第8話 最初の一歩

 朝、目が覚めると、涼しい風が頬を撫でていった。静かな空気が流れていて大気という言葉を実感する。都会では、早朝であっても何処からか車や電車のような人工的な音が聞こえてくるのだが、此処ではそれが無い。その静けさに彩は不思議な感覚を覚え、これが大自然の力なのかと実感した。

辺りは既に明るくなっているが、時間がゆっくりと過ぎていて心地が良い。

 秩父の山中に麻美の実家はあった。先祖代々の農家で大きな家屋が近所でも有名らしい。庭先で放し飼いの鶏が、鳴き始めた。彩は初めて鶏が朝鳴いているのを聞いて、思わず吹き出した。「漫画だ。本当に漫画の中に出て来る様な声で鳴くんだ」と思い、笑いが止まらない。時計を見ると朝6時少し前だ。山の中の日の出は平地からすると少し遅い。しかし、台所の方からは、何やら良い匂いが漂ってくる。既に麻美のお婆ちゃんやお母さんは起きて、朝食の準備をしている様だ。

 昨夜は麻美の部屋で、一緒に布団を敷いて眠ったが、麻美の部屋は驚くほど広かった。部屋の中には、勉強机の他に家具が沢山あり、綺麗に整理されている。

本棚にはの参考書や、小説、ファッション誌などがびっしり入っている。

 彩の知っている友人の家は、何処も同じようで、勉強机とベットを置いたら座る場所を確保出来ない位いの広さでも、一部屋確保して貰えるだけで良しとする様な子供部屋が普通だと思っていた。

 麻美がベットの中でモゾモゾして、起きてきた。寝ぼけた顔で「おはよう」と言ってベットの上で身を起こしてから、しばし止まっていた。

麻美が「おはよう」と言って返した後、布団から抜け出し窓を開けてベランダに出た。そこには、少し靄のかかった山々が見ええた。思いのほか外気は、ひんやりしていて、一気に目が覚めた。


 暫くして朝食が出来たと、麻美の母親が起こしに来た。顔を洗って食卓につくと、朝食なのにすごい量のおかずが揃っていた。

「遠慮しないで沢山食べてね。」と言い、山盛りのご飯を盛り付けてくれた。

ゆっくりと朝食をいただき、満腹で麻美の部屋でダラダラしていたら、麻美の父が呼びに来た。どうやら川下りに連れて行ってくれるらしい。人気のアクティビティーで、テレビのバラエティーなんかで見た事はあったが、当然、彩は初めての体験で、とても楽しみにしていた。

 車で小一時間走ると、その場所はあった。受付で必要な項目を書き、申し込みをした。料金を支払って、ロッカーの鍵を受け取り、水着に着替えた。そのうえから、Tシャツと短パンを履き、スタート地点に向かう。簡単な説明を聞き、ヘルメットにライフジャケットを着用して、ゴムボートをみんなで持って川に入った。

 複数の人と相乗りになったが、経験者が2名とスタッフが2名の同乗となった。

スタート地点の流れは緩く、全員が乗り込むとスタッフがオールを漕ぎ流れの中心に向かった。最初はゆっくりとだったが、徐々にスピードが増し、急流に入った。ボートが激しく上下し、その度に飛沫が飛んでくる。すぐに岩場ゾーンに差し掛かり、今度は左右に振られた。岩に激突しない様に、スタッフがオールを杖代わりにし、コントロールしていたが、上下左右の他に、斜めに傾いたりボートは激しさを増した。

その度、大量の水が入り、ボートの中は水浸しになった。急流を降る時、彩も麻美も絶叫をし、自分が何処を向いているのかもわからない状態になった。

 ひとしきり、激しい流れで揉まれた後は、静かな流れのソーンに入ったが、皆、頭から水を被り、ヘルメットからはかなりの雫が落ちていた。

ようやくゴール地点に辿り着いた時には、二人とも声を出し過ぎてぐったりしていた。5月とはいえかなり体が冷え、震えがくる。大急ぎでロッカルームのシャワーを浴びた。シャワーはお湯が出せる様になっており、暫く体を温めてから着替えようとした時、彩を後ろから濡れたままの麻美が抱きつき、はしゃぎ合っていた。

ようやく着替えて外に出ると、待ちくたびれた様な顔で麻美の父が立っており、「次はどうする?」と麻美に聞くと、天然氷のかき氷を食べたいと言い出した。

早速、父親は車を走らせ、その店に向かった。かき氷のほか、焼きそばを注文し、3人で食べた。楽しい時間はあっという間に過ぎ、日が西に傾きかけた頃家路についた。帰りの車の中、疲れ切った二人はすぐに寝息を立てていた。

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