「おうおう坊っちゃんじゃねえか。どっかのおつかいかあ?」

「…狸親父」

「親父じゃねえ息子の方だ‼」

狸の部分を否定しないのは、彼が狸そのものであるからだ。二メートル近い二足歩行の狸だ。そこらの狸とは格が違う、とは彼自身の言葉だけれども。

「違うだろうよ、顔が!あんな緩んだ顔してねえよ。坊っちゃんの目は節穴かあ?」

「…俺もう坊っちゃんとか言われる歳じゃないんだが」

 ぼそぼそと告げられた少年の言葉に、狸はぱちぱちと目をしばたかせる。自分の話題を無視されたのが気に食わなかったのかと思ったが、そういう訳でもないようだ。

「…それはないぜ坊っちゃん」

豊かな毛に覆われた手で、狸は少年のあどけない頬に触れる。

「二十年とそこらしか生きてねえで子供じゃねえなんて馬鹿なこと言ってんなよぉ。坊っちゃんがそんなこと言っちゃうちのばあちゃんなんてどうなるんだよ。八百超えてもまだピンピンして杖なんか振り回しってえ⁉いって、ちょ、いてえ!みみぃ‼」

「おやあ坊っちゃん久しぶりだねえ。元気かい?」

店の奥から現れた狸のばあちゃん。御年八百七歳というのだから驚きだ。つままれた狸の耳の変形具合から、申し分のない力の強さが見て取れる。

「元気。油屋の方行くけどなんか欲しいもんある?」

「まあ、坊っちゃんは優しいねえ。ありがたいけれど今は大丈夫さ。それに比べてこの孫は…」

 出された茶をすすりながら少年は狸の祖母の話に耳を傾ける。祖母と孫というものは仲が良いものだと思っていたがどうも彼らは違うようだ。それともけんかするほど仲が良い、というやつだろうか。狸社会の普通とは何か、未だに掴めずにいる。

「いって…いってえな!こんの地獄耳ばばあ‼」

 ぴたりと、その瞬間よどみなく流れていた声が止まる。周りはにぎやかだというのに、この店の中だけ空気が冷えた。つうっと狸の額を冷や汗が伝う。背後の老狸が般若を背負っているような気がするのは現実か、幻覚か。

「坊っちゃん、やっぱりおつかいを頼んでもいいかい?鬼婆のところでよく切れる包丁を一本、いや二本」

「ちょ、ま、ばあちゃん、冗談、冗談だって」

「ああ、鋏でもいいかもしれないね。あそこに鋏は売っていたっけねえ。ばばあになると記憶力が落ちていけない」

「…探してみる」

「ばあちゃんごめん、ごめんって!俺が悪かったからよお!耳だけは勘弁してくれえ‼」

 耳を掴んだままずるずると孫を引きずっていく狸は、少年の方を向いて微笑んだ。

「よろしく頼んだよ」

 やはり、年の功には敵わない。

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