16話:蒼と純白
起きた時の条件反射が無意識に首を動かす。視線の先にあった時計は四時を示していた。
「……はああぁぁ」
眠りに朦朧としていた頭が瞬時に現状を把握して大きなため息が漏れた。
できれば、コロンの世界で少し休んでから目を覚ましたかった。そんな事を思いながら外へ出て、星空交じりの朝焼けを見ながらエフェクトを身に纏った。
「ふぅっ」
変身が完了すると一息に地を蹴り、空へと飛び出す。そのまま魔力で身体を浮遊させて飛行を始めた。
樋波への制裁は記憶の印刷に決めた。『無駄な痛みが凄い』とかつての仲間からも太鼓判を押されている魔法だ。それにカムトマジナとユイについても気になる。私の知りたい情報を樋波がピンポイントに持っているとは思えないが、手掛かり程度にはなるだろう。
疎らな車を眼下に、空を飛ぶ事約5分。数日前に奏と共に訪れたアパートに到着した。
今すぐにでも扉をぶち破って殴りこみたい気分だが、流石に隣や下の階の者には迷惑を掛けられない。
大人しく魔法で窓の鍵を開けて侵入すると、部屋の隅に座って何かの写真を見ている樋波の姿が目に入った。
「樋波。来たぞ」
「……九条晃。まさか本当に来るとはな」
明晰夢の力が無いのに威勢よく私を睨んだ樋波が立ち上がり、距離を詰める。
「呑気なツラしやがって。お前のせいで…… お前のせいで僕はッ!!」
「私のせいで?」
「何もかも滅茶苦茶にしやがって……!!」
「曖昧な事を言うなよ。私が、お前に、何をしたのかその口で言ってみろ」
手に紙を作り出して樋波の額に当てると彼は顔を真っ赤にして拳を握った。
「しらばっくれるつもりか!? 僕の世界に入り込んで余計な事をッ! したじゃないかッッ!!」
「三度目は無いぞ、"曖昧な事を言うな"。お前の言う余計な事とは?」
魔法を発動させる。するとユイに関する情報が印刷された。しかしその内容は正にスカスカ、『全身を隠すような衣服を着ていて姿は見えなかった』『リアステュラを譲り受けた』の二文のみであった。
「お前が何を理想としていたか、それに対して私がどうしたか。自分自身を見つめ直しながら言ってみろ」
「……っ」
「おい、言えよ」
もう一枚紙を生成して樋波の額に当てる。
すると樋波は唇を嚙んで目を血走らせた。相当頭にきているらしい。
「『自分の世界に瀬里奈を閉じ込めて愉しんでいたのに、あろうことか彼女を救出しやがって!』」
「お前ッ……」
「夢だから犯罪にはならないって思ったんだろ」
樋波の瞳を睨み返す。
「まあ、実際そうなんだろうな。夢の中の物を現実に持ち出す事は出来ない。お前の行いを証明できる物証だってこの世界には現れないようだ。 ……彼女の身体にさえも」
「……そうさ。証拠が残らなければ犯罪にはならない。逆に今のお前は? 住居侵入に暴行……!! ふふ、ふふ!!」
隣の部屋の住人が苛立ちをぶつけるように壁を叩いた。確かに彼は少しうるさい。
「彼女の心を傷つけた自覚はあるのか?」
「心の傷? そんな物が何になる? まさか『夢の中で暴行を受けたんですぅー! 逮捕逮捕!!』なんて? バカか」
「……」
「くっ、それに比べてお前は滑稽だよなぁ。僕に私怨がどうの大義名分がどうのと言っておきながら…… その"正義"で動いた結果犯罪者になるなんて!! く、ふふふ、ははははは!! 学生で! 前科持ち!! はははは!!」
もう一度魔法を発動させる。バチンと閃いた電光が暗い部屋を照らす。
次に出て来た情報はカムトマジナの事だったが、その内容はさほど核心に切り込んだ物ではなかった。
『現実を捨てて夢の世界で過ごす事を望む集団』『僕もその一員になってサポートとしてリアステュラを受け取った』と、その程度であった。
「……彼女は夢の中での出来事に酷く心を痛めていた。出会った時は泣いて助けを求めていたんだぞ」
「それが?」
「『それが』じゃねえよ。正しくない行いだって多少は自覚しているんだろ?」
二枚の紙を一応仕舞い込みながら尋ねると、樋波は少し俯いた
「……ああ、そうさ」
「なら何故そんな態度でいられるんだ。共感性は既にダメになっているのか?」
「そうとも言えるね。同情も共感も必要無い…… そんな世界を目指しているから」
「なんだそれ」
「言い換えれば"正しくない事も堂々とできる世界"を目指しているんだよ。現実に影響が出ないなら被害者だって出ていない事になるだろ? 証拠だって一切残らない。だから僕が許可した人間と一緒に心置きなく好き勝手に生きられるって訳さ。ふふふ…… 僕が主だから被害に遭う事だって無い!!」
スマートフォンを取り出した樋波が"110"と入力した画面をこちらに見せる。
「一歩でも動いてみろ、九条晃。その瞬間この発信ボタンを押すからな……!」
「はあ、そうか」
「まずは手始めに服でも──」
構わずに歩み寄り、代わりに発信ボタンを押してやる。すると呼び出し音が鳴り始めた。
「うわっ……!? お前馬鹿かっ!? 何してっ── あ、はい。あの、うちに侵入してきた人が居て、あ、はい…… あっ」
「はは。電話口だとそんな喋り方なんだ。結局はただの一般人だな」
「ッ──!! あ、住所は──」
警察とのやり取りを続ける樋波を眺めながら、先程叩かれた壁に向けてエフェクトを放ちドンドンと物理的な音を立てる。すると直ぐに仕返しの壁ドンが返ってきた。
「い、いま目の前にその人が居てっ…… はい、とにかくすぐに来てください!」
電話を終えた樋波が冷や汗を拭いながら私を睨む。
だが焦りで感情が一旦リセットされたのか、言葉が出てこない様子だった。
「証拠が無けりゃ犯罪にはならないって言ってたよな?」
「あ、ああ。そうさ。でもお前がここに来たという証拠は──」
「どこにある?」
「は?」
「窓は手を触れずに魔法で開けた。だから指紋は残っていない。他は?」
そう語りかけると樋波は焦って辺りを確認し始めた。私の足元に目を向け、自分の額を撫でる。
私自身の姿の他に私がこの部屋に立ち入った事を証明できる物が無い事を察した樋波は、先程私が音を立てた壁を見てようやくピンときた表情を浮かべた。
「そうだ。隣の部屋の人が聞いているじゃないか。さっきからドンドンとやかましい…… でもそれは揉め事の声が聞こえていて文句を訴えているって事だろう? ふふ、証拠は無くても証人は居るぞ、こっちには」
「……聞こえてないぞ、私の声」
「は?」
「うおおおおおおおおおおおぉぉッッ!!」
「うわ、え?」
大声で叫ぶ。先程までの樋波よりもずっと大きい声を出したのだが、隣人は無反応だ。
「反応が、無い……?」
「今の私は、声も姿もお前にしか認識できない存在だ」
「そんな馬鹿な話があるか!? どういう事だ!?」
「魔法の力。許可した人にしか私の姿が認識できないという魔法だよ」
「なっ……」
奏にも使った事がある手法だ。
リジェクターの力の根源はルーベンスの持っていた神の力である。その関係から、変身している間のみ"許可されない限りは認識できない存在"となる。
「夢でも言った通り、私はこういった力を使えるんだ。そして──」
一時的に周囲の人間全てに許可を出す。これで隣人にも私の声が届くだろう。
「やめてくださいっ!! 誰かっ!! 誰か助けてえええぇ!! お願いしますっ……! 助けてええー!!」
「は…… はぁっ!?」
隣の部屋からドアを開く音が聞こえた。恐らく隣人が飛び出したのだろう。そして反対側の隣の部屋からも慌ただしい物音が聞こえ始めた。
その事を確認し、再び許可の範囲を樋波のみに戻すと扉を叩く音が部屋中に響いた。
「当然、許可の範囲を広げる事も出来る。今の声はちゃんとお隣さんに聞こえたようだな」
「嘘…… 嘘だろ……? まさか、そんな事が……!」
「じゃあな。そろそろ警察も来る頃だろ。頑張れよ」
浮遊し、窓から外へ出る。
証拠不十分ではあるが、警察とのゴタゴタでそれなりに痛い目を見るだろう。
最後に樋波への許可も取り消し、誰からも認識されない状態と化して空へ飛び立った。
──────────
行きの時よりも少し時間をかけて微かな朝焼けを眺めながら空を飛ぶ。
別に空を眺めたりするのが好きだという訳ではないのだが、なんとなく暫く外の空気に触れていたい気分だった。薄暗い自室で夢日記を書く自分を想像すると酷く憂鬱な気持ちになる。
なんて思いながらも、空を飛んで移動しているのだから目的地にはすぐに着いてしまう。
住宅街の中に見える自宅の屋根を目指して降下し始めると、ふと家の前に不自然な姿が見える事に気が付いた。
「っ!」
角度の関係で遠くからでは他の家に隠れていて気付けなかった。
反射的にそれまでの動きを中断して他の家の屋根に着地し、身を隠しながら相手を探る。
「あれは……」
純白の頭髪、純白の肌、純白の服。そして純白の翼。微塵も隠すつもりを感じない。あいつは間違いなく神に関連する存在だ。恐らくはルーベンスの言っていた守護神代理に当たる人物だろう。
その白い人物は、肌寒そうに手をこすり合わせながらきょろきょろと周りを伺っている。まさか私を待ち伏せているのだろうか。
「リジェクションバースト ……"クラフト"」
紙を生成し、一匹の紙の燕を作り出す。
魔力の気配を感じ取ったのか、その人物は翼を少しだけ広げて周囲への警戒を強めるような仕草を見せた。
「行け」
こちらに気付かれていないうちに先制を撃たなければ駄目だ。
強迫観念とも言えるその本能に従って、敵に向けて燕を放った。
「──何者ッ!」
攻撃を察知したその人物が燕の方を見上げた。その隙に私は姿を見せないように地へと飛び降り、標的めがけて駆け出した。
「"クラフト"!」
銃を新たに作り出すと、丁度燕がその人物に直撃して小さな爆発が巻き起こった。
煙幕と共に砕けたコンクリートが舞い上がる中、手の届く位置へ私が到達する寸前に彼女は後方に大きく飛び退いた。
「はぁっっ!!」
逃げた彼女へ向けて間髪入れずにエフェクトを纏わせた三発の弾丸を放つ。
小さな爆発に共鳴したエフェクトが華やかなアルペジオを鳴らし、弾道を追って螺旋状に伸びてゆく。
「この力、やはり貴女が……!」
対する彼女は翼で全身を覆い隠し、三発の弾丸全てを難なく受け止めた。ダメージは無い。だがその防御行動によって視界は塞がれた。
その隙に地を蹴って急接近すると、彼女は焦ったように翼を広げて手を突き出した。
「動くな」
その手を掴んで背後へ回り、銃口をこめかみに当てる。
既に引き金に指をかけている事に気付いた彼女は、冷静に体の力を抜いた。
「神の殺し方は知っている」
「……ええ、存じ上げています。抵抗はいたしません」
透き通るような声の小さな返答と共に、瞳を閉じて掴まれていない方の腕をゆっくりと上げた。
ここから反撃を仕掛ける可能性もあり得る。気を抜いてはいけない。
「何をしにこの世界に来た?」
「守護神代理として。この世界で起きている歪みの修正の為に参りました」
「……」
ルーベンスの言った通りだ。
「お前が立っていたのは私の家の前なんだが、それは意図していたのか?」
「はい。貴女に協力を仰ぐ為に、ここでお待ちしておりました」
「……は?」
ルーベンスの言葉に影響を受けた訳ではないが、神々にとって"九条晃という存在"は好ましくないのだと私は思っている。
現に、私は神であるルーベンスを殺している。その上で未だに神の力の一端であるリジェクターの能力を持ち、それを振るっている。神々からすれば殺しておくべき存在だろう。
なのに──
「協力だって?」
「はい。この世界の歪みを修正する為に、貴女の力をお借りしたいのです」
するりと私の拘束から抜けたそいつがこちらへ振り返り、蒼い瞳を開いて私を真っ直ぐに見つめた。
「私は天使モア・ローセンダール。亡きゾフィー・ルーベンス様の代理として、この世へと遣わされました」
「……」
信用など出来る筈が無い。
改めて銃口を向けると、モアと名乗った天使は臆せずに言葉を続けた。
「私の願いはこの世界の存続。そしてルーベンス様の望んだ未来を避ける事。アキラ様、どうかその武器をお納め下さい」
朝焼けの中で純白の翼を風に揺らすその姿を見て、私はただ困惑をひた隠しにしながら銃口を向ける事しか出来なかった。
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