第2話 異郷


2

「あんた、一人か?」

「……」

 女性はマルスの言葉に呆然と周囲を見回す。当然、彼女の周囲にはただ赤い荒野がどこまでも続いているだけだった。仲間も車両も、知っているはずのものは何もない。

「そう……みたい、ね……」

「……?」

 女性の物言いにマルスは怪訝そうな顔をする。が、彼女はマルスのそんな様子に気づかなかった。

 彼女はひどく混乱していたのだ。

 頭の中にあるのは、白いモノリスと、光り輝く天蓋。先程まではそんな光景のただ中にいたはずなのに、気づけば荒野にただ一人取り残されている。

 白いモノリスにたどり着いたときは三人だったが、光り輝く天蓋のたもとにいたときはすでに一人だった。いや、一人の男と相対したような気がする……と思うものの、彼女の記憶はどこか曖昧で、確信があるほどのものではなかった。

「一人で平気だってんなら、俺たちはこのまま帰るが」

『ちょっとお兄ちゃんってば!』

 業を煮やしたマルスの言葉に、ミネルヴァが耳元で抗議する。が、そのインカム越しの声は女性には聞こえるはずもない。マルスは聞こえていないふりをした。

 女性は彼の言葉を思案する。

 俺たち、というからには、一人ではないのだろう。

 であれば、彼についていっても大丈夫なのかもしれない。口ぶりからすれば助けに来てくれたのだろうし、そうすれば今どこに自分がいるのかもわかるかもしれない。

「ええと、その……できれば、助けてくれるとありがたいのだけれど……」

「だとよ。どうする?」

『助ける!』

『助ける!』

 インカムでミネルヴァとクラリスの声がハモり、マルスはうんざりしたように肩をすくめる。

 二人の声が聞こえるはずもない女性は、マルスの態度にやはり他にも人がいるのだろうと確信する。

「じゃーアルテミスをこっちに回してくれ。詳しい話は中でやろう。外に長時間いるのは身体に良くない」

『はーい』

 マルスの声にあわせて、遠くに見える装甲車がゆっくりと動き出した。それはやがてマルスのすぐ背後で側面を見せて停車、外側のハッチが開く。

 女性には全く見たことのない型式の車両だった。

「話は中でだ。……先に言っとくが、乗っ取ろうなんて考えんなよ。その時は容赦しねぇ」

「そんなことーー」

 女性の返事を待たず、マルスは車内へと引っ込んでしまう。いったん閉鎖されたハッチを呆然と見やると、女性は重たい足取りで立ち上がり、ハッチへと近づく。

「いったい何が……」

 わからないことだらけだった。

 この場所には……普通に考えれば呼吸できる大気など存在しないはずだ。なのに、手元の表示では〇.七気圧ほどもあり、その組成も窒素が八十パーセントに酸素が二十パーセント。あろうことか呼吸可能なのだ。

 つい先程までは、〇.〇〇七気圧しかなかったはずなのに。

 なんの装備も身に着けておらず、ましてやマスクもしていない男が急に目の前に現れるなど、誰が想像できるだろう?

 改めて開くハッチに、女性は覚悟を決めて乗り込んだ。

 与圧服と脇に抱えたヘルメットで、その部屋は他に誰も入れないほどの狭さだった。

 背後のハッチが閉じ、しゅうう、という音が狭い室内に響く。

「……加圧してる。エアロックになってるんだ」

 動作の意味を理解し、女性がポツリとつぶやく。

 やがて内側のハッチが開き、装甲車の中へと入る。

 急激な気圧の変化にやや頭痛を感じながら、彼女は車両内を見回した。

 車両が大きかったこともあり、内部もなかなか広い。それに、外観からかなり無骨な印象を受けていたが、内部は機械類がむき出しになっているようなこともなく、操舵室というよりは居室と言ったほうが違和感がなかった。

「こっちだ」

 マルスの声に振り向くと、座席にマルスと美少女ーークラリスの二人が座っていた。

 彼の指し示す座席に、彼女は大人しく座る。

「俺はマルス。マルス・シュタイナー。こっちはクラリス」

「私はアスカ・ヤマサキ。助けてくれてありがとう。正直に言って……途方に暮れていたところだったから、本当に助かったわ」

 ヘルメットをひざの上で抱え、女性ーーアスカが頭を下げる。

「いいよ、そんなの。私はクラリス・ヴァイセンホープ。よろしくね」

「よ、よろしく」

「あんた、MSTFじゃないよな?」

 何よりもまず確認するべきことだという雰囲気で、マルスがそう問う。が、当の彼女はマルスの言葉に疑問顔だった。

「MSTF?」

「知らねーのか? Mars Special Task Force、火星特務機動部隊。火星連邦直属の軍事組織だぞ。火星全域の治安維持を名目に活動してるが……俺らにはちょっとばかり都合が悪い相手だ」

「火星連邦、火星特務機動部隊……。そんな組織が……」

 呆然とするアスカに、マルスは眉根を寄せる。

「おいおい、本当に何も知らねーんだな。いったいどこで生活してたら、そんなに世の中に疎いままでいられるんだ」

「まあまあ、それは今はいいでしょ」

 呆れるマルスをたしなめ、クラリスがアスカに声をかける。

「それで、アスカさんはどうしてこんなところにいたの? 他に知り合いとかはいないの?」

「それは、私もなにがなんだか……。ついさっきまで一緒だったはずの仲間ともはぐれたみたいだし、ここがどこかもわからないし……」

「さっきまで、仲間といたのか?」

 マルスの問いに、アスカは困惑しながらもうなずく。

「ミネルヴァ?」

『もっちろん、出来る妹はとっくにスキャンしてますよー。少なくとも半径二十キロメートルの範囲には生体反応ナシ。各種電磁波……何らかの信号を発している物も無いよ。……まあ、電磁波とか熱なんかを遮断されてたらその限りじゃないけど』

 車内に急に響いたミネルヴァの言葉に、アスカは驚いて頭上を見上げる。

「仲間との通信は?」

 アスカは首を横に振る。

「取れないわ。仮に彼らが……死んでいたとしても、バイタル警報が来るはずだけれど、それもない」

「通信可能距離は?」

「遮蔽物が無くても……せいぜい三キロメートルくらいかしら」

「となると、アルテミスのスキャナーに引っかからない以上……あんたのお仲間は……近くにはいない、ってことになるな」

「……そう、ね」

 マルスがアスカに気を遣って「死んだ」と言わなかったのだと、彼女はなんとなく察した。

「ここは、その……一体どのあたりなのかしら」

「ここは、香港ドームとロサンゼルスドームの間だから……まあ、オリンポス山の南側ってとこか?」

『うーん、地理的にはそうかな?』

 マルスとミネルヴァのやり取りに、アスカは目をむく。

「ロサンゼルスドーム? オリンポス山?」

「なんだよ、どこにいると思ってたんだ?」

「火星なのに、私の知らないものがある……」

 二人には聞こえないほどの声で、アスカが独りごちる。

「アスカ?」

「ああ……ごめんなさい。私はてっきり、シドニア平原にいるものだとばかり……」

「シドニア平原?」

 クラリスの疑問に、ミネルヴァが答える。

『ええと……シドニア大海ならあるけど。それは北半球だね。百五十年前くらいに水没してるから、その前ならシドニア平原って名前になるかな……?』

「百五十年前に、水没?」

 アスカがうつむいてつぶやく。その顔が青くなっていることに、マルスとクラリスは気づかなかったようだった。

「テラフォーミングの結果だって話だけどな。火星のテラフォーミングはまだ終わってねーらしーが、それでもそこそこ進んでるからな。テラフォーミングが完了するのはあと百年か二百年くらいはかかるんじゃねーかって話だ。生きてるうちに完了を見届けるのは不可能ってこったな」

 当たり前のこと過ぎて、という様子で、マルスはつまらなさそうに言う。

 だが、アスカは黙り込んでしまう。

「……」

 その様子に、マルスとクラリスは顔を見合わせた。

 何か変なこと言ったかな、と首を傾げるクラリスに、さあな、と言いたげに肩をすくめるマルス。

 だが、二人ともアスカにそこまで追求はできなかった。

 と、そこでマルスは一つのことに気づく。

「あー。てことは、金もねーんじゃねーのか?」

「あ、それは……そうです。というか、この船外服以外になにも持って無くて……」

「ああ……まあ、そりゃそうだよな。荷物もなんも無かったから……そうか。それ以外に服も無いのか」

 アスカは困った顔でうなずく。

「クラリス、貸せる服あるか?」

「なくはないと思うけど……サイズが合うかなぁ」

「そういやそうか。クラリスはーー」

 マルスがクラリスの身体を見てなにか納得したようにうなずく。マルスの視線にクラリスは顔を真っ赤にして怒った。

「ちょっとマルス! どこ見て言ってんの!」

 クラリスが両手で胸元を隠しながら叫ぶ。

『お兄ちゃん……』

「いやいや、二人ともなんか勘違いしてるだろ。単に体格が違うって話をしてるだけじゃねーか」

「絶対違うもん! 私の胸がちっちゃいことを憐れんでる目だった!」

「そんな目で見るわけねーだろ」

『お兄ちゃん、それは無いよ……』

「まだ成長期だもん! ちゃんと大きくなるもん!」

 少しズレた主張を必死に始めたクラリスに、マルスは助けを求めてアスカを見る。とはいえ、アスカもなんと言えばいいかわからず苦笑いを返すしかなかった。

 そんなアスカを見て、マルスは反論を諦めて両手を上げる。

「わかった、わかったよ。俺が間違ってた」

「本当にわかったんでしょうね」

「もちろん。全面的に俺が悪かった。クラリスの将来には期待してる」

「……よろしい」

 クラリスは仕方ないという風にマルスの謝罪を受け入れたものの、まだ頬がふくらんでいる。

『よろしいのかなぁ……?』

「……」

 ミネルヴァと同じで、アスカもどこかセクハラじみたマルスの言葉に疑問符が浮かびかけたが、本人が納得しているのなら余計な口は挟まないことにする。そもそも自分は彼らの間柄もまだわかっていない部外者なのだ。

「ええと……話を戻すが、とりあえずあんたの服はしばらくクラリスか……場合によっちゃ俺のを着てもらうしかねーな。で、金が無いとなると……俺たちも余裕のある生活じゃねーからな。無償で助けられるわけじゃない」

「マルス!」

「……」

 クラリスは抗議の声を上げるが、それはその通りだろうな、とアスカは思う。そもそも、彼らからすれば自分はなんの関わりもない赤の他人なのだということを、彼女は冷静に受け止めていた。むしろ、親身になってくれているクラリスと、ミネルヴァという……車内音声の思考の方が珍しいのではないか、とさえ考えていた。

『お兄ちゃん、そこまで言わなくても……』

 ミネルヴァの言葉にも、マルスは首を横に振る。

「人ひとり増えるってことはそれだけ食料が必要になるし、総重量が増えればアルテミスの燃費にも影響する。電力消費量次第じゃ行動範囲の制限もあり得る。今の俺たちの収入じゃもう一人を養うのは実際のところ現実的じゃない」

「……」

『それは……そうだけど……』

 黙り込む皆に、マルスは肩をすくめる。

「とりあえず、俺たちの目的地であるロサンゼルスドームまでは連れてってやるよ。特別にタダでな。それまでに、どうやって仲間を探すのかとか、今後のことを考えておくんだな」

 マルスの言葉に、アスカは力なくうなずく。

「ええ、そうね。……そのとおりだわ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る