2話:星空とトリックスター

 最初に違和感を覚えたのは空だった。教科書で見るような完璧な星空が広がっている。そんな綺麗な風景を邪魔するように無数の線路が宙に浮いており、その線路の上を"気球を模したトロッコ"が沢山走っている。

 次に目を向けた地面はカラフルなブロック玩具で作られており、全体的にほんのりと粉雪が積もっていた。触ってもあまり冷たくはない。

 そして周囲に点在する木々の下には決まって沢山の人形とプレゼントボックスが置かれていた。


「ここは、扉の向こうに来たという事なのでしょうか……?」


 空を見たまま美愛がフラフラと歩いてゆく。その先には底の見えない崖がある。このままでは落ちてしまうだろう


「美愛ちゃん、足元気を付けて」


 彼女の隣へ歩み寄り、驚かさないように声をかけてから肩に手を置く。


「え? ──っ!」


 ようやく足元を確認した美愛が慌てて数歩後ずさった。

 安全な所で呼吸を落ち着ける彼女から視線を外して辺りを見回すと、崖は霞に消える遥か彼方まで続いていた。山の頂上か、あるいは浮遊島か。どこまでも続く崖を見るとそのような想像が膨らんだ。

 しかしながら、少し奇妙な光景だ。地表と同様に地中もブロックで出来ているのだろうか、崖の断面が一切の凹凸を持っていない。


「……うーん」


 思わず声が漏れた。一方で美愛は恐る恐る私の隣に立って崖の下を改めて眺め始めた。


「し、下に何かあるんですか?」


「いや、そういう訳じゃなくて…… 子供っぽいのか何なのか、よく分からない場所だなって」


 正直な所、悪趣味だと思った。オモチャや星空、気球など一見可愛らしい物が多くあるが、それに対して温かみのような物を一切感じない。空中のトロッコ、柵の無い崖、雪の降る夜空。クリスマス風の曲でも流れていればある程度雰囲気を誤魔化せそうだが、実際には曲など聞こえない。

 暗く寒い空間に響き渡るトロッコの音に、踏む度にカツカツと足音が鳴るブロックの床。歪かつ無機質な印象を受けて居心地が悪い。


「子供っぽいと言うには少し危険ですね……」


「そうだな。お互い気を付けて行こう」


 本当に私の夢なのだろうか。一体何を暗示しているのだろう。


「……落ち着いた事だし、少し歩き回ってみる?」

 

「あ、はい。行ってみましょう」


 道の無い地面を踏みしめて進んでゆく。ブロックで出来ている事から坂は無く、角ばった段差が多くあった。ゲームにでも入り込んだような気分だ。


「そう言えばさ」


「はい?」


「美愛ちゃんはどうして"こっち"に来ようと思ったの?」


 景色の変化が起こらない事に退屈さを感じて美愛へと質問をする。対する彼女は俯き加減に答えた。


「目覚めるための手掛かりを探したくて」


「……」


 先ほど言っていた起きられなくなった事についての話だろう。


「私、明晰夢を見始めてからずっと一人であの白い空間に居たんです」


「一人でずっと? 病みそう」


 今の私が言うかと時間差で自嘲の感情が湧いた。


「一応暇つぶしに困った事は無いんですよ」


「え、嘘。あんな場所で?」


「はい。明晰夢ですから、ある程度自分の思い通りにコントロールできるんです。例えばこうやってケーキを出したり」


 美愛が手をこちらに差し出す。明晰夢をコントロールするという話は夢日記について調べた際に何度か見た事がある。実際にそんな事が可能なのだろうか。

 相手が夢の中の人物である事を念頭に置きつつも若干の期待を込めて手をじっと見つめる。しかし特に何も起こらなかった。


「あれ?」


「……ん、今やってるの?」


「はい、やってるんですけど出ません。なんでだろう……」


「うーん、まあとりあえず見せようとした物は想像できたよ」


 美愛の手から視線を外して前を向く。もしかすると『そんな事ある訳無い』という私の疑いの気持ちが反映されたのかもしれない。

 美愛に関する出来事は分かりやすい気がする。恐らく彼女は私自身が持つ夢日記への懸念や悪夢障害の不安、そして明晰夢という物に対して持っている印象などを暗示している物なのだろう。


「一人で探索してみようとは思わなかったの?」


「一人だと怖くて」


「へー」


 帰りたいと思いつつも怖いからという理由だけで留まっていた事に対して思う事はあったが、面倒臭いので言及するのは止めておいた。


「晃さんは、どうして付いて来てくれたんですか?」


 今度は美愛が質問をしてくる。

 大雑把に言えば悪夢障害の治療の為であるが、それを私自身の夢の中に居る人物に伝えるのは何となく気持ち悪い。無粋というか、興が削がれるというか。とにかくありのままを伝える自分を想像すると嫌な気持ちになった。


「……興味本位」


「あー。ぽいですね」


「分かったように言うなあ。出会ってからまだ数時間しか……──っ!」


 唐突に生まれた何者かの気配、それに意識を寄せるといきなり辺りが閃光に包まれた。不意打ちだ。

 咄嗟に美愛を護ることは出来たが、変身前に敵に先手を許してしまった。


「な、何、何!? 晃さん大丈夫ですか!?」


 背中に何かが命中したが痛みは無い。夢の中だからだろうか。それとも元から目くらまし程度のつもりの攻撃だったのか。


「……」


 それにしても、光を使った攻撃には心当たりがある。もしかすると私の見知った顔を見る事になるかもしれない。


「あ、晃さん……! 怪我は──」


「落ち着いて、大丈夫。私から離れないで」


 気を引き締め直して美愛の肩に手を置き気配を探る。

 二度目の攻撃は来ない。様子見のつもりだったのだろうか、どうにも攻撃の意図が掴めない。


「一体どこから攻撃をしたんでしょう」


「探してみる」


 一定の呼吸で精神を落ち着ける事数秒、ようやく気配の在り処が掴めたような気がした。

 敵は空中の線路を走るトロッコの中だ。


「……あれか」


 魔法で紙飛行機を作り、攻撃した者が乗っていると思われるトロッコへと飛ばす。


「か、紙飛行機? いつの間に……」


「耳を押さえて。爆発するよ」


「え?」


 紙飛行機の先端がトロッコに接触すると派手な爆発が起こった。

 咄嗟の事に身体が追い付かなかった美愛に代わって彼女の耳を押さえていると、爆発の衝撃で飛び散るトロッコの残骸に紛れて何者かがこちらへと吹っ飛んできた。


「な、何か来た! 何!?」


「大丈夫。私が相手するから」


 一応爆発から鼓膜を保護する魔法を美愛にかけてから振り返る。そこには子供っぽい印象を受けるファンシーな衣服に身を包んだ少女が倒れていた。髪の毛がピンク色で目に悪い。


「む、ぐ…… いったぁぁあい!」


 むくりと体を起こした少女が叫ぶ。服装とは裏腹にその顔立ちはある程度大人びていた。恐らくは私と同年代か数個上だろう。残念なのか幸運なのか、私の記憶にある人物ではなかった。


「コロン死んぢゃうかと思ったぁー!!」


 両腕を振って子供っぽく怒りを露わにする。その仕草を見ていると少しイラっとした。いい年して何をしているのだろう。

 もしかするとこの女は私が嫌悪する物を暗示しているのかもしれない。


「ごめんなちゃいは!?」


「ごめんな。さっきの攻撃はお前がやったのか?」


「"お前"ぢゃない、コロン!!」


「はあ、コロン。そっちだって先に攻撃してきたろ? じゃあお互い様だろうが」


「うゆ?」


 ピンク髪のツインテールを揺らして首を傾げる。

 舌打ちが出そうになった。私の価値観における"子供らしさ"の認識がここまで歪んでいたのかと思うと少しショックだ。色々と履き違えすぎだろう、苛立ちを通り越して悲しくなってきた。


「なんで私達に攻撃したんだよ?」


「泥棒さんかと思ったの。だから『駄目だよ』って伝えて、そんでちょっとお話をちて、お仲間になってほちかったの」


「攻撃しといてお話って何ですか!? まともじゃない! 逃げましょう晃さん!」


「待って美愛ちゃん、私は色々と知りたい。興味がある」


「え…… 嘘……」


 この人物が私にとって好ましくない物の暗示である事はよく分かった。ならば更に深い所まで特定すれば悪夢障害の治療に役立つ情報になるかもしれない。

 ルーベンスの夢みたいなトラウマをそのまま見せられる夢よりも、より深層心理に近付けそうな予感がした。


「コロンは、私たちが勝手にここに来たから泥棒だって思ったんだよな」


「そうだゆ」


「それは悪かった。ごめん。で、お仲間ってどういう事?」


「端的に言えば共通の趣味を持って、そしてコロンと一緒に明晰夢の世界を作っていく同志だゆ」


「なんだ、おま…… コロンも明晰夢を見てる設定なのか。つまりは夢の中で理想を追求するって事だな」


「"設定"って言われると少しピキっちゃうけど、でもそういう解釈で合ってう! ね、一緒にお着換えちて仲直りちよ? かわいいお洋服いっぱいあるの!!」


「……」


 やはり瞬時には分からない。何かに迫られる事に関する恐怖心の暗示だろうか。そのように表現すれば思い当たる出来事もあると言えばあるが、この線は微妙だ。だとすると未熟さを誇張気味に暗示した夢だろうか。釈然としないが、どちらかと言うとこちらの方がしっくりくる。


「色々答えてくれてありがとうな。じゃあ私達はこれで」


「え、え? お仲間になってくれないの?」


「ごめんな、他を当たってくれ。美愛ちゃん、行こう」


「は、はい…… 素直に逃がしてくれるかな……?」


 振り返る美愛の肩に手を回して早歩きを促す。

 コロンの目的と私達の意思は相容れない。その上コロンは強引な性格であるように見える。対立したら争いは避けられないだろう。

 となると後手に回るのは好ましくない。恐らくコロンはこの場所に慣れているから、一度でも流れを作られたら抜け出せるか危うい。こういった条件の場合は経験上多少強引で脈絡の無い行動であっても自分から先に行動を起こした方が上手くいきやすい。私に宿る能力の都合もあるのだろうが。

 とにかく逃げ道を探る防戦からスタートするよりも逃げてから追い打ちを捌く方が私は得意だ。


「……どこ行くの?」


 コロンが背後から声をかける。

 これまでの子供っぽい舌足らずな喋り方とは違い、冷ややかで鋭い、ナイフのような声だった。


「ひっ!?」


「逃げるよ、ちょっと失礼!」


「うわ、ちょ……」


 身体を硬直させた美愛を抱きかかえて跳躍する。変身による身体能力への強化も入っていない筈なのだが、夢の中である影響か結構な高さを跳ぶことが出来た。


「と、跳んでる!? こんな高さを!?」


「目瞑っててよ。今下見ると怖いから」


「うわっ、分かりました」


「ついでにもっとしがみ付いて。右手を開けておきたい」


「は、はい」


 空中の線路に着地して右手に紙を作り出す。元居た場所を見るとコロンは既に姿を消していた。


「あ、居ない。どこ行ったんだ」


「ここだゆ! 逃げられると思わないで!」


「っ! 上か!!」


 手に持った紙を紙飛行機にして投げつける。爆発を食らったコロンはそのまま地面へ落ちて行った。


「おい、奇襲する時に大声出すのマジで馬鹿馬鹿しいからやめろ!」


「敵に助言しないで……」


「助言じゃなくて文句だよ」


 線路の上を走りつつも美愛を抱き直してベストポジションを探していると遠くからコロンの叫び声が聞こえて来た。


「もおおおおおおお!! どうちて!? コロンの夢なのに!!」


 先程の冷たい印象は微塵も感じない。駄々っ子のようにジタバタと手足を振る姿が思い浮かんだ。


「癇癪を起しているな。この隙に一気に距離を取ろう」


「"コロンの夢"……? じゃあさっき私が何も出せなかったのは…… というか晃さん、さっきから思っていましたが、それって何ですか?」


「ん?」


「それです、その紙」


 再び生成した紙を美愛が指差すといきなりコロンが前方に現れた。


「どうちて貴女の攻撃は痛いの!? ここはコロンの夢なんだよ!? どうちて!!?」


「うおっ!? いつの間に!?」


「この世界ぢゃコロンには攻撃できない筈なんだゆ!? そんでコロンの力は最強な筈なの!」


 唐突な出来事に加えて説明不足な事もあって思考が前に進まない。恐らくコロンは美愛も言っていた明晰夢のコントロールで自分への攻撃を防げるようにしているのかもしれない。

 実際そんな事が可能なのだとしたら、私がそのコントロールを貫いて攻撃している事になる。


「くっ……」


 踵を返して来た道を引き返し走り出す。それを追うことも無く、コロンはその場から私の背へ向けて叫んだ。


「貴女のその力は何!?」


 背後を振り返るとコロンは私の手にある紙を指差していた。これは私が魔法少女としての能力を用いて作り出した武器だ。

 本質的には守護神から授かった"世界を護る力"だった物である。


「……」


 これは自意識過剰の暗示だろうか。

 "本来そこに居た者達の秩序を壊して自らの力を誇示する"。そういう夢に思えてきた。


「答えて!!」


「私も気になります」


 一度そう思うと、ここでペラペラと自分の力を説明するのは恥ずかしい行為なのではないかと錯覚してしまう。

 自己顕示欲に満ちた独りよがりな行為なのではないかと、そう思ってしまって言葉を発するのがなんとなく怖くなった。


「……落ち着いてから話したい。後でもいいかな?」


「え? ……分かりました」


「ふざけないで! 人の世界に勝手に入って来ておいて!!」


 またコロンが唐突に目の前に現れた。瞬間移動を使う敵を相手取るのは初めてだ。どのように対処すれば良いのか分からない。


「うおっ! それは本当にごめん! すぐ出て行くから通してくれ!」


「許さない!」


「っ、そう言われると私達は強行突破するしかなくなるんだからな! 何されても文句言うなよ!」


 こちらへ迫るコロンに対し、後方へ跳び退きながら再び紙飛行機を投げる。速度に特化した折り方で作られたそれは一閃を描くように飛んで行った。

 再び爆発が起こる。命中していれば流石に気絶させられるはずだが、煙が消えてコロンの姿を確認できるまで油断はできない。


「一旦ここを離れよう、まだ私に掴まっててよ」


「分かりました……」


 別の線路に着地し、気配を探る。やはりコロンの殺気はまだ感じる。

 苦手ではあるが防御の魔法を用意しておいた方が良いかもしれない。


「……晃さんの事も気になりますけど、さっきからコロンさんの言葉一つ一つも引っ掛かります」


 線路の上を走り始めると美愛が不安そうに声を漏らした。


「なんだかこの世界そのものがアイツの思い通りって感じの印象を受けるな」


「そうです、きっと言葉通りここはコロンさんが見ている夢の中なのかもしれません。私が明晰夢の力を使えなかった理由だってきっと──」


「うお!? 危ないっ!!」


「へっ!?」


 美愛が言い終わる前に"前方から"ハート形の光の弾のような物が飛んできた。本来であれば後方から飛んでくるのが自然であるはずだ。また瞬間移動をしたようだ。

 障害物で走りにくくなるが、狙いをつけやすい線路の上よりも普通に地面を走った方が良さそうだ。


「っっぶねえ…… 焦ったあ」


 用意しておいた防御の魔法のおかげで命中はしなかった。しかしコロンは先程の反省を活かして静かに攻めて来るつもりのようだ。私は防御主体の戦闘はあまり得意ではない。合図が無くなるのは少し辛い。奇襲の際の大声について言及しなければよかった。


「これは、楽譜の五線? 私達の周りに……」


 防御の為に展開した魔法を見た美愛が不思議そうに呟く。明晰夢の中であっても魔法はやはり現実離れした物のようだ。


「これも私が出したやつ。コロンの攻撃とは関係ないから安心して」


 簡潔に説明しつつ地へと飛び降り走り始めると、眉をひそめた美愛が腕の中から私の顔を見上げた。


「……やっぱり、晃さんが使っているのは明晰夢の力じゃないですよね? しかも扱いに慣れているようにも見えます」


 "夢の中だから"で片付けられない何かを感じ取ったのだろう。説明を求めるような美愛の瞳を見ていると、これ以上口を結ぶのはやめておいた方が良いような気もしてきた。頑として説明を拒むのもそれはそれで不安にさせてしまうかもしれない。


「ごめんなさい、やっぱり今すぐにでも知りたいです。晃さんのコレってなんなんですか?」


「……信じられないだろうけど、魔法だよ。身を守る時に使う五線はエフェクト、"リジェクションエフェクト"って呼ばれる力で、この紙は私の武器、こっちは"アイテム"って呼ばれる力らしい」


「……貴女は何者?」


「っ!! とりあえず場所変えよう!!」


 またハートの弾が飛んできた。防御魔法のおかげで今は防げているが、この世界に居る限りは何処に居ても格好の的だ。


「お人形ちゃん達!! あの人達を捕まえてっ!!」


 宙へと跳んだ私達に向けてコロンが指を差す。すると木の下に置いてあった人形たちが立ち上がって動き始めた。

 これまで数多の敵と対峙してきたが、やはり相手の執念深さが垣間見える瞬間は肝が冷える。


「まずいな、一旦最初の所に戻らないか? 全部真っ白の所」


 一時撤退だ。ここがコロンのテリトリーであるのなら、単純に離れれば良い。仮に追って来てもそこはもう奴の自由が利く世界ではない。有利不利の無い状況で戦えるだろう。


「そ、そうしましょう」


 比較的人形の数が少ない場所へと着地し、元の扉へと走る。道は曖昧にしか覚えていないが、途方もなく大きな扉が目印として激しく自己主張している。迷う事は無さそうだ。


「ヘンリエッタ、クリムヒルデ!! 行って!!」


 一際大きなウサギとクマの人形が後を追い、更にコロンが大量のハート弾を放って追撃を試みる。このままでは私の魔法では受け止め切れないだろう。

 実際エフェクトの切れ目をすり抜けたハートの弾が何発か背中に当たっている。一発ずつならばそれ程痛くはないのが救いだ。


「ええと、どうやって開けるんでしたっけ!?」


 扉の前に到着した。思えば私達はこれを用いて移動する方法について詳しく理解していない。

 とりあえず美愛を降ろして扉を押してみたが、やはりびくともしない。


「とにかく押そう! 来た時と同じ事すれば何かしら起こるだろ!」


「わ、分かりました」


「逃がさない…… 逃がさないぃっ!!」


 美愛が私の隣に立って扉に触れた。すると先程と同じように視界が暗闇に閉ざされた。

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