4話:夢の中の異世界

 都会の光に照らされた物足りない星空の下、どういう訳か私は公園のベンチで炭酸の音を聞いた。

 隣では図体のデカいピンク髪のお姉さんが豪快に喉を鳴らしながら缶チューハイを煽っており、その様が更に私の頭を混乱させていた。

 私が以前彼女に会ったのは夢の中、なんて言い方をするのは正直全然しっくりこない。私は夢に見ただけだ。会うも会わないも無いだろう。


「っぷはぁ。ああーマズっ……」


 なのに、何故か彼女は私を知っているようだ。

 あれは予知夢の一種だったのだろうか。夢日記の影響でこんな事が起こるなんて記述は見た事が無い。


「……っ」


 一体何が起こっているのだろう。守護神亡き今、身の回りで何かが起こる事は確実だ。そして"起こる事"の予測は誰にもできない。そういった事も含めてルーベンスは全てを企んでいた。


「晃ちゃん、私の事覚えてる?」


 この女性は色々と不可解だ。

 ルーベンスに言わせれば、魔法の力過ぎた力を持つ私の存在は神々からすると不都合らしい。始末する為に何かしら仕掛けてくる事は確実だ。こいつがその関係の人物である可能性は否定できない。


「……コロン、ですよね」


「ええ? 敬語? 友達になってくれるって言ったのに……」


「ごめん、ちょっと混乱しているんだ。いくつか確認したい」


 つまりこの場で考えられる事は二つ。

 ルーベンスが言う所の歪みの影響で"夢"に何かが起こっているという事と、このコロンに似た女性が神々に関係する私の敵かもしれないという事だ。

 何もかも私の思い違いであってほしいと思うのだが、彼女が発言する度に疑念が重なってゆく。この女性は何故か"コロン"の記憶を持っている。やはり普通ではあり得ないことが今まさに起きているようだ。


「私の事をどこまで知ってる?」


「何も教わってないし見た事しか分からないなあ。変身できる可愛い魔法少女って事くらいしか」


「魔法少女…… まさか本気にしたのか?」


 当たり前のように私を魔法少女だと断定するコロンに対して不信感が深まった。

 仮定からしておかしな話であるが、"本当に夢の中で出会っただけの一般人"なのだとしたらコロン自身がキャラクターを演じていたように私が魔法少女であるという話も"明晰夢の中の設定"だと思い込むだろう。

 訝しむ私の視線を受けたコロンはアルコールに上気した頬を緩ませて気の抜けた笑顔を浮かべた。


「本気にしたというか、『そうだといいなー』って。そうであってほしいと思ったからそう思う事にしたの」


「そうであってほしい? なんで?」


「かわいいから」


「うーん、そう……」


 信じているというより、そういう事にして面白がっているのかもしれない。

 それに、考えてみれば今彼女は酒に酔っている。素面の状態であればきっと『そんな訳無い』という意見になるだろう。


「じゃあ私と一緒に居た女の子の名前は?」


「槻代美愛さん。晃ちゃんが起きちゃった後少し自己紹介をしたんだぁ」


「……」


 やはり、彼女は夢で出会ったコロンの記憶を持っていると見て間違いは無さそうだ。

 だが未だ正体が掴めない。夢の内容の確認よりももう少し踏み込んだ確認をする必要がありそうだ。となるとやはり目の前で変身して反応を伺うのが良いだろう。

 リジェクターが扱う力は守護神から授かった"神力の一端"だ。それを全身に纏う変身は半神と化す能力と言える。故に同様の能力を持たない者が変身した魔法少女を認識する事は"許可されない限り"叶わない。

 夢の中で戦っていた際には美愛から注意を逸らす為にあえて姿を見せていたが、今回は違う。

 ここで私が変身してコロンがそれを認識できた場合彼女は"神が絡んだ人物"、つまり私の敵だという事になる。

 認識できなかった場合は"夢で出会った人間が現実にも居る"という極めてばかばかしい仮説を裏付けてしまう事になるが、それならそれで今は一旦良しとしよう。


「コロン、私をよく見て」


「ん? うん、ちょっと待って」


 コロンが缶チューハイをもう一口煽った。顔の向きが私の方へと戻った事を確認してリジェクションエフェクトを全身に纏うと、彼女は数度瞬きして目を擦った。

 夜風にツインテールが揺れる。変身完了だ。


「あれ? 晃ちゃーん?」


 コロンが周囲を見回す。


「ごめん、どこ行ったかわかんなくなっちゃったー」


 結構酔いが回っているようだ。しぱしぱと瞬きを繰り返しながらベンチから立ち上がる。見えていない様子ではあるが、彼女が神々からの刺客であった場合変身による認識のアレコレを理解している筈だ。演技という可能性も捨てきれない。


「長めの瞬きしてたから、何したのか見えなかったぁ。どこぉ?」


「……リジェクションバースト」


 見せつけるように紙にエフェクトを纏わせ、奥義を発動させる。

 策略として一般人を装っていても本当に攻撃をされるとなると寸前で本性を表す筈だ。


「"クラフト"」


 一振りの紙の剣を作り出し、歩き回るコロンの前方に立ちはだかって剣を構える。見た目は正に本物の剣だが、材質までは変化させていない。柔く軽い紙の剣のままだ。

 フラフラとこちらへ進む彼女の頭に向けて切っ先を向けるとコロンが立ち止まってまた周囲を見回し始めた。

 その姿は"公園に一人置いて行かれた可哀想な酔っ払い"にしか見えなかった。なまじ童顔なだけに、攻撃をする事に対して躊躇いが生まれてしまいそうだ。


「……」


 だが寸止めなどをして隙を晒せばそれこそ敵の思い通りになってしまうだろう。紙だからさほど痛くはないはずだ。思い切りやろう。

 殺意を込めるような勢いを緩めず、そのままスパンとコロンの頭を叩くと彼女は驚いたように周囲を見回しながら自らの頭を撫でた。


「いっ、何? 何が起きてるの?」


「避けなかった……」


 本当に敵ではないのだろうか。

 それとも私の思考の全てが見通されているのだろうか。

 先程とは反対に隙だらけの姿勢でコロンの目の前に立つ。それでも彼女は私に対し何もしなかった。


「本当に見えてないのか?」


「……私、幻覚でも見てたのかな」


 コロンがぽつりと呟く。

 "可哀想"を装って騙し討ちを狙う敵は何体も倒してきた。その経験が判断を下したのか、それとも私の良心が限界を迎えたのか。その呟きを以て私は警戒を解こうという気になった。


「あれ、でも…… 晃ちゃんの炭酸水、ある……」


 変身を解除しようと剣を仕舞うとコロンが元のベンチへと駆け寄って行った。


「……んん? 私が買ったんだっけ? 思い出せない…… 晃ちゃーん。出てこないと…… えっと、飲み口の所舐めちゃうよ……?」


「やめろ馬鹿!!」


 変身を解除して炭酸水を取り上げるとコロンは驚きと安心が混ざった顔で私の顔をジッと見降ろした。


「晃ちゃん、居た……! どこに隠れてたの? 酔っ払いにこんな事するのは酷だよぉ、もぉー」


「適当に遊具に隠れてたんだよ。どれだけ酔ってるか確認しようと思って。ごめん」


「もー、なにそれ」


 ベンチに座ったコロンが目尻に涙を浮かべる。不安だっただろう、少し悪い事をした。

 しかしコロンが酔っ払い状態で良かった。酔いの程度が浅ければ今みたいな言い訳は通用しないだろう。


「……色々と訊きたい事があるんだけど、いいかな?」


 コロンの顔を見て尋ねる。彼女がルーベンスの言った"敵"じゃないとなると、もはや彼女の正体は私には分からなくなってしまう。そもそもが何者でもない可能性もあるのだが。

 とりあえず一体何が起こっているのか知りたい。


「ん、うん。分かる範囲で答えるよ」


 缶の飲み口を咥えたままコロンが応える。

 聞きたい事は色々とあるが、思考がとっ散らかっていて上手く言葉が出ない。


「私達は夢の中で会ったよな?」


 とりあえず前提となる部分を定めるための疑問を投げかける。


「うん。そうだね」


 対するコロンはそれが大した事でないように答えた。

 私が夢の中でコロンと会った様に、コロンも夢の中で私と会っていた。偶然でも必然でも私にとってそんな出来事は一大事なのだが。


「……夢に居た人と現実で出会うって、普通の事じゃないよな? 何が起きているんだ?」


 根本からの説明を求めて質問を投げかける。本当に何も察しが付いていない訳ではないが、一度仕切り直して最初から全てを説明されないと頭が壊れてしまいそうだ。


「あら、説明しないとだね。どう言えば上手く伝えられるか分からないからゆっくり話すねえ」


「ありがとう、頼む」


 アルコールの入った頭で必死に考えるように眉をひそめる。そして缶を置いたコロンは自分の頬を叩いて姿勢を正した。それでも尚上半身はフラフラと揺れている。


「聞いた感じ晃ちゃんはあの夢を本当の"ただの夢"だって思ってるみたいだけどぉ、あそこは言わば異世界で、夢を見るって形で皆あそこに転移してるんだよ。私だってちゃんと現実の人間でえ、現世こっちからあっちに行ってるの。本名だってコロンじゃなくて季﨑奏すえざきかなでだしぃ……」


「……異世界?」


「そう、それぞれが想いのままに想像創造するもう一つの現実。その辺晃ちゃんは魔法少女だし、信じられない話じゃないでしょ?」


「信じられなくも無いけど…… ちょっと不思議な感覚だ」


 夢は脳が記憶を整理する際に見る物だ。そこから異世界に繋がると言われても上手く飲み込めない。


「ね、不思議だね。晃ちゃんの力だってカガクで証明できないし。 不思議な事ばっかりだなあ」


「……」


 私の力は神によってもたらされた物だ。だからそういう物として納得できていた。だが夢を見る事で異世界に繋がるという話は、やはり納得するのは難しい。もう少し情報が必要だ。

 夢とは心理的、生理的な人体の現象だった筈だ。そこからどうして異世界なんて物が生まれてしまったのか。

 もし今の話が事実なのであれば、この世界で何かしらの問題が起こっている事が考えられる。

 これが守護神が居なくなった影響なのだろうか。だとしたら私の想定とは別のベクトルで面倒くさい状況になっていそうだ。


「……この世界ってさ、元々科学とかで証明できない物で溢れ返っていた可能性だってある訳じゃん? 私達ヒトに観測できる物とか必要な物事に関する事だけが学問として確立されてるだけでさ、夢の世界とか晃ちゃんの魔法は"非現実的"なんじゃなくて"本来観測できない"だけなんだよ、きっと」


「そうかもな」


 実際コロンの言う通りだ。リジェクターの"人間から認識されない"という性質は"神は人間に認識できない存在である"といった所から生じている。その原理は正にコロンの言った本来観測できない分野の物だが、確かに存在している。

 明晰夢の異世界化も同様に、ちゃんとした原理を持つ現象である筈だ。


「……それに比べて、話を聞いた限りじゃ夢の中の異世界は"皆"も観測できているそうだが。どうして学術的に説明されていないんだろうな」


「そりゃ、つい最近の事だからとか、晃ちゃんみたいに夢は夢として考えている人が大多数だからとか? もしかするとどっかで研究が始まってたりもするかもね」


「……つい最近? 最近って、どのくらい最近?」


「私が明晰夢を見るようになったのはだいたい三か月くらい前。自分の世界を作れる程にコントロール出来るようになったのは大体二週間くらい前かな? その頃から他の明晰夢を見てる人と出会うようになったの。最近と言えば最近でしょ?」


 明晰夢をコントロール出来るようになった時期とルーベンスを殺した時期が一致している。やはり守護神の死と明晰夢の異世界化には何かしらの相関があるのかもしれない。

 『これまで普通の夢を見ていた人達の夢の舞台が、守護神の死を経て何故か世界として確立するようになってしまった』。今はそう解釈する事にしよう。


「……そうか」


 この仮説が事実なら、守護神を殺した張本人として知らんぷりできる事態ではない。しかしどのように対処するべきか。

 今までは異世界から襲来してきたという体で襲い来る怪物を迎撃して終わりだったが、今回はこの世界そのものの問題だ。あの頃の戦いと違って"本当に"何かが起こっているのだ。悠長にしてはいられない。


「なに、考え込んじゃって。もしかして世界の危機? 魔法少女出動?」


「茶化すな。 ……話してくれてありがとう。大体理解できた」


「んふ、どういたしまして」


 今は考えていても分からない。とにかく次に明晰夢を見る事が出来た際に何かしら行動を起こす必要があるだろう。現実で出来る事は今の所何も思い付かない。


「それにしても、まさか晃ちゃんと現実で出会えるなんて思っていなかったな。この近くに住んでるの?」


「うん」


「えへ、そっか。私はここから徒歩で十分くらいのアパートに住んでるの。大学進学と一緒にこの辺に越してきたんだあ」


 今日四本目の缶チューハイを開けたコロン、もとい奏が空を見る。こんな都会の星空を満足気に見つめる眼差しを見ていると、自分が強欲であるかのように思ってしまった。


「せっかくなら美愛さんも一緒に三人で集まったりしてみたいけど…… 晃ちゃん、どこ住みとか聞いてない?」


「何も聞いてないな。なんか目覚められなくなったって言ってたけど」


「目覚められなくなった?」


「コロンの世界に迷い込んだのも目覚める為の手掛かりを探す目的があっての事だったんだ。何か心当たりは無いか?」


 一度も口をつけていない四本目のチューハイを下ろした奏が神妙な面持ちで俯いた。


「ん、何か知っているのか?」


「いや、本当に心当たりだけ」


「聞かせてほしい」


 真っ直ぐに目を合わせて頼むと奏は小さく頷いて語り始めた。

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