第4話 THE FIRST ZOMBIE

「七月十七日、ケージの中に入れたゾンビネズミが他のネズミを襲う様子はない。それはゾンビアメーバが高い攻撃性を見せたのとは対照的だ」

 私は親指でボイスレコーダーのスイッチを押した。実験結果をボイスレコーダーを使って記録して行くのが私のスタイルだ。思考の飛躍を求めて研究室の中を歩き回る。多少狭いが私専用の研究室だ。

「ネズミがゾンビ化しない理由として哺乳類の知能の高さが考えられる。つまり、高い知能を持つ生物は低脳なゾンビにはなり得ないと言う事だ」

 私はボイスレコーダーのスイッチを離し、白衣のポケットにしまった。

「これで良かったのかもしれないな。ゾンビの研究なんてまともじゃない。上層部は怒るだろうがな」

 その時、頭に何か落ちるものがあった。手でまさぐると、それはクモであった。

「なんだ。クモか」

 突然、指先に痛みが走り、「いてっ」と悲鳴を上げると共にクモを振り落とした。

「このクモ噛みつきやがった。まさか!」

 俺はハッとしてクモを踏みつけた。ゆっくりと足を離すとクモが生きているので、再び踏みつけた。

「生きてる!こいつゾンビクモだ」

 私はケージを振り返った。

「まさか、このネズミ、俺を油断させて、クモを利用して噛み付いたのか」

 私はクモを確実に殺すことにした。足をグリグリと捻ってすり潰す。「くそー」思わず悪態が出る。足を離すとクモは動かなくなっていた。

「死にやがったか」

 次いでネズミのケージの前まで来る。

「このネズ公が。ぶっ殺してやる」

 私は薬品棚から硫酸を取り出すとケージの上からネズミ目掛けてかけた。ネズミが溶けて無くなるのを最後まで見届けた。

 噛まれた指を見る。傷口の広がり具合を見て思わず目を逸らす。泣きそうになる。

「傷口が広がってる。俺はゾンビになるのか?何でこんな事になった?このくそネズミのせいか?このくそネズミの罠にハマったせいか?」

 私は首を振った。

「違う。俺がゾンビの研究なんかしなければこんな事にはならなかったんだ」

 私はポケットにしまったボイスレコーダーを取り出した。

「七月十七日。どうやらこの実験は失敗の様だ。ネズミもゾンビにならずに死んでしまった。今日を最後にこの実験は終了しようと思う」

 ボイスレコーダーを机に置くと、資料をシュレッダーにかけ、パソコンのデータを消去した。

「この実験は封印しなくては」

 急に左手が痙攣を始めた。俺は必死にそれを抑え込む。

「ああ、ああ、やめろ、やめてくれ」

 右脚まで痙攣を始め、俺は立っている事ができなくなった。やがて痙攣は全身に広がり俺は意識を失った。

 

 どれくらい時間が経ったであろうか?意識を取り戻した時、私は飛び起きていた。いや、飛び起きたつもりだが、その動作は緩慢で、両手は力なくダラリと垂れ下がっていた。

 慌てて心臓の鼓動を確認する。

「心臓が動いていない」

 慌てて脈を確認する。

「脈がない」

 私は失意から目眩を覚えて、フラフラと後退り壁にもたれた。しかし目眩を覚えると言うのも観念的なことで、実際には、頭痛などはなく、壁にぶつかった衝撃させも感じなかった。私は襲ってくる絶望感のため頭を抱えてしまう。

「俺はどうなってしまうんだ?人を襲うようになるのか?俺が人類を滅ぼしてしまうんだ」

 その想像は私の心を破壊するのに十分だった。しかし、ふと、恐怖が疑問に変わり、私は顔を上げた。

「恐怖?俺は恐怖を感じている。感情があるんだ。思考能力もある。そう言えばゾンビネズミも高い知能があった。」

 その時、研究室のトビラが開き、私はギョッとして振り向いた。そこには研究員仲間の古橋が立っていた。

「何だ、古橋か。悪いが1人になりたいんだ。用が無ければ帰ってくれるか?」

 古橋はケージを指差し、研究がどうなったかを咎めてきた。

「ああ、これか?見れば分かるだろ?ゾンビネズミは跡形もなく消えました。そう、俺がやったんだ。実験は失敗だよ。ゾンビどころかウィルスは死滅しちまった。まぁ、どだい無茶な研究だったんだ」

 古橋はしつこく実験はどうするのかを聞いてきた。

 私は古橋を追い立てながら言った。

「実験は終了だ。だからもう出ていってくれ、この実験室は閉鎖する」

 私は古橋を追い出すと慌ててパスワードを入力して扉にロックを掛けた。私は扉に背を向けると絶叫した。

「危かった!もう少しで古橋に噛み付く所だった。古橋の奴、なんて旨そうな匂いをしてやがるんだ。もし俺が古橋に噛み付いていたら、ゾンビになった古橋は林田さんに噛み付いて、林田さんは増本さんに噛み付いて、そうやって、そうやって、世界は滅んでしまうんだ」

 私は研究員仲間や、軍関係者を思って、扉の向こうを見た。「いっそ、ゾンビである事を告白するべきか?」しかしトビラの前まで駆け出して踏み止まった。

「ダメだ。奴らは俺がゾンビだと知った途端、研究を再開するだろう。この事は誰にも知られてはならない。そして俺は、絶対に人を襲ってはならない」

 私は考え事をする時の癖で、左脇の下に右手を挟み、左腕を立て、左の眉毛を弄りながら、研究室を歩き回った。

「……。取り敢えずは、ゾンビを治す研究をしよう。人間に対する食欲の変化から、特定の刺激に反応していることが分かる。単に繁殖が目的なら常に人間への食欲があるはずだ。

それが手掛かりになるかもしれない」

 私は腕を解いて、顔を上げた。

「治す方法が見つからないその時は、自分を殺す方法を考えないとな」

 私は白衣をハンガーに掛けると壁により掛かって腰を下ろした。

「疲れたな。少し休もう」

 壮絶な体の変化。それによる精神的な疲労。私はすぐに眠りに落ちてしまった。


 気付いたらトウモロコシ畑にいた。向こうから、古橋と林田さんがやってくる。私は立ち上がって二人を笑顔で迎えた。

「おーい。古橋、林田さん、こっちに来てみろ、こんなに大きなトウモロコシがなってるぞ」

 私はどこまでも続くトウモロコシ畑の終わりを見極めようと目を細めた。

「凄いよなぁ、このトウモロコシ畑はどこまで続いているんだろう?」

 林田さんはトウモロコシを収穫しようとしていたが、女の子の力では上手に千切れないようだった。

「ああ、ダメダメ、林田さん、僕がお手本見せるから見てて、こうやって、真ん中を持って一気にボキッとへし折ったら、少し捻りながら引きちぎると良いよ。」

 林田さんは私のアドバイスが効いたのか、上手に収穫できたようだ。

「そうそう、うまい、うまい。その調子でドンドン収穫していってよ。あれ?古橋は?おーい、古橋ー、どこ行った?

古橋ー、隠れていないで出てこいよー」

 私は古橋を探しながらも急激に眠くなり、その場にへたり込んでしまった。

「おーい、古橋、にょこいった?うにゅはしぃ……」

 


「……うにゅはしー、出てこいよ、こんなに大きなトウモロコシが」

 私はハッと顔を上げた。どうやら夢を見ていたらしい。

「夢か」

 私の腕にはトウモロコシではなく、人の腕が抱えられていた。

「何だコレは?人間の腕か?」

 左を見るとそこには死体となった古橋がいた。

「古橋!じゃあこれは古橋の腕か?俺は仲間を食べちまったのか?」

 私は友を食べたと言う事実よりも、今この場を見られたら全てが終わってしまうと言うことに恐怖し、頭の中は利己的な思考でいっぱいになった。

「こんな所を見られたら終わる。古橋すまん、堪忍してくれ」

 私は古橋の腕にかぶりついた。トウモロコシを食べるようにして。肉を食べ尽くすと、残った骨を二つに折り、両手に持った骨を交互に口に突っ込み、最後には自分の指まで突っ込んで、綺麗に平らげた。

 私はカマキリ虫がそうする様に、指を舐めて、自分の武器の手入れをする。しっかり仕上げ終わると、古橋本体に目をやった。

 重い腰を上げ、ゆっくりと古橋に近付くと、左足を両手で持ち上げる。と同時に勢いよくつま先にカジリ付いた。左足を食べ、右足を食べ尽くすと、腹の真ん中を割いて、大腸を引っ張り出した。恵方巻きを食べる様に、頭上から喉に流し込む。喉をならして一気に飲み込むと、呼吸の必要もないのに「ぷはぁ」と息を吐き出した。そしてカクンと首を傾け、古橋の腹部に視線を戻すと、心臓やら肝臓やらをゆっくりと口に入れた。内臓をすっかり頂いた私は割いた腹の部分に顔を突っ込んで、胴体部分の完食を目指す。

 ゾンビになった私は咀嚼と言うよりも人肉を腐らせて飲み込む、消化すると言うよりも吸収する様な感覚で喰らっていく。

 頭だけを残して全て食べ終わった。私は古橋の頭部を持ち語りかけた。

「人見知りな俺はこの施設で話せるのがお前くらいだったな。古橋、お前、何をしてたんだ?俺の研究を盗もうとしたのか?お前ゾンビ映画好きだったもんな?お前に借りた映画にもこんなシーンがあった。人間がゾンビに丸ごと食べられるやつ。古橋、ゾンビの矛盾を発見したぞ。ゾンビが人間を食べてしまったら、その人間はゾンビになれないじゃないか。こんな風に」

 私は古橋の頭にかぶりついた。簡単に食べ終わった。

 そしてTシャツとズボンを脱ぐとそれを使って床に広がった血溜まりを拭き取っていく。Tシャツが血でビチャビチャになると頭上で絞って飲み込む。それを繰り返し血溜まりが消えるとTシャツ事食べてしまった。残った血の跡は舌を使って綺麗に舐めた。

 古橋の肉体は片付いたが、唯一ペンダントが残った。私はそれを右手で拾い上げると、左手でロケット部分を掴んだ。

「今どきロケットか」

 開けると林田さんの写真が入っていた。

「予想通り林田さんの写真か。確か二人は別れたといっていたが、古橋のやつ、まだ未練があったらしいな」

 そんなことを言っていると、噂をすると影、林田さんが現れた。私はペンダントを握り込み腕を後ろに回す。

「林田さん、申し訳ありませんが、今、パンツ一丁なのでね。出直して貰えませんか?女性にこの様な醜態を晒すのは屈辱なのでね」

 しかし林田さんはなおも近づいてきた。

「え?古橋がいない?知りませんよ。この部屋には来てないですね」

 林田さんがいつまでも帰らないので、私は白衣を纏った。そしてさりげなくポケットにロケットを突っ込んだ。

「外泊したんじゃないですか?警備に確認しました?」

 林田さんはパンツ一丁の私に構わず、狭い室内で古橋を探した。私はそれをピッタリ後ろからくっついて、匂いを嗅ぐ。「そんな所にはいませんよ」と言いつつ、「良い匂いだ」と呟く。

 そんな事を三回繰り返して、林田さんは歩くのをやめた。

「そんなに古橋のことが心配なんですか?二人は別れたと聞いているんですが?」

 林田さんは突然泣き出した。

「わっ、俺が悪かったよ。泣かせるつもりじゃなかったんだ。お願いだから泣き止んでくれないか」

 私は猫撫で声で泣きくずれる林田さんを慰めることにした。そっと近付き、そっと抱きしめる。

「何があったか教えてくれるかい?」

 林田さんは、嗚咽を交えながら何とか説明してくれた。

 私はその内容に驚き、思わず顔を上げる。

「本当に?古橋がアメリカに?しかも君を残して?」

 気弱になっている林田さんの手を取り、目を真っ直ぐ見つめ、ありもしない重要な任務を与えることにした。

「良いかい、君の言う様に、研究資料を無断で持ち出すことだけは阻止しなければならない。もう一度説得してくれるかい?ただ、奴がそれでも言う事を聞かない場合、君も覚悟を決めて欲しい。いいね?じゃあ、古橋を探して来てくれ、頼んだよ」

 林田さんが研究室を出て行くのを見届けてから、人間だった頃の名残で過呼吸気味に息継ぎをした。

「はぁ、はぁ、はぁ、危なかった。林田さんを食べてしまう所だった。俺が女性を抱くなんて、ウィルスのせいで大胆になってる。だけど、食欲を抑え込んでやった。林田さんを救ったんだ。いや、人類を救ったと言っていい。俺は最初のゾンビであり、最後のゾンビであらねばならない」

 私は左のコメカミを人差し指でトントンと叩き、含み笑いをした。

「ゾンビネズミは高い知能を持っていた。ウィルスは脳を乗っ取ることにより知性を獲得している様だ。今も俺の脳を乗っ取ることにより、人格を獲得しているのが分かる。それなら、俺は乗っ取られた自分の脳に質問すればいい。ゾンビウィルスを駆逐する方法を。ほら、すでにその答えを教えようとしてくれている」

 私はポケットからロケットを取り出した。

「だがまぁ、ゾンビでいるのも悪くない。大胆な俺にあの女も満更じゃなさそうだ」

 私はロケットを開き、写真にキスをした。





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コーポ工房 怪々夢 @kekemu

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