8話:特徴が無い男
シャワーを終えた頃、奏からメッセージが届いていた。瀬里奈の記事を見たという内容だ。
続く文には瀬里奈が所属するアイドルグループを推しているファンが知り合いに居ると書いてあった。『グッズについて相談してみたら直接話を聞いてくれるそうだから一緒に来ないか』との事だ。
夢の中で手に入れないと意味が無いのではと思うのだが、出来る事から取り掛からないとそれこそ何も起こらないだろう。
奏のメッセージに返事を返すとすぐさま既読が付き、日時を提示された。日にちは明日、時刻は昼の11時頃だ。
とりあえず今日する事はもう無くなったので、私は残り少ない学校の課題を纏めて全部片付けた。
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その夜。明晰夢は見なかった。その代わりに悪夢を見た。
舞台はいつもと同じルーベンスを殺した森の中。だが内容はいつもと違う。その場にルーベンスはおらず、何故かかつての仲間である"光の魔法少女"春原結花が居た。
彼女は何も言わず、彼女とは思えないような冷ややかな眼差しでこちらを見ていた。
そしてひとしきり睨んだ後、先の見えない森の闇に消えて行った。
彼女の姿が完全に見えなくなったその時、反射的に目が覚めた。
乱れた呼吸と暴れる心臓を落ち着けるようにうずくまり、流れる汗をも拭えないまま胸を押さえる。
きっと、私の抱える罪悪感があのような夢を見せたのだろう。私に死ぬ覚悟さえあれば今頃他の者が生き残っていた筈だ。私ではなく彼女が、あるいは他の全員が生き残れた可能性すらある。
そう伝えているような気がした。彼女はそんな事を言う人ではないのに、何故かそう解釈してしまった。
スマホへと手を伸ばす。時刻は午前の二時だ。
奏へ通話を掛けようとしたが、本当に掛けて良いのだろうかと躊躇いが生まれた。
こういう事が起きたら連絡しろというような事は言われていた。だが起こすには早すぎる。普通に考えて通話を掛けるには非常識な時間帯だ。
直前に悪夢を見た影響か、結局私は罪悪感に押しつぶされて諦めるようにスマホを手放した。
あの時のように深く息を吐いて大きく吸ってを意識していれば自分でも治める事が出来る筈だと信じて、耐えるようにうずくまっていた。
そして、気が付くと朝になっていた。発作の末に気を失っていたようだ。
今更ながら深呼吸をして気持ちを落ち着けて夢日記を書いているとスマホが鳴った。奏からだ。
「……はい」
『晃ちゃん、おはよ!』
「おはよう」
奏の声を聴くと少し安心できた。ずっと一人で居るという状況も今の私には良くないのかもしれない。
『もうそろそろ時間だけど準備の方は大丈夫?』
「え? あっ、う」
起きてから時間の確認をしていなかった事に気付いて時計を見る。時刻はもう10時を回っていた。
今から一時間で支度をして待ち合わせ場所まで行かなければならないと考えると急激に後頭部が冷えた。正直言って現実的ではない。
「ご、ごめん、ちょっと遅れそう…… かも」
『大丈夫大丈夫! お店へ行くわけじゃないし、今日会いに行く人も時間にルーズだから。ゆっくり慌てないでね』
「ごめん、ありがとう」
『うんー。私もまだお化粧してないし、私の方こそちょっと遅れそう』
「そっか、とりあえず急いで準備するよ。また後で!」
『うん! またね』
通話を切り、書いた内容を確認してからノートを閉じた。
風呂場へ直行し寝汗を落とし、髪の毛を乾かすのと共にヘアセットなどの身だしなみを整えてゆく。
そして地味過ぎず派手でもない適当な服とジーンズを身に着けて外へ出て走った。時間を確認するともう10分オーバーしていた。
今まで遅刻などした事が無いのに、と自分が嫌になりながら待ち合わせ場所の公園へ行くと、そこには誰も居なかった。
「ふう、ふう…… あ、あれ?」
肩で息をしながら公園全体を見渡す。
奏を待たせてしまっていると思っていたのだが、それらしい人影はどこにも見当たらない。
駐車場に数台車が止まっているが、車の中で待っているという訳でも無さそうだ。
「どこだ……」
改めて周囲を見渡す。
ピンク色の髪の毛の人が居たら自然と一番最初に目が吸い寄せられる筈だが、やはり居ない。
一旦帰ってしまったのだろうかと思いベンチに座ってスマホを確認していると、少し高価そうな白い車が新たに駐車場に入ってくるのが見えた。
あれも関係ない人だろうと思いながら視線をスマホに戻して奏へのメッセージを入力していると、暫くして遠くから足音が聞こえた。
「お待たせぇ、晃ちゃん」
「ん、奏──」
視線を上げるとこちらへ歩きながら手を振る奏の姿が目に入った。
ピンクの髪の毛は相変わらず。されど衣服は前回対面した時とは違って大人可愛い系のちゃんとした服だった。化粧も自然体の範疇でありながらしっかりとされているのが分かる。普通に綺麗な大人の女性といった風貌だ。そして表情も、優しさを残しつつも引き締まっているかのようで、知性を感じさせた。
アルコールに酔っていないとこんなに違うのかと少し驚いてしまった。
「あ、今来たとこ……」
対する自分は完全に内輪で集まるノリの時の服装だ。メイクもせいぜいトーンアップ効果のある日焼け止めを塗っている程度の事しかしていない。
高校生と大学生の差があるとはいえ、彼女が何だか自分とは大きく異なる存在であるかのように思えた。普通知り合いに会いに行くだけでここまで決めるだろうかと戸惑いながらベンチから立ち上がると奏はニコニコと笑みを浮かべて私の前に立ち止まった。
「じゃあ早速行こっか。ついて来て! ここからだとちょっと遠いから車で行くよ」
「車か。大体どれくらいかかるんだ?」
「片道40分ちょっと」
「遠くに住んでる人なんだな」
「うん。大学の知り合いってなると家が遠い子の場合が殆どだからね」
奏が駐車場の方へと歩いてゆく。私もその後に続いて歩いてゆくと、不意に奏が先程の高価そうな車の側で立ち止まりスマートキーを取り出して鍵を開けた。
「えっ?」
「さ、どうぞ乗って晃ちゃん」
助手席のドアを開けて乗車を促す。
「これ、奏の車だったのか?」
「そうだよ。子供の頃から貯めてたお年玉と高校からのバイト代を使って買ったんだー」
「はー、いや凄いな。凄いよ、車も奏も」
「ふふ。バイトしすぎた反動で最近は自堕落な生活送ってるけどね」
「反応しづらいな……」
若干の緊張を飲み込み『失礼します』と一言断りつつ助手席に座る。
高い車なだけあってか、シートの座り心地はとても良かった。ソファーですらも体験した事が無い程の快適さだ。それに良い香りもする。
続けて運転席に座った奏がシートベルトを締めてサングラスを掛けた。恐らくは日光で視界が遮られないようにする為だろう。そのような目的で運転用のサングラスを作る人も居るという話を聞いた事がある。
「ね、晃ちゃん」
奏に倣いそわそわとシートベルトを締めていると彼女がエンジンを掛けながらこちらを向いた。
「ん?」
「朝ごはん、食べた?」
「あー」
起きた後時間の確認もせずに夢日記を書き、寝坊に気付いた後はすぐに家を出る事だけを考えて行動していた。食事の事は今言われるまですっかり忘れていた。
「食べてない」
正直に答えると奏は置いてあった紙袋を手に取って微笑んだ。
「来る途中ね、パン屋さんで朝ごはん買ってきたの。一応晃ちゃんの分も」
「え、私の分も?」
「うん! はい、どうぞ」
「どうぞって、ここで食べるのか?」
「そうだよ?」
容器ごとハムサンドが手渡される。奏自身も片手運転で発進しながら自分のハムサンドを齧った。
「高価な車の中でこんな食べカスが落ちやすい物を……」
「んーん、気にしなくていいよ。週一でお掃除してるし、私も普段から車で飲み食いしてるし」
「凄いな、別の意味で…… じゃあ頂きます、ありがとう」
サンドイッチを齧る。紙袋に書いてある店名は初めて見る物だったが、味はとても良かった。
片手ながらも確かな精度の安全運転に身を任せてゆっくりと食べ進めていると、奏が話し始めた。
「今日会いに行く人ね、
「へー」
「大丈夫?」
「大丈夫って、何が?」
質問の意図が掴めず奏の方を向くと彼女は前方を見据えたまま話しにくそうな表情を浮かべた。
「よく知らない成人男性って、女子高生の晃ちゃんからしたら気まずくない? それで大丈夫かなーって」
「そういう事か。二人きりにならなければ大丈夫だと思う」
「そ、良かった」
人通りは多いものの私はあまり通った事の無い道を進んでゆく。
会話が途切れたので今後についてすり合わせておこうと奏へ視線を向けると彼女はサンドイッチの最後の一口を頬張った。
「ところで、奏はどういう風に考えてるんだ? 現実で瀬里奈に関する物を手に入れたとしても、夢の中でも手に入れないと何もできないんだよな?」
「え? そのまま夢の中に持ち込んで居場所まで行くつもりだけど」
「……持ち込む? 現実の物を夢の中にか?」
「あれ、説明してなかったっけ? 枕元に置いた物は夢の中に持ち込めるんだよ。晃ちゃんも試してごらん」
「なんだそれ。滅茶苦茶な話だな」
魔法少女である自分が言えた話ではないのだが、思った事が正直に口から出てしまった。そんな私の発言に奏が小さな笑い声を漏らす。
「そもそも夢に関する一連の出来事が滅茶苦茶だからね。今更だよ、晃ちゃん」
「確かにそうだけど……」
とりあえず疑問が晴れて気が済むと、特に話すことが無くなってしまった。
どうしたものかと悩んでいると『眠れそうなら遠慮なく眠ってほしい』という言葉を掛けられた。
流石に申し訳なく思ったのだが、彼女としては私が軽い睡眠障害を抱えている事への心配で無理に起こしているのは心苦しいとの事なので厚意に甘えて瞳を閉じた。が、十数分と瞳を閉じても結局眠れなかった。
途中から完全に眠る気が失せて普通に他愛の無いお喋りなどもしていたが、私の脱力した姿を見た奏は安心できたようだった。実際、気分は良く休まった。
そのように、長くも短くも無いドライブを経て小さなアパートに辿り着いた。
「ここだね。ここの…… 202号室!」
「運転お疲れ様、ありがとう」
「んふ、どういたしまして」
労いの言葉をかけると彼女はニカッと笑って車を降りた。
階段を上り、202号室の前で立ち止まる。軽く服の皺を直した奏がインターホンを鳴らすと、程無くして扉の向こうで控えめな足音が響いた。
「……こんにちは」
出て来たのはごく普通の男性だった。言い方は悪いが特徴が無いのが特徴といった印象だ。
強いて言えば黒寄りの赤褐色の頭髪が彼の特徴として印象に残った。恐らくは生まれ持った物であって染めている訳ではないのだろう。
「こんにちは、樋波くん!」
「こ、こんにちは」
「立ち話もなんだから、入って」
私の方をちらりと見た樋波は表情を変えずに、何かを気にするように周囲を見回しながら扉を大きく開けて入室を促した
「はーい、お邪魔しまぁす」
「お邪魔します」
微かな緊張を抱えつつ、樋波の部屋へと足を踏み入れた。
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