第11話 伝説の写真家

 ソール・ライターとは、『見る物全てが写真になる』、『雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い』などの名言を残したニューヨークの伝説の写真家。

 確かに、彼の写真は何気ない街の風景だったり、誰もが一度は、何処かで見掛けた様な写真が、何気にアートになっている。そのインパクトは物凄く、普段の中にある風景に此れだけのアートを見出す才能は群を抜いている。

 若かりし頃健司も彼の写真を一目見て虜になった。そして、憧れ、少ない給料を叩いてニコンの一眼レフを手にしたのだった。彩が貸して欲しいと言ったカメラがそれで、年式はかなり古いが、ある意味健司の人生を一緒に見つめて来た相棒でもあった。和子との初めてのデート、結婚、彩の誕生、入学、卒業などのイベントには必ず立ち会って来た。銀塩だからこそ出る味がある。と言って大切に使って来たが、フィルムの入手が困難になったり、現像をしてくれるラボが無くなったり、世の中の変化と共にカメラを取り巻く環境も大きく様変わりした。最近は、めっきり出動回数も減った彼だったが、娘がそれを使いたいと言い出す日が来るとは。

 人生は本当に解らない。多分、彼女の口からソール・ライターの名前が出なければ、愛娘であっても貸す事はしなかったと思う。しかし、その写真に触発され、興味を持ったのなら話は別だ。「お父さんの人生そのものの様なカメラだから。」と前口上を述べて貸すことにした。彼女がこれからニューヨークに留学し、このカメラを相棒として、一体どんな被写体を切り取って来るのか、考えただけでもワクワクする。

 一通り使い方と、簡単な手入れの方法を教えて、カメラバック毎貸した。

バックの中には28mm、125mmの交換レンズも入っており、初心者の勉強には十分なセットになって居る。

 彩は健司からそのバックを受け取ると、ニコニコしながら「パパ、ありがとう。大切に使わせて頂きます。」と戯けた様な顔をしながら、ぺこりと頭を下げた。

 健司は嬉しかった。ただただ嬉しかった。自分の傾倒した感性に、娘の琴線が触れた事が。この瞬間が、幸せという事なのだろうと思った。


 彩は早速、カメラで何かが撮りたくなった。

「そうだ、麻美ちゃんを撮ろう」と思い、連絡をした。彼女の寮に出向き、室内にいる彼女や、近所の公園に行き、ポーズをつけた写真を数枚撮った。

 中でも麻美が気に入った写真は、モデル事務所の提出用に撮った写真が絶妙に良かった。「彩ちゃんありがとう。お父さんにも、お母さんとお兄ちゃんが説得してくれて、面接に行ける事になったの。」と笑顔を見せた。

麻美が「来週の土曜日、面接があるから、一緒に付いて来てくれる?」と言うので、彩は大きく頷き「もちろん」と右手でOKマークを作ってみせた。

これで麻美との約束を果たせると思い、ホッとした。

 そして、その日は来た。モデル事務所のドアを二人が開き、中に入ると、見たことのあるモデルたちの、プロフィール写真が飾ってあった。

 彩も付き添いとはいえ、目の前に広がる、別世界に心が躍った。

「お名前が、小林麻美さん。高校生?」

「はい、今年1年生になりました。」

「そうなんですね。今日は面接だけなのですが、審査してOKなら保護者の方とお話をして、それから専属契約という事になります。」

「はい。」

「親御さんは、このことをご存知ですか?」

「もちろん、両親に許可をもらって来ました。」

担当者は、そんな会話をしながら、彩が撮った2枚の写真を眺める。

「この写真、よく撮れていますが、どなたに撮ってもらったの?しかも、フィルムカメラ?」と聞かれ麻美は、隣にいた彩を指さして「彼女です」と言った。

「へぇ」と驚いた声を出した担当者は、彩に向き直って「この写真は、どこで覚えたの?何年位やってるの?」と聞かれたので「初めてです。お父さんの古いカメラを貸してもらって撮影しました。」と担当者をまっすぐ見つめる。さらに担当者は目を見開き「初めて?」とかなりびっくりした表情をした。

その声に、他のデスクにいた者たちが集まってきて、騒然となった。

担当者が「おい、ちょうさん呼んでくれ」と若い社員に声を張り上げた。

 少しして、長さんと呼ばれた男がやってきた。50歳を少し過ぎて、くたびれが滲んできた様な男だったが、彩の撮った写真を手に取って「お嬢ちゃんが撮ったのかい?」というので、彩が頷くと「ちょっとそのカメラ見せてくれる?」と言われたので、首から掛けていたストラップを外し、その男に手渡した。

暫くそのカメラを見て居ると、突然「君のお父さんの名前は?」と聞かれたので「町井健司です」と答えると「やっぱり健司のカメラか」と呟く様に言った。

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