第21話 婚約破棄




 デイビッドがリリーに忠告する。


「離れろと言っている。僕が誰なのかは、貴様が一番よくわかっているはずだ、リリー」

「そうですね。デイビッド様は王族で、私はただのメイド。逆らえません」

「そうだ。だから……」

「ですが、私はデイビッド様の言うことなんか聞きません」

「なんだと……?」

「私の仕えるあるじは、ユースティシア様です。デイビッド様ではございません」

「っ……」


 デイビッドが眉間に皺を寄せた。

 リリーはユースティシア以外の命令を基本的に聞かない。それをデイビッドはわかっている。だが、この公共の場で、王族の命令に背くとは思ってもいなかった。


「ユース。君からも言ってやれ。こいつは事の重大さをわかっていないようだ」

「……」


 ユースティシアは目を伏せる。


(大丈夫、大丈夫……。わたくしには、リリーがいる)


 ユースティシアは深く呼吸をし、そして――


「ユースティシア・レイノルズの名の下に、宣言します。本日、この場をもって、デイビッド様との婚約を破棄させていただきたく存じます」

「!?」


 場が、混乱に包まれた。


「婚約破棄!? しかも、ユースティシア様からだと!?」

「いったい何が起こってるの!?」

「こんな場で名の下の宣言をするだなんて……それも王族相手に……正気とは思えないわ!」


 それぞれの思惑が交錯する中、落ち着いた者は数人。


「ついに始まったわね、フェリックス」

「もう後戻りなど不可能だな。前代未聞の王族との婚約破棄……なかなかにすごい光景だ」

「これがユースさんとリリーさんの出した答えなのであれば、私はそれを応援するだけです」


 エレノアとフェリックス、クレハは静かに見守る。

 デイビッドは静かに感情を抑え、ユースティシアと向き合った。


「……妄言はよせ、ユース」

「妄言ではございません。わたくしは、わたくしの意思で申し上げました。この決断は、長い時間をかけて出したものです。取り下げるつもりも、デイビッド様と再び婚約するつもりもありません」

「……」


 ユースティシアは凛とした声でそう言った。意思は固い。デイビッドがグッと歯を噛み締める。


「……二つ、聞きたいことがある」

「なんでしょう」

「ユースが仮に僕と婚約破棄をするとしよう。そのあとはどうするつもりだ。レイノルズ家の権威は地に落ちるぞ。それを承知で物申したのか?」

「すでに了承は得ています。それに……我が家は王族との関わりがなければ廃れるなどということはございません」


 レイノルズ家の地位は公爵家の中でも格段に上がっている。だがそれは、ユースティシアがデイビッドと婚約したからではない。地位の向上は、ルーファスが当主に就任してからの方がよっぽど大きい。

 ルーファスは領地の発達に力を入れており、領民から感謝と信頼を集めている。産業の発展や他領地(ブラッドベリー領やアメリア領など)との交流は大きな功績と言えるだろう。

 王族との繋がりは、レイノルズ家の地位向上の数ある理由の一つに過ぎない。それを抜きにしても、レイノルズ家はすごいのだ。


「それともう一つ。……両者の合意がないのに、このような場で婚約破棄を申し出るとは、いったいどういう考えでのことだ? 根回しもなしに突発的に行うなど、貴族として恥ずかしく思わないのか? 君ならわかってるはずだ、ユース。混乱を招く言動を看過できるほど、ここは優しい場所ではないぞ」


 すると、リリーがユースティシアの前に出た。庇うかのような姿勢だ。


「存じております。ええ、存じているに決まっているでしょう。その上でこの場を選び、ユースティシア様は……」

「黙れメイド。僕はユースと話している。たかが平民のメイド風情が、王族と公爵家の話に割り込むな。貴様の命など、ないに等しいのだぞ」


 デイビッドがそう言うと、リリーが一瞬怯んだように見えた。だが、それは違った。リリーはデイビッドの言葉がおかしくて、笑いを堪えて震えていたのだ。


「ほんっとうに馬鹿なんですね、デイビッド様」

「!」


 リリーは黒い笑みを浮かべていた。


「私は確かに平民です。親がわからない元孤児ですし、ユースティシアに拾われなければ誰の記憶にも残らない死骸となっていたことでしょう。……でも、私はデイビッド様よりも幸せに生きてます。何故だと思います?」


 やけに挑発的だ。


「恵まれている人ほど、真の価値に気づかないものですね。……私は今あるこの環境の方を知っている。雨風を凌げる場所に住んで、上等な服を着て、美味しいものを食べて……これってすごく、幸せなことなんですよ? あなたはそのことをご存知ですか? デイビッド様」


 リリーだから、この価値をわかるのだ。


「ずっと幸福で愛されているから、あなたはすごくわがままに育ってしまったようです。……ユースティシア様の価値を、あなたは全然わかってない」


 どんな者にでもユースティシアは手を差し伸べる。「ごめんね、もう大丈夫、あなたはひとりじゃないよ」と、幸せな世界に導いてくれる。リリーはユースティシアに救われた一人だ。崇拝に近い何かを抱いているのは、それが理由だ。

 デイビッドはユースティシアの優しさを利用して、自分の目的のために支配しようとしている。ユースティシアがいなければならない、と、静かに圧をかけている。


「デイビッド様。あなたが王を目指すのは何故ですか」

「? 単純なことだ。この国を支えるのが王のやく……」

「それは王の存在理由であって、デイビッド様が王になりたい理由ではありません。もう一度問います。デイビッド様が王を目指すのは何故ですか」


 デイビッドが黙る。怒りで話すこともできないのか。はたまた、理由に困っているのか。それとも――


「当てて差し上げましょうか? あなたは兄君であるフェリックス様に対抗心を持っているのではないですか?」

「っ……!」


 デイビッドの瞳が揺れる。


「私利私欲のために誰かを利用するなど、王族の風上にも置けないこと。……婚約破棄されて当然のことをデイビッド様はしているのです!」


 リリーが大きな声で断言した。デイビッドの表情が歪み始める。状況は今、劣勢から優勢へと変わりつつある。



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