第8話 ハプニング
マンション前の路肩に静かに車が停車し、「連絡するからまた迎えにきてくれると助かる」と美月が運転手に声を掛けてから二人で車を降りる。
「ご両親はいないのよね」
「うん、いない。どっちも海外にいる」
エントランスでオートロックを解除する。ちょうどエレベーターから今下りてきたばかりの小さな子供と母親が俺たちの脇を通る。
すかさず美月は会釈して「こんにちは」と挨拶をした。俺も続くようにこんにちは、と聞こえるか聞こえないかくらいの声で挨拶をした。
この時はいつもの如月美月として、上品に笑っている。母親が顔を上げ、如月美月に「こんにちは…」と挨拶を返すが語尾には動揺が隠れているように思った。
彼女の容姿になのか、立ち居振る舞いに、なのか分からないがすれ違った後も何度かこちらを見ていた。
彼女は常に背筋がすっと伸びていて、無駄な動きがない。
挙動不審になることもなければ、怖気づいてしまうこともない。
高校生のくせに、そこまで徹底されている。
同じ年齢ということを考えると心底恐ろしいとも思う。繕ってできる範囲を超えているように思う。
もちろん、そもそも彼女はご令嬢でそう言った教育は徹底されているからということもあるだろうが。
一緒にエレベーターに乗り込むと、彼女が口を開く。
「ご両親どちらも日本にいないっていうことは一人暮らしなの?」
「いや、妹がいる。俺たちは日本にいることを選んだから」
「そうなんだ」
「まぁ、なんていうか…親は仲いいんだよ。特に母親が父親のこと大好きで、寂しいからってついていった」
「……さ、寂しい?」
美月の戸惑った声が背後からしたがちょうどエレベーターのドアが開く。
詳しくは家に入ってから答えようと思った。鍵を鞄の内ポケットから取り出して、開ける。
緊張などしていなかったのだが、よく考えると同じ学校の学生をこうやって家に入れるのが久しぶりなことを思い出した。そう脳内で考えた瞬間、緊張感が全身を包む。
翔太はたまに家に来るが、それでもたまに、だ。
異性を自宅に招いたことは”ほぼ”ない。
「どうぞ、」
「お邪魔します」
美月も少し緊張しているのか控え目に視線を動かして俺に続く。
俺の部屋には入れるつもりはなかった。誰もいないからリビングでいいだろうと思ったのだ。
リビングに入ると直ぐに窓を開けた。日和か俺が先に帰宅した方が自宅の換気をするというルールが存在するからだ。
その他、几帳面な日和のマイルールを守っている。
適当に座って、と声を掛けてから、キッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。
冷蔵庫には麦茶とミネラルウォーターしかなかった。
今日の夕飯の担当は日和のはずだが、帰りはちゃんと買い物をして帰ってくるだろうか。重たい食材が多いなら俺も一緒に買いに行った方がいいだろうか、など考えた。
如月美月を返したら買い物に行こうと思いながら冷蔵庫から麦茶を取り出した。
女子の好きそうな食べ物はあいにく家にはない。
普段ならば日和の好物のプリンが冷蔵庫の中に鎮座しているのだが、どうやら夏に向けてダイエット中らしく今日はない。
あったとしても、勝手に美月に出したら怒られるだろうからどのみちその選択肢はないのだが。
「ごめん、麦茶と…せんべいしかないけどいい?」
「お気になさらずに。ありがとう」
美月はソファに腰かけ、指を絡めるように両手を重ね、太ももの上に手を置いていた。
先日、祖母が自宅に来た際に購入していたせんべいと麦茶を彼女の前に置いた。
「ありがとう。気を使わせてごめんなさい」
「こんなのしかなくてこっちの方がごめん」
美月の隣に座るのも嫌だったから正面に腰かける。
美月はいただきます、といってから麦茶を飲んだ。
「美味しい!」
「いや、普通の麦茶だよ」
「多分こういうところで飲むから余計に美味しく感じるのね」
若干テンションを上げそういう彼女に俺も何だか嬉しくなった。
「さっきの話の続きだけど、ご家族仲がいいのね」
「まぁ…普通だと思うけど」
「羨ましい」
伏し目がちにそう言った美月はせんべいに手を伸ばす。
俺も自分の分の麦茶を飲む。彼女は細くて白い指で丁寧にせんべいの個装袋を開ける。
「んん!!美味しい」
ぽりぽりと咀嚼音が聞こえてくる。彼女は美味しいと言って一袋500円前後のどこにでも売っている醤油せんべいを目を輝かせて食べていた。
彼女がそうも美味しそうに食べているからこれが価値のあるとても甘美な食べ物のように見えてくる。
不思議だ。
「そんなにうまい?どこにでも売ってるけど」
「美味しい。ありがとう」
正面から見る如月美月の顔は造形が美しいなと改めて思った。
美味しいと言いながらせんべいを頬張っている美月を見ながら麦茶を再度飲んだ時、ガチャっとリビングのドアが開いた。
「お兄ちゃん…、ただいま…って、え?!」
そこには買い物袋を手に下げた日和が制服姿のまま固まっている。
俺も日和を見て固まった。
日和の目は完全に美月に向いていた。
バサッと買い物袋が重力に従うようにして音を立て床に落ちた。
「…あ、あ、の…」
美月はすかさず立ち上がり、先ほどまでの無邪気な彼女とは別人のように美しい所作で挨拶をする。
「お初にお目にかかります。蒼君と同じクラスの如月美月と申します」
「…あ、あぁ、…な、なるほど。えっと私の名前は…あの、日和って言います。中学二年生です。あの、お兄ちゃん…とは、どういう関係ですか」
「蒼君とは友達です。同じクラス、席も隣なので自然と仲良くなりました。お兄さまにはいつもお世話になっております。本日は勉強を教えていただけるということでお邪魔したのですが…手土産もなく申し訳ございません」
「…い、いえ!あのっ…と、とにかく!あ、兄をよろしくお願いいたします」
日和は終始テンパった状態で、何を言うかと思えば兄をよろしく、なんて何か勘違いしているとしか思えない発言をした。
「俺の部屋に行こう。妹が帰ってくる時間がこんなに早いとは思ってなかったから」
「いいえ、私はここでいいですよ。日和さんともお話がしたいですし」
ここでコミュ力をみせつけてこようとする美月を一瞥して、強引に自分の部屋へと連れていくことにした。
本当は自分の部屋には入れたくなかったのだが、日和の前で一緒にいる方が嫌だった。
日和は美月を見て何故か顔を赤らめている。
ずっと視線は彼女へ向いていた。
美月に先に廊下に出ているように言うと日和が背後から小声で俺を呼ぶ。
「お、お兄ちゃん!!!何なの。美月さん!彼女なの?!あんなに美人な人初めて見た」
「違うって。ただのクラスメイト」
「後で聞かせてもらうからね!!」
嘆息を漏らして、美月と一緒に俺の部屋に移動した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます