第1話 発見
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赤茶けた荒野を、一台の装甲車が駆け抜けてゆく。
装甲車のあとには、二本の轍と申し訳程度の砂ぼこりが尾を引いていた。
装甲車は高さニ.八メートル、全長八.三メートルもの大きさだった。左右には車輪が四輪ずつついており、かなりの悪路でも悠々と走行できそうに見える。
その金属の塊の前方、操舵席に相当する座席に男女が座っていた。
男は二十ニ、三歳ほどだろう。短髪のブルネットに、日に焼けた肌。彫りの深い精悍な顔の奥には、紫水晶の瞳が意志の強さを物語っている。
もう一人はまだ少女と言うべきか。十代後半の華奢な体躯に、透き通るような白い肌と長い金髪。あどけなさを残しつつも、大人になりかけている美少女だった。
とはいえ、二人とも真剣な表情というわけではない。やや弛緩し、ゆったりとした様子からは、深い信頼で繋がった者同士だからこその優しい時間が流れていた。
「ね、マルス。ここんとこはヒマだね」
少女にマルスと呼ばれた青年は「そーだな」と言いながら頬杖をつく。
「でもまー襲撃がねーのはいいことだろ」
「そうだけどさ。買った本も読み切っちゃったし、やることなくなっちゃったもん」
「クラリス、もう読み終わったのか。結構な数買ってなかったか?」
クラリスと呼ばれた少女は、マルスの言葉に肩をすくめる。
「二冊だけだよ。でも今回はハズレだった。どれもありきたりでさ、もうひとひねりあったら面白かったかもしれないけど……あ。マルスも読む?」
「そんな感想で読みたくなるわけねーだろ。そもそも俺は文字ばっかのやつは苦手だ」
「小説も読みなよ。そーやってコミックとかカートゥーンばっかり見てるからーー」
『ーーお兄ちゃん、クラリス』
雑談する二人が座る操舵席の室内に、不意に通信が響く。幼さの残る少女の声だ。
「ミネルヴァ、どうした?」
『進行方向に……生体反応が』
その音声に、マルスとクラリスの二人は身を強張らせる。先程までの弛緩した雰囲気は一瞬で硬質化し、二人の間に緊迫した空気が流れる。
「MSTFの兵士か? こんなところにアウトサイダーの拠点だって無かったと思うが」
マルスの言葉に、クラリスは無言で臨戦態勢をとる。
『その……どっちも違う、と思うんだけど』
「ん? 違うのか?」
『ええと……』
困惑気味の通信相手ーーミネルヴァという名前のようだーーに、マルスは少し考え込む。
「じゃ、とりあえず目視できる場所までアルテミスを向かわせるか。相手を見てから考えよう」
『わかった、お兄ちゃん』
少しの慣性とともに、装甲車「アルテミス」が少しだけ右に曲がる。
操舵席にいるのはマルスとクラリスの二人だが、二人が操作をしている様子はない。実際に装甲車の操舵をしているのはミネルヴァのようだ。
ごとごとと不規則に揺れる車内で、クラリスが不思議そうな声をあげる。
「敵じゃなかったら……なんだろうね」
「さあな」
にべもないマルスに、クラリスは肩をすくめる。
「こっちを認識してて、追ってきてるわけじゃないってことでしょう?」
『うん。動いているわけでも……なさそう』
「遭難したとかだったら、救助しなきゃ、かな」
『義務とかがあるわけじゃないけど……助けるべきだと思う』
「そんなことあるかねぇ」
『あたしたちみたいに車で移動してて、故障しちゃったとか。それだったら修理の手伝いしたほうがいいよ。修理できなかったら……生き残れないもん。誰かが通りがかるなんてほとんど無いんだから』
懐疑的なマルスにミネルヴァが反論するが、マルスは意見を曲げない。
「そうならないようにメンテナンスするべきだし、故障しても自分だけで直せるようにしておくのが普通だろ。ドームの外に出たら手助けなんてアテにするべきじゃない」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
『お兄ちゃんの頑固者!』
クラリスとミネルヴァの非難と同時に装甲車が減速を始める。
「二人の意見を無視するつもりはねーよ。けど、俺は優しくする人は限ることにしてる。赤の他人に優しくする気はねーからな」
「まったく。マルスってば……」
呆れたような声音だが、クラリスのほほは緩んでいた。マルスの言葉が嬉しかったのだろう。
装甲車が停まるのを待って、マルスは操舵席から立ち上がる。壁にかけてあったインカムと双眼鏡を手に取り、装甲車右側面のハッチへ。
「マルス。私もーー」
「ーーいや、俺一人で行く。何があるかわかんねーから、クラリスはアルテミスに居てくれ」
立ち上がりかけたクラリスを、そう制するマルス。
救助に反対したとしても、クラリスを危険にさらさないために自分が率先して動く。そんなマルスの態度に、クラリスはほほ笑みで応える。
「……わかった。気をつけて」
「ああ」
マルスはクラリスにうなずき、ハッチの中へ入った。
ハッチの中はギリギリ二人が並んで立っていられる程度の狭い部屋だった。
「ミネルヴァ」
『はーい。ハッチ閉鎖したら、減圧も始めるよ』
「頼む」
ぱしゅ、という空気の抜けるような音が狭いエアロック内に響く。どうやら、装甲車の車内と外気の気圧が違うらしい。
『えっと……気をつけてね』
「当然」
車外へ出たマルスは、ブーツで赤い大地を踏みつける。
やや小高い丘の上でマルスが眼下を見下ろすと、二、三百メートルほど先に何者かが座りこんでいるのが見える。
「……」
マルスは双眼鏡を構える。
かすかな機械音とともに、双眼鏡が自動でズームし、赤い荒野に座り込む謎の人物がハッキリと映し出される。
その人物は白い服を着ていた。いや、着ているというよりは、全身が覆われていたと言うべきか。
それはどうやら本来の体格よりひと回りもふた回りも大きな服のようだった。ブーツや手袋に、ヘルメットも被っている。が、それらも同じように大きく、それでいて全てが繋がって一体化している。何をするにしてもずいぶんと動きにくそうな服に見えた。
頭部のヘルメットはずいぶん大きなバイザーに覆われている。が、その表面は反射コーティングが施されており、内側の表情はうかがい知れない。
付近に車両らしき姿は何もない。移動手段がないのなら、どんな状況であれ遭難したというのとそう変わらなさそうに見えた。
……だとするなら、一体どうやってこの場所までたどり着いたというのだろうか。
「なんだあれ」
『うーん。与圧服、かな』
インカム越しに、ミネルヴァの声がマルスの耳元に届く。
「与圧服?」
『うん。大気圏外での活動を想定した、高い気密性と各種有害な電磁波を防ぐことのできる服。たぶん簡単な生命維持装置も付いてるんじゃないかな。……あ、宇宙服って言ったほうがわかりやすい?』
「宇宙服、ねえ……」
マルスはぼやきながら双眼鏡を下ろし、その宇宙服を着た人物に近づいていく。
その足どりは無造作で、警戒しているようには見えない。
「……ま、なんにせよ敵じゃあなさそうだな」
気軽そうな声音でマルスは二百メートル超の距離を詰めていく。
宇宙服の謎の人物も、近づいてくるマルスに気づいたらしい。顔を上げてマルスを見る……が、そのバイザーの反射コーティングのせいで、マルスには顔がさっぱりわからなかった。
それでもその人物は驚いた様子で、慌てて左腕についた小さなモニターを確認し、右手でそのモニターをパタパタとせわしなく叩き始める。
「……なにやってんだ?」
マルスは一旦立ち止まり、その様子をつぶさに観察する。
『なにか……端末を操作してるのかな。武器とかじゃなさそうだけど』
「ああ、そう見えるけどな」
インカムから聞こえるミネルヴァの声にそう答え、マルスは改めて謎の人物へと近づく。
「おい! あんた!」
彼我の距離が十五メートルほどまで詰まったところで、マルスが叫ぶ。
謎の人物は、手元の端末の操作をやめて顔を上げる。が、相変わらずその表情は読めない。
「……聞こえてんのか?」
『本当に宇宙服だったら、外音の取り込み機能なんて無さそうだけど』
「だよな」
マルスは嘆息して、さらに距離を詰める。
「なんとか言えよ。話す気が無いなら置いてくぞ! そのまま死にてーのか!」
『ちょっとお兄ちゃん! 口が悪いよ』
「……」
ミネルヴァに返事をせず、マルスは立ち尽くして謎の人物を見下ろす。
謎の人物は手元の端末とマルスを交互に見返す。本人の姿かたちがわからなくても、困惑している様子が手にとるようにわかるリアクションだった。
「……置いて帰るか」
らちが明かずにマルスがそうこぼしたところで、謎の人物が両手を上げる。
「……?」
マルスの疑問をよそに、その人物は首元の金具をいじったあと、ヘルメットをひねる。がちゃ、という音とともにヘルメットが外れ、両手でヘルメットを抱えあげ、素顔をさらした。
「……」
黒髪のショートヘアの女性だった。彫りの浅い、東洋系の顔立ちだ。東洋系の顔はどこか童顔に見えるが、それを考慮すると、マルスと同年代か、少し年上くらいなのかもしれない。
彼女の表情は、現状を理解できず、ただ呆然としているだけに見えた。
『ええと……お兄ちゃん、どうする?』
「……」
ミネルヴァの問いに答えられず、マルスはただ悩ましげな表情で頭を掻いた。
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