異世界ふしぎ発見(3)

 ヨシュアが立ち上がると、アマノは背伸びをして「さぁ帰ろうぜ」と言い、彼に背を向ける。しかし――


 「あれ、アマノさん。どうしたんですか?」


 ピタリと動かなくなったアマノに、ヨシュアは声を掛ける。しかし、掌で制され、


 「――いいか、次の実地勉強会だ。お題は……そうだな、正面への斬撃と――」


 メキメキと、何かがへし折れる音が聞こえる。ヨシュアは音の正体にすぐ気が付いた。アマノの背中の向こう、茂みを踏みつけ、木々を押しのけるようにして現れたソレは――


 「……オウルベアのいなし方だ。この時間に現れるって事はぁ、ご機嫌は最悪だ」


 「――キョアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 顔はミミズク。


 爪は猛禽の冷たさと鋭さを持ち。


 身体は優に大人を見下ろす巨躯の熊のそれ。


 彼は怒っていた。何に怒っているのか、怒る事に怒る様な、自然の理不尽を体現した怒りを伴って現れたオウルベアは、両手を広げて耳も劈く大音響を以て自身の怒りを眼前の二人にぶつける。


 ザッザッと両手の爪で地面近くの茂みをその爪で一瞬で刈り取った。いや、地面ごと抉っているのだ。ザックリと切り取られた地面を見せつけて、彼は雄弁に語っている。”今からお前らもこうしてやるぞ――”と。


 アマノの背後にいるヨシュアも、思わずオウルベアの肌を刺すような怒りに木刀を構える。彼の本能がそうさせた。これは生命の危機に瀕しているぞ。と。


 大人の太腿ほどありそうな前腕を振り回しながら、オウルベアはゆっくりとアマノに近づいてくる。アマノはそれに対し、ゆっくりと刀に手を掛ける。


 「さて、指導の復習と行こうか。刀は、一で握り、二で効き手の逆の親指で鯉口を切り、三で抜く。その時はどんな時でもゆっくり抜け、お前はこの時、相手を斬る覚悟と自身の命と向き合うんだ。相手の死と自身の生、どちらが重いか良く吟味する。腹が決まれば、剣はお前に応えてくれる。この数秒に心を決めろ」


 ヨシュアからするともどかしくなるほどの時間。もう眼前までオウルベアは近づき、アマノから最早2mも離れていない。オウルベアの歩みが遅くなり、それでも、ヨシュアからすればゆっくり過ぎるほど刀を抜く動作は、叫び出しそうになるほど遅く感じる。


 「あっぁっ、もう、目の前……!」


 「――そうしたら、頭の上に構える。中指、薬指、小指に特に力を込め、柄を握る。意識するのは相手の全体だ。目は一点を見るな、相手の全体を見ろ。目に力を入れすぎるな。刃は思っているよりは短くはないが、過信するほどは長くはない。相手が間合いも大切だが、自身の間合いもしっかりと把握しろ」


 オウルベアは呼吸を止め、両手をアマノと同じように振り上げた。互いに獲物を頭上に掲げ、オウルベアも立ち止まる。


 (身長が、1mくらいオウルベアの方が大きい……! 腕も相手の方が長い、アマノさん、そこからじゃ絶対に届かない……!)


 ヨシュアの見立て通り、間合いはオウルベアの方が広い。オウルベアは眼前のアマノを見下ろし、ゆっくりと首を少しずつ、時計回りに回す。まるでそれは、少しでもアマノより目線の標高を高めようとしているように見えた。


 「……ホッホッホッホッホッホッホッホ」


 笑っているようかの如き鳴き声。反射的に身体がビクッと反応するヨシュア。しかしアマノはピタと時が止まったように動かない。彼も瞬きをせずに、眼前に集中していた。


 (読んだことがある、フクロウは顔の羽の形をパラボラアンテナみたいに変えて音をたくさん拾って相手の動きを捉えるって。アマノさんの動きを読み取ってるんだ……!)


 彼の推測通りだった。オウルベアは、アマノの微細な動き、筋肉の動き、果ては呼吸音すら聴き分け、彼の揺らぎを探していた。まさに、捕食者としての完成された行動、肉体。事実、彼はこれまでの生で一度とて負けることが無かった。当然、この戦いでも勝利し、温かい肉をその嘴で掻き分ける事を信じていた。だが――


 


 「――――キャアラッ!!」


 「――――疾ッ!!」




 ヨシュアにすれば流星の煌めき。オウルベアが両腕を振り下ろす寸前、アマノはオウルベアの脳天から股間までを一刀にして斬りつけた。


 「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?」


 嘴が砕け散り、オウルベアは生まれて初めて感じる”切創”の鋭い灼ける痛みに、両腕で顔を覆った。


 「……全体重を右足に込めて、踏み、斬り抜く。下半身の動きで斬るんだ。そうするだけで、世界はするりと両断される。さて、次の授業だ。ヨシュア少年。よく見ておけよ、次は走って斬る方法だ」


 よろけ、痛みに背後へ数度跳び、距離を取ったオウルベア。それに対し、刀に付いた血糊を振り払い、アマノは再度頭上に刀を構える。その動作は見惚れる程美しく――そして恐ろしかった。


 (まるで、僕まで刃の切っ先に吸い込まれそうになる)


 ヨシュアはオウルベアが斬られると同時に、自身すらも斬られていた。正しくは、そのイメージが頭に浮かんだだけだが。彼にはどうしようもないほどリアルであり、そうさせる程の恐さが、今のアマノには在った。


 「走るとな、目測を見誤りやすい。走って斬る時は、殴りつけるのをイメージしろ。距離としてはそれが適切な位置になる。相手を拳で殴れる距離で、斬り下ろすんだ。今からやって見せるから、見てろ」


 もはや戦意を喪失したオウルベア。彼は斬られた顔を片手で押さえ、ヨロヨロと森の中へ逃げようとしていたが――数秒後、走り寄ったアマノに背後から斬られ、真っ二つになり、地に伏せた。


 「終わりだ。オウルベアは討伐対象としてギルドに申請されてなかったから、単純に昼間眠れなかったか腹が減っていたかで気が立っていて出てきたんだろ。俺達を襲おうとしていたから、まぁ仕方ないな。死体はスライムか獣か虫が食うだろ」


 そう言いながらアマノは血を払い、刀を仕舞う。そしてヨシュアへ振り返り、


 「後でちゃんと復習しろよ! 何回もやって意識しなくても出来るようになれ。握り方も斬り方も、咄嗟にな。今はまだ木刀だが、ちゃんと抜刀する所作もやれ。いいか?」


 声を掛けた。ヨシュアはどうにか辛うじて、「は、い!」と返事できたが、アマノの足元で血溜まりに沈んでいるオウルベアから目を離すことが出来ずにいた。そして、一つ、ある疑問に辿り着いた。


 (……アマノさんが一発で相手を斬り殺せない事なんてあるのだろうか?)


 あの”森の王”すら一振りだったのに、とヨシュアは生じた疑問を、そのままアマノにぶつける。


 「……もしかして、僕に二つの斬り方を見せるために、一撃で殺さなかったんですか?」


 その問いに、アマノは目を丸くし、彼に背を向けて「うーん……」と唸って、


 「俺、教えるの初めてだから、恐かったらごめんなぁ」


 困ったように笑い、ヨシュアへと振り向いた。もう、夕日が射していた。ヨシュアは、赤い夕日に照らされ、まるで鮮血に染まったか如きアマノを、彼の太刀筋と同じくらい恐く思い、そして美しく思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る