10話:新たな世界へ

 8月13日 夢日記

 明晰夢ではなく悪夢を見た

 今回はルーベンスの姿が無く、代わりに結花が夢の中に現れた。

 彼女は何も言わずに私の顔を睨むように見つめ、森の奥へと消えて行った。

 実際の彼女は、意図を説明せず表情のみで人を委縮させるような事はしない奴だった。この夢は全て私の脳が勝手に描いたイメージでしかない。

 しかし、彼女があの表情の通りの感情を抱いていた可能性を否定するつもりは無い。死の間際に心の中でこの世を呪っていてもおかしくはないのだ。

 『強大な敵の攻撃を自らの能力でなんとか相殺した結果、その衝撃と自分自身の力の負荷に体が耐えられず心肺が停止』

 現代社会を生きる女学生にとって納得できる最期ではなかっただろう。

 仲間の代わりに命を落とすという状況と、最後まで死ぬ覚悟が出来なかった私を呪っているのかもしれない。

 思えば、あの瞬間仲間の前へ飛び出したのはあいつだけだった。


 8月13日➁ 現実での事

 12日に『昏睡状態に陥ったアイドルの望月瀬里奈と明晰夢の中で接触する事は出来ないか』と奏に相談した結果、『知り合いに瀬里奈グッズを持っている人が居るから掛け合ってみよう』という話になった。

 現実で手に入れても意味が無いのではと思ったが、彼女が言うには枕元に置いた物は夢の中に持ち込めるらしい。だからその人から瀬里奈グッズを譲ってもらえていれば私の目的はすぐにでも達成できていた。聊か信じがたい滅茶苦茶な話だが。

 結局交渉決裂してネットのフリマサイトで瀬里奈のサイン入りブロマイドを購入した。それが届き次第動き始めるつもりだ。




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 瀬里奈のサイン入りブロマイドが届いた。

 あの提示されていた値段がまさに即決価格だったようで、購入したい旨を伝えると直ぐに配送手続きをしてくれた。そのおかげで僅か二日という短い期間で手元に届いた。


「ほー……」


 開封して写真を眺める。キラキラとした可愛らしい女の子が写っておりサインが書いてあるごく普通のブロマイドだ。これを枕元に置けば準備完了な訳だが、ふと懸念が頭に過った。

 私がやっても上手くいく気がしない。実際、明晰夢を見ている者達の基礎的な技能である筈の"扉の呼び出し"が私にはできなかった。明晰夢への物の持ち込みも同様に私にはできない可能性がある。


「……」


『三枚あるから一応一枚持っておいてほしいんだけど、今から会える?』


 奏にメッセージを送る。

 念を入れて損は無い。私が無理でも奏は確実に持ち込めるだろう。


『もちろん! この間の公園で待ち合わせよっか』


『わかった』


 ジャージを身に着け外へ出る。

 時刻は五時。まだまだ暗くなる時間ではないが急いで公園へ向かった。

 道中特に何も無く辿り着いた公園のベンチには、既に奏の姿があった。コンビニの袋がある。買い物の途中で私のメッセージが届いたようだ。


「奏、はあっ、お待たせ……」


「あれ、早かったね。走ってきたの?」


「待たせたら悪いから……」


「そんな、気にしなくても良いんだよ。お疲れ様」


 肩で息をする私の背中を奏がさする。息を整えてポケットからブロマイドを取り出すと奏はぱちくりと瞬きをしてそれを受け取った。


「これがこの間買ったやつ。一応奏も枕元に置いておいてくれ」


「うん、わかった。それにしても可愛い衣装だねえ。着てみたいかも」


 瀬里奈が身に着けている衣装を隅から隅へと凝視した奏が改めて全体像を見るように目からブロマイドを離した。


「現実じゃ用意するのは難しそうだな。夢の中で着てみたらいいんじゃないか?」


「似合うと思う?」


「……まあ、映えはするだろうな。コロンは派手な髪色だし」


「もう、なにそれ。素直なのか素直じゃないのかよく分からない褒め方しちゃって」


「服の事はもういいだろ」


 正直、コロンも奏も顔立ちはアイドルにも引けを取らない程に整っている。アイドルのステージ衣装でも難なく着こなせるだろう。だがそれをそのまま伝えると反応が面倒臭そうなのでやめた。


「ふふ。帰ったらすぐ寝る?」


「……どうしよう。眠気が無いからすぐは無理かも」


「そう。じゃあ普通に夜に寝よっか。お互い眠りに就いたら落ち合うって感じで」


「わかった。わざわざ呼び出しちゃって悪いな。ありがとう」


「ううん、いつでも呼んでね」


 もう用事は済んだ。が、わざわざ呼び出しておいてすぐ済ませて解散するのは少し申し訳ない気がする。だからと言って何をするべきかも思い浮かばずその場に立ち尽くしていると奏が立ち上がって歩き出した。


「じゃ、また後でね晃ちゃん」


「ん、ああ」


「このブロマイド、大事にするね」


「……そういう意図で渡した訳じゃないんだけどな」


「んふふ」


 風に髪の毛を揺らしながら去ってゆくその背中を、私はなんとなく数秒見つめていた。




──────────


 その晩、寝つきは悪かったが無事明晰夢を見ることが出来た。美愛が居る真っ白な空間、まさしく私が求めた明晰夢だ。

 ふと今回の目的を思い出して自分の手を見る。しかし瀬里奈のブロマイドは持っていなかった。ポケットを探っても入っていないし、扉の呼び出しのように念じてみても特に何も起こらなかった。


「……はあ」


 やはり私は明晰夢に関する技能を使えないようだ。明晰夢内での行動に関してはコロンに頼りっぱなしになるだろう。


「晃さん、こん…… にちは? こんばんは?」


 考え事という程でもない思案を終わらせると美愛がこちらに駆け寄ってきていた。肩には前にコロンから譲り受けた猫の人形が乗っている。


「こんばんは。今は大体夜の1時くらいだよ」


 質問のような挨拶に応えながら空間の中心、家具が置かれている所まで二人で歩いてゆく。

 私の言葉を聞いた美愛は何かを思いついたように再びこちらに顔を向けた。


「ちなみに日付は?」


「8月14日だよ」


 そう伝えると美愛は明晰夢の力を使って新たな家具を作り出した。


「これは…… 時計とカレンダー?」


「はい。今まで時間という物を認識できていない状態でしたので作っておこうと思って。ほら、ここには月も太陽も無いですし」


 以前は無かった棚に時計を置き、側面にカレンダーを留める。あれから色々と作ったようで棚には物が増えていた。


「時間を認識できない状態か…… 体感何年もここに居たんだろ? そんな状態でよく今まで発狂せずにいられたな」


「暇潰しには困らない世界ですから」


 得意気にけん玉を作り出した美愛が技を披露しようとするも失敗に終わった。当人が楽しいのならそれでいいのだろう。


「今はペットも居るしな。これからどんどん充実するかもな」


 美愛の肩に乗る猫の人形へと視線を送る。その瞬間前回の明晰夢を思い出した。

 名付けの瞬間に目を覚ましてしまったせいで私はまだこの猫の名前を聞けていない。


「その子の名前、何にしたんだ?」


 美愛の肩に乗っている猫の人形を指し示す。

 顔を搔いたり欠伸をしたりと自由に動いていたそれは、美愛の肩から身を乗り出し私の指先に顔を近付けてフンフンと鼻を鳴らした。


「ニウちゃんにしました。鳴き声が『にう』なんですよ、この子」


 美愛が人差し指の腹で頭を撫でるとニウは子猫のような幼い声で『にう』と一鳴きした。


「へええ、めっちゃ可愛い」


 声も出るのかと感心しながらニウを眺めていると美愛はモジモジと指先を合わせて私を見上げた。


「ところで…… 話が変わるんですけど、ここ二日くらい来てなかった、ですよね?」


「来れてなかったな」


 一昨日は結花の悪夢を見て、昨日は以前と同じルーベンスの悪夢を見た。美愛の体内時計が示す通り二日も明晰夢に入る事が出来ていない。互いに現状の確認をしておいた方が良さそうだ。


「その、大丈夫ですか?」


「え、何が?」


「眠れていないんじゃないかって心配で」


「そういう事か。大丈夫、明晰夢を見なかっただけでちゃんと眠れてたよ。心配してくれてありがとな」


「そうですか…… よかった」


 俯くように頷いた美愛がニウを胸に抱いて頭を撫でた。


「その二日間現実の方で色々とあったんだけど、その事はコロンから聞いたりしてるか?」


「はい。コロンさんが度々遊びに来ていましたので、その時に」

 

「そっか。結構頻繁に来るのか?」


「はい、滞在時間も結構長いんです。『ボディーガードを務めたい』って」


「ボディーガード…… 確かにカムトマジナが来ないとも限らないよな」


「あと私とコロンさん、なんとなく気まずいから…… 打ち解けたい気持ちもあるみたいです」


「……うーん」


 返す言葉に困ってしまった。実際傍から見ても気まずそうに見えるからだ。

 コロンと私達のファーストコンタクトは正に最悪と言う他無い。その後和解を経て友達のようにはなったが、私に比べて美愛はコロンへの印象の修正が上手くできていないのだろう。季崎奏としての人柄を知る機会が無いのだから。

 恐らく美愛は今もコロンに対する恐れを抱いているのだろう。


「どうすればいいのかな」


 ニウの頭を撫でながら俯く。その表情は、打ち解けられない事よりも自分自身の感情の方に悩んでいる事を物語っていた。


「前提として美愛ちゃんも打ち解けたいんだよな?」


「それはもちろん。良い人だって事は言動の節々から感じ取れますし」


「お互い打ち解けたいって気持ちがあるなら大丈夫だとは思うが…… ううん」


 せめて振る舞いだけでも現実のようにしてくれれば、と思ったがコロンの姿こそが"抑圧されていない本来の自分"なのだとしたら『やめろ』とは言えない。

 なんて思い悩んでいると目の前にポップな装飾を纏った扉が現れた。コロンが用いる扉だ。


「あ、噂をすれば……」


 美愛がその扉に視線を向けた瞬間、扉がバンと音を立てて勢いよく開け放たれる。そして向こうの世界で降る粉雪を巻き込んで元気いっぱいにコロンが飛び出した。


「おっはよー! コロンちゃん推ッ参!」


「うわっ…… お、おはようございます」


「美愛さん、おっはよー! 今日もぷりぷりで可愛いね! ぷりんぷりん! あ、"若い"って意味ね、これ!」


「は……? え? ……ありがとうございます?」


 もしかすると美愛はコロンを怖がっているのではなくただただ彼女の振る舞いに困惑しているだけなのかもしれない。


「……おはよう」


「うあぁっ…… ぷ、ぷりてぃ晃ちゃんだ…… ぷりぷりの晃ちゃ──」


「酔ってる?」


「あっれー、分かっちゃう? んもう、晃ちゃんには隠ち事なんてできないね」


「隠れてないんだよな、そもそも」


 美愛の方に視線を向ける。

 敵としてコロンと対峙した時とは異なる、別の恐怖を抱えているような表情を浮かべていた。


「それよりコロン、写真持ってきたか?」


 このままにしていたら美愛は黙り込む一方だと思いコロンに声をかけると彼女は瀬里奈のブロマイドを取り出した。


「この通りバッチリだゆ!」


「女の子の写真……? あ、この前言ってた昏睡状態の子ですね」


「そう。その子に関係する物を現実で入手できたからこうやって夢の中に持ってきたんだゆっ」


 コロンが美愛にブロマイドを手渡す。写っている少女を数秒見つめた美愛はその下に書いてある望月瀬里奈というサインに気付いて呟くようにその名前を読み上げた。


「改めて説明すると、この子が望月瀬里奈ちゃん。美愛さんも知ってる通り今昏睡状態に陥っているアイドルで、晃ちゃんは明晰夢の中からこの子に接触できないか試そうとしているの」


「彼女も明晰夢を見ているなら私を起こす手掛かりが掴めるかもって話でしたよね」


「そう。今回はこの子が居る世界に行ってみようかなーって考えてまっちゅ」


 美愛が頷きながらコロンにブロマイドを返す。それを受け取ったコロンは次に私へと視線を向けた。


「ところでぷりてぃ晃ちゃんはブロマイド持ってこれた?」


「私は無理だった。ちゃんと枕元に置いてたんだけどな」


「ありゃ、個人差があるのかなあ? それとも本当はコロンだけの固有能力だったりして?」


「私とコロンでしか比較できないからその辺よく分からないんだよな」


「ふーむ」


 考え込むようにコロンが顎に手を当てる。


「……ここで考えてても仕方ないか」


しかし結論を付けられなかったようで数秒もせずに改めてこちらを向いた。


「すぐ行く?」


「そうだな。いつ目が覚めるか分からないし、早めに動いた方が良いだろう」


 コロンは頼りになるが、他所の世界では明晰夢の力は使えない。

 となると身を守る手段は私の魔法だけになる。二人を残して居なくなるような事態はなるべく避けたい。


「美愛さんも来るよね?」


「……ご一緒したいですけど、足手まといにならないか──」


「んふ、おいで?」


「あ…… 行きます」


 有無を言わさない柔らかな勧誘に乗った美愛を迎え入れ、コロンが扉を出現させる。


「じゃ、今からこの扉を瀬里奈ちゃんの所へ繋ぐね」


「ああ、頼む」


 コロンが瀬里奈のブロマイドを掲げる。すると扉の隙間から光が漏れた。


「おっ、来た!」


「これは繋がったって事か?」


「うん。やっぱり瀬里奈ちゃんは明晰夢を見ているみたいだね」


 扉の取っ手に手を掛けたコロンがこちらを振り向く。何が来ても対応できるように構えていると、その隣で美愛は猫の人形を肩から降ろしてその場に座らせた。


「ニウも連れて行きたいけど…… きっと動かなくなっちゃいますよね」


「うんー、寂しいけどお留守番しててもらおうね。 ──じゃあ開けるよ、向こうが安全とは限らないから気を付けて」


「分かった。美愛ちゃん、私の後ろに」


「はい」


 エフェクトを展開して全員を囲う。強度は相変わらず期待できないが、数回は攻撃を防げる筈だ。


「いくよ、せーのっ」


 掛け声と共に扉を開く。その瞬間コロンの世界へ移動した時のように視界が黒で塗り潰された。

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