第2話 如月美月は普通ではない
「空いている席に座ってくれ。じゃあまずは一人ずつ自己紹介をしていこうか。ちなみに、この席順は俺が事前にくじで決めたものだ。なんというか名前順だとつまらんだろ」
担任の清水が誇らしげに顎をくいっと上げて席順がどうして名前順ではないのかという理由を説明したがクラスのほとんどの生徒は聞いていないようだった。
如月美月が俺の隣の席から視線を外すことなく、一歩ずつ丁寧に進む。
皆の視線はまだ彼女に向いていた。
俺はようやく自分の席の隣が何故空席なのか、ようやく理解した。
(…最悪だ)
出来ればここで大きな溜息一つ溢したいところだが、やめておいた。
如月美月がクラス中の視線を集めたまま俺の隣にゆっくりと座った。
右となりの女子生徒ににっこり笑って「よろしくね」と挨拶した後、その表情のまま俺の方へ顔を向けた。
事務的なその行為が、俺を見て一瞬停止した。
「…よろしくね」
「…よろしく」
瞬きを三回してから正面を向きなおした如月美月のその反応から見て、やはり俺のことを覚えているようだった。
ホームルームでそれぞれ自己紹介をしてから、すぐに一学期のテストの予定を共有された。
それから放課後に行われている自主学習についても説明を受けた。
放課後の自主学習は、正確に言うと一般的な自主学習ではない。
自主学習とは例えば放課後に授業の復習をするとかテストが近いからテスト範囲を重点的に勉強するとかそういう学習時間ではない。
俺の通う高校の自主学習というのは現時点で目指している大学の二次試験対策を兼ねたもので、目指す大学の偏差値でクラスが別れ、教師が教壇に立っている。
これは強制ではなく、自主的に申し込むタイプとなっている。
もちろんクラスの半分くらいは塾や家庭教師を雇って学校の授業以外の勉強時間を増やしているから全員が申し込むわけではない。
ただ、俺の通う桜彗学園は元々学校の授業以外にもこうした放課後に自主的に行われる学習時間を大切にしている。これが親からの評判がいいようだ。
二年生ということで、受験勉強に向けて本腰を入れなければいけないこの時期に、珍しい転校生。
その転校生が、この間大男たちを華麗に倒した美少女で、しかも俺の席の隣…。
何度も心の中で溜息を溢しながら、あの件のことは覚えていない振りをすることにして授業の合間の時間は窓の外を眺めていた。
しかし、転校生ということもあって俺の席の周りはたくさんの女子と男子が群がっている。
「如月さんって、あの如月グループの?!え、待って!とんっでもないお金持ちじゃない?」
「そうなの?!」
「まぁ…そうですけど…別にみんなと一緒ですよ?そうだ、皆さんの趣味とか教えてください」
口調も笑い方も何もかも、先日会った少女とは違う。
別人ではない、顔も背格好もそのままだ。それなのに纏う雰囲気、空気感…表現しにくいが別人ではないのに別人のようだった。
隣から嫌でも聞こえてくる会話で彼女が如月グループのご令嬢だということがわかる。
如月グループといえば日本にいて知らない人はいない総資産300兆を超える財閥の一つだ。
「凄いよ、如月さん!だってうちの学校って転入の方が難しいでしょ?テストどうだったの?」
「そんなことないですよ。ぎりぎり食い込んだって感じです」
あまりにも俺の席の周囲が煩すぎるので俺は席を立ち、授業が始まるギリギリまで教室を出ることにした。
席を立って如月美月を一瞥する。
彼女は口元に手をやり上品に笑っていた。
…―…
…
午前の授業が終わっても如月美月の席の周りには人だかりが出来ている。
鬱陶しいのだが、彼ら彼女らは皆如月美月のことしか見ていない。噂は直ぐに学年全体に広がったようで他のクラスからも彼女を見るために教室のドアから野次馬のように集まってくる。
男女関係なく、口を揃えて彼女のことを「美人」「可愛い」と名門学校の生徒だというのに語彙力を失い、ただただそう口にしていた。
昼食は翔太と一緒に翔太の席で食べることになった。
俺は売店で適当に買ったサンドイッチと自販機で購入したコーヒーを机の上に置いて缶コーヒーを開けた。
それをみた翔太が「なんかOLみたいな昼食だな」といったがOLみたいな食事って何だろうとサンドイッチを頬張りながら考えた。
翔太は母親が弁当を毎日作ってくれているようでいつも手作りの美味しそうなそれを満足そうに平らげていている。家族の話も良く出てくるし反抗期というものが翔太には無さそうだと思った。
「それにしても凄い人気だな、如月さん」
「あぁ、確かに」
あの事はもちろん他言する気はない。そもそも俺から関わることは絶対にない。
あんなに目立つ存在の彼女に近づきたいとも思わない。
一緒に隣を歩くだけで、俺の平凡な学生生活が崩れ去りそうだと思った。
適当に返事をしたのがバレたのか、翔太は目を細めて
「おいおい、お前本当に興味ないのかよ」
と怪訝そうに言う。
「俺には関係ないから」
「関係ないって、同じクラスだろ?聞けばあの如月グループのお嬢様だってよ。見た目だけ見ても確かにそうだよなぁ。雰囲気が違うじゃん、他の子と。なんていうか、可愛らしいし、美人だし、高校生に見えるけど離れてみるとさ、なんていうか…大人っていうか。大人びて見えるっていうか」
「わかるよ。翔太のいうように雰囲気が大人なんだと思う。仕草一つとってもとても高校生には見えない」
「そうだよな!!あれで運動も出来て勉強も出来たら“完璧”だよな」
俺は曖昧に返事をした。
如月美月の周囲には放課後まで人が群がっており、隣の席の俺はそれが鬱陶しい反面、彼女とは直接かかわることがないことに安堵していた。
部活動に入っていない俺は放課後になるといつもすぐに帰宅する。
自主学習は今のところ入る予定はない。しかし、さすがに二年生ということもあって、塾にも通っていない俺はそれに入るか揺らいでいる。
それほどこの学校に入学したとなれば、目指す大学の壁は高い。
ただ俺がこの学校に入学したのはいい大学へ進学したいとか将来の夢があるとかそういう立派な目標があってのことではない。
“あの事件”のせいだ。
騒がしい教室を抜けてまっすぐ廊下を歩いていると俺の横をすっと通り抜ける生徒を視線の端で捉えた。
しかしすぐにそれが如月美月だということに気付いた。
彼女は俺を追い抜いていったかと思うとその足を止めて振り返った。
緩慢に振り返り、その吸い込まれそうな綺麗な目を向けてくる。やはりあの時の少女だと確信する。
「隣の席の波多野蒼君ですよね。少しお話があります。お時間がございましたら私についてきてくれませんか」
「…無理」
如月美月はまさか断られるとは思わなかったのか大きな瞳を更に大きく見開いて視線を右下へ逸らすがすぐにそれが俺の方を向く。
口元に微笑を浮かべたまま、一歩俺に近づく。
「お願いします」
真剣な彼女の表情を見るに、よほど“あの事件”を口止めしたいようだった。
「俺と君は今日初めて出会って、たまたまクラスが同じでたまたま席が隣になっただけのクラスメイトだから」
心配はご無用だ。俺はそもそも誰からも存在を認知され、あんな強烈な印象を一瞬で与えてしまう君と関わるつもりはないんだ。
それを直接言うことはせずに、遠回しに伝えた…つもりだった。
俺は如月美月の脇を通り過ぎようとした、その時。
彼女が俺の腕を掴む。
ちょうど俺の背後から「如月さーん」と女子の呼ぶ声がしてその隙に逃げようとしたが、華奢な女子高生とは思えないほど彼女の握力は強く俺は思わず顔を強張らせていた。
「ごめんなさいね。この後波多野君とちょっと用があって。明日でいいかしら」
「あ、うん。分かった!ごめんね、呼び止めちゃって」
俺を挟んで背後で納得したような返答が聞こえると如月美月は俺の心臓を射抜くように真っ直ぐに力強く見つめる。
息が止まりそうだった。
「行きましょう」
強引だった。強引という言葉以外見つからない。
如月美月は俺が付いてくると確信してからようやくその手を離した。
おそらくその間にもたくさんの生徒に今の光景は見られているだろう。
周囲を見渡してはいないが、様々な方向から視線を感じる。
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