第9話 葬儀

 カラスは目を覚ます。

 自分はボロ屋の軒先に寝かされているのだと思った。

「目が覚めたんだね…」

 抑揚のない声には、聞き覚えがあった。灰色の髪の少年だ。

 名も知れぬ鳥の声が聞こえた。

「…ここは、外か?」

「町の外だよ。あのまま君を寝かせていたら、町の人たちに殺されていたからね。僕はてっきり、裁判を受けて罰が下されるのだと思っていたのに…あの町は、どうかしている…」

「俺を、連れ出したのか?」

 カラスは、毛布をどけて身を起こそうとするが、痛みに遮られた。左足首と、後頭部、それに挙げればキリがないほどに、身体中が痛んだ。

 服はボロボロに刻まれ、乾いた血でごわごわに固まっている。

「夜になって、人が途切れた隙に、台車に乗せて出てきたよ。憲兵たちは慌てて、門も開けっぱなしだった。逃げ出す者たちもいたくらいだ」

「なんで…騎士が死んだから、なのか?」

「ただの騎士じゃないからさ」

 痛む身体を堪えて、カラスは上体を起こした。

「どういう意味だ?」

「まだ、無理はしないでよね。せっかく丸二日もかけて、そこまで治したんだから…途中で無理をされたら台無しだよ」

「お前が?何でだよ」

 カラスの問いに、灰色の髪の少年は答えない。

「おい、アッシュ。俺を助ける理由を教えろ」

 灰色の髪の少年は、目を大きく開いて、カラスを見つめた。

「何で…僕の名前を…」

「お前が話したら、教えてやる」

 その日の会話は、それきりだった。


 アッシュは野草を集め、小さな鍋を火にかけると、草を茹で、そこに乾燥したパンを少し千切って、放り込んだ。それを半分ほど、木の椀に入れると、カラスに差し出す。

 カラスは、口をつけなかった。

 アッシュは何も言わず、鍋が冷めるのを待って、直接中身をごくごくと飲み込んだ。


 カラスはしきりに辺りを警戒していたが、夜になると熱が出始め、酩酊状態のまま眠りにつく。

 形容し難い内容の悪夢にうなされ、夜半に目が覚めた。

 カラスは、自分の足に当てられた手に気付き、それをはしと掴む。アッシュの手だった。

「何をしている?」

 手を抜き取ると、アッシュは抑揚のない静かな声で答えた。

「君の足は、通りすがりの町の人に折られたんだ。僕が途方に暮れてしゃがみ込んでいる目の前で、どこからか持ってきたブロックを、何度も君の足に落とした」

「恨みを売りつけてやった相手は、腐るほどいる」

「間違ったやり方だ。君は、あれでは罪を償えない」

「気を失ったまま殺されるのは、お前の本意ではないって言いたい訳か?もっと相応に苦しんでから死ねと」

「…意外に語彙があるんだね。驚いた」

 カラスは横になると毛布を被る。

「どうやってるのか知らねぇが…もう、俺の傷を治すな」

「それじゃぁ、困る。歩けるようになってもらわないと」

「何でだ。俺が不具になろうと、お前には、関係ないだろ!むしろ、ざまぁ見ろと言いたいくらいなはずだ」

「…僕と一緒に、旅をしてもらう」

 カラスは、毛布から顔を出して、アッシュの顔を見た。

「…何だって?」

「君は、外の世界を知らないんじゃないか?どの草のどの部分が食べれられて、どの草のどの部分に猛毒があることを、君は知らないだろう。歩けなければ、狩りもできない。すぐに飢えに苦しんで、地虫たちの餌になる」

「だから…何で、俺を生かすんだ?お前の言う、罰を受けさせるためか?だったら、今すぐ殺せばいい」

 アッシュは、夜空を見上げながら呟いた。

「自分でも…よく分からない。ハルトマン様なら、どうしただろう…多分、こうしていたと思う」

 カラスは舌打ちして、再び毛布を被った。

「明日には、多分歩けるまで回復するよ。そうしたら、まず手伝って欲しい事がある」


「まさか、これを俺に頼むとはな…」

「流石に、一人では骨が折れるからね。早く埋めないと、臭くなるし」

 二人は林の脇に穴を掘り、台車に寝かされていた騎士の身体を、そこに埋めた。

「どうやって、持ち出したんだ。まさか、俺の隣に放置されていた訳じゃあるまい」

 カラスが汗を拭うと、額が泥まみれになった。

「憲兵の詰め所にあったから、こっそり運び出した。あの町では、ハルトマン様も落ち着かないだろうと思って…きっと、こんな自然の中で、ひっそりと眠りたいと…思っていたはずだ」

 ヒヨドリが飛び去っていく姿を見つめながら、カラスは言った。

「お前も、相当にイカれてんな…」

 二人は、林の中から大岩を見つけ出し、テコの原理を使って転がしてくると、ハルトマンの墓の上に据えた。アッシュは、その表面にナイフで文字を削る。

「思ったほど、掘れない…」

「刃こぼれするぞ」

「いいよ。戻れば、いっぱいあるし」

 岩の表面には、うっすらと“ハルトマン“とだけ文字が彫られた。

「落ち着いたら、暇を見つけて掘りに来よう。もっとしっかりとしたお墓にしたいし…」

「俺も一緒に来るような言い方をするな」

「じゃぁ、出発だ」


 二人は、草原と林が続く、人気のない土地をゆっくりと歩いた。

 ともすれば見失いそうな細い道を、アッシュは、まだ早く歩けないカラスの歩調に合わせて進む。

 無言のまま夕刻まで歩くと、アッシュは前触れも無く立ち止まり、食事の支度を始める。

 カラスは汗を拭うと、木陰に腰を下ろした。

「その木に付く毛虫には、毒があるから触らない方がいい」

 カラスは、アッシュの忠告を聞き、幹に毛虫がいないか慌てて確かめる。

「毛虫なんか見ても触らねぇよ…子どもじゃ、あるまいし」

 アッシュは、道すがらで拾い集めた山菜を湯にかける。

「なぁ、アッシュ。お前、俺に寝首を掻かれるとは考えないのか?」

「…何で?僕が死んだら、君は飢え死にだよ」

「お前の持ってる路銀を盗めるかも知れない」

「路銀があっても、使える場所はないよ」

「ちッ、そうかい」

 アッシュは顔を上げずに、作業をしたまま語り続けた。

「君の戦い方は見た。僕の方が、強い。こう見えても、ずっと訓練を受けて来たからね」

 口笛を拭いて、カラスは立ち上がった。

「じゃぁ、試してみるか?足の具合も、だいぶいい」

「子どもみたいな事を言ってないで、火の番をしてくれ。アクを取るのに忙しいんだ」

 カラスは舌打ちして、木の根元に寝転んだ。


 粗末な食事を終えた二人は、草に寝転んで夜空を眺めた。

「なぁ、町の外では、いつもこんなか?」

 カラスに問われたアッシュは、夜空を埋める星を見つめながら答える。

「きっと、君のいた町の規模なら、同じ夜空が見えていたはずだよ」

「なぁ、その“君“とか、“僕“とか、止めねぇか?」

 今日の二人の会話は、これが最後だった。


 四日が過ぎ、二人は丘の谷間に拓けた小さな村に辿り着いた。

 旅は終わりだ、とカラスは理解した。

 岩から湧き出す水は、冷たくて美味かった。

 苦味のある草も、食べているうちにくせになった。

 アッシュが捕らえた萱鼠というちっこいネズミは、毛をむしる苦労の割に、ろくに食うところが無くて不満が残った。

 どこまでも続く草原と、草の香りのする風は、人生で初めての経験だった。

 それも、これで終わりだ。

 この村は、きっとハルトマンの治めていた村に違いない。

 俺はここで“裁判“とやらを受け、然るべき方法で殺されるのだろう。

 この旅は、俺が外の世界を知り、自らの可能性がまだ開かれている事を認識し、真の意味で過ちを悔いる事ができるよう、井の中の蛙の盲を開く為の旅だったのだから。


 色とりどりの服を纏った者たちが、村の道を歩く二人の姿を、遠巻きに見つめていた。

 アッシュは、カラスを柵に囲われた大きな丸太小屋に招いた。

 カラスはその中をぐるりと見渡し、ボソリと呟く。

「質素だな…」

「それは、ちょっと心外だな。君の住んでいた路地裏のボロコンドミニアムより、よっぽど清潔で頑丈な作りだと思うけれど」

 カラスは、大部屋の奥にある小さな机に手を置き、椅子を引いて腰掛けた。

「ここは、騎士の家なんだろ?貴族の家にしては、質素だと言ったんだ」

「貴族の家に入った事があるのかい?」

「何度も入ったさ。どれもでかくて、天井が高く、立派な調度品の数々が、それこそ広い部屋が狭く感じるほどに埋め尽くされていた。この部屋は…盗みたくなるものが無い…いや、これなら…」

「なるほど、泥棒に入っていたのか。命知らずだね」

 カラスは机の側の据付棚から、本を引っこ抜く。

「本は、モノによっては高い値がつく。こいつは…革張りの装丁もいいし、立派だ。しかも、古代の紙を使っている…相当、いいもんだ」

 アッシュは窓のかんぬきを外し、次々と開いて回る。

 埃っぽい空気が、新鮮な風に追い出されてゆく。

「文字が読めるのならば、そこにある本を、読んでみるといい。ハルトマンの秘蔵書だよ」

「福音書の類なら、御免だ」

「冒険譚だよ。ハルトマンは、諸国漫遊が夢だったんだ。だから、冒険の話が大好きなのさ」

 カラスは、手にしていた本の留め具を外し、表紙を開く。

『アルル探検隊の大冒険』と題名が記されている。

 ざっとめくって挿絵を見ると、首のない裸の巨人に出会した絵や、鱗に覆われた首の長いトカゲの絵が見受けられた。

「なるほど…これなら、読めそうだ…と言いたいが、こいつは古書だ。古代語だぞ。ほとんど読めない」

 新しい衣服を手に抱えて、アッシュはカラスの元にやって来た。

「少しは読めるのかい。すごいね。じゃぁ、教えたらすぐに読めるようになるさ。元々、西方各地の言語は古代語をルーツにしているからね」

「そんな時間が、俺にあれば、な…」

「さぁ、これに着替えて。今来ている服は、補修する方が大変だから、捨ててもいいかい?」

 どさり、と足元に衣服が投げられる。

「おい、それって…」

「ハルトマンのだよ。仕方ないだろう。僕のは、二着ずつしかないから」

「未だに、お前の心は、読めないな…」

 カラスは固まった黒い血がこびりついた衣服を脱ぎ、生成りの肌着に着替える。ズボンはゆったりとした黒いコットン生地だ。

「本当は、身体のラインを際出たせるよう仕立てされた物なんだけれど、背丈と筋肉量が違うからね。ブカブカだ」

「当たり前だ。あの大男と一緒にするな」

「ところで、君は何歳なんだい?」

「知らねぇよ。なんだ、急に歳が気になったのか」

「いや、時間がどうのって言うから…僕は17になる年だ。君は…そうだな、18くらいにしておこう」

「自分が年上で無くていいのかよ」

「どうせ、適当だろ?見た目で判断すれば、君の方がほんのちょっと上くらいが丁度いい」

 扉が叩かれた。村の者たちだろう。

「ちょっと、話してくるよ。暇になったら、一番右側の本を開いてご覧よ。ハルトマンが最初に読んだ本だ。難しい文字には共通語のルビを書き込んであるから、きっと君でも読める」

 アッシュは扉から外へ出て、来訪者たちと会話を始めた。

 ルビ入りの本を読みながら、カラスは事の経緯を村人に語るアッシュの声にも、耳を傾けた。

 裁判は、恐らく明日には開かれるだろう。


 水浴びを行い、身体中の垢を擦り落とした後、村人からの差し入れの根菜と、豚の塩漬けを使った料理を口にした。少ししか無かったが、久々の肉は、鼻腔と胃袋に生きる喜びを呼び覚ました。

 アッシュがあまりにせわしく動くため、昼寝をしようにも落ち着かない。仕方なしに、カラスは部屋の掃除を手伝うことにした。埃を布で叩いて落とし、床に砂を撒いて箒で掃き集めた。

 終わった頃には、外は暗くなっており、いよいよ人生最後の夜を迎える。

 ハルトマンの寝台を与えられ、もうやけくそ気味に横になった。

 虫の声が聞こえた。

 部屋の中にいる分、旅路の野宿よりも、静かな夜に感じた。

 路地裏の子どもたちを集めた、狭苦しいコンドミニアムの部屋で眠るのとは、まるで…違う…カラスは、急速な眠気に襲われ、ぐっすりと寝入ってしまった。


 翌日は朝早くから、村人たちが次々と訪れる。

 彼らは家に上がり込み、手土産として持参した物を、大部屋の大テーブルに山積みにしていく。

 誰も帰ることはなく、丸太小屋には大勢の人々と共に、野菜や卵、豚と山羊と鶏、水鳥などの食材で溢れ返った。それらの食材は、アッシュと、それを手伝う女衆によって、旨そうな香りの料理へと変貌していく。カラスは、アッシュが近くを通るタイミングを待って、彼の腕を掴んで尋ねた。

「何を始める?なぜ、皆帰らない?」

 アッシュは些か面倒臭そうに、眉を顰めて言った。

「ハルトマンの葬儀だよ…葬儀を知らないの?」

 昼が近くなる頃には、村人は大部屋に入りきれずに、丸太小屋の庭に屯した。

 女衆が出来上がったばかりの料理を次々と支給し、人々は談笑しながら食す。

 朝から忙しく動き回っていたアッシュだったが、ひと段落ついたのだろう、杯と七面鳥のもも肉を手に、カラスの隣に座った。

「…はぁ、疲れた…何?食べてないの?遠慮しないで食べなよ…ご馳走だろ?」

 カラスは目の前に置かれていた、鶏肉のスープを一口啜る。

「冷めちゃったんじゃない?」

「…いや、旨い」

 カラスは、残りを一気に胃に流し込んだ。

「なぁ、飯を食うのが葬式なのか?」

 アッシュは骨をテーブルに置き、新しい七面鳥の足を手に取る。

「旨い。七面鳥なんて、滅多に食べられるもんじゃないからね。食べてご覧よ」

「…だから、食べることに何の意味があるんだ?それで、ハルトマンがどうなる?」

 アッシュは口に手を当て、肉を飲み込んでから答えた。

「アルノルドの葬儀は、死に方によって異なるんだ」

「アルノ…イド?」

「騎士の神様だよ。戦いの中で死んだ者は、神様の兵隊として取り立ててもらえるチャンスがある。でも、必ずしも神様のお眼鏡に叶うわけじゃないんだ。だから、こうしてお祝いを先にしちゃうのさ。すると、神様も断るのは気が引けて、認めざるを得なくなるだろ?」

「…意味がわからんぜ。死んだ後の話だろ?」

 首を振るカラスの肩を、アッシュは叩く。

「まぁ、今日は日が暮れるまで宴会だから、好きなように過ごしなよ」

 アッシュは、村人に話しかけられ、相手をしに席を立った。カラスは肩が鳥の脂で汚れたのを少し気にしながら、難しい顔でパンを齧った。村人たちは酒が入り、会話の声も次第に大きくなる。


「ハルトマン様の女癖は、そりゃぁひどかったもんだ。うちの娘が、二股かけられてるって泣きついて来たことがあってな…問い正してみたら、なんと十二人も同時に付き合ってたんだ。十二人だぞ?どうやって夜の相手をしてるんだ?俺なら、逆に逃げ出すかも知れん」

「税を安くしてくれて感謝に堪えんが、実際のところ、好きな本を買う金も無かったらしい。儂のところに、どうしても欲しい本があるので金を貸してくれんか、とやってきたことがある」

「近くで戦争があった時には、従者と二人で荷台を引いて出かけようとしてるんで、他にお伴は要らんのか、と声をかけたんじゃ。騎士の参戦としては、あまりに見すぼらしかったのでな。すると、武器を拾いに行くだけだから要らん、と答えなさった」

「大猪の退治の時には、度肝を抜かれたの」

「それを言うなら、ダイヤウルフの群れの時じゃろ」

「いやいや、はぐれのオーガーだろ」

「あぁ、そうだった、そうだった」


 カラスは、耳を塞ぎたくなる思いだった。

 だが、ここで自分が逃げ出すのは、違う気がした。

 むしろ、自分一人だけでも、ここに居るべきなんじゃぁないのか…。


「しかし、これからが問題だの…」

「腫れ物がいなくなったのじゃ、すぐにでも別の代官様がいらっしゃるじゃろうよ」

「税は上がるかな…」

「他所では、税が高すぎて、飢え死にする農夫もいると聞くぞ」

「アッシュが騎士なら良かったに」

「王様の元には、星の数ほど放浪騎士たちがいるんじゃ。騎士に取り立てて頂いたとしても、到底、無理無理、ご血縁でも無ければ、順番待ちの最後尾じゃよ」


「悪いな…俺が殺した…」

 カラスはボソリと呟くと、葡萄酒をいっきに飲み干した。

 声が届いた老人たちが話を中断し、押し黙る。

 やがて沈黙は部屋の中にまで広がった。

 外で騒ぐ人たちの声だけが、聞こえる。

 アッシュは壁際に立ち、黙ってカラスを見据えた。

「早く、俺を殺せば…」

 老人が、カラスの言葉を遮った。

「戦いで死ぬのが、騎士の定めじゃ。ハルトマンも、そこは悔いてはおらんじゃろう。めっぽう強い相手を倒したんじゃから、おぬしも立派な戦士じゃ。ただ、それだけのことよ」

「俺はッ…立派なんて、もんじゃない」

 外で子どもが皿を落としたようで、叱られた後に、泣き出した。

 別の年長者が、カラスに告げた。

「それはのぉ…自分で決めることじゃないんじゃよ」

 答えに困って、カラスは腰を上げる。すると、アッシュと目線が合った。

 アッシュは、黙って首を振る。

「…ちッ…はぁ…もっと、あの男の話を聞かせてくれ」

 カラスは、苦い顔をしながら、再び腰を下ろした。

「じゃぁ、こっちゃ来い。酒を注いでやる」


 夜がふけ、丸太小屋のテラスで、カラスとアッシュの二人は夜風で涼んだ。

 村人たちは家に戻り、部屋の中にいるのは給仕を手伝っていた女衆だけ。彼女らは残り物から好きなものだけを選んで、それをつまみながら世間話に花を咲かせている。

 テラスの柵に身を委ねながら、アッシュはテラスの椅子に腰掛けるカラスに向かい、静かに語りかける。

「よく、最後まで残っていたね。正直、すぐに飛び出しちゃうかと思っていたよ」

「お前ぇ、首を振ったのはどいつだ…くそ…。料理がもうちっと不味かったら、そうしてたよ!」

「残って正解だよ。あんな料理は、僕も初めてだ。多分、ここ五十年で、一番のご馳走だったろう」

「お前のご主人が、相当、いかれモンで…みんなから慕われてた、ってことだけは理解したさ」

「君だって、長老たちから可愛がられてたじゃないか」

「…どうだか…最後まで腹の底は見えなかった」

 アッシュは声に出さずに、ふと笑う。

「何にせよ、もう少し残って欲しい」

「…いつまでだ?」

「う…ん。まだ考えていないけれど、この森の奥に、秘密の小麦畑があるんだ。そこの収穫には、いつも人手が足らない」

「なんで、秘密なんだ?…まぁいいさ。なら、秋までは」

「やけに素直だね」

 アッシュは笑った。

「町から出たのは、初めてなんだ!他にどこへ行けって言う!」

「そうだったね。とにかく、目下の所…片付けをしよう」

 小さな窓のクリスタルガラスから中を除けば、女連中は酒を片手に談笑を続けている。テーブルの上は、残り物と、重ねられた皿の山、そして大量の食べカスが手付かずに残されていた。床も同じような有様で、テラスの外に置かれたテーブルでさえ、それは同様だった。

「明日で良くねぇか?」

「この家で狼を飼う気かい?何があっても、絶対に今日中に片付けるんだ。いいね、絶対だ!」

 カラスは犬歯を見せて、毒付いた。

「…めんどくっせぇぇぇ」

 女衆が帰った後でも、丸太小屋の明かりは夜半まで灯り続けた。

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