5話:癒えない傷
「もしかするとだけど…… "カムトマジナ"って人達が関わっているかもしれない」
「カムトマジナ? なんだそれ」
唐突に出て来た知らない文字列に困惑を示すと、奏は至極真面目な表情で言葉を続けた。
「明晰夢を理想郷にしようとしてる集団の事。夢の中で何個か世界を作ってて、皆その中で思い思いに過ごしてるの」
ややこしくなってきた。明晰夢の異世界化とカムトマジナの出現、後者に関しては人間が勝手に始めた事なのか、それとも神々に関係する者なのか分からない。
「……そいつらはいつから活動しているんだ?」
「丁度私が明晰夢のコントロールを覚えた時期、二週間くらい前だね。そのくらいの時期に私も勧誘されたよ」
活動の開始がルーベンスの死んだ時期と一致している。やはりこの"夢に関する一連の出来事"は守護神の死が引き金になっていると考えて良さそうだ。
だとすると最早私がこの件に首を突っ込まない理由は無い。カムトマジナが悪者であると決まった訳ではないが、仮に誰かが被害を被るような状況であるのならば何とかしなければならない。それが全ての元凶としての義務だ。
「そのカムトマジナって奴らは人を目覚めさせなくする事が出来るのか?」
「分からない。でも目覚められない理由が病気とかじゃないのであればカムトマジナしか思いあたらないよ」
「病気…… なるほど、美愛ちゃんの件は昏睡状態という事もあり得る訳か。うーん…… とりあえず美愛ちゃんと話しながら考えてみるか」
「そうだね。晃ちゃんはこの後寝るの?」
「……目を瞑ろうとは思ってる」
これまで、夜中に目が覚めて再び朝まで眠れた試しが無い。今日もこれまでと同じく、瞳を閉じたまま色々と考えてしまうのだろう。
何かしら活動をすれば良いとは思うのだが、できる事なら眠りたいという気持ちは当然ある。だから結果として眠れなかろうが布団に潜って目を瞑る。
「中途半端な時間だもんね。私も眠れるか不安だったからお酒を買いに来てたの」
「酔って寝るつもりか。そういう手段が取れるのは羨ましいな」
「でっしょー。大人になったら一緒に飲もうね」
酒を一口煽った奏がビニール袋を手に持ち立ち上がった。
「今日はもうお開きにしよっか。このままだと朝になっちゃいそうだから」
「うん、じゃあまた今度」
「ふふふ、うんー」
覇気のない笑顔で手を振った奏が公園の出口へと歩いてゆく。対する私は反対側の出口から自宅を目指し歩き始めた。
「カムトマジナ…… 異世界……」
考えなければならない事が一気に増えた。戦いを終えた直後はただただ平穏な毎日を願っていた筈なのに。
トラウマも新たな問題も大半は自業自得であるが、終わったと思っていたのに更なる面倒事に巻き込まれるというのは正直言ってかなり精神的にキツい。
「……」
きっとこれがルーベンスの言っていた事なのだろうと思うと、記憶にある情景が脳裏に再生された。
──『"守護神が居なくなった事により歪み始めた世界"。そんなもの、神界はまず放っておかないわ』
──『守護神代理なんてモノを寄越すはず。 ……ふふ、そしたら歪みの修正のついでに"神力を持ったニンゲン"の排除も試みるでしょうねぇ』
ルーベンスの言葉は、まるで呪いのように一文字残らず全て私の脳裏に焼き付いている。
"なんとしても逃さない"という遺志を感じる程に、彼女の言葉が今もなお私の首を絞め続けている。
──『……でも、貴女は私の最高傑作だから大丈夫。たっくさん神を殺しなさい? そうすれば貴女は生き残れるし、私の目的も達成できる』
心底嫌になる。
私はもう普通の女子高生だ。
世界を護る魔法少女ではない。ただの九条晃だ。
そもそも、最初から世界を護ってなんかいなかった。あの頃は世界に危機など訪れていなかった。
異界からの侵略者も、侵食される日常も、全てルーベンスが仕組んだ自作自演だったのだ。
──『私は…… もうお前の思い通りに動くつもりは無い』
苛烈な戦いを演出して魔法少女の死を誘い、死によって起こる"能力の継承"という現象を利用して適当な特定個人に力を集め最強の駒を作る。そういった目的を以て奴は私達を非現実に放り込んだ。全てはあいつ自身の下らない思惑の為だ。本来であれば、私は今頃リジェクターなんかにはならずに普通の毎日を送っていた筈だったのに。
──『思い通りに動かない、ねえ?』
──『口でそう言っていても動かざるを得ないんじゃないかしら。だって貴女、死ぬ覚悟なんて出来ていないじゃない』
──『ふふふ……! だってそうでしょう? 貴女に死ぬ覚悟なんてモノがあれば……』
『今頃貴女じゃなくて他の誰かが生き残っていた筈じゃない?』
「──っ!」
視界が揺れる。心臓が詰まり、跳ねる。
腹の中の内蔵全てが岩になったかのような感覚に陥り、思わずその場に崩れ落ちた。
『ああ、勇気も愛もユーモアも無い。でも代わりに貴女は否認が出来る』
「っ、は、ぁ…… うっ!? ぐ…… ふ」
呼吸が乱れ始めた。過呼吸というものだろうか。今までにこんな事は無かった筈だ。
初めての症状に焦っているのが自分でも分かる。だが、落ち着こうとする程胸の中で何かが暴れる。
『そうやって認めず、認めず。全てを拒絶した結果、今の貴女が居る』
「っ── ぁ…… はぁっ! はぁっ!」
『そういった所も含めて、貴方は最高の"リジェクター"なのよ』
「ふっ、う……! ぐ……っ!」
私は、自分の身体に起こっている事を生ぬるく捉えていたのかもしれない。
後悔と行き場の無い苛立ちと不安を抑えながら何か掴まれる物は無いかと辺りを見回すと、背後から足音が聞こえて来た。
『自覚なさい? "九条晃"。結局貴女は──
「晃ちゃん! 何の声!? 何があったの!?」
奏だ。
「はあっ、い、きが……っ!」
「過呼吸……!」
嗚咽を聞かれたくない。そう思い必死に息を止めようとしても思い通りにならない。そんな私の様を見た奏は私の隣に座り込んで背中を撫でた。
そして前かがみの座り方になるような姿勢を取らせて私に微笑みを向けた。
「大丈夫。大丈夫だよ、晃ちゃん。私の声を聞いて。お返事はしなくても大丈夫だからね」
「はっ、ぁ」
「呼吸、無理に抑えようとしなくても良いからね。楽なように、意識せずに……」
「わかっ……」
トントンと優しく背中を叩かれる。
規則的でありながらも自然で、苦しみを分散させるかのように身体へとそのリズムが浸透してゆく。
『嗚咽を聞かれたくない。早く落ち着かなければ』という呼吸への意識から遠のくように、そして縋るように感情がリズムに惹かれてゆく。
「大丈夫だよ」
多くを語らず指示も出さないその声が緊張を解きほぐす。焦らないようにその感覚に身を任せると徐々に呼吸が落ち着いてきた。
「……ふうっ、うっぐ。 ……はぁ」
「だいぶ治まって来たね。でももう少しだけ、ゆっくり呼吸をしようね」
恐らくは、こういった事の対処法として"安心させる"というのがあるのだろう。
柔らかい声でゆっくりと指示を伝えた奏が私を抱きしめた。
流石にそこまでする必要は無いと言いそうになったが、どうしてか何も言わずに大人しくしていた方が私にとっても彼女にとっても良い気がした。
「大丈夫。私が一緒に居るからね」
「……ありがとう」
鼓動が聞こえる。対応に慣れているのだろうか、奏の心拍は少しも乱れていない。
思えば、脈を感じる事はあっても鼓動をこの耳に感じるのは随分と久しぶりだ。それこそ、幼児の頃母に抱きついた時以来だろう。
遥か昔に経験した音であるはずなのに、少し新鮮な気分だ。
「晃ちゃん、誰かに甘えた事ってある? ママとパパ以外で」
深く温かい音に耳を傾けていると奏が小さな声で尋ねて来た。
「……」
特に思い付く出来事は無い。かつての仲間たちは甘えるというよりも互いに許容し合い支え合う空気感だった。
「……そっか」
何かに納得したような声で言葉無き返答を汲むと、彼女は私からゆっくりと離れて私を立たせた。
「いきなりごめんね。嫌じゃなかった?」
「いや、ありがとう。助かった」
「ふふ、んふふ。そっか、なら良かった」
そう微笑んだ奏はポケットからスマートフォンを取り出して私に差し出した。その画面にはメッセージアプリの友達登録用のQRコードが表示されていた。
「友達登録しよっか。通話機能もあるから、帰った後に今と同じ事が起こったら必ず掛けて」
「ありがとう。本当に助かる」
登録を済ませて互いにスマートフォンを仕舞うと奏は新しい缶チューハイを開けて一口飲んだ。
「にひ、おうちまで送ってってあげよっか?」
「…………いいの?」
「……からかったつもりだったんだけど、不安ならついて行くよ。その方が私も安心だから」
正直恥ずかしかった。でも一人で夜道を歩くのは怖かった。また同じ事が起こるかもしれないと思うと脚が震えた。
「……頼む」
「うん。じゃあ行こっか!」
二人で夜道を歩く。
カムトマジナやルーベンスが予見した守護神代理の件、それと私自身に起こっている変化など、私を不安にさせる事ばかりが続けざまに起こっている。
しかし、まだこの世界に頼れる人間が居たという事が一筋の光となって私の心を少しだけ照らしていた。
「奏」
「なぁに?」
いつか、全てさらけ出せるようになるのだろうか。
「私、最初奏の事を敵なんじゃないかって疑っていたんだ」
「おお、魔法少女らしいね」
「……茶化さないで聞いてくれよ。恥ずかしいだろ」
「ふふふ」
私から逃げ出して関係が自然消滅する事もあるかもしれない。
実際、魔法少女になる以前は人間関係においてそのような事が多々あった。
「疑ってごめん」
「ん。大丈夫だよ。 ……大変だったんだね」
この先どうなるかは分からない。
それでも少しだけ、今日は眠れそうな気がした。
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