13話:届いた言葉と滾る闘志

 その顔は、悪い意味で確かに記憶に残っていた。

 名は樋波優磨、ついこの間出会ったばかりの"好ましくない人間性の男"だ。


「忘れたとは言わせないよ。あの時の君の態度のせいでずっとイライラしてたんだ、こっちは」


「……なるほどな」


 第一に出たのは驚きよりも納得の感情だった。

 『まさかこの間対面した人が──』なんて気持ちにはならない。こいつであればこんな事をしでかすのも不思議ではないと思った。


「樋波くん……!?」


 コロンが驚愕の声を上げる。その後に鋭くなった視線から察するに彼女も彼には良い感情を抱いてはいなかったようだ。


「二人とも、お知り合いなんですか?」


「瀬里奈に合う方法を探してる時に一回会ったんだ」


 樋波から視線を外さずに美愛に説明をする。

 どういう訳か彼には私の攻撃が効いていない。そして扉も開かなくなってしまった。早急に何かしらの対処法を見つけなければならない。


「『樋波くん』……? そっちの奴も僕の事を知っているんだ。誰だ?」


 偽の顔に戻しながらもコロンの言葉に反応を示した樋波がコロンの方へと目を凝らす。そのまま数秒見つめてハッとした彼は歪んだ笑みを浮かべた。


「──へえ……! へえぇーっへっへっへ。そうか、小さくなってて分からなかったけど君は季崎さんか。なるほどね、君はあの体格がコンプレックスだった訳だ」


 目に余る物言いに思わず拳が出た。しかし私の攻撃は樋波の身体をすり抜けた。


「無駄だよ、九条晃。今の僕はホログラム…… いや霊体? どっちでもいいや。つまり本体はここに無いんだよ」


「……別の所から意識だけ飛ばしてるって事か?」


「そんな感じ。だからもう邪魔しないでね、クソガキ」


「そうか」


 ゆらりと移動した樋波がコロンと瀬里奈へと手を伸ばす。

 咄嗟に前に出たコロンが庇うように瀬里奈を背後に隠した。


「フフ。瀬里奈と季崎さん…… いや奏。まさか思った通りになるなんて、やっぱり夢って最高だ」


「う…… うあぁ……」


 瀬里奈が怯えた声を発するのに対して、コロンは冷たい目つきで樋波を睨んでいた。彼女からは恐怖心を感じない。


「この世界の事に気付いてからずっと願ってたんだよ、奏。君が僕の夢に来ないかなって」


 コロンが手に持つ瀬里奈の為の衣服を奪い取り、ビリビリと破り棄てる。こちらからの干渉を許さない一方で向こうは思い通りに出来るようだ。


「そうしたら君を好きにできるのになぁ…… ってね」


「……人の尊厳を踏みにじるような奴はブッ潰してやる」


 コロンがフレイルを振るう。動きに合わせてフレイルに魔力を送ってみたが、その攻撃も樋波の身体をすり抜けた。


「おほ…… いいね、もっと悪態ついてくれよ。嫌々従わせるのが好きなんだ。ふひひ」


「あ、晃さん……! このままじゃ……っ」


 美愛が小声で焦燥を露わにする。その手にはしっかりとマップが握られていた。


「美愛ちゃん、ホールとプライベートルームの方向、どっち?」


「えっ……? プライベートルームが正面でホールが左ですけど……」


 二つのドアの位置関係から方角を割り出した美愛が小さく指を差して方向を示す。

 それぞれの壁を確認して拳を握りしめると美愛は意図を察したように一歩下がった。


「流石。ありがとう、伏せてて」


「はい……!」


 ただ見ていた訳ではない。この数秒で存分に練った魔力を全身に巡らせて筋肉に馴染ませていた。

 許容量をギリギリ越えて漏れ出た魔力がバチバチと弾け、赤黒い光がフラッシュのように辺りを照らしている。


「……邪魔するなって言ったよね、九条晃。その拳をどうするつもりなのかな?」


「ぶん殴るんだよ。拳の使い道ってそんなもんだろ」


「馬鹿か? 君が何の力を持ってるのかは知らないけど、今の僕には効かないってさっき分かったでしょ」


 樋波が顔のみをこちらに向けて笑みを漏らす。このまま行動を起こしたら何をされるか分からない。とりあえず二人から引き離して私にターゲットが向いている状態にしたい。


「いちいちうるっせぇな。お前と違って色々考えて行動してんだよ」


「は?」


 挑発をしつつも殴るべき対象を捉え続ける。一瞬呆気に取られたような顔をした樋波は少しの間を置いて笑みを浮かべた。


「はっはっは、いや面白い。面白い人だね、君は」


「余裕ぶってないで阻止しに来いよ。出来るもんならな」


 思惑を表に出さないようにしつつも睨みつけると樋波は機嫌を損ねたように眉をひそめた。

 どうやら見下されているような態度が苦手なようだ。


「……気に入らないな、その目つき」


 鋭い眼光が私へと返される。

 暫しの睨み合いを経て、樋波がようやく私の方へと身体を向けた。


「いいよ、挑発に乗ってやる。そしてお前だけを排除してこいつら全員僕の好きにさせてもらうよ」


「気持ち悪い……!」


 私の背後で身を小さくしていた美愛が呟く。

 彼女に一瞬視線を向けた樋波がニヤリと笑うと、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。


「最高だね、お前の慢心がここに居る全員を悪夢に堕とすんだ。奏も、そこの小さいのも」


 視界の端に映る瀬里奈が声を殺して涙を零す。樋波の言動の一つ一つが彼女のトラウマを刺激しているのだろう。そんな彼女を安心させるように肩に手を置いたコロンは樋波の背後から私の目を見て頷いた。


「全部お前のせいだ、九条晃。その後悔に苛まれて…… きっと現実すらも悪夢のようになるだろうさ! ふふ、ふふふふ!!」


「下らない妄想だ。本気でそれを実現できると思っているなら、もう何を言っても無駄なんだろうな」


 睨むのをやめて呆れた事を示すような視線を向けると樋波の表情が怒りに包まれた。


「バカを頂点に立たせちゃいけない理由がよく分かったよ」


「そのむかつく表情をやめろ!!!」


 怒鳴り声を上げた樋波が予想通りコロンから離れて私へと向かう。


「『あくまでも自分が上』だとでも思──」


「ここだッ!!」


 その瞬間に床を蹴り、樋波の身体を通過して魔力を乗せた拳をコロンの近くの壁へと叩きつけた。


「な──!!?」


 殴った衝撃に魔力が上乗せされる。

 空気が鋼鉄の砲弾になったかの如く、吹き荒ぶ魔力と共に一直線に屋内を破壊し真っ直ぐな道を作り上げた。


「あ、晃ちゃん…… 想像以上だよ……!」


「すごい……」


 コロンと瀬里奈が安堵の表情を浮かべる。だが安心するには早い。


「樋波!」


 コロンの肩に手を置きながら樋波へと声をかける。すると彼は目の前の惨状に目を丸くしながら私を見た。


「は、はっ?」


「意識があるって事はプライベートルームは外れか」


「外れ、って…… お前、まさか……っ!」


「なら── こっちだ!!!」


 今度はホール目掛けて壁を殴る。現在地からホールを繋ぐ直線上にある物全てをなぎ倒し、建物全体が揺れる。

 そうして作り上げられた私特製の通路の先へ目を凝らすと、瓦礫の中に横たわる樋波の本体が目に入った。


「お、居た! あれ本体だろ?」


「や、やめっ──!」


 樋波の身体に向かって拳を振りかぶると樋波の霊体は慌ててその場から消えた。身体に戻ったのだろう。


「間に合えッ!!」


 樋波の本体が起きるのが先か、私の拳が先か。腕から拳の先へと螺旋状にエフェクトを展開して空気を殴ると銃声のような音と共にアルペジオが響き渡った。

 全方位へ拡散しようとする衝撃を五線のエフェクトが導き、増幅させてゆく。見えない弾丸と化した空気が樋波の身体に触れようとした時、樋波の周囲に灰色がかった青の光が満ちた。


「あれは……!」


 瀬里奈が声を上げた。見覚えがあるようだ。


「明晰夢の力だね。間に合わなかったみたい」


「そう簡単は行かないか」


 右手に紙を生成して樋波の方へと歩き始めると、急に地面が揺れた。


「っ! この揺れ、"ステージ"を作ろうとしてるっ……!」


「ステージ? 元々あるんじゃないの?」


 コロンがフレイルを握りしめて身構える。


「規模の大きなライブの時に作る物があるんです! ぜ、全方位に客席があって……っ! 私はそこで……っ あ、あぁ……っ 始まっちゃう、逃げなきゃ──っ もうあそこには行きたくない……!」


 説明の途中で呼吸が乱れ、頭を抱える。きっとそのステージこそが彼女のトラウマの舞台なのだろう。


「安心しろ。って言ってもすぐには信じられないよな」


「晃…… さん……っ」


 コロンに抱きしめられた瀬里奈が私を見つめる。その目には涙を浮かべ、呼吸も乱れに乱れている。

 抱えているトラウマも苦しみも私のそれとはまるで違うが、苦しみに蝕まれる感覚は分かる。

 底が見えず、酷い時にはどんな言葉も心に届かない。


「見ていてくれ。今はそれだけでいい」


「え……?」


 『気の持ちよう』なんて言葉で片付いた事など一度も無かった。

 何もかもを信じられなくなって、心に巣食った何者かがあらゆる言葉を跳ね除けてしまうのだ。


「今夜は私がそのステージに立つ」


 だから今瀬里奈に必要なのは言葉ではなく、疑いようの無い救いを突きつける事だ。


「悪夢がぶっ壊れる瞬間をその目で見るんだ。救いの物語でこの夢を終わらせよう」


 止め処なく湧いて出る涙を拭った瀬里奈は私に頷いた。


「……信じ、ます。負けないで……!」


 笑って頷きを返すと、周囲が光に包まれて身体に浮遊感が過った。


「き、来た…… 始まる……!」


 瀬里奈の声は依然として恐怖を感じさせた。それでも出会った瞬間程ではない。

 決意を固めて魔力を練ると、光が止んで周囲が歓声に包まれた。

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