9話:決裂
内装はごく普通だが、部屋の隅にサイレントギターがあった。
その他にも音楽関係の書籍や機材がそれなりに揃っており、アイドルに限らず多岐に渡るジャンルの音楽に関心があるようだった。
「テーブルのとこ、クッション出してあるから座って待ってて。お茶持ってくる」
「はあい。行こ、晃ちゃん」
「う、うん」
遠慮なく奥へ進んだ奏がクッションの上に綺麗な姿勢で腰を下ろした。その隣に私も座ると樋波が麦茶を私たちの前に置き、テーブルを挟んだ向かいに座った。
「瀬里奈のグッズが欲しいんだっけ」
無表情のまま抑揚の無い声で樋波が尋ねる。それに対して奏はにこやかな表情で答えた。
「そうそう。直筆サイン入りみたいな感じのやつ!」
「このタイミングで瀬里奈グッズをねえ…… 何か理由でもあるの?」
「えっ? あー、何か気になっちゃって」
「……」
樋波の眉間が少し寄った。昏睡の件と重なってあまり良くない憶測を生んだかもしれない。
「すみません。私が欲しくて奏…… さんに相談したんです」
咄嗟にフォローを入れようと、行き当たりばったりのセリフを吐く。すると奏は意図を察したのか口を閉じた。
「君が?」
「はい。遅ればせながら、九条晃と申します」
「ああ、ご丁寧にどうも。樋波優磨です」
小さく頭を下げると樋波も同じく頭を下げた。
「瀬里奈さんのグッズが欲しい理由なんですが…… 端的に言うと"推したいから"という事になります」
「はあ」
「私は学生という都合上、今まで現地参戦が出来ずに遠くから指を咥えて見ている状態でした」
「ああ…… なるほど」
樋波が納得を示すように声を漏らす。
アイドルファンとして思い当たる出来事があるのだろう。
「大学生になったら時間にも余裕が出来るだろうと、その時に改めて全力で推そうと考えていた所で…… 今回の昏睡騒動が起きてしまった。大げさだとは思いますが、病気である事も考えられます。このまま瀬里奈のアイドル活動がフェードアウトしてしまうかもと思ったら居ても立っても居られなくなってしまって」
「そういう事でしたか。現地へ行けるようになっても、もうそこには瀬里奈の姿も瀬里奈グッズも無いかも。って事ですよね」
「はい」
冷や汗を拭う。アイドルという概念そのものをよく分かっていないのに、よくここまで言葉が出たもんだ。
息を整えながら次の言葉を探していると樋波は目を伏せて首を横に振った。
「気持ちは分かります。しかし、申し訳ないんですがお譲りするつもりはありません」
「まあ、そうでしょうね」
期待はしていなかった。ファンに『グッズを譲ってほしい』と要求して快諾してもらえると思う方が無理がある。
「流石に大金を提示されたら気持ちは揺らぐでしょうけど、そこまでするくらいなら素直にオークションで探した方が良いかと」
「なるほど」
結局、そういう手段が現実的なのだろう。
「ただまあ…… 今回直接会って話を聞いた理由としては、頼み事を聞いてくれるのなら譲ってもいいかなー、と思ったからなんです」
「頼み事、ですか」
「ええ」
若干樋波の視線が泳いだ。微細な感情の動きを感じ取り様子を見ていると、彼は奏の方に視線を向けた。
その視線に込められた意図は掴めない。奏も同様に視線に気付いてはいるが何もわかっていないような笑顔を返すだけだ。
「す、季崎さん」
落ち着きの無い様子で自分の手を弄りながら樋波が声をかける。
「ん?」
ニコニコと奏が応えると樋波は更に落ち着かない様子で自分の首元を触った。
「季崎さん…… がぁ、その。ね」
「私が…… なぁに?」
下衆な笑みを浮かべた樋波が視線を斜め下へと逸らす。はっきり言って見苦しいその表情からは簡単に意図が見て取れた。
「……季崎さんが僕と関係を持ってくれるなら、そこの後輩さんに譲ってもいいけど」
奏の表情が笑顔のまま凍り付く。樋波の声が小さくて聞き取りにくかったが、奏にも聞こえていたようだ。
つまるところ彼は、"友人の悩みの解決"を引き合いに出して奏と良い思いをしようと目論んでいるのだろう。
「私…… が……」
絞り出すように発せられた声は弱弱しかった。そして頑として私の方を見ない。そんな奏を見ているといたたまれない気持ちになった。
「あは…… えっと、一緒にご飯とか食べに行ったり?」
「"その先"もだよ。分かる?」
「……」
「奏、帰ろう」
樋波を睨みながら奏の手を取り、やや強引に立ち上がらせる。
「晃ちゃ……」
「こんな思いをさせる事になるなんて思わなかった。本当にごめん」
知り合ってからほんの少しの時間しか経っていないが、奏の純粋さと優しさは良く知っている。そんな彼女に汚い欲望の片鱗を見せつけて曇らせた樋波に対して暴力的な感情が沸き上がるのを自覚した。それを堪えて立ち去ろうとすると奏が俯いて肩を震わせた。
「奏……」
そりゃ泣きもするだろう。怖いとも思ったはずだ。
どんな励ましの言葉を掛ければ彼女の傷を埋められるのだろうと考えていると奏は額に手を当てて顔を上げた。
「──ふふ。あーあ、可笑しい。ふふふ」
「……か、奏?」
「ありがとう。晃ちゃんのそういう所大好きだよ」
そう言った奏は繋いだ手を放して樋波に歩み寄り、頬に平手打ちを食らわせた。
「えっ…… ええ……!?」
さながら格闘技のように腰の入った一撃だった。思わぬ力に樋波がバランスを崩して尻もちをつく。自らの頬を押さえてこちらを見上げる彼を見下ろした奏は笑顔のまま告げた。
「樋波くんのお願い、お断りします。最低とかそれ以前に常識が無さ過ぎてびっくりしちゃった」
「な、す、季崎さん……!?」
「わざわざ時間作ってくれてありがとう。じゃあね」
そう言い残した奏は逆に私の手を引いて樋波の部屋を後にした。
「──奏っ、ちょ、良かったのかっ!? 色々揉め事に発展したりとか……っ!」
早歩きで手を引く奏に必死に付いて行きながら声をかける。
私もあいつを殴りたいとは思っていたが、赤の他人である私と比べて奏は共通の知人も居る筈だ。私が殴りつける場合よりも面倒臭い事態に発展する可能性は大きい。
「奏があんな事しなくても私が代わりに──」
「私だって強い子だもん。これでよかったんだよ」
奏が車の鍵を開けて運転席に乗り込む。
「……そうか」
「うん! ありがとうね、晃ちゃん」
少しの心配を残して助手席に乗り込むと、奏は私の方へ微笑みかけてから車を発進させた。
──────────
樋波の家を出た後、どのように瀬里奈のグッズを手に入れるか相談する為に喫茶店に寄った。
奏の様子はいつもと変わらない。樋波の部屋でのことを気にしていないのか、それとも気丈に振る舞っているのかはよく分からないが、私が心配しすぎるのは彼女にとってあまりいい思いはしないだろうと思い忘れる事にした。
「結局オークション頼りになっちゃったね」
「そうだな。でもこっちの方が手っ取り早いのかもな」
よく分からない商品名のフラペチーノを一口飲んだ奏が私のスマホを覗き込む。画面に表示されているのはネットのフリマサイトだ。
狙いがピンポイントであるが故に見つけられるか不安だったのだが、思いのほか瀬里奈グッズの出品が多かった。それに値段も、相場は知らないが思っていたよりもずっと安い。
「……随分と安いね」
画面を見ながら奏が声を漏らす。彼女も私と同じ感想を抱いたようだ。
一番安い出品はサイン入りブロマイドの三枚セットで500円。明らかに儲けるつもりの無い価格設定だ。安いのは助かるが、不自然を感じずにはいられない。気にしすぎだとは思うが。
「そうだな。これにするか」
とりあえずその三枚セットの安いブロマイドの購入手続きへと進む。
住所や支払い方法などの入力を終えて注文が完了すると奏は考え事をするようにゆっくりと俯いた。
「炎上したから安くなってるのかな?」
「……あー。手放したいって事か」
奏の一言で昨日読んだ記事を思い出した。
瀬里奈は昏睡状態に陥る前、スキャンダルが原因の炎上状態にあった。それが原因で離れたファンが彼女のグッズを手放す為に出品しているのかもしれない。
「なんか、色々考えちゃうね。眠っちゃった原因とか」
「心労が原因ってのも十分にあり得る話だな」
"炎上した"といった内容の文章を読むだけではファンだった人達の心境の変化までは実感できなかったが、実際にこのような物を目の当たりにすると彼らの想いがダイレクトに伝わってきたような気がした。
擁護するつもりは無いが、彼女本人がこのような感情に晒されていたのだとしたら精神的に疲弊するのも無理はない話だと思える。
「……瀬里奈ちゃんが明晰夢を見てる前提で話すけどさ、晃ちゃんは瀬里奈ちゃんに会えたらどうする?」
「うーん」
彼女が夢の中で意識を持っているのであれば昏睡の原因について自覚している可能性がある。まずはその事についての話を聞きたい。そして、望まない昏睡に陥っているのだとしたら目覚める手助けをしたい。と言っても目覚めさせる方法は分かっていないのだが。
「話せる状況なら色々話して、目覚めたいって意志があるなら協力しようと思う」
「そっかあ」
ただ、状況が状況だけに起床を望まないかもしれない。
コロンの例から分かる通り、夢の中は理想の世界に成り得る。カムトマジナなど関係なく現実逃避として明晰夢に篭っている可能性もある。
「あのさ」
「ん?」
「明晰夢の力って、自分の意志で昏睡状態になる事は出来るのか?」
まさかとは思うが、ちょっとした疑問をぶつけてみる。すると奏は眉をひそめて顎に手を当てた。
「分からない。でも出来ないとも言い切れないね」
「ふむ」
現状、夢の世界については何もかもが分からない。奏も深い所まで知り尽くしている訳では無いのだろう。
今の私たちに必要なのは行動だ。とにかく夢の中を動いて、第三者に接触して情報を掴むしかない。
「まずは瀬里奈が明晰夢を見ているかどうかを知る事からだなあ」
これ以上考え事をしても先には進まない。そう思って話を切り上げると奏は小さく頷いてフラペチーノを一口飲み込んだ。
「……」
頭、と言うより脳がジワジワと不愉快な感覚に侵される。呼吸も苦しく、機嫌もすこぶる悪い。
瀬里奈関連の考え事に一区切り付くと今度は先程の樋波と奏のやり取りについての事が頭に過った。先程からいまいち気分が優れない。全て樋波のせいだ。
「晃ちゃん、大丈夫?」
「え?」
アイスティーを飲むと奏が私に声をかけた。ごく普通に振る舞っていたつもりだったから少し驚いてしまった。
「大丈夫というか、その」
「もう、年上相手に気を遣ってどうするの。難しい顔してたよ? 悩み事でしょ?」
表情に出ていたのだろう。心配そうな表情の奏が私の顔を見つめている。
「……樋波の事を考えてたんだよ。奏、大丈夫か? なんか…… 酷い気分にさせられていないか心配で」
「ああ、そのこと」
笑みを浮かべた奏が口元に手を当てて笑い声を漏らす。
気にしていないように見えるその表情のまま、彼女は頬杖をついた。
「私、実はナンパには慣れっこなんだ」
「でも動揺してただろ? 嫌だった事には変わりないんじゃないか?」
「ふふ。確かに動揺しちゃったし不快でもあった。でもね」
考えている事から言葉を組み立てるように間を挟んだ奏がストローで飲み物を混ぜる。
「その不快感は『未成年の子の前であんな事言うんだ』、とか『第三者の事を引き合いに出して関係を迫るなんて』みたいな、そういう戸惑いとか憤りだったの」
困ったような笑みを浮かべた彼女は少し恥ずかしそうにはにかんだ。その表情を見ていると尚更樋波への嫌悪感が強まった。
「つまり私が傷ついたとかじゃなくて晃ちゃんを巻き込んだ事に怒ってるの。晃ちゃんと気まずくならないか不安だったし、こうやって今も気を遣わせちゃってるし。教育にも悪いし」
「教育…… いや、私の事は気にしなくても大丈夫。奏自身が傷ついた訳では無いんだな?」
「うん」
「それならよかった」
「ふふ。ありがと」
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二人が居なくなった部屋の中、ジンジンと痛む頬を押さえた樋波は放心したように瀬里奈の写真を見つめていた。
「……やっぱり、現実は上手く行かないよなあ」
自分を睨みつけた九条晃と、要求を断った上に平手打ちまで食らわせてきた季崎奏。
思い通りにならなかった二人を思い浮かべた樋波は口元に笑みを浮かべながらベッドに入った。
「あーあ。奏も俺の夢に迷い込めばいいのに」
それまで眺めていた瀬里奈の写真を乱雑に放り捨てた樋波は瞳を閉じた。
「それなら瀬里奈みたいにできるのになあ…… ふ、ふ……」
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