たちに向かって一斉に踊りかかった。


 怯んだ三人が、深手を負って倒れ込んだ。

「立ち上がれ!殺せッ!殺せッ!」

 カラスは怒鳴った。

 自分には理解できない感覚だったが、刃物を人間に突き刺す直前に、本能的に抵抗が生じることを、カラスはファミリーの子どもたちの抗争を通じて知っていた。

 それは、教育とか、倫理観から来る感情では、断じてない。

 理性や、いたわり、罪の精神でもない。


 敵対関係の成立。


 二度と修復することができない、命のやり取りにまで発展する敵対関係。それを、本能が嫌うのだ。この刃を本当に相手に刺して、良いのか?本能から来るその迷いを、消す必要があった。

「殺せッ!殺される前に、殺せッ!家族がいるんだろう!?家族を殺される前に、殺せッ!」

 カラスは、執拗に“殺せ“と繰り返しながら、自らも小鬼の喉を切り裂いた。

 村人たちは、勢いを取り戻し、切り付けられ、そして切り返す。


 それを経験すると、最初の数分は取り憑かれる。


 脳が痺れ、痛みも罪悪感も消え失せるのだ。

 カラスは相手の武器を掴み、ナイフで肘の内側を切り裂く。それを行いながら、他の敵に目を配り、また同時に、村人たちの動きも視界に収めた。

 アッシュの戦い方は、無難だった。力の弱い打撃なら、盾で何度でも受けることができる。無理せず時間をかけて、確実に反撃する戦い方に終始していた。

 興奮した村人たちは、力だけなら蛮族を圧倒した。

 小鬼の腕は想像していたよりも長く、リーチの優位さは存在しなかったが、背丈の低さは村人たちにとって幸いだった。少なくとも、精神的な優位は失わずにいられるからだ。

 だが、小鬼たちの後ろから、のっそりと現れた新たな集団に、その唯一の優位性も失われる。

 人間の平均身長を楽に超える、中型の鬼が5体、小鬼たちの不甲斐ない戦いに痺れを効かせたかのように、進み出て来た。

「ちょ…」

 大きな棍棒を剣で受け止めようとした村人が、首をへし折られてコウモリの糞に顔を埋めた。

「あぁ…あぁ…」

 狼狽えて踵を返す者に、カラスは怒鳴りつけた。

「出口はねぇぞ!忘れたか!」

 根本側から突っ込んだ木の枝葉は、洞窟の壁を掴んでたわむばかりで、村人が懸命に押しても容易に抜けることはなかった。武器を捨てて枝の間を抜けようと、必死にあがいている内に、投げ込まれた槍が、その脇腹を貫いた。

 アッシュが後退して、助けに向かう。彼の穴を埋めるのは、難しい。

「退がるなッ!」

 アッシュは「すぐ戻る」と告げて、槍が刺さった男の元へ向かった。

「間を詰めろ!盾を下げるな!盾を上げろって言ってんだッ!上げろッ」

 叫ぶカラスの元に、大鬼の棍棒が襲う。それをフェイントを入れて躱すと、伸びた上腕にナイフを走らせる。緑色の血が吹き出すが、筋肉に遮られて浅い傷しかつかない。その傷をさして気にする風でもなく、大鬼は再び棍棒を振り上げた。カラスは、その膝を蹴り飛ばし、体勢を崩してから、脇腹にナイフを突き立てた。

 洞窟中に響く叫び声を上げたと思うや、大鬼は棍棒を捨て、カラスの腕を掴んだ。

 万力のような握力に、カラスの骨が軋んだ。

 カラスも負けずに雄叫びを上げながら、突き立てたままのナイフを捻る。

 肋間神経を削り取られ、大鬼は身体を震わせた。

 左手で予備のナイフを逆手に引き抜き、リングに刺した指でくるりとナイフを回転させると、順手に持ち直して大鬼の顎の下を突き刺す。

「知ってるか?空気ってのは、旨いんだぜ?吸えなくなると気づく!」

 カラスは、大鬼の喉仏までを斬り下げた。

 さっきから大声で叫ぶ奴が、仲間を倒した。こいつが、大将に違いない。大鬼はそう思ったに違いない。残り四体のうち、二体がカラスに的を絞った。

 剣を振り回す大鬼の攻撃は、カラスの身体を刻み始める。

 味方同士、距離を詰めていることと、足場の悪さが、カラスの持ち前の素早い戦い方を殺していた。

 糞に足を滑らせた時に、カラスの頭蓋骨を二分する一撃が振り下ろされた。

「うわぁぁぁぁぁッ!」

 大鬼の胸に、槍が突き立った。

 出口から逃げようとしていた村人が、体当たり同然に喰らわした一撃だった。

 大鬼はそのまま大の字で倒れ込み、村人は折れた穂先に気がつかないまま、群がる小鬼の頭を力任せに叩きつける。

「ははッ…おっかねぇな…」

 背後で弦が鳴り、もう一体の大鬼の肩に、短い太矢が突き立つ。

 アッシュが放った弩の矢だ。

 カラスは、生まれた隙を見逃さない。

 大鬼の曲刀の背に、ナイフのリングを押し当て動きを殺すと、掴んでくる手のひらを三本目のナイフで切り裂く。人差し指と中指の間を裂き開かれながらも、大鬼は戦意を失わず、そのままナイフを掴んで攻撃を封じにかかる。

 カラスは股間を蹴り上げ、怯んだ相手の鼻頭に頭突きを喰らわせた。

「ゔぁ、くそッ、石頭めッ」

 鼻を砕かれて血を流す大鬼よりも、どちらかと言えば、カラスの方がダメージが大きかった。軽い脳震盪に頭を抱えながらも、カラスは器用に身を捩って小鬼の横槍を躱す。

「カラス、来るぞ!避けろ!」

 アッシュは弩を捨てると、剣を抜いて彼の方へと走る。

 しかし、アッシュが剣の間合いに捉えるよりも早く、カラスの上半身を袈裟斬りにせんと、大鬼が曲刀を振り下ろした。

 アッシュの目には、切れた…と映った。

 しかし、まるで軌道を見透かしたような動きで、カラスはふらりと上体を反らし、紙一重でそれを避けていた。大鬼の口元には、勝利を確信した笑みが残ったままだった。

「わぁってんよッ!」

 カラスは大鬼の手に刺さったナイフを引き抜くと、飛び上がって両足を鬼の胴体に絡ませた。

 右、左、右、左、右、左、右…両手にナイフを掴んだカラスは、大鬼の首を繰り返し、刺し通す。

 村人を数人、棍棒で吹き飛ばしていた大鬼も、その様子を見て目を見開いた。カラスを仕留めようとした三体目の蛮族も倒れ、馬乗りにされて切り刻まれている。

 我が目を疑う…そんなところか。

 アッシュは、我を失って暴れる村人の服を掴んで、半円陣の中へと引き戻す。 

 緑色の返り血に顔を染め上げたカラスは、ゆらりと立ち上がった。


「生きてる奴ぁ、聞けぇッ!この戦い、俺たちの勝ちだぁッ!だから逃げるな!最後まで気合い入れろやッ!」

 カラスの宣言通り、互いの血と、脂と、臓物、それにコウモリの糞に塗れた地獄の戦いは、人間の勝利に終わった。



 入口を封じた木の枝を切り落とし、外の生暖かい空気を吸った村人たちは、ようやく感じ始めた身体中の傷の痛みに耐えられず、地面に折り重なるようにして倒れ込んだ。

 生還者は16人。無傷の者は、一人もいなかった。

 アッシュは、自らの怪我も治さぬまま、重傷者の治療にあたる。まだ息のある重傷者は5人。アッシュは額に汗を浮かべながら、傷口を引っ張り合わせ、ギフトの効果を引き出す。

 カラスは、まだ順番が回ってこない男の元へ這い進むと、血が吹き出す太ももを両手で圧縮する。

「なんだ、お前、マーリンは着て来なかったのかよ」

 その男は、鎖帷子を嬉しそうに持ち出した若者だった。

「マーリアですよ、ハルトマンの旦那…着てみたんですが…俺には…重すぎて…」

「俺は、カラスだ…ちゃんと、俺を見ろ」

 男の焦点は合っていない。

「なんか、寒い夜ですね…」

 カラスはアッシュの名を叫んで振り返る。しかし、彼は怪我人の上に倒れ込んでいた。

「くそ…もうすぐ順番が来る。俺を見ろ…おい、俺を見ろッ」

 男はすでに、絶命していた。

「失血死なら、まだマシな方だ。お前はついてるぜ」

 男の手を握ると、カラスはアッシュの元へと這い進む。彼の顔は、真っ青…というよりも、土の色に近かった。彼自身の出血は、まだ止まっていない。カラスは、アッシュの顔を力いっぱい引っ叩く。

「起きろッ…起きろッ!アッシュ!気絶するな。死ぬぞッ!くそッこいつ、起きろッてんだ!」

 何度叩いても、アッシュは覚醒しない。


 カラスは下腹の傷に耐えかね、うめきながら地面に仰向けになった。

 空はまだ明るい。夕刻まではしばらくあるが、気の早い心配性の鳥たちが、群れになって寝ぐらへと戻っていく。代わりに、洞窟の入り口から、コウモリたちが夕方の食事に飛び出して来た。

 昼と夜の狭間…戦いを終えた男たちは、地面の上でただ、眠りにつく。

「アッシュ…起きろ。頼むぜ…俺は、そうだ。頼まれてんだ…そう、頼まれた。ハルトマンの遺言なんだ。俺は、お前を託された…だが、俺には、お前の面倒なんて見れない。世間を知らない俺は、お前に助けられてばかりで…なんで、俺なんだ…俺なんて、人を不幸にしかできない…なんで、ハルトマンは死んだよぉ…なんで、ここにいるのが、俺なんだ…」

「君は、泣いているのかい?」

 アッシュの声がした。

「…約束は覚えてるな?」

「何?さっきの独り言が、君の話したい事だったのかい?」

「…違う…いや、違わない。まだ、もうひとつ。後でまた話す。まだ治療できるのか?」

「おかげさまで、あともう少し、頑張ってみる」

「あぁ、そうしろ」

 他の村人が、カラスに話しかけた。

「いい案を思いついた。カラス、お前がハルトマンになれ」

 カラスは、顔をひっくり返して、村人を見やった。

 逆さになった地面に張り付いたように、村人たちは身を横たえながら、カラスの方へ視線を向けている。目が合うと、順に頷かれた。

「何、言ってやがる。俺は、騎士じゃねぇし、貴族でもねぇ。俺がなれんなら、アッシュがなればいいだろ」

「アッシュはいい奴だ。度胸もある。騎士にも成れるだろう…だが、それは騎士アッシュだ。ハルトマンとは、別人だ」

 カラスは、ハッと息を吐いた。

「言ってる意味がわかんねぇ…俺だって、別人だろ」

「いや…お前は、ハルトマンを名乗る資格がある」

「だぁら、なんだよ、血が足らねぇんだろ?頭くらくらしてんじゃねぇのか?あんだょ、資格って」

「似てるんだよ」

 アッシュがボソリと呟いた。

「ハルトマンは、第二王子だった」

「…はぁ?」

 アッシュは治療を続けながら、ゆっくりと話す。

「勘当されたんだよ。王宮の中では、腫れ物だったんだ。君は…昔のハルトマンにそっくりなんだ」

「てゆーと何か?俺もあとちっと成長すれば、あんな大男になれると?」

「見た目じゃないッ!生まれも、育ちも、全然違う…でも、根っこの部分が、君と似ていたんだ」

 アッシュの後に、村人たちが、ボソリボソリと言葉を繋ぐ。

「短気で、暴れん坊で…」

「酒に強くて」

「女にモテた…そりゃ、まだ判らんか」

「敵に対しては残忍で…」

「容赦を知らない」

「いつもツンツンしてながら、不思議と人を助ける」

「だんだん、変わっていった…」

「お前も、持つ物を持てば、変わるだろう」

「食うもんに困らなくなって、変わった自覚はあるだろ?」

「最初は、嫌だった。目つきの悪い余所者を入れるなんて…」

「長老たちを先に言いくるめやがって」

「アッシュは、ずる賢い」

「実際、数ヶ月前、初めて姿を見せたお前と、最近のお前とでは、まるで別人だ」

「俺は…死場所を求めて、ここに来た」

「ハルトマンもそうだったのかもな…」

「今思えば…はじめは、そんな顔だった」

「寄って集って、好き放題言いやがって…傷が治ったら、全員、しばくぞ?」

「からかっとるわけじゃない。おいらも、このまま死んじまうかも知んねぇ…冗談を言う余裕はねぇ」

 アッシュが告げた。

「僕の話したかった事は、その事なんだ。君がハルトマンになれば、村に新たな領主が来ることも無い」

「俺らを助けると思って、引き受けてくれんか…」

「名を語るのは、気持ち悪いだろうが…俺たちにゃ、おめぇさんが、必要なんだ」

「バレんだろ、すぐ」

「今まで、使いが来た事は無いよ。何度も言うとハルトマンに悪いけれど、“腫れ物“だったからね」

「…考えさ…」

「俺ら、明日には死んじまうかも…」

「…」

「気が薄れてきた…もぅ、あかんかも」

「…」

「悔いがあるまま死んだら、化けて出るやも…」

「…うぉッ、わぁったよ。どうせ…他に何もする当てなんて無い」

 パラパラと、弱々しい拍手が沸いた。

「あかん…ほんとに、眠くなってきた…」

 アッシュは、力なく微笑んだ。

「お前ら…本当、好き勝手だな…」

 カラスは、空を舞うコウモリたちが、歪んで見えなくなっても、ずっと空を見つめ続けた。

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