ポセイドンの槍〜その10
「これをやったのが、ポセイドンでは無いって言うの!?」
訳が分からないといった顔で、クイーンが問いただす。
「その可能性もある、という事だ」
私は、噴水を見つめたまま答えた。
「で、でも、メモにはちゃんと『ポセイドンより』って……」
「誰かが、真似をしてるんだ。ポセイドンの仕業に見せかけようとしているのか、それとも単に模倣して楽しんでいるのか……」
懸命に訴えるドイルの言葉を、私はあっさり切って捨てた。
「それは……どういう意味だ?」
その発言に上地も食い付く。
私は視線を噴水から彼に移し、肩をすくめてみせた。
「簡単な理屈です。噴水の水を汚せば、掃除が必要となる。嫌でも水を抜かねばならない。つまり、必然的に水底が剥き出しになる訳です。これをやった奴の狙いは、そこにあります」
私は、上地、牧尾女史、メンバーを前に、解説を始める。
「ポセイドンは、隠し物が『海中=水中にあり』とヒントを提示しました。だが、大学側が単なるイタズラとして放置した為、誰もまともに探す事ができなかった。そこで、この隠し物に興味を持つソイツは、やむなくこういった方法をとったのでしょう」
一瞬、私の脳裏に柏木千鶴の顔が浮かんだが、すぐに打ち消した。
我々に噴水を
そもそも、彼女は噴水の止め方を知らないのだ。
やはりここは、別の誰かと考えるのが妥当だろう。
「理屈は分かるが、僕にはまだタチの悪いイタズラとしか思えない。誰かが噴水の止め方を聞いて、ポセイドンとかいう奴に成り済ましたんだ。そうさ……そうに違いない!」
困惑した表情で言い放つ上地。
無理矢理、自分を納得させようとしているのが一目で分かる。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない……いずれにせよ、これはもう、イタズラの
そう言って、私は再度メモ書きに鋭い視線を送った。
************
外部委託の清掃業者三人が、モップと
そのすぐ外で、上地が作業に立ち会っていた。
もし業者が何か見つければ、すぐに彼に報告するはずだ。
数回、両者が言葉を交わす機会があったが、その都度、クイーンがそれらを読み取った。
『これで水洗いは終了です』
『排水溝の詰まりも有りません』
『ご苦労様でした』
会話内容を、クイーンが声に出して復唱する。
彼女の特技は、【読唇術】だ。
声が聴こえなくとも、唇の動きだけで何を話しているかが分かる。
立ち入らぬよう置かれたコーンの側で、我々はじっと様子を
『ポセイドンの槍』の清掃は一時間ほどで終了した。
使われたのが水彩絵の具であったため、大した手間は掛からなかったようだ。
「結局、何も見つからなかったみたい」
ポツリとクイーンが呟く。
私も黙って頷いた。
「排水の時、一緒に流れちゃったとか?」
「いや、それは無いだろう」
不安そうに呟くドイルに、私は噴水を見つめたまま言った。
「噴水の水は、稼働中は常時循環していて、注水と排水が同時に行われている。入れた途端に流れ出てしまうようなものを、わざわざ隠したりはしないだろう」
「え、じゃあ、なんで見つからない……」
「考えられる理由は一つだ」
何か言いかけたドイルを手で制し、私は言葉を続けた。
「それは、隠し物が最初から無かった──つまり、ポセイドンが嘘をついて騙していたという事だ」
「えっ!ポセイドンが……ウソを!?」
素っ頓狂な声を上げ、驚くドイル。
「無論、騙す標的は柏木千鶴だったと考えて間違いない。事前に手紙を送り、『ポセイドンの槍』に誘い出し、レイニーマウスとメモ書きを使って噴水を探すよう誘導したんだ」
「でも、なんでわざわざ、そんな手の込んだ事を……?」
私は即答せず、少し思案してから口を開いた。
「以前話した、ポセイドンの人物像を覚えているか?」
私の問い掛けに、三人とも大きく頷く。
「もしポセイドンが、柏木千鶴に対し何らかの恨みを持っていたとするなら、彼女をウソで振り回す事で、
そう言って、私は髪の毛を掻き上げた。
もし本当に、彼女に対して恨みや憎しみがあるなら、もっと徹底した苦痛を与えるはずだ。
SNSによる風評被害、ストーカーまがいの嫌がらせなど、陰湿な方法なら幾らでもある。
「……但しポセイドンが、以前話した強い【シャーデンフロイデ症候群】に陥っている場合は別だ。奴は、ありもしない【隠し物】をエサに、翻弄される柏木千鶴を見て歓びに浸っていた。もしかしたら、あのぬいぐるみを見て困惑する大衆の反応さえも、ヤツにとっては快感だったのかもしれない」
先の怨恨説よりは、こちらの方が現実味はある。
私の中に、【黒い快楽】に身を委ね揺らめく人のシルエットが浮かんだ。
「ちょっと待って!それじゃ、最初にレイニーマウスが張り付けになったあの日、集まった人の中にポセイドンがいたって事?」
突然、クイーンが目を丸くして叫ぶ。
「ああ。恐らくは……自分もぬいぐるみを眺めるフリをして、その実、周りの野次馬の表情を見て楽しんでいたんだろう。柏木千鶴の場合は、待ち伏せして、木陰から見物する事で、その快感も倍増していたに違いない」
そう言って、私はクイーンに頷いてみせた。
「じゃあ、やっぱりあの夜、僕らを覗き見してた奴がポセイドンだったんだ!」
ホラ見ろと言わんばかりに声を上げるドイル。
私はまた髪の毛を掻き上げながら、宙を睨んだ。
「……ただ、どうしても分からないのが、レイニーマウスの件だ。あの夜、ポセイドンはなぜレイニーマウスを抱えていたのか?」
暗視カメラに映ったレイニーマウス──
血のりの付いたソレは、確かに『ポセイドンの槍』に張り付いていたモノだ。
となれば、ポセイドンは庶務課の倉庫から持ち出した事になる。
それができるのは、上地を始めとする庶務課の連中か、大学職員、はたまた保管場所を知っている誰かという事になる。
やはり、一番の容疑者は上地か……
だが、そこで私の瞑想は中断した。
こちらに向かって来る上地の姿が見えたからだ。
どうやら、監視作業を終えたらしい。
「まだいたのか。君らも、しぶといな」
汗を拭きながら、皮肉を口にする上地。
「上地さん。今回のレイニーマウスも庶務課で預かっておられるんですか?」
私の問いに、上地は憮然とした表情で頷く。
「全く……どこの誰か知らんが、いい加減にしてほしいもんだ」
そう吐き捨てると、上地はさっさと立ち去ってしまった。
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