第9話 本日限りの関係(3)

 通話ボタンを押してしばらく待つ。長いコール音の後、ようやく向こうの声が聞こえた。


 『……悪い、寝てた』


 電話越しの川瀬かわせ先生は欠伸混じりの声でそう言った。働けよ公務員。


「もしもし川瀬先生? 小鳥遊たかなしです」


「川瀬先生、私だよ! 星宮ほしみやつゆり! 私を料理部に入れてもらおうか!」


 電話をスピーカーモードにしてテーブルに置くと、かちゃかちゃがやがやとせわしない環境音の中から声が聞こえる。


『あいよ、わーった。同じ部活にいてくれると、こちらとしても都合がよくて助かる』


「「?」」


 川瀬先生の発言の意図があまり理解できなかったので、言葉にならない声で聞き返す。


『いやほら、ハンムラビ法典ってあるじゃん。目には目を、歯には歯をってやつ』


「せんせ、私たち理系だから。文系教科ちょっとわからない」


 ハンムラビ法典知らないって、お前どんな生き方してきたんだよ。義務教育の敗北ェ……。


『そうだな……。負の数と負の数のせきは正の数になるだろ。それと同じだ。問題児同士がくっつけばそれすなわちプラスの方向に改善が――――』


「ちょ、俺のどこが問題児なんですか。遅刻もしないし授業もしっかり受けてるんですけど」


 それに加えて料理ができる。俺のステータス圧倒的すぎて俺TUEEEE系のラノベ書けるまである。

 というかこれハンムラビ法典関係ねぇよ。目には目を歯には歯をってそういう意味じゃないから。


『お前、それ以外が致命的じゃねぇか』


 ひでぇよ。


『とにかく、俺は料理部を立ち上げられるように動くから、お前たちもそのつもりで明日は来いよ』


「うす」


「はーい!」


 と、会話が一段落したところで店員さんが注文したものを運んできた。それを見て星宮が通話中の俺のスマホに手を伸ばした。


「あっ。お料理来たから電話切りますね。せんせ、んじゃまたねー」


 返事も待たずに容赦ようしゃなくブツッと切ると、スマホを俺の方へ押し戻した。


「お待たせいたしました」


「うわはぁぁぁ……」


 お盆からテーブルに移される料理を見て、星宮の口元がゆるむ。


 ブリュレパフェ、ヨーグルトジャーマニー、プランタンパフェ、いちごのパンケーキ、シーザーサラダ。

 

 テーブルの上が料理で埋め尽くされていく。


 待って、ちょっと量多くない? 多くない? 絶対多いよ。


「ごゆっくりどうぞ~」


 店員さんは透明の筒に感熱紙かんねつしの伝票を差し込んで、しゅばばっと帰っていった。


「すっげー、めっちゃいちごだ! まさしく満漢全席まんかんぜんせきじゃん。豪遊ごうゆうしてるって感じ」


 星宮が興奮でテーブルをがたがた揺らす。落ち着け、ステイ、ステイ。


「そんじゃ、最初に食べたいやつをせーので指そ。いくよ? せーのっ」


 俺はパンケーキで、星宮はヨーグルトジャーマニーを選んだ。互いにそれを正面に持ってきて、テーブルの上を少し整理する。


 俺はパンケーキの全貌ぜんぼうを解析していく。香ばしく焼かれたきつね色の表面に、粉砂糖がまぶされている。中央にはとぐろを巻いた生クリーム。皿の端にはココットに入った小さなクレームブリュレと、バニラアイスが添えられていた。

 

 別添えのメープルシロップをその上にかけると、シロップは粉砂糖にはじかれながらパンケーキの上をつたっていく。


 シャクッ。


 ナイフがまるで豆腐を切るかのようにすっと入った。行き場を失って水溜まりとなっていたシロップが、切れ込みの間を流れていく。それをしっかりからめて、一口。


「うんまっ! なにこれうまっ!」


 美味うますぎて腰が少し浮いた。

 シロップが少し温かくなっている。そんでもってこのくだかれたナッツみたいなやつの正体はピスタチオか! さすがナッツの女王。パンケーキとの相性ももうぶんない。 うんうん、こりゃ止まらんな。


 星宮が手をつけたのはいちごのヨーグルトジャーマニー。ジョッキのように大きなグラスに入ったそれ。いちごの赤色と、ヨーグルトの白がグラスの中で混ざり合い、ピンク色のグラデーションをえがいていた。


「へへへ……。これやばい! カロリーの味がする!」


「安心しろ、宮城県民には『ゼロカロリー理論』を唱える権利がある。例えばこのパンケーキはふわふわでほぼ空気。よってカロリーなんてほぼないから気にする必要ない」


 某惣菜パンマンさんは宮城の誇り。たまにイベントで勾当台こうとうだい公園あたりに来ると、わざわざ見に行っちゃうくらいには好き。

 

 星宮は小さい口で頬張りながらこくこくと頷く。そして口の中を空にすると、スプーンを置いてシーザーサラダに手を伸ばす。


「甘いのばっかだと疲れるから、先にシーザーサラダ分けるね。」


 星宮は新品のフォークを使って丁寧にシーザーサラダを取り分け、俺に差し出してくる。


「ほい」


「さんきゅ」


 テーブルの上で皿を受け取り、パンケーキの隣に置いた。

 見ると、ロメインレタスと思わしき野菜と数種類のハーブが確認できた。その上にどりが添えられ、クルトンが散らされている。


 しゃきっ、さくさく。


 サラダを口にすると、二つの食感が口の中で踊った。少々暴れ気味のハーブをまとめる、シーザードレッシングのまろやかな酸味。


 くっそうめぇぇ! まさに今求めていた味だ。甘かった口を一気に侵略し、さっぱりとさせた。

 

 甘い、しょっぱい、甘い、しょっぱい、ふわふわ、しゃきしゃき、さくさく。


 パンケーキとシーザーサラダが、味覚と食感の永久機関えいきゅうきかんを作り出す。


 気がつけばシーザーサラダもパンケーキも完食していた。

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