第7話 基地
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「あれは?」
視界の先を黒光りする細長い物体が四つ、連なって走っている。遠いから小さく見えるが、実際にはそれなりの大きさがあるのだろう。
『マーズ・エクスプレス。各ドーム間を連絡してる、旅客と貨物の運送車両だよ。あのルートなら、ロサンゼルスドームから香港ドームに向かってる車両じゃないかな。あたしたちのルートとそう変わらない』
モニターの前でふわふわと滞空しながら、ミネルヴァが答える。
「ま、バカ高いから金持ちの道楽専用みたいなモンだけどな。物流でもぼったくってる」
『まあまあお兄ちゃん。おかげであたしたちの仕事も成り立ってるようなもんなんだし』
「そーだけどな」
マルスはつまらなそうにそっぽを向く。
『もう、お兄ちゃんってば』
ミネルヴァはアスカを見て、やれやれと両手を広げる。
その向こうのモニターでは、その車列は砂ぼこりを巻き上げながらあっという間に走り去ってしまう。こちらよりもずいぶん早い。
「それで……その、ザ・レッドってどういう人なの?」
ザ・レッド。
アスカがさっき聞いたばかりの名前だ。彼らによればアスカのIDを用意できる人物のようだが、その名前が本名のはずがない。
「変人だな」
アスカの問いに、マルスが即答する。
「変人?」
『うん。まあ……変な人だよね』
ミネルヴァもあごに指先を当てて考えてみるものの、結局はマルスに同意した。
「……」
クラリスも操舵室にやってきているものの、まだ早朝のことで怒っているようで、顔を赤くしたままふてくされている。
「本名は誰も知らない。俺たちだって人のこと言えたわけじゃないが、ドームの外で暮らしてるってだけでどうかしてる人間だよ。ザ・レッドはアウトサイダーたちとは違うけどな」
「ふうん……?」
『すごい技術を持ってる人でね、火星連邦やMSTFのデータベースにアクセスしたりもできるんだよ。このアルテミスを用意してくれたのもザ・レッドで、たまにメンテナンスとか修理をお願いすることもあるんだ。まあ……結構高いけどね』
「ソフトウェアとハードウェアのどちらもに精通してて、火星連邦とMSTFに関わりない大規模な製造設備も持ってる。……実際のところ、ザ・レッドがいなかったら俺たちのこんな生活も成り立たなかっただろうな」
「変人なのかもしれないけれど、随分優秀な技術者なのね」
「ま、そんなところだな。それ以上のことは俺たちもよく知らねえ」
なんだかんだ言って、マルスたちがこの生活を続ける上で必要な人なのだろう。であれば、そのザ・レッドという人物の背景を根掘り葉掘り聞くことができないのも当然か、とアスカは考えを巡らせる。
しかし、地図を見る限りこの方面には……。
その先を考えることを止めるアスカ。その少し引っかかる気持ちを飲み込み、モニターの光景を眺める。
アルテミスの外には、相変わらずの赤茶けた荒野が広がっていた。
二、三時間ほど坂を登り続け、そのずいぶん大きな丘を登りきる。
「……あれがザ・レッドの基地だよ」
「あれは……」
眼前の光景に、アスカが絶句する。
丘の向こう、アルテミスの数十メートル向こうは崖になっている。崖の高さは二百から三百メートルほどだろう。崖を降りた先にはかなり広い平地が広がっていた。
そのさらに向こう、はるか遠くには海が見えるが、マルスの言う基地は、平地の中ほどにあった。
それでもまだかなり遠く、何かが小さく見える、というだけだった。
それから建物の目の前までやってくるのには、さらに三時間を要した。
建物の周囲は朽ち果てた草木の残骸に覆われていて、建物自体は半分ほども砂に埋もれていた。
建物はポリカーボネートらしき凹凸のある外壁のモジュールがいくつもあり、それぞれをチューブのような通路で連結されている。
そのような形状のせいか、かなり広い敷地を使用した基地ではあるものの、それと比較すると居住空間はそれほど広くはないのかもしれない。
外壁自体もかなり劣化しているように見えた。元は白色だったであろうそれは、いまでは黄色く変色しており、表面もボロボロに崩れてしまいそうになっている。
どれくらい前からある基地なのかは判然としないものの、相当に古い建物であることが伺えた。
「なんてことなの……」
「……? アスカ?」
アスカの驚きようにクラリスが声をかけるが、アスカはそれにも気づかずにただモニターに映る基地の様子を食い入るように見つめている。
釘づけとも放心とも取れるアスカの様子に、マルスとクラリスは顔を見合わせる。
建物の周囲をぐるっと周り、ひときわ大きなモジュールの巨大なハッチの前でアルテミスが停車する。
『ついたよー。通信は頼んでいい?』
「任せろ。あとはこっちでやる。ありがとな、ミネルヴァ」
『どういたしまして』
マルスがコンソールパネルを操作すると、モニターに数秒ほどの「接続中」という表示の後、基地のものらしきアナウンスが響く。
『当施設は火星探査基地ハイヴⅢです。当施設のご利用に当たっては権限所有者の承認が必要となります。権限所有者の許可申請または権限所有者本人による管理者コードの入力をお願いします』
「わかったからザ・レッドを呼んでくれ。俺たちじゃ入れねーんだから」
いつも聞かされるメッセージなのだろう。マルスが聞き飽きたとばかりに投げやりに言う。
「……HIVEⅢUN二一二八四四六五八七八一。アスカ・ヤマサキ」
「え?」
「なに?」
不意に口を開くアスカに、マルスとクラリスが後部座席を振り返る。
しかし、明確な反応を示したのは基地のアナウンスの方だった。
『管理者コードを受理しました。お久しぶりです。コマンダー・アスカ・ヤマサキ』
目の前のハッチが重苦しい音と共にゆっくりと開くのを見て、マルスとクラリスがあ然とする。
「ウソだろ……」
「……」
マルスが恐る恐る、アルテミスをハッチの中へと進める。
ひときわ大きなモジュールの内部は車庫だったのだろう。しかし、内部には使い道のわからない様々な部材が幾重にも積み重なっており、アルテミスが入ってしまうとほとんど空きはなくなってしまっていた。モジュール内は車庫というよりは倉庫の様相を呈している。
背後でハッチが閉まるのを確認しながら、マルスはアルテミスを停車させる。
「なあ、アスカーー」
改めてアスカに問おうとするが、マルスが振り返ったときにはアスカはすでにアルテミスのハッチに入っていくところだった。
「……なんだあいつ」
「ま、まあまあ」
クラリスがマルスをなだめるものの、彼女自身も同じように理解不能という顔をしていた。
アスカはそんな二人の様子にも気づかず、ふらふらとハッチを通り、そのままアルテミスの外へ出ていく。
「そんな……」
口の中だけでそうつぶやき、車庫の中を見回す。
外観に違わず、内部の様子からもかなり古い建造物であることが察せられた。内壁は外部ほどではなくても変色して崩れかかっているし、他にも大小様々な傷に溢れ、その傷もまた経年劣化によりボロボロになっている。壁面に記されていたであろう何かしらの表記も、壁面の劣化に伴い塗膜がはがれ、かすれてほとんど読めなくなっていた。
床面の劣化はさらに顕著だった。
昔からの車両の出入りの影響なのだろう。コンクリートらしき床材はかなりすり減っていて、タイヤの跡にそって凹んでいる。それはまるで、車両が通るべきルートを示しているかのようだった。
アスカはアルテミスを出てからまっすぐに別のモジュールへの通路へと向かい、接続用の扉を開く。
その向こうの通路もまた、同じように著しく劣化しているのがわかった。
「……」
アスカは膝をつき、床に両手をつく。
「本当……なんだ……」
「……」
「……」
アスカを追ってアルテミスから出てきたマルスとクラリスは、アスカのそんな様子に何も言えなくなってしまう。
『おやおや』
「!」
そうしているところで、急に新たな声が室内に響く。やや年配の男性の声だった。
三人がはっと顔を上げると、誰もいなかったはずの車庫の中央に一人の男性が立っていた。
『一体どこの侵入者かと思ったら、これはこれは。アルテミスじゃないか。ということは、マルス君とクラリス君だね』
その男性は、そう言って穏やかなほほ笑みを浮かべた。
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