フェルミオンの天蓋 Ⅲ〈MARS〉

周雷文吾

第0話 プロローグ



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 砂埃の舞う赤い荒野を、無骨な車両が走っている。

 車両とは言っても、一般道を走るような車ではない。どちらかというと、装甲車に近い見た目だった。とはいえ、人が乗る部分はガラス張りで、その他はポリマー素材により覆われた白い筐体だった。それを運ぶ車輪は人の身長ほどもある巨大なもので、それが左右に三輪ずつ配されていた。

 装甲車というより、探査車と言ったほうが正確なのだろう。事実、その探査車に搭乗している四人は与圧服を着込んでいる。

 探査車の走る先には、赤い岩肌の山らしきものが見える。

 前側の運転席に座る人物が、その山を指差す。

『あれか』

『ずいぶん遠かったな。バッテリーは?』

 もう一人の問いに、後部座席でモニターを見ている人物が答える。

『ニ十九パーセント。到着したら予備に換装しないと』

『ということは、それは私の仕事だな。……三人で行ってきたまえ』

『マーティン。そんなに不満そうに言わないで。誰かが探査車の安全を確保しておかなければならないのよ。重要な仕事よ』

 後部座席のもう一人は女性のようだ。彼女は隣のマーティンを慰めるように告げる。

『もちろん理解しているとも。車に残っていても、君たちのカメラからの映像をここで確認できる。……とはいえ、人類史上初めての発見に一番近いところにいながら、それでも当事者になれないというのがどれほど気落ちすることか、君らにはわからんだろうな』

『何言ってるのよ。ここで何を見つけても、それは私たち四人の功績だわ』

『そうそう。それに、本当になんかがここにあったとしたら、マーティンが調査チームのリーダーになんのは間違いねぇ。次からは思う存分調べられるんだから、ほんのちょっとの辛抱だよ』

 運転席の男がそう言って軽く手を振る。

 後部座席の男は、それでも不満を訴えるように肩をすくめた。

 それからも四人は淡々とした事務的なやり取りをしながら、赤い岩山へと探査車を向かわせる。

 やがて岩山のふもとへたどり着き、探査車から皆が降りる。

 探査車の後部、ポリマー素材のハッチを開けていくつもの機材を降ろし始める。

 セラミック全固体電池。

 超小型重力子検出機。

 携帯型ミリ波レーダー。

 今回の遠征で彼らが用意した装備だった。

 一人が探査車に残り、セラミック全固体電池の交換を。残りの三人が各種機器を携え、一人の先導に従い登山を始めた。

『本当に……その、なんというか……』

『なに?』

『感じる……ものなのか?』

 どう問えばいいかわからない、という風に、ミリ波レーダーを担いだ男が尋ねる。

『そうね……。説明するのは難しいけれど、向こうの……方に、確かに……力というか、歪みのようなものを感じます』

『……ふむ。我々にはまだ全容が判明していない力だ。過信するわけにはいかないとはいえ、それでも君の力だ。信頼しているよ』

『ありがとうございます』

『行こう。先導してくれ』

『はい、こちらです。行きましょう』

 女性の言葉にうなずき合い、三人が岩肌を登り始める。

 登り始めて二十分ほど、三人は岩肌の途中にぽっかりとした洞穴を見つけた。

『本当に……こんなものが存在するなんて』

『これは流石に、自然にできたとは……考えづらいな』

『行きましょう。この奥だと思います』

『大丈夫なのか?』

『センサー類に異常はない。マッピングも正常だから、迷う心配もない。……今のところは、だけどな』

 三人はうなずき合い、洞穴の中へと歩を進める。

 ちょうど人ひとりが余裕を持って通れるサイズの洞穴は、いかにも不自然に見える。

 特に分かれ道のない一本道だった。

 洞穴を百メートルほど歩くと、内部の様子が次第に変化していった。ゴツゴツとした赤茶けた岩肌が、次第にフラットになり、赤茶けた色も次第に彩度を失い、白へと変化していく。

 もう百メートルも歩くと、赤茶けた洞穴は長方形の白い通路へと変わっていた。

 自然物を装っていた洞穴は、明らかに人工物然とした通路へと変貌していた。

『……』

『……』

『……』

 その異常性をまざまざと思い知らされている三人は、自然と口数が少なくなっていた。

『なんだ……これは』

 やがて、通路を抜けて広い部屋に出た一人が、そう声を漏らす。

 十メートル四方の空間だった。入口の他に通路はなく、ここが終点のようだ。天井は三メートルほどで、天井も壁も床も、自然物とはとても思えない表面をしているが、その所々は崩れかけていて、崩壊しかけている場所であることを伺わせる。

 そんな真っ白で殺風景な部屋の中央には、一枚の板が鎮座していた。

 高さ二メートル、幅一メートル、厚さ十センチメートルほどの真っ白な板だ。

『これは……』

 一人がふらふらと、その中央の板ーー白いモノリスへと手をのばす。

『待て。危険だ!』

 声をかける男性のことなどかえりみず、その一人は白いモノリスへと触れる。

『力場が発生している……』

『力場?』

『センサーに反応は無いが……』

 困惑する二人を尻目に、モノリスに触れている女性が驚きの声を上げる。

『エントロピーの増大を防いでいる……? いや、まさか減少させているとでもいうの……?』

『ちょっと待ってくれ。俺たちにもわかるように説明してくれないか』

 女性はモノリスに手を触れたまま、背後の二人を振り返る。その表情はヘルメットのバイザーの反射コーティングでうかがい知ることはできない。

『……ありえないわ』

 女性の声は震えている。

『だから、いったいどういうーー』

『ーーこれは、時間が逆行しているのと同義……』

『まさか。そんなこと……』

 ミリ波レーダーを床に置き、男がそのまま言葉を失う。隣のもう一人が、そのまま言葉を継ぐ。

『ありえるわけが……』

 直後、白いモノリスが淡く発光を始めた。

『なんだ?』

『おい、離れろ!』

 二人の慌てた声に、女性も白いモノリスから手を離す。……が、そのまま両手で頭を押さえ、うめき声を上げる。

『あああ……。なに、これ……。抑え、られ、なーー』

 女性が言葉を終えられぬうちに、光はそのまま強くなり、紅や蒼の光が溢れ出す。

 三人とも、その場に立っていることもできず、膝をついて手のひらや腕でなんとか光を遮ろうとした。

 ……が、どうなったのかはわからない。

 その紅と蒼の光の奔流に巻き込まれ、そのまま何も見えなくなってしまった。

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