ポセイドンの槍〜その6
「……これは!?」
「昨日の朝、自宅のポストに入ってたの」
驚くクイーンに、千鶴が抑えた声で言った。
「最初は、誰かのイタズラだと思ったんだけど、それにしては、恵の名前や現状を知っているような書き方だし……何より、あのレイニーマウスは、恵の持っているモノと同じなのよ!彼女のも頭に赤いペンキが付いていて……」
話しながら、次第に声高になっていく千鶴。
「前に私、どうしたのって聞いた事があるの。そしたら、誤って付いて取れなくなったんだって。でも、可愛いそうだから、捨てずに飾ってあるんだって言ってた……これって、たぶん家に行った事のある私しか知らないはず。彼女、誰にも話してないって言ってたし……私も言ってないから……だから……それで……」
千鶴は、顔を赤らめ興奮気味に
「
そんな千鶴を落ち着かせるように、クイーンが穏やかに問いかける。
「私の友達。いえ……だったと言うべきかしら」
ハッとした顔で我に戻ると、千鶴は小声で呟いた。
目には、悲しそうな色が浮かんでいる。
「私と同じ文学科の学生よ。入学時から意気投合して、ずっと仲良くしてきた大事な親友……だけど、【ある事】があってから、家に引き籠もったままなの。もう、二ヶ月になるわ」
「その【ある事】とは何だ!?」
私は、横合いから
クイーンが、またかとばかりに睨みつける。
千鶴も目を丸くしたが、すぐに真顔に戻った。
「彼女、長年付き合ってた彼氏と別れたの。何か突然、別れを告げられたらしくて……それ以降、大学に来なくなった。それどころか、家からも出なくなっちゃって……たぶん、相当ショックだったんだわ」
千鶴は、嘆くように声を震わせた。
「彼氏って……もしかして、ここの学生?」
「社会人よ。恵より三つ年上で、K大の庶務課で働いているわ。彼女とは小学生時代からの幼なじみらしくて……私がこの大学で彼女と知り合った時には、すでに付き合ってた」
クイーンの問いに、肩をすくめて答える千鶴。
「それが二ヶ月ほど前に、『彼から別れると言われた。もう大学には行かない』っていうメールが来て、それっきり……アパートにも行ったんだけど、いつもドア越しに『帰って』と言うばかりで、取り付く島も無いの。全く様子が分からず、もう心配で心配で……」
そう言って、千鶴は苦悶の表情を浮かべた。
親友の激変に、どう対応して良いか分からないといった様子だ。
「勿論、肝心の元彼にも会いに行ったわ。こうなったのは、アナタのせいじゃないのって文句言ってやったの。そしたらなんと、『僕には関係ない。彼女をあんな風にしたのは、別のヤツだ』なんて言うのよ。ふざけてるでしょ!どういう意味か追求しても、それ以上何も話そうとしないの……まるで話にならないわ!」
憤慨した口調で吐き捨てる千鶴。
原因が別れ話にあると思い込んでいる彼女にとって、元彼の不遜な態度は我慢ならないようだ。
「……そんな時に、この手紙が来たの。元彼の言ってたのと同じような内容で……もしかして、アイツが送ってきたのかとも思ったけど、こんなまわりクドい事する理由も思いつかないし……別にアイツを信じた訳じゃないけど、これというアテも無かったから、半信半疑で今朝ここに来てみたの。そうしたら……『ポセイドンの槍』に……あのレイニーマウスが……」
語尾にいくほど、千鶴の言葉が途切れがちになる。
身に起きた出来事に、理解が追いついていない様子だった。
「それでアナタは、手紙の内容が本当なんじゃないかと考えた。親友をあんな姿にした犯人が別にいるなら、なんとしても知りたい……だから、マウスのメモ書きに従って、噴水の中を探してみる事にした」
千鶴の話を引き継ぎ、私は彼女のここに至るまでの過程を説明してみせた。
「……庶務課に問い合わせたら、この時間に噴水が止まるって聞いて……それで……」
千鶴は首を縦に振りながら、私の説明に付け加えた。
その場に、しばしの沈黙が流れる。
ポセイドンのターゲットは、この柏木千鶴だったのか!?
もしそうなら、レイニーマウスを使ったのも頷ける。
あの血のりの付いたぬいぐるみを恵が持っている事は、千鶴だけが知っていた。
だから千鶴は、『ポセイドンの槍』のマウスを見た瞬間、メモ書きが自分宛てのものだと感じ取ったのだ。
でもどうして、噴水を探っても何も出てこなかったのだろう?
ネットですくえるようなモノでは無い、という事なのか?
それとも、はなから千鶴を騙すつもりだったのか?
だとしたら、何のためにそんな事を……?
私は泣きそうな千鶴の顔を見ながら、湧き上がる疑問の渦に身を沈めた。
恵の元彼は、一体何を隠しているのだろう?
【朝比奈恵をあんな姿に変えた人物】とは、誰の事なのか?
そしてなぜ、ポセイドンがそれを知っているのだろう?
もしかして……
恵の元彼が、ポセイドンなのだろうか!?
現時点では、どれもこれも答えの出ない疑問ばかりだった。
今言えるのは、ポセイドンが、
もっと情報が必要だな……
心配顔のメンバーを横目に見ながら、私はこの先に待ち受ける多難な状況を意識せずにはいられなかった。
その時ふと、噴水を挟んだ向かい側の林中に、何かの気配を感じた。
私がそちらの方を睨むと、誰かが走り去る音がした。
「クリス!あの林の中だっ!」
私の声に驚く間も無く、クリスが条件反射的に動いた。
素早く、暗視カメラをその方に向ける。
同時に、私もその場所目がけて疾駆した。
僅か一分ほどのズレだったが、到着した時にはすでに気配は消えていた。
「な、なんなの……一体!?」
「ああ、びっくりしたーっ!」
遅れてやって来たクイーンとドイルが、息を切らしながらボヤいた。
遠目に、クリスと千鶴も走って来るのが見える。
「今、ここに誰かがいた」
私は、なお周囲に目を配りながら説明した。
「それって……誰かが、隠れて覗いてたってこと?」
クイーンが、深呼吸しながら怪訝そうに尋ねる。
「分からん。ただ……」
私はそこで言葉を切り、クリスの方に顔を向けた。
「どうだ?クリス……撮れたか?」
私の問いに、肩で息をしていたクリスが、ぎこちなく頷く。
そのまま、抱えていたカメラをチェックすると、眉をひそめた。
「撮れたのは、黒い影が動く一瞬の映像だけです。
これでは、人らしき輪郭くらいしか識別できません。恐らく、黒っぽい衣装で体を覆っていたものと思います」
申し訳無さそうに、クリスが報告する。
私たちもモニターを確認したが、彼女の言ったように、人間らしき黒い残像しか判別できなかった。
「……この、青いのは何だ?」
私は黒い残像に混じった、微かな青い色を指差した。
「さあ?……静止画にして、解像度を上げてみます」
そう言って、クリスは手際良く操作パネルを操った。
「……できました」
少女の合図に、私たちは一斉にモニターを覗き込んだ。
全員の口から、声にならない叫びが漏れる。
そこに映っていたのは……
頭部が血まみれの、あのレイニーマウスだった。
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