第3話 屋上のパパオ

 決戦だ。コーポエリーゼのお高くとまった住人達は私の演技力を軽く見ているだろう。だから1人芝居をやってみろなどと言う舐めた発言ができるのだ。どんな難しい役柄でもやり切ってやるさ。かかってこい。口が聞けないコメディアンの役か?それとも二重人格の政治家の話か?キリスト最後の瞬間でもいい。私はプレッシャーから妄想を繰り返し、重圧で押し潰されそうになっていた。

 日曜日の午前10時。天気は快晴。心地いい日差しに誘われて住人達も出てくるだろう。私は震える足を必死で抑え、郵便受けの前で住人を待つ事にした。

 ドアノブを回す音が聞こえて身構える。そこにグレーのニットを着た半眼の男が現れた。片目を瞑るその様子は中二病患者か柳生十兵衛か。

「こんにちは」

「こんにちは」

初対面の私に笑顔で挨拶を返す。中々の好青年だ。私は早速勝負に出た。

「1人芝居のことなのですが」

「は?」

「ごめんなさい。何でもないです」

気味悪がらせてしまった。1人芝居は共通の入居テストでは無かったのだ。となると、いつどこで芝居をする事になるのか?それともあの女の世迷言か?時刻は11時。後1時間もすれば腹を空かした猛獣共が巣穴から這い出てくる頃だ。私はボディバックからミニあんぱんを取り出して、4つある内の1つを食べた。

 ミニあんぱんを全部食べてしまった頃、金属製の階段を駆け降りる音で私は振り返った。出た。オレンジのマスコットを肩に乗せた女だ。私は冷静な顔へと表情を作り直して声を掛けた。

「こんにちは」

「…こんにちは」

女は小声でぼそぼそと返事をした。そしてそのまま通り過ぎようとするので、私は慌てた。

「あの、1人芝居は?」

「は?」

忘れているだと?お前から誘ったのに?女は、初めて聞く韓流アイドルの舌を噛みそうなメンバーの名前を言われた時みたいに、『知らねぇよ。』と言う顔をしている。

 大騒ぎした割にはつまらないオチだ。何のことはない、私だけが舞い上がっていた訳だ。

 気落ちして俯いている私の視界からは、女の姿は消えて行った。いかにも芸術家気取りの女にありがちな着物にスニーカーを合わせていた。そのスニーカーに蹴っ飛ばされてオレンジのぬいぐるみが転がってきた。どうやら肩から落ちてしまったようだ。私はそれを拾い上げる。オレンジには目と口がついていた。

「オレンジ君落ちましたよ」

女を呼び止めるために少し声を張った。戻ってきた女は礼も言わずにそれを受け取ると、「トマト」と強く言った。私が何のことか分からず黙っていると、

「この子はトマトなの」と女は言い直した。

『知らねぇよ』と言ってやりたかったが、私はワークショップ仕込みの表現力で胸を使って『知らねぇよ』の動きをした。


 さてやる事がなくなってしまった。気分転換が必要だった。ここがコーポ工房ならDIYをしたり掃除をするのだが。ふとゴミ捨て場を見ると、扉の前にタバコの吸い殻が捨ててあった。

『どこのアパートでもゴミ捨てのマナーを守れない人間がいるんだな』

私は吸い殻を拾い上げた。とその時、背後を猫が通り過ぎた気がした。しかしそれは猫では無かった。宮崎パヤオだった。ハンプティダンプティの様に1頭身の体に、小さな手足でトコトコ歩いている。全長30cmくらいの生き物。だが顔はパヤオだった。

 パヤオはタバコをふかしながら、吸い殻をポイ捨てしていく。私はそれを拾いながら後を追った。

 パヤオは104号室と105号室の間にある階段を登って行った。105号室に住み始めて間もないが、絶対にこんな所に階段は無かった。階段はどこまでも続いている。コーポエリーゼが大きめのアパートとは言え、登っても登っても階段が続いて行くのは異常だった。ようやく屋上に出た時、そこには緑の森が広がっていた。突如として私を取り巻く世界が変貌を遂げた。驚いた事に私の体までもが小学生の頃の姿にかわっている。

「来たか」

そのパヤオに似た生き物は少し甲高い、だけど迫力のある声で言った。

「きみは何をやっている?」

「僕は俳優です」

「珍しいな、ここに来る人間は大概物書きなんだが」

「小説の類いを書いた事は無いです」

「書いてみろ、ここに来れると言う事は才能があると言うことだ」

「やってみます。すみません、この場所は何なのですか?」

パヤオに似た生き物は、(私はパパオと呼ぶ事にした)タバコの煙を大きく吐き出した。そして吸い殻入れにタバコをしまった。吸い殻入れ、持っていたのか。

「ここは私の創造力が産んだ想像の世界だ。あれを見てみろ」

パパオは森の脇にある建物を指差した。

「あれは神々が湯浴みをするための温泉宿だ」

「知っています。あの作品の宿ですよね。この森もあの作品の森だ」

「この世界は私が作り出したものだが、私はこの世界から着想を得ている」

「卵が先か?鶏が先か?」

「そう、卵が先か、鶏が先かだ」

私は円を描きながら踊り始めた。

「オリジナルだけど、オリジナルじゃなかった」

パパオも後ろから続いてくる。

「オリジナルだけど、オリジナルじゃなかった」

凄い、凄い世界だ。この僕にも想像力がみなぎってくる。1人芝居の脚本を書けるような気になってきた。

「君、今、作品のネタを思い付いたろ?」

「どうして分かるんですか?」

パパオの視線の先にひょろりと痩せた男の姿がある。あれは、僕だ。

「この世界は私が作り出したものだが、皆の想像力の結晶でもある。あの男は君の想像の産物だ」

「どうしてこんな事が?」

パパオはトコトコと歩き出すと、突然こちらに振り返った。その目は僕を捉えてはいるが、その目の中に僕の姿はなく、パパオの頭の中に無限に広がる不思議な世界。その世界に想いを馳せているようだ。

「君、ファンタジー小説は読むかい?」

「読みません」

「あれは凄いよ。何の説明も無しに魔法や魔物が出てくる。普通なら何ページも使って説明しなきゃいけない筈だよ。ファンタジーの概念が世界中に共有できていないと出来ない芸当だ。私はね、同じ事をこの日本で出来ないかと思っているんだ。私の世界観を皆が共有し、そこから作品が生まれ、そして皆のアイディアによって世界が拡張していく。」

「つまりあなたが作りたいものは作品ではなく概念だと?」

「その通りだ」

僕はため息を付いた。壮大な計画だ。だけど成功のカギはこの世界に触れた者。いわばパヤオチルドレン達が成功を納めるかどうかに掛かっているように思う。

「さぁ、若者よ、自分の世界に帰る時間だ。私の力が必要になれば、吸い殻を辿ればいい。また私に会える筈だ」

 

 気が付くとコーポエリーゼの屋上に私はいた。いつの間にか小学生姿から28歳の自分に戻っていた。

「お帰り」

その声は富良野だった。そしてコーポエリーゼの住人が集まっていた。住人達は口々に「おめでとう」と私を祝福する。

「富良野どうして?」

「言ってなかったな。俺は学生時代コーポエリーゼに住んでいたんだ。顔馴染みの住人もいる」 

そう言う事か、富良野の奴、はめやがったな。

 私を見つめるコーポエリーゼの住人達。その期待に応えねばなるまい。

「105号室。怪々夢濁美。1人芝居。タイトルは…」

私は声の限りに叫んだ。

『THE FIRST ZOMBIE』





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