第2話 春の熱帯魚

 お説教も終わったようなので、職員室を後にしようときびすを返すと川瀬かわせ先生が俺を呼び止める。


「なあ、小鳥遊たかなし


 ほぼ歩き出していた左足を軸に体を回転させて、先生の方向へと向きなおす。


「まだ何か?」


「お前、料理以外で趣味ってあるのか?」


「ないっすね。強いて言うなら寝ること。寝るとか超神でしょ」


「それは趣味じゃなくて生理現象っていうんだ」


 ほんとだもん。よつぎ、うそつかないもん。

 この世の不条理に嫌になったり、忘れたくなるようなことがあったりしたときは寝るに限る。寝ると強制的に思考をシャットダウンして、すべてをリセットできる。ついでに体力も回復できるとか明らかに神だろ。全人類、しっかり睡眠を取ったら争いは生まれない。


「質問を変えよう。小鳥遊は料理以外に何ができる?」


 何言ってんだこの人。


「先生はマラドーナやペレにサッカー以外の特技を求めるんですか?」


「お前はあくまでレジェンドたちと肩を並べる気か」


 川瀬先生はあきれたようにため息を吐く。

 せっかく若いんだから夢はでっかくなくちゃね。


「小鳥遊、お前はあれだな。達観しているようにみえて手がかかる。熱帯魚かよ」


 川瀬先生は椅子の背もたれに体を預け、キャスターで少し後ろに下がった。


「そんなきらびやかに生きてるように見えますか」


「熱帯魚はすぐ死ぬからな」


「あっそ。で、これ何の話ですか?」


 川瀬先生はふむと鼻を鳴らすとコーヒーを一口。そしてうれう目でこちらを見てくる。その目はやめろ。その、かわいそうなものをまじめに心配するような目はやめろ。


「少しでも趣味や特技があれば高校生活を楽しめて、小鳥遊もまともな人間になると思ったんだが……」


 今はまともではないと言いたいのか。なんだこいつむかつくな。

 しかもどうして今は学校生活楽しめていない前提なんだ。


「先生の中で俺はどれだけ悲しい奴なんだよ」


 川瀬先生はわははっと大きく笑うと、サイドの髪を耳にかける。


「やることないなら俺と一緒にコスプレやるか?」


「何その地獄みたいな提案」


 川瀬先生のコスプレ写真は女装が中心で、一言で表現すると非常にエロい。なんならそこらの女性コスプレイヤーの数倍はかわいい。

 持ち前のスタイルとシリコンバストを使って男を殺しに来るのだ。なんかこう、男子高校生のアレを悶々もんもんとさせる成分が含まれているのである。

 つまり俺が川瀬先生とコスプレをしようものなら、その写真が学校内に流出して誰かの夜のオカズにされかねない。それだけは絶対嫌だ。


「小鳥遊は素材だけはいいからな。今から始めれば夏コミまでにはなんとか……」


「いや、やらない。やらないから。もう教室戻ります」


 卓上カレンダーを見て本気で確認を始める川瀬先生を見て危機感を覚えたので、競歩選手ばりの早歩きで職員室を抜け出そうとすると、再び声がかかる。


「あーそうそう。今日の始業式、お前の表彰あるからサボるなよ」

 

「あの、始業式って意味あります?」


「しーらねっ。でもまぁ、お前の功績を学校中に認めさせるにはいい舞台になるんじゃね?」


 川瀬先生は一気に二本目のコーヒーを飲み干し、ぽーいと足元のゴミ箱にほうった。


「俺、別に地位とか名誉のために料理やってるわけじゃないんですけど……」


「そりゃ欲がなくていいこった。でも、持っといて損はないからな。もらえるもんはもらっとけ」


 川瀬先生にドヤ顔グーサインを突きつけられたので、俺もグーサインを胸のあたりに作った。


「うす。じゃ、教室戻ります」

 

 俺は今度こそ職員室を抜け出し、朝礼前でピリついていた空気から脱したのだった。

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