第7話 迷宮攻略

 騎士たちの来訪を待ち侘びていたかのような、不気味な扉。

「もっと、掘り下げてみたら?」

「これ以上は、下に掘ること自体、容易ではない。もし掘れたとしても、招かれておるのだ、無駄だろうな」

 アマーリエの問いに、ギレスブイグが答えた。

「なら、いいわ。行きましょう」

「本当に行くのか?」

 クルトが問いかける。

「準備はしてあるのでしょう?陣営の守りも命じてあるし、これ以上は時間の無駄よ」

 砦前の陣営には、完成目前の攻城塔が聳える。実際には、敵に炎を使う魔術師がいる以上、毛皮で防火対策を施した程度の攻城塔一基だけで、砦の攻略の目処は立たない。それでも、これ見よがしに作業を進めていたのは、マンフリードの意識を攻城塔に集中させ、坑道の作業を気取られぬようにするのが目的だった。

 陣営の守備は、頭脳明晰さが売りの美男子、ランメルトに任せた。しかし彼はまだ若く、とかく美男子という者は、一定の反感を買うものだ。お目付け役として、老練のボードワン司祭をつけ、破壊力という点ではトップスリーとなる、スタンリー、ワルフリード、オラースを残してある。

 マンフリードは恐らく、門を開いて正面から攻めては来ないだろう。だが、嫌がらせ程度の奇襲は、試みるかも知れない。その時に、戦力が充分でなければ、坑道作戦が露見しかねない。

 ここにいる者たち総勢13名で、扉の内部を探索することになった。

 面子は、アマーリエの他、騎士がミュラー、ギレスブイグ、クルト、ハルトマン、フェアナンド、ターラント、ウルバンの七名。傷を治療できるギフトという特技を持つ、ハルトマンの従者アッシュ。それに紋章官のロロ=ノアに、彼女の背後にピッタリと着いて離れないレオノール。最後に荷物持ちとして、砂堀りの二名にもご同行をいただくが、これは依頼ではなく本人たちたっての希望だった。

「じゃぁ、行くわよ…」

 アマーリエは扉に両手を当て、押し開く。

 軋み音ひとつ無く、扉は滑らかに開いてゆく…。

 扉の隙間から奥の構造が見える。

 内部には、石造りの通路があり、壁に設置された緑色に輝く石で照らされていた。

「アマーリエ様…」

 ロロ=ノアの呼びかけに、両手をかけたまま振り向く。

「次からは、私とこの娘が、扉を調べてから開けてくださるよう、お願いします」

「…なぜ?」

 ロロ=ノアは、胸元に片手を付いて、さらりと言う。

「罠があるかも、知れません」

「じゃぁ、次からは、私が手をかける前に注意して頂戴」


「魔剣というものは、それぞれにユニークな特徴を有しています。二本として、同じ物は存在しないのです。そして魔剣は、自らの特徴と相性の良い所有者を求めます。それが、“試練の迷宮“と言われるものです。ここまでは、皆さんもご存知のことでしょう」

 ロロ=ノアは、回廊を進みながら“迷宮“のレクチャーを請け負う。

「“戦記“にもあるからな。だが、実際に入るのはこれが初めてだ」

 フェアナンドは、頬を覆う金色の髭を掻きながら、周囲を物珍しそうに眺める。

「その“戦記“によるところでは、古代の魔術師たちは、天敵である竜を退治するために108本の魔剣を鋳造したことが記述されています。全て剣の姿をしている訳ではなく、“ジョルジュの木槌“をはじめ、盾や鎧もあるようですが、全容は未だ、定かではありません。学会の調査によると、現存する魔剣は36本。所有者が確定している魔剣は迷宮を生みませんので、皆さんは今、大変に貴重な体験をしている、という事です。とても、幸運と言えます」

「魔剣があれば、古代の竜でも倒す事ができるのか?じゃぁ、姫はドラゴンスレイヤーに成れるな!」

 ウルバンが笑う。

「“戦記“の記述を覚えておいでで?実際には、人間が手に持っただけの武器では、空を舞う竜には届きません。魔剣所持者たちは、鉄をも溶かすと称される火炎の餌食となってしまいます。竜を倒すには、魔剣の真価を引き出さねばならなかったのです」

「神格化よ。魔剣の望みを叶える事で、剣の神として、新たなひと柱となれる。幼い頃、父から、よく聞かされたわ」

 アマーリエが、気乗りしない口調で補足した。

「姫の剣は、何を望んでいるのでしょう?」

 フェアナンドの問いかけに、アマーリエはうーん、と唸る。

「判然としないのよね…この子は無口だし。そもそも、神格化の課題は、到底成就できないような、無理難題、というのが相場らしいわ。“戦記“の記述も、夢でも見てるのかってくらい、現実離れした事象が綴られている。ここ数百年、新たな神が生まれていないのも、そういう理由でしょうね」

「なぁ、その話に出てくる“戦記“ってのは、なんなんだ?」

 ウルバンの言葉に、一行は思わず足を止めた。

「な、なんなんだよ。本の事だろ?それ位は解るぜ。俺は本は読まない方の人間なんだ」

「呆れた…学会が発表した、西方世界の創世からの歴史を綴った記録よ。大地が冷えて、最初の神が誕生し、人類と竜を産んで…なんだかんだあって、この西の地に最初の人々が渡って来る。そんな話よ」

「壮大だな!みんな、知ってるのか!?」

「どの地方の、どの神殿にも、置かれているわよ。でも、内容は眉唾よ」

「おやおや…ボードワンの耳に入ったら、雷が落ちるな」

 クルトが笑った。

「俺が魔剣を持ったら、必ず神になってやるぞ」

 ウルバンが甲冑のブレストプレートをバンと叩いて意気込む。

「そう…気をつけて」

 アマーリエの返しに、ウルバンは首を縮めた。

「魔剣のオーダーは、“呪い“とも言い換えられるのです。力のある魔剣ほど、その呪いも恐ろしいものとなります」

 ロロ=ノアの補足に、ウルバンが煙たそうに返す。

「お前は、何でも知った風に話すな。気分を盛り下げる名人だぜ」

 ロロ=ノアは、腰のレイピアに手を当て、すっと鞘から引き抜いた。

 思わず身構えたウルバンの目に、鞘から数センチだけ引き抜かれた刀身が写る。うっすらと青く輝く、湖のような色…刀身が自光する輝きだった。

 刀身を鞘に戻し、彼女は一行の前進を手で制した。

「最初の扉です」


 アマーリエは、通路の突き当たりにある鉄の扉を見つめながらぼやく。

「どうせ突き当たりなら、もっと手前にあってもいいんじゃないの?もう、すっかり砦の下を通り過ぎてるわよ」

 ロロ=ノアは笑った。

「迷宮の内部は異界ですからね。どうせ土地に余裕があるのならば、めいっぱい広く造りたくなるのは、魔剣も、人間も、同じですよ」

 アマーリエは、最後を強調した言い方に違和感を覚えつつ、騎士たちに戦闘態勢の合図を出す。

「…罠は?」

 扉を前にしても動かないロロ=ノアに向けて、アマーリエが問うと、彼女は事なげに返した。

「大丈夫、恐らくありません」

「はぁ?」

「長く平坦で、精緻な意匠が施され、灯りにも不自由しない快適な歩廊。恐らく、皆さんとの相性は良いと判断します。そして、この歩廊をゆく間に、ここの主人は皆さんを観察し、相応しい試練を用意したのでしょう。ですから、扉が急に現れたのです」

「準備ができましたで、ございってか?」

 ウルバンが扉を見上げてほざく。

 ロロ=ノアの涼しい顔を見ても、アマーリエは疑いが晴れない。

「本当に、罠は無いのね?」

 背後のレオノールを見やるが、こっちは無表情のまま、ロロ=ノアの背後に人形のように佇んでいる。保護者の存在以外、まるで眼中にないようだ。目を向けるだけ、無駄であった。

「じゃぁ、開けるわよ…って、私じゃなくても良くない?」

「いいから、さっさと開けろよ」

 クルトの愛の無いツッコミに、アマーリエは口を尖らせながら従った。


 緑色の光に照らされた円形のホール。出口は見当たらない。大理石で化粧された壁際には、13体の全身甲冑像が並べ置かれていた。

 ギレスブイグが低い声で告げる。

「あれは、動くぞ」

「でしょうね!」

 アマーリエは言い返すが、中に入る以外、行動の選択肢は無い。

「扉を開いておけば、囲まれる危険を回避できないか?」

 クルトの意見に、ギレスブイグは首を振った。

「自動的に閉まるだろう。分断されるぞ」

「じゃぁ、何かを挟んでおけば良くないか?」

 フェアナンドの言葉を無視して、ギレスブイグは騎士たちの背中を押した。突然出現する扉なのだから、消え失せても不思議は無いのだ。だが、ギレスブイグがそんな説明を丁寧にする事は、きっと金輪際無い。

 大きな背負い袋を担いだ砂堀りたちも含め、全員が中に入った途端、扉は自然に閉じた。

 一行は、ホールの中央まで移動する。

「方円陣。ロロ、レオノール、アッシュ、砂堀りたちは、私の側に集まって」

「了解」

 クルトは騎士たちと肩を並べ、剣を構えた。

 予想通り、甲冑像はガチャガチャと音を立てて、土台から降りると剣と盾を構えて歩き出す。

「みんな、理解してるのか?何故、動くんだ。中身は空だぞ」

 ウルバンが騎士たちの横顔を伺いながら尋ねると、ターラントがその肩を盾で叩いた。

「うるさい!知るかよ!」

「まじかょ…気色悪いだろぉ。気にならないのか?」

 13体の像は、同じタイミングで剣を振り翳し、騎士たちに撃ち下ろした。

 ホールの中に、一斉に板金が叩かれる音が反響する。

 中身が無いのだから、その打撃力も相応のものと思ったが…アマーリエの予想とは真逆のようだ。騎士たちの盾は打撃で沈み、腕の痛みにうめき声が上がる。甲冑像たちの剣戟は、同じ動きであった初撃から変化し、二撃目からは上下左右と、それぞれに異なる動きで攻勢を続けた。

 騎士たちも負けてはいない。剣をいなし、突き返し、盾をぶち当てて押し返す。

 だが、甲冑像は怯むことなく、すぐさま反撃を繰り出す。

 正面からの叩き合い、消耗戦が繰り広げられる。


 アマーリエは、円の中心から進み出て、騎士の間に分け入った。

 途端、二体からの攻撃を受ける。

 左からの最初の攻撃を剣の腹で合わせて、十字鍔で受け取ると、それを移動させて右からの次の一撃を二本になった剣で受け止めた。そして二撃目の剣先を掴み、引っ張るが、まるで張り付いたように像は剣を離さなかった。一撃目の剣を鍔を捻って体重をかけるが、こちらも落とす事はなく、再び剣を振り上げようとする。

 その鳩尾めがけて、剣先を突き込むと、像は体勢を崩して後退。もう一体からの三撃目を、少しだけ持ち上げた大剣のリカッソで受け止める。ずっしりと重い一撃は、アマーリエの両腕では受け止めきれず、甲冑のボールドロンを凹ませる。

 次の瞬間、アマーリエの剣先は腋から見えるマーリアを切り上げた。

 ずしん、と身体が浮き上がった甲冑像は、しかし間髪を置かずに反撃を振り下ろす。そのタイミングが、距離を詰めてきた二体目の攻撃と重なる。

 アマーリエの左右の騎士たち、フェアナンドとターラントの剣が、それらを叩き返してくれた。

「頼んだ」

 アマーリエは後退して円の中心へと戻る。

「退がるのかよっ」

 ターラントが不満を述べるのも当然、円陣の騎士は7人に対して、像は13体いるのだ。

「何か、お分かりで?」

 ロロ=ノアがアマーリエに語りかけた。

「あなたは、何をしているの?」

「レオノールと分担して、像の動きを鈍らせているのですが、お気づきになられないとは…残念」

 アマーリエは頷いた。

「魔剣しか効果が無いのかと思ったけれど、どうやら差は、あまり無いみたい」

 騎士たちは、徐々に退がり始め、円陣の中は狭くなっていく。

 主導権を制することができない。

 像の動きは緩慢と言ってよく、アマーリエの騎士たちの腕前ならば、朝飯前の稽古にも見劣るはずだ。

 しかし、状況は押される一方…何かの魔術が働いているのであろうか。

「魔術…魔術…」

 アマーリエは、騎士たちの戦い方に注視する。

「何か…穴があるはず」


 アマーリエは、疲労が、騎士たちの剣を重くしている事に気がついた。

「呼吸を整えて!相手は一定のリズムでしか撃ち込んで来ない!相手の動きに合わせて、呼吸をするの!打撃を与えても、そのリズムは変えないで。普段通りの戦いでは無い。相手のリズムを見失わないで!」

「じゃぁ、効いてるって事でいいんだよな!?」

 クルトが喘ぐ。

「魔法で動く物は、痛みを感じないだけだ」

 ギレスブイグが、息を切らせながら注釈する。

 クルトの疑問も最もだ。効いている素振りを見せない相手に、戦いの希望は見出せない。だが、アマーリエに、その結論は出せない。知らないのだから、わかるはずも無い。もし、効いていなければ、騎士たちは一生、勝てない。分かっているのは、それだけ…。

 否。

 盾を使って打撃を受け止めているのだから、それは無い。少なくとも、盾を使う必要があるのだ。

「相手は怯まない!だから、リズムを変えないで!的確に撃ち込み、すぐに反撃に対処!息を吸って、はいっ今!次、はい吸って!」

「俺の前の敵とは、タイミングが違うぞ」

「軌道が違えば、時間もズレる。仕方無いでしょ。話していると、息が持たなくなるわよ!特別な相手よ。特別な戦い方をするのだと理解して!強い打撃を狙わず、隙を生まない攻撃を心掛けて!」

 対戦とは、相手の挙動、相手の呼吸を意識することが求められる。腕が立つのならば、それを無意識に行うものだ。アマーリエの騎士たちも、それを肌感覚で行なっているだろう。だが、像の動きには、予備動作が存在しない。体勢が崩れていようとお構いなしに、不思議と重い打撃を繰り出してくる。

 甲冑の重さは、30kgから40kg程度のはずだ。まるで少女の体重である。

 打撃力は本来、体重と比例関係にある。この甲冑像の打撃が、体重と関係を持たないとすれば、体勢の崩れも、打撃に影響しないのかも知れない。

 痛みへの反応も同じだ。痛みによって、身体が硬直する時間も無い。打撃を受けると悟った瞬間の、反射的な回避行動すらない。だから、間髪置かずに次の打撃を繰り出せるのだ。


 ひたすらに、“やりづらい“。

 それが、この戦いの鍵だった。


 騎士たちも、アマーリエの意図を悟った。

 半刻にも及ぶ打撃戦の後、最初の一体が倒れた。

 それを見た騎士たちの目が変わる。

 身体中の甲冑を凹ませながらも、騎士たちは甲冑像に勝利した。

 騎士たちは歓喜の雄叫びを上げつつ、しかし、その場にへなへなと崩れ落ちた。

 砂堀りたちが水袋を配り、アッシュは傷を治して回る。

 ギレスブイグは、変形した甲冑の山を調べている。

 彼から聞いた話では確か…魔化された物質は、変形に対して強い抵抗力を持つという。すると、魔力を失うまで打撃を与えた…ということだろうか。あるいは、魔力は動力だけの役割であり、甲冑の破壊度合いによって、その効果…動力が伝達する道を失う…か?

 アマーリエは答えの出ない疑問を放り出し、アッシュの元に近寄った。

 彼が、傷を治してゆく様子を近くで、まじまじと観察する。


 ギフトとは、先天的に得た特殊な力の総称だ。剣の神の気まぐれによって授けれるとも言われ、希少性の高い特異体質。その効果は様々で、明日の天気が分かったり、蚊に刺されにくい、賭け事に強い、など自分でも気が付かないまま一生を終えることもあるという。それらの中でも、アッシュが持つ“癒しの手“と言われるギフトは、神官に次ぐ即効性のある治癒として、とても重宝される類のものだ。

 しかし、一部の地方ではギフトは“穢れの力“として、忌み嫌われる。


 アッシュの話では、大きな怪我は何日も続けて処置する必要があり、致命傷に至っては回復は難しい、とのことだが、こうやって間近で見ると、感動すら覚えた。

 彼が取っていた手法は、こうだ。

 まず傷口の不純物を取り除く。次に、切断面を両手で押さえ、傷口が塞がるように保持する。その後は、じっと何かを念じているうちに、皮膚が生まれ、伸びて引っ付き合うのだった。

 彼の額には、じんわりと汗の玉が浮きだす。

「その力は、どれくらい使えるの?」

 アマーリエはレースのハンカチーフを差し出しながら、彼に尋ねた。アッシュは遠慮し、袖で額を拭う。

「軽傷なら、一度に10人くらいまでです。重傷ならば二人が限界です。その後、数刻は休憩しないと力は戻りません」

「病気は?」

 アッシュは苦笑しながら答える。

「残念ですが、治すことが出来た試しは、ありません」

「そう…ありがとう。助かるわ、とても!」

 アマーリエは晴れやかな笑顔で、そう告げると、立ち上がって号令を出す。

「ここで、半日休憩します」


 アマーリエは、ロロ=ノアとギレスブイグ、ミュラーを呼び集めた。

「ロロ=ノアは、さっき不思議な事を言っていたわよね?相応しい試練を用意した、とか」

 アマーリエの問いに、紋章官は頷く。

「感受性の強い魔剣ならば、そのような対処をする、と聞き及んでおります」

「どこから?」

「ふふ…商売上の秘密です。」

「まぁ、いいわ。で、ならば次の手はどんなものか、予測しましょう」

 ギレスブイグがせせら笑った。

「言い当てて、当たるものとは思えん」

「方向性だけでも、言ってみてよ」

 ミュラーが顎に手を当てて、それじゃぁ、と答える。

「これが手始め、と考えるならば…次は、真逆のものを用意するよ。僕ならね」

「魔術の類、とか?」

「それは、無いでしょう」

 アマーリエの意見を、ロロ=ノアが否定する。

「最初に用意したのが、騎士の像ならば、ここの主人は魔術に類する手は使わないでしょう」

「なんで?」

「おそらく、杖の類では無い、からです」

 アマーリエとロロ=ノアのやりとりに、ミュラーが続く。

「じゃぁ、剣だとすると…主人は剣の腕前に長じた相手を求めているのだから、次も剣で倒せる相手、ということになるね」

「ミュラーの言う通りならば、戦い方が“真逆“という帰結になる。だが、それ以上は机上の空論だろう」

 ギレスブイグが、そう締め括った。

 半刻後、扉が一つ、出現する。

 ちらの様子を監視されているかのようで、アマーリエは腕に鳥肌が立つのを感じた。

『さぁ、充分休んだろう。そろそろ、先へ進む時間だ』

 まるで扉が、そう言っているかのような錯覚を覚える。

 扉を開くと、その先は真っ暗闇だった。


 ランタンを翳して侵入した一行は、そこが細い橋であることを知った。

 正確には、橋上の歩廊で、ランタンの灯りでは底をうかがい知ることはできない。正面に微かに緑色の光が見え「あそこまで辿り着け」という意図だと理解した。

 ロロ=ノアは、レオノールに先行するように命じた。

 浮遊する小さな光の粒を呼び出した彼女は、幅50cm程度しかない歩廊を、スタスタと歩いて行く。ロロ=ノアがゆっくり歩くように命じなければ、一人で終点まで行ってしまいかねない勢いだった。

 半分ほど進んだところで、騎士たちは襲われた。

 すぐ隣に羽音を感じたと思った刹那、ターラントが突き落とされかけた。彼は、歩廊にしゃがみ込みながら、叫ぶ。

「何かに押された!気をつけろ!何か飛んでいるぞ!」

 だが、周囲は闇ばかりで、何も気配は感じない。

「左手に飛んで行った。羽の生えた人型だ」

 クルトが、剣を構えて告げる。

「空気の流れが、遮断されているようです。気配を察知できません」

 ロロ=ノア早口に述べる。

 先頭のレオノールが、光の粒を左右に大きく飛翔させて、敵を探す。

「いた!また右!」

 彼女の掠れた声が届くと、クルトは回れ右をして、剣を盲撃ちに振り下ろした。

 ぶんっと唸りをあげた切先は、しかし空を切る。

 アマーリエは彼の肩に、鳥のような脚が爪を伸ばして掴みかかる瞬間を見た。

「おわぁっ!」

 宙に舞い上がった身体を、ハルトマンが飛び込んで抱きしめた。

 二人の身体は糸が切れたように、歩廊に落下し、クルトの身体が一回転して、歩廊から消えた。

「いやっ!クルト!」

 アマーリエは叫んだ。

「…まだ生きてるぜ」

 ハルトマンが、その手を掴んでいた。

「長くは持たんぞ、剣を捨てろ」

「ご冗談を…」

 前後にいたギレスブイグと、フェアナンドが手を貸し、クルトを引き上げた。

 九死に一生を得たクルトが、安堵のため息をついた瞬間、レオノールが叫ぶ。

「一体じゃないッ!」

 ターラントとウルバンの姿が同時に闇に消えた。

 悲鳴が反響し、やがて二つの着地音と同時に、静かになる…。

 ロロ=ノアが叫んだ。

「レオノール、走れ!」

 アマーリエも叫んだ。

「みんなも、走って!」

 騎士たちは、息を切らせて走り出す。光点までは、あと50mほどか。

 まるで風のような勢いで、奥の扉の前まで行き着いたレオノールが、光の粒を円形に動かす。

 それを認識したロロ=ノアが叫んだ。

「灯りを捨てなさい!」

 アマーリエもそれに従い、ランタンを横へ放り投げようとする。

 持ち手のリングが、ガントレットの継ぎ目に食い込んで、ランタンは手元で一回転をした。

 ランタンを覆う、クリスタルガラスに、何者かの姿が映った気がした。


「姫ッ!」

 ハルトマンが飛び込んで来た。彼のアーメットは頭から抜け、白いものが混ざった長髪の束が宙を舞う。ハルトマンが伸ばした腕が、アマーリエの胸元を押し返し、走っていた勢いが消えない下半身だけが、前に残された。空中で横倒しになったアマーリエの身体は、歩廊の石畳に真っ直ぐに落下し…。

 アマーリエは、二つの影が、眼前で衝突するのを目撃する。

 右手から飛来した裸の魔物が、ハルトマンの身体を押しやり、アマーリエと共に歩廊に落下した。

 アマーリエの顔の側で、狂ったように羽と足をばたつかせた魔物は、クルトが振り下ろした剣によって、首を落とされた。

 流血音と共に、生暖かい魔物の血液が、アマーリエの顔にかかる。


 硬直するアマーリエの耳に、甲冑が潰れる音が届いた。

「カラス!」

 アッシュの叫びが、闇の中にこだまする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る