ポセイドンの槍〜その5
それは、紛れもなく人影だった。
誰かは分からぬが、噴水の中をじっと覗き込んでいる。
私はそっと振り返り、クリスに目で合図を送った。
少女はぎこちなく頷くと、暗視カメラを構えた。
人影は、その体勢のまま微動だにしない。
暗闇の中、まるで時が止まったかのような錯覚に陥る。
「どんな人物か判別できるか?」
「グレーのジャージを着ています。フードを被っているので、顔までは分かりません」
私の質問に、クリスが即座に答える。
どれくらい経ったろう……
唐突に、影が動いた。
手に持つ何かを水の中に差し入れ、大きく揺すり始める。
「ランディングネット……です」
クリスが、小声で囁く。
暗視カメラを覗く彼女には、それが鮮明に見えているようだ。
ランディングネットとは、魚捕り網の事である。
つまりこの人影は、噴水の中の何かを網ですくおうとしているのだ。
「あの人物が……ポセイドンのターゲット?」
私の袖を引っ張りながら、クイーンが呟く。
「
「また、それ!?いい加減に……」
文句を言いかけるクイーンを、私は手で制した。
人影が掻き回すのを止め、ネットをゆっくり引き上げたからだ。
そして中を
どうやら、期待した釣果は無かったようだ。
「……ネットには、何も入っていません」
クリスが、カメラを覗きながら報告する。
「ああ……そのようだな」
私も頷きながら応える。
その後も、その人物は同じ作業を続けた。
水中を探っては、ネットを確認し、落胆する。
お目当てのモノは、一向に見つからないようだ。
もっとも、この薄暗い中、手探りで水中を掻き
しかも、噴水の再稼働も目前に迫っていた。
さて、どうするか……
際限なく、眺めていても仕方ない。
こちらとしても、次の行動に移る必要がある。
「……よし。行こう」
私は、意を決したように言った。
皆のエッという視線が、一気に降り注ぐ。
私は木陰から出ると、真っ直ぐ噴水に向かって歩いた。
一瞬面食らったメンバーも、慌てて後に従う。
突然現れた我々の姿に、その人物は驚きを隠せなかった。
振り向きざまに、手からランディングネットが滑り落ち、甲高い音を立てる。
近づくと、月明かりでも白く硬直した顔が判別できた。
それは──若い女性だった。
歳の頃は、我々と同年代に見える。
「夜分に失礼します。お聴きしたい事があるのですが……」
私は、皮肉めいた前置きと共に切り出した。
「……え、あの……わたし……」
「我々は今、『ポセイドンの槍』に張り付けられた、レイニーマウスについて調べています」
動揺でしどろもどろになる女性に、構わず畳み掛ける。
「噴水を監視していたところ、アナタの不審な挙動を目にしました」
「……いえ……それは……」
私の言葉に、女性の目が大きく見開かれる。
誰かに見られていた事が、かなりショックだったようだ。
「一体、何をされていたのですか?ちなみに、アナタの行動は、一部始終カメラに収めて……」
「ちょっと、ポー!それじゃ、まるで脅迫よ」
慌てて、私の言葉を遮るクイーン。
「失敬な。これは【PL法(選好注視法)】の応用で、その反応度合いから思考を読み解こうと……」
「分かった、分かった……いいから、ここは私に任せて」
憮然とする私を、クイーンはため息混じりに
「驚かせて、ごめんなさい。私たちは【異常心理学研究会】の者です。私は二回生の
謝罪の後、クイーンはメンバー全員を紹介した。
穏やかな彼女の口調に、その女性の表情も幾分か
「……
名乗らねば悪いと思ったか、その女性──柏木千鶴も、意外としっかりした声で応えた。
「柏木さんね。実は私たち、昼間ここであった騒動について調べてるんだけど……」
クイーンは、先ほど私が説明した内容を丁寧に繰り返した。
「もし、差し支え無かったら、ここで何をしていたのか教えてもらえないかしら」
「それは……」
優しく問いかけるクイーンに、千鶴は一瞬言葉を詰まらせる。
同時に、値踏みするような視線で、私たちを見回した。
「話してもらった内容は、決して他言しないわ。約束する」
クイーンは、千鶴の目をまっすぐ見ながら言った。
誠意の見えるその口調に安心したのか、千鶴の顔から緊張の色が消える。
「……分かった。見られちゃったら、仕方無いものね」
千鶴は諦めたように、ため息を一つついた。
そして、
「これよ」
クイーンの前に差し出されたそれは、白い一通の封書だった。
宛名も消印も無い。
「どうぞ。読んでいいわよ」
手渡されたクイーンは一瞬
中には、一枚の無地の便箋が入っている。
そこには、印字でこう記されていた。
『朝比奈恵をあんな姿に変えた犯人を知っている。教えて欲しくば、明日『ポセイドンの槍』に来い。ポセイドンより』
それは、例のポセイドンからのものだった。
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