第5話 協力者

「蒼君ってあの日何で襲われそうになってたの?」


 そんなことよりも何故如月美月があんなにも強いのか俺は知りたかった。

如月美月はどんなシャンプーを使ったらそこまでサラサラになるのかと聞きたくなるほどの綺麗な髪を耳に掛けてから訊く。


「見知らぬ男たちに急に難癖付けられた」

「ふぅん、そうなんだ」

「君が来てくれなかったら警察にお世話になってたところだった。ありがとう」

「ううん、大したことしてないから。あいつら、卑怯よね。三対一なんて最低よ」

一人憤慨する如月美月はコロコロと表情を変えていく。それが見ていて飽きない。


「何か習ってたの?あんなに強い人見た事ないんだけど」

「強いって?」

と、ここでドアをノックする音がした。

はい、と如月美月が声を掛けるとすっとドアが開き先ほど迎え入れてくれた世話係の女性が入ってくる。

如月美月が「稲垣さん、ありがとう」と名前を呼ぶ。

それを聞いて、あぁ、稲垣って名前だったと思い出した。

彼女はテーブルに高そうなティーカップを二つ置き、そこに香り高い紅茶を注いだ。


「ごゆっくり」


 稲垣さんはそう言って俺に満面の笑みを向けて退室する。

話が途中で終わっていたことを思い出した彼女はティーカップに手を伸ばしながら再度問う。


「私が強いってこと?」

「そうでしょ。どうみても普通の女子高生じゃない」

「あー、そっか。私一応…如月グループの娘なわけだから。空手を幼少期に習ってたの。海外に引っ越した時も自衛のために継続して習ってたんだけどね。でも、父は淑女であることを望んでいたようだから表では絶対にあんなことはしない。何かあった時だけ」

「空手だけであんなに強くなれるんだ」

「そんなに強かった?」

「そりゃ、もう」


 ふふ、と口元に手を添え、えくぼを作り笑う。

何となく会話に違和感を覚えながらも、俺は会話を進めた。


「でも、内緒ね。何度もいうけど絶対口外しないでね。蒼君はしそうにはないけど」

「しないしする相手もいない」

「蒼君ってなーんか壁を作ってるよね。なんで?」

「別に作ってないけど」

「そうかな?私はそう感じたけど」


思わず頬が強張りそうになるが、如月美月はそれを察してなのかどうなのかわからないが話題を変えた。


「そうだ!私の秘密、共有した“友人”なんだから協力してほしいことがあるんだけど」

「…何?」


 嫌な予感がした。

如月美月は今度は子供のように目を輝かせ、俺に言う。


「“実績”作りに協力してほしいの!あの時助けたお礼とでも思って!お願い!」


 両手を合わせ、懇願するようにそう言った如月美月に俺は大きなため息を吐いて返答した。


「いや、無理。如月さんと関わると目立つから無理」


そもそも実績つくりとは何だろうと頭の片隅に疑問符が浮かぶがそれよりも先に彼女の要望を拒否をした。

しかし如月美月は諦めようとはしない。


「如月さんじゃなくて美月って呼んでよ!私憧れてるんだ、名前で呼ばれるの」

「……」

「ね?呼んでみて」

「…美月」

「ありがとう!」


 更にはしゃぐ如月美月に引いたような目線を向けつつ、話題を戻していく。


「実績作りって何だよ」

「実績作りよ。私は日本に戻ってきたから今度こそ実績を作ってお父様に認めてもらうの!」

「…はぁ?何だよそれ」

「何だよそれっていうけど、そっちこそ何なの?目立つからって何?目立っちゃいけないの?」

「…いけないってわけじゃないけど」


 語尾が小さくなるのを彼女は見逃さない。

畳みかけるようにして、俺を詰める。


「せっかくの高校生活なんだよ?目立たないようにするとか勿体ないよ。蒼君、結構カッコいいし、私に対してよそよそしい態度しないその感じ凄く好き」

「……」


 あぁ、そうだ。

彼女は海外での暮らしが長いのだ。距離感が他の子とは違うのだろう。

如月美月はきゅっと口元に弧を描き、俺の隣に移動する。


 距離感が違う。これが彼女の素だとするならば、絶対に一緒にはいたくない。


「俺は目立たないように学校生活を送ることが目標なんだよ。如月さ…美月だって自分でわかってるだろ。自分がどれほど人の目を引くか」

「うん、わかってるよ。よく言われるから。でもそれって演技している私に対してだから別に何とも思わない。そもそも蒼君は何で目立ちたくないの?」


 それは、といって口を噤む。

彼女から目を逸らしたのは、動揺を悟られたくなかったからかもしれない。

あの事件以来、俺は人と関わることを避けるようになったし、そう生きることを決めた。

生きる上で人間関係なんてどうでもいい。そんなものはなくていい。

 必要なのは賢く生きるための知識、立ち回りだ。

俯瞰的に自分を見て、皆の輪には絶対に入らない。当たり障りのない会話をして、空気のように生きる。

それでいい。それがいい。



「…どうでもいいだろ」

「よくないよ!いいわけないでしょ!友達なんだから」


 しかし、この空気感で普通は引くところを彼女は普通ではないからか、むしろムキになってくる。

しかも友達などという薄っぺらいワードを並べてくる。

なのに、彼女は真剣だった。真剣にその希薄な言葉をぶつけてくる。そんなに真剣に詰められたら折れそうになる。

 無言で数秒見つめ合った。見れば見るほど綺麗な顔をしている。

今日そう思ったのは何度目だろうか。


「まぁ…そうね。友達だからこそ無理に訊くのは違うか」

「…うん、そういうこと」

「ごめんなさい。でもせっかく友達になったんだもの。何かあったら力になる。必ず」


 その目は揺るぎのない自信に満ち溢れている。

如月美月にそう言われると、根拠もなく力になってくれるとそう思ってしまう。


「というわけで!私の実績作りに協力してくれると嬉しい!」

「いや…今までの話聞いてた?」

「うん。蒼君が何か理由があって目立ちたくないっていうのは分かった。でも大丈夫!その“何か”を私が解決してあげるから!」

「……」


 胸を張ってそう言った彼女に俺は折れるしかなかった。

目立ちたくない、というのは言い換えると人と距離を縮めたくないということで。

如月美月と一緒にいると目立つだろうが、そもそも同じクラスで隣の席だから多少話していても違和感はないだろうし、今日の様子を見ても如月美月に集まる人たちは彼女にしか興味がない。

俺に話しかけてくるような生徒はいないだろうし、そもそも俺が関わらなければいいのだ。

そう、都合のいいように解釈を変えて無理に納得させた。


「分かった…。分かったから腕離せ」

「あ、ごめんなさい。つい」


 いつの間にか俺の腕を掴んでいた彼女の手が俺の発言ですっと引いていく。

女子にこうも距離を詰められた経験はほぼない。動揺していたのかもしれない。


 とにかく、今日のミッションは無事に自宅に帰宅することだ。

分かった、と首を縦に振らなければきっと彼女は俺を解放はしないだろうなと思った。

ありがとう、と何度も瞳を輝かせて頷く彼女の自宅を出たのはそれから三十分後だった。


 結局彼女の言う実績作りが一体何を指すのかは聞かなかった。

高級そうな香りを部屋中に充満させていたあの紅茶を飲んだのは帰り際で、冷めきった紅茶の味がいつまでも口内に居座っていた。




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