ポセイドンの槍〜その15

「……続きだと!?」


私のひと言で、上地の顔から笑みが消える。


「確か、アナタのメモにはこうありましたね。『朝比奈恵をあんな姿に変えた犯人を知っている』と……今回の事件は、ゲーム的要素が非常に高く、犯人は随所に謎掛けを施しています。そこで、私はこう考えてみました。ポセイドンが隠し物の中にを入れたのは、虚偽ではなくなのではないか……と」


私は、上地の射るような視線にも臆する事無く話し続けた。


「その理由は、アナタの【シャーデンフロイデ症候群】にあります……アナタの快楽に対する欲求は、異常なほど強い。それは、仕掛けたギミックの精緻さやリアルさにも影響します。つまり、犯行がバレるかバレないかのスリル感も、アナタにとってはたまらない快感となるのです。それゆえ、アナタはを残す事にした」


その言葉に、全員の視線が一斉にビデオカメラに降り注ぐ。

この中にあるモノが、上地の悪事を暴く証拠であると理解したのだ。


「レイニーマウスを『ポセイドンの槍』に張り付けた時点で、カメラにはすでにが入っていました。今から、それをお見せしましょう」


「な、何だとっ!?そんな……馬鹿な!」


突然、血相を変え叫ぶ上地。

それに構わず、私は再びクリスに目配せした。

少女がタブレットを操作すると、また何かの動画が始まった。


薄暗い背景の中に映る、ひとりの人物──


椅子に腰掛けた上地典一だった。


見開いた眼に、皮肉な笑みを浮かべた姿は、まるで絵に描いた悪魔そっくりである。

ヒューヒューと荒い吐息を吐きながら、全く感情のこもらぬ声で、こう囁いた。



『朝比奈恵をあんな姿にした犯人──そう、彼女をのはこの僕さ。恵の【あんな姿】が、【引きこもった姿】の事だなんて、僕はひと言も言って無いぜ。せっかくこうしてヒントを与えているのに、謎を解けなかった君が悪いんだよ、柏木さん。まあ、恵ともども苦しんで、せいぜい僕を楽しませてくれよ。以上……



「う、嘘だっ!これは……確かに処分したはず……!?」


思わず叫んだ上地の顔が、すぐにしまったという表情に変わる。

私は目を細め、ぐるりとメンバーを見回した。


「そうです、上地さん。確かに、この録画データは削除されていました。柏木さんの件で用済みになったので、念のため消したのでしょう?しかし残念でしたね。私の仲間には、これをできる技術を有する者がいまして……」


そう言って、私はクリスに向かって大きく頷いた。

クイーンとドイルも、どうだと言わんばかりに上地を睨みつける。


「私の認識が正しければ、これ以上の証拠は無いと思いますが」


放心状態でたたずむ上地に、私は鋭く言い放つ。

上地はハッと我に返ると、悔しそうに唇を噛み締めた。

その表情は先ほどとは一転し、苦痛で大きく歪んでいる。


「……ち、違う……僕じゃ無い!僕の中のが……アイツが、やったんだ!」


突然、絶叫する上地。

その口から飛び出したのは、想像だにしていなかった台詞だった。


「……アイツが頭の中で、僕を誘導するんだ!こうした方が楽しいぞ……もっと気持ち良くしてやるぞって……僕はどうしても、それに逆らう事ができなかった……どうしても……」


突然の豹変に、その場の全員が息を呑む。

蒼白の顔面に噴き出した冷や汗が、パニック状態におちいった事を表していた。


「アナタが以前に『アイツが憎い』と言ったのは、快楽を欲するの事だったのですね?だが、アナタの理性では抑えられず、どうしようも無かった」


「僕は……恵を愛していた。本当に愛していたんだ!」


私の言葉など耳に入らないかのように、独り言を始める上地。


「……だが、愛すれば愛するほど、それと同じくらい姿が見たくなる。それを想像するだけで、身震いするほどの快感が身体中を駆け巡るんだ。だから、僕のせいじゃ無い……どうしようも無いんだ……どうしようも……」


狼狽しながらも、上地は自らの行いを正当化しようと訴えた。

だがいかなる力説も、所詮は見苦しい弁解でしかない。

皆の顔に浮かぶのは、侮蔑と憐憫の色だけだった。


「快楽を求める事は、当然の動物本能であり、人間の根源的なさがであるとも言えます。何者であろうと、これを否定できないし、生きるための原動力である事も、また確かな事実です。しかしだからと言って、人間は欲望のままに行動したりはしません。そんな事をすれば、信頼を失い、コミュニティを破壊し、人間がでは無くなってしまうからです……だが残念ながら、アナタは


そう言って、私は上地の目をじっと覗き込んだ。


不思議な輝きを宿す瞳で……じっと……


「私には、アナタの心の動きが読めます、上地典一さん。歪んだ心の闇が……それは、純粋で、醜悪で、独善的で、そして……」


ひと呼吸置き、私は薄っすら笑みを浮かべた。


「……!」


私の双眼が、ひときわ輝きを増す。

それは、底知れぬ魅力を秘めた悪魔の眼差しだった。


「や、やめろぉ!」


上地は咄嗟に手で顔を覆うと、その場に膝から崩れ落ちた。


「み、見るな!……そんな目で、見ないでくれぇ!」


手の隙間からでも分かるほど真っ青な顔で、上地は絶叫した。


「悪かった……だから、やめてくれ……頼む……」


最後は、啜り泣くような声に変わる。

わなわなと震える体から、唸るような嗚咽が漏れ続けた。


それを見て、私は静かに目を伏せた。



************



その日の内に、上地典一は警察に連行された。

私たちの通報を受けた大学側が手配したのだ。

彼のアパートに監禁されていた朝比奈恵も、無事保護された。

幸いにも、乱暴な扱いはされなかったようだ。

念のため病院に検査入院したが、すぐに退院できる見通しだ。


「大変な目に遭ったわね、恵」


「ありがとう……千鶴」


見舞いに訪れた柏木千鶴の顔を見て、恵は安堵の涙を流した。

その様子を、私たちは背後から静かに見守った。


「一体、何があったの?」


負担にならぬよう配慮しながら、千鶴が尋ねる。

恵は、悲しそうな表情で胸元を握りしめた。


「二ヶ月くらい前、大学の授業が休講で早く帰宅した時だった……鍵を開けて入ると、奥の方で物音がしたの。それで恐る恐るドアの陰から覗くと、彼が立っていた。何か、ウットリした顔で手元を眺めては、ヒヒって変な笑い方をして……今まで見た事の無いような異様な顔だった。それで私怖くなって思わず後退あとずさりしたら、気付いた彼が振り向いて……そうしたら……その手に……レイニーマウスが、握られていて……」


恵の脳裏に、当時の映像が蘇ったのだろう。

顔色が無くなり、口元が震え始めた。


「……よく見ると、中にを押し込んでいる最中だった。『何してるの』って言ったら、『こうすれば、君の顔が見たい時にいつでも見れるだろ』と言って笑ったの。それを見た瞬間、体中に悪寒が走った。ああ、この人にはがあったんだって分かって……そうしたら、急に怖くなって……だって、いつもとまるで……別人みたいで……」


あまりの恐怖に話が途切れがちになる恵。

まばたきしない両眼が宙を泳いでる。


「私、どうしても気持ちの整理がつかなくて……『しばらく逢うのはやめましょう』ってお願いしたの。そしたら、『考え直してくれ』と何度も頭を下げられたわ。でも、さっきの姿がどうしても頭から離れなくて……『ごめんなさい』って言ったら、急に顔つきが変わって……『それじゃ、仕方ない』と呟くと、突然襲いかかってきたの。頭を殴られて、私、気を失って……目を覚ましたら、手足を縛られて彼の部屋にいた。声を出したり、逃げようとしたら、痛い思いをするよと脅されて……私、怖くて……」


そこまで一気に喋ると、恵の口からせきを切ったように嗚咽が漏れ出た。

懸命に背中をさする千鶴の目にも涙が溢れる。


「もしかして、マウスの血のりものではないですか?」


落ち着きを取り戻した頃を見計らい、私は尋ねた。

恵は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに小さく頷いた。


「ぬいぐるみを買った翌日、彼から連絡があったの。私の部屋を訪れた際、仕事に使う塗料を誤ってこぼしてしまったって……慌てて帰宅すると、マウスの頭が真っ赤になっていた。彼が何度も謝るので、仕方ないと諦めたけど……今から思えば、どうして私の部屋で塗料を触る必要があったのか……」


「……きっと、ワザとね」


怒り口調で、千鶴が声を上げる。

私も何も言わず頷いた。


「恐らく、大切なモノを傷つけられたアナタの反応が見たかったのでしょう。アナタへの愛が深いほど、苦しむ様を見たいという欲求が強かったのだと思います」


私の解説に、病室内が水を打ったように静まり返る。

改めて、上地典一という人物の異常さに戦慄せざるを得なかった。


一体何が、奴にあれほどの【黒い快楽】の資質を植え付けたのか……


想像もつかないし、また考えたくも無かった。


これから先、奴と朝比奈恵が接触する事はもう無いだろう。

警察の審判がどう下ろうとも、奴がこの大学──いや、この町にとどまる可能性はゼロに等しいからだ。


最後に幾つか確認し、私たちは病院を後にした。

恵自身は、上地の今回の計略については何も知らなかったらしい。

例の柏木千鶴を映した映像も、まだ観せられてはいなかった。

上地がタイミングを見計らっていたのか、それとも他に何か理由があったのかは、定かでは無い。

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