第4話 いつの間にか君は

 あっという間にその日は来た。彩はいつも通りのルーティーンで、昨夜試験の準備をしていた。「特別はやめよう。普段通りでいい。」そう呟き、22時を過ぎる頃部屋の灯りを消して就寝した。

 翌日、いつもより5分早く目覚めた。枕元の目覚まし時計に手を伸ばし、時間を確認してからベルのスイッチを切った。ベットに上体を起こし、伸びをした。上掛け布団を勢いよく跳ね除け、ベットから降りた。

 階段を下り洗面所に向かい歯磨きをし、顔を洗って、サッパリとすると和子が「おはよう、早いのね」と声を掛けてきた。「うん、いつもより5分だけ」と言いながら2階の自分の部屋に行き着替えた。制服に身を包み「よし」と呟く。再度1階のリビングに降り、キッチンのテーブルに座り朝食を食べた。携帯の交通情報を確認しながら、電車が平常運行であることを確認してそれを置いた。残りのトーストと目玉焼きを頬張り、牛乳を飲んだ。

 試験会場までの時間を逆算しても、十分な時間はあるが途中でなんらかのトラブルが発生すると嫌なので、早めに家を出る事にして支度を整えた。

 キッチンで洗い物をしている母親に「行ってきます」と声を掛け、普段通りに玄関を出た。いつもの道を駅に向かって歩き、程なくして駅に着いた。ポケットからパスケースを出し、改札を通り駅のホームへ向かう。程なくして列車がホームに滑り込んできて、ホームドアと列車のドアが開く。学校に行くときに乗る列車より、数本前の列車に乗って会場に向かうため、いつもより乗客は少なかった。

 試験会場の最寄駅に着くと、受験生と思しき人が増え、皆同じ方向に向かって歩いて行く。その数は会場に近づくにつれ、増えていった。すでに、会場の入り口には人だかりが出来、受付を待っている様だった。皆おもいおもいに参考書や問題集を眺め、最終チェックに余念がない。

 しかし彩は、そんな周囲の様子を何気に眺めていた。今日まで全力でやって来た。今更ジタバタしても意味が無いと思い、参考書の類は持たずに家を出た。仮に試験に落ちても、命を取られるわけでも無い。彼女にとって受験は通過点に過ぎない。そんな風に思える様になったのは、彩が本気で留学を考えるようになり、彼女の目標がそこに有るので、さほどプレッシャーは感じていなかった。周りの受験生が最後まで参考書に目を通している姿を見ていると、それが全てで、必死になっている同い年の子達がおかしく見えた。

「落ちてもいい、その時は留学ではなく本格的に渡米すれば良いし、私にはその環境がある」と心の中で呟き、会場の中に入っていった。


 全ての試験を終え会場を出た時、日は既に西に傾き、吹く風は冷たかった。しかし、都会の空気もほんの少しだけ春の香りを運んで来ていた。

いつだって季節は変化をしている。ただ、そこにいる人間が気付かないだけ。

 試験が終わった報告を母親に知らせ、喫茶店に向かった。最近、玲子と良く待ち合わせている喫茶店で、今日も、彼女と待ち合わせている。

 店のドアを開けると、そこに玲子がいた。彩の顔を見ると、何時もの様に小さく手をあげ、微笑んだ。「お疲れ様」そう言って席に座るように促した。

彩は肩から掛けていたバックを座席に置き、コートを脱いだ。

店員に「アールグレー、ミルクティーで」と注文をし、運ばれて来たコップの水を一口飲んだ。そんな彩の様子を玲子は穏やかな表情で眺め、「どうだった?」と聞いた。「うん、多分大丈夫。さほど緊張もなく、淡々とこなして来たわ」と落ち着いた表情で彩が言う。

玲子が「彩ちゃん凄いのね。全く動じない」と笑った。

「ううん、これも玲子さんのお陰。ニューヨークに行って生活する事が目標になったから、それが留学でも、そうでなくても良い。そう思えたら入試にそんなに頼らなくて良いと思えて、肩の力が抜けて丁度よかった。」と言い、小さく舌を出して笑った。「彩ちゃん素敵、きっと貴女には良い人生が待っているわ」と玲子がいった。

 結婚をしたがすぐに離婚をし、健司に出会うまでは独身だった玲子にとって子供は居なかった。しかし、彼女にとって彩はまるで自分の子の様な存在であり、妹の様な存在だ。頼られると嬉しくて、何でもしてあげたくなるのだ。つくづく憲治と結婚した事、そして彩を産んでくれた和子に感謝している。

 今まで、仕事にのみ自分の人生を費やして来た玲子にとって、手に入らないだろうと考えていた幸せがそこにはあった。

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