第4話 縄文人という宗教

私の場合、無宗教というか「自分は縄文人である」という自己認識・アイデンティティー(自分が自分であるという自己証明)で生きており、このまま死んでいくつもりです。

青森県の三内丸山古墳(1万年前)を訪問した時に感じたのは、縄文人世界とは、教祖とか現人神(天皇という人間を、神と崇める)なんて存在しない、真に平等意識を持つ、風通しの良い・安心できる社会であったということでした。

古けりゃ良い、というわけではありませんが、(私の宗教ともいえる)縄文人信仰とは、ユダヤ教やキリスト教、仏教やイスラム教、天理教や創価学会なんぞよりも、桁違いに古い。

なによりも、宗教につきもののお金が要らない。

日々、「ああ、おれは1万年前から続く縄文人(の血筋・血統・家系)なんだ。」と意識していれば幸せなんですから、こんな気楽な信仰はありません。

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