仮面令嬢は俺の前でのみ素顔を見せる~ただ静かに暮らしたいだけなので俺に懐くのはやめてください~

南雲いちよう

第1話 嫌な出会い

 人と関わることは好きじゃない。元々の性格もあるだろうが、“あの事件”以来、高校三年間は静かに暮らすことを決めていた。

それなのに…―。

運命は残酷なのかもしれない。



 三月下旬


 ちょうど桜の花が葉桜へと姿を変えようとするこの時期、学生たちは大抵春休み期間だろう。


 俺も四月からは高校二年へと進級する。

今日は友人の一人である(数少ない友人の一人)杉浦翔太すぎうら しょうたに誘われ、池袋で昼食を食べてから大量に出された課題の進捗を駅近くのマクドナルドでお互い確認し合っていた。いや、お互いというよりも“翔太の方が『これどこまでやった?』とプリントを広げ、真っ白な解答欄を俺に見せながら教えを乞う時間“といった方が正しいかもしれない。

 俺たちの通う私立桜慧学園は文京区に位置する都内有数の進学校だ。都内でも偏差値はトップ3に入るほどに難しい。

 そのため、日ごろの課題は多いし授業のスピードもおそろしく早い。だが、実際に入学して思ったのは受験に勝ち抜いた学生たちとそうではない他の学生に学力以外の差はほとんどないということ。他愛のない会話をして、誰が可愛い、誰と誰が付き合ってる、最近はやりの音楽…―授業以外の会話はそんなどうでもいいような言葉で埋め尽くされていた。


 俺が所謂高校から入学した“外進生”であるからそんなことを思うのかもしれない。


 ちなみに翔太は中学からエスカレーター式で上がってきており内進生だ。

短髪の如何にも運動が出来そうな見た目の翔太が(実際は帰宅部で運動は苦手らしい)目を輝かせながら『二年生も同じクラスがいいよな』と言ってくれたことを思い出しながら一人で宇田川交番の辺りを歩いている時だった。昼間とはいえ、治安のいいとは言えないこのあたりで、ちょうど前方から歩いてきた三人組の若い男の一人と肩がぶつかった。



 大柄で色黒の目つきの鋭い男が「ああ?」とドスの効いた声を俺の背中に向けて放つ。

振り返らずともその足音が踵を返したのが分かった。

 こういう揉め事は避けて生きていくタイプだ。これまでも、これからも。

だが、逃げる間もなく、男たちは俺の肩を無理やり掴むと勢いよく体を回転させた。

嫌でも目があった。リーダー的な役割を担っていそうな長身で体格のいい男は「申し訳ございませんでしたも言えないのかよ?俺のダチが骨折しちまったじゃねーかよ。治療費出せよ」と唾を飛ばしながら決まり文句のように言う。


 そいつの両横には170センチほどの身長で、棒のように細い足が印象的の長髪の男と、同じく身長は170センチほどで栄養失調ではないかと思うほど色の白い男がニヤつきながら立っている。

どちらも十代に見えた。


「そもそも謝るつもりはない。お前らが故意にぶつかってきたんだろう」

「…おい、その言葉後悔するなよ」


 謝罪をする気はなかった。

喧嘩が強いわけでも、柔道を習っていたわけでもない。

運動は苦手ではないが、好きでもない。毎日筋トレしているわけでもない。


―面倒ごとには首を突っ込まない


 そういうことには関わらないで生きていくはずだった。

 恐らく俺のこの数十分後は最悪な結果を迎えるであろうことは思考停止していても分かることなのに、それなのに。


 俺は謝る気はなかった。

こういう奴らのやり方を見るに、幾度となくこのやり方で恐喝や暴行をしてきたのだろう。

何となく、それが癪だった。

 成功体験を作ってやることが嫌だった。

とはいえ、このままいけば俺はただ殴られて顔面腫らしたまま近くの宇田川交番にお世話になることになるだろう。

両親は海外赴任をしており、一人暮らしをしている今、こうして迷惑をかけることはしたくなかった。


「おい、聞いてんのかよ。おめーみてぇな弱っちいのに虚勢を張るような奴がいっちばんむかつくんだよ」


大男は俺の胸倉を掴んだまま、人通りの少ない路地裏に俺を連れていく。

逃げようにも逃げられなかった。


「早くぶん殴ってやろうぜ」


 いてもいなくてもよい存在感を発する小物たちが煽るように言う。


 大男が俺の胸倉を掴んだまま拳を上げる。

目を閉じた方がいいのか、閉じない方がいいのか、とりあえず歯を食いしばっておくべきか、そんなことを考えた瞬間…―。



 どこからか「何してんのよ」と透き通った声がした。

ここには男三人しかいないはずだったのだが、ちょうど視線を右横へ向けると紺色のパーカーを羽織り、膝丈のプリーツスカートを着た小柄な女の子が立っていた。


 それも、仁王立ちをしている。


 胸元までの綺麗なストレート髪を揺らして俺たちを睨みつける。

小顔なのに、目が大きくくりっとしているせいか逆にバランスがおかしいように感じてしまう。すっと通った鼻も日本人離れしており、ハーフなのではないかと思った。


「…なんだ、お前。女がクビ突っ込むなよ」


 俺の胸元を掴むその手が止まった。

大男も眉根をひそめ、この状況に理解が追い付いていないようだった。

小物たちなんか声すら出ていないようだ。


横目で彼女を捉えると「…逃げろって」と、忠告した。


正義感の為かもしれないが、女性がここにいることは危険だ。

しかし彼女は俺の言葉が届いているのかいないのか不明だが、堂々とした佇まいのまま言った。



「三対一って…恥ずかしくないの?どう見てもその人、一方的に殴られそうになっているじゃない」

「ああ?お嬢さんよ、俺たちの邪魔したいならただじゃすまねぇよ」


 既に男の手が俺から離れていた。

舌なめずりをしてゆっくり彼女に近づくそいつに、俺は何も考えずに飛び掛かろうとした。

が―…。


「う…、」


 何が起こっているのか分からなかった。

細くて今にも折れそうな足が大男の腹にストレートに入っていた。まさか蹴りを入れられるなどと思ってもいなかった男は直ぐに膝を折り、口から唾液を出す。


「お前、…っ、」と今度は体勢を立て直そうとする男の目に完全に怒気が宿る。


 男が彼女に思いっきり殴りかかろうとしたが、彼女はそれを息をするように避けると顔面ストレートを決め込む。

 俺も小物たちもただただ唖然としてそれを見ていた。まるで映画のワンシーンのように思えた。

完全に男が倒れ込む。その間、彼女は指一本触れさせていない。

倒れ込む男を見下ろしていった。


「なめんなよ」


 彼女はそう言うと俺に目配せして走り出す。俺も後を追うようにして走った。

池袋駅改札前まで来ると、ようやく彼女が足を止めた。

はぁはぁ、と息を切らして俺を見あげる彼女は口角を上げて無邪気に笑う。

笑うとえくぼが出来ていた。真っ黒な瞳を見ていると呑み込まれそうになる。

初対面だというのに、あまりの美しさにそう思っていた。


「ごめんね!急に助けちゃって」

「いや、こちらこそ。ありがとう」

「同い年くらいかな?ま、もう会うことないと思うけど助かってよかった!じゃあ、私用事があるから」


 そう言って颯爽と去っていく彼女はまるで風のようで。

見た目の美しさからはかけ離れたあの強さと、そして無邪気さ。

今まで出会ってきた誰よりも不思議な人だと思った。

 お礼を軽くしか出来なかったが、確かにもう会うことはないだろうと思ったから俺も彼女とは別方向に改札を抜けた。

しかし、あの強烈な印象を与えた彼女のことを今後忘れることはないだろうと思った。


♢♢♢


「今週一発目からテストってほんとしんどいよねー」

「わかる、わかる。受験モードになるからっていうのも分かるけど、定期考査以外のテスト多すぎる」

「しょうがないじゃん、私たちの学校ってそれなりに頭いいんだもん。親と学校の両方の期待を背負ってんだから」


 廊下に張り出された二年二組と張り出された大きな紙に俺の名前を発見して、クラスに入ると既に女子が固まって課題のことやテストの愚痴を言い合っている。

直ぐにグループとなっているのを見ると、前回も同じクラスだったのかもしれない。

もしくは同じ部活同士で一緒に固まっているのか。


 俺は黒板に張り出されている座席教を確認して窓際の席に移動した。

あまり目立つようなことはしたくないし、そもそも人と関わることは苦手だった。

1人の方が気楽でいい。



 新学期特有のソワソワした雰囲気が充満したクラスで、俺は一人自分の席の椅子を引いて座るとそのままボーっと窓の外に目線を移した。

ドン、と机をたたく音と振動を感じ目線を移すと目の前に翔太がにんまりと口角を上げて笑っている。


「やったな、同じクラスだ」

「うん。そうだな」

「新しいクラスもパッと見だけど良さそうじゃないか」


 そうだな、と相槌を打ったが、俺はぱっと見た感じで良さそうかそうじゃないかはわからない。そんなことをあえて言うほど俺は皮肉れてはいない。


「あー!蒼君、同じクラスだ!良かったー!これで勉強また教えてもらえる」


 俺と翔太の間に割って入ってきたのは一年の頃も同じクラスだった佐倉一華だった。ボルドー色のチェック柄のプリーツスカートを揺らしていつも綺麗に切り揃えられているボブヘアの彼女は社交的で常に周りに人がいる所謂陽キャだ。

 太陽のように彼女の周りは常に明るい。俺とは真逆の存在なのだが、一年の頃に勉強を一度教えてから人懐っこく声を掛けてくる。

 可愛らしい顔立ちだが、身長は160センチはありそうで髪型も相俟って運動部に入っていそうなのに、彼女は吹奏楽らしい。

たまに楽器を背負って移動しているのを見るが佐倉が何の楽器を演奏しているのかは知らない。


 翔太は佐倉が距離感ゼロで「翔太君も同じクラスだ!よろしくね」と言われ顔を赤らめていた。

俺も適当に返事をして、佐倉が他の女子に呼ばれ俺たちから離れると翔太がこそっと耳打ちした。


「ほんっと、可愛いよな。佐倉さん」

「まぁ」

「まぁって、蒼!お前本当に可愛い子に興味ないよな。なんでだ?!」

「興味ないわけじゃないって」


 適当にあしらっていると担任が教室のドアを開けて入ってくる。と、同時に皆、自分の席へ戻っていく。

あたらしい担任は実際の年齢は知らないが化学を担当している清水という男だ。

下の名前は知らない。おそらくここにいる約40人の生徒のほとんどが下の名前は知らないと答えるだろう。

しかし、そのようなことを考えていた俺の脳みそが完全に思考停止した。


 それは担任の後ろから少し距離を開けて教室に入ってきた“転校生”が視界に入ったからだ。



 クラスの空気もその転校生であろう少女を見て息を止めたのがわかる。

皆がその少女に釘付けだった。

さらさらと流れるように歩く度に揺れる艶のあるセミロングの髪、まるで人形のように整った美しい顔、長くて細い手足、同じ制服を着ているはずなのに彼女がそれを着て教卓の前に立つだけで別空間にでもいるように錯覚する。

しかし俺が何故ここまでその転校生から目が離せないのかというと、別に美人だとか可愛いからとかそんな陳腐な理由ではない。

もちろん、はっと目を惹くような存在だというのは間違いない。”短い人生の中で”だが今まで出会ってきた中で一番綺麗だと思う。

しかし、それだけではないのだ。


「えー、本校では珍しい転校生です。如月さんです。あ、僕の名前は清水武弘です。化学担当なのでよろしく」

担任の下の名前は直ぐに右から左へ流れていく。

クラスの皆も視線を転校生から離せずにいる。

「初めまして。ロサンゼルスから桜彗学園に転校してきた如月美月きさらぎ みつきと申します。日本には小学生までは暮らしていたので久しぶりに戻ってきて懐かしい気持ちです。まだ緊張していてうまく話せるかわかりませんが皆さんと仲良くなりたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします」

簡単ではあるが、完璧な自己紹介をしてみせると、彼女は御手本のようなお辞儀をした。

―如月美月

彼女はあの日、大男に襲われていた俺を助けたあの少女だった。


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